今時の葬式とは、有名人所属事務所が何万人ものファンを集めて営利目的で大々的に執り行う大規模葬祭や、大企業の社葬を除き、そのほとんどが密葬か、あるいは少人数で施す場合が多いのではなかろうか。
昨日より7月に入り梅雨期も終盤、いよいよ夏本番のこの時期に、「原左都子エッセイ集」に於いて「葬儀」関連の話題が続き恐縮である。
昨日、7月にしては気温が高過ぎず湿度も低い、「喪服」を着るには比較的爽やかな程よい天候条件の朝を迎えた。
不幸中の幸いとはこの事である。
何分朝から義理姉の葬儀に一家総出(と言っても3名だが)で出席せねばならない。 もしも真夏日だった場合は熱中症対策上、上着は持って歩いて会場で着用するか? 持つだけでも暑苦しいし、猛暑の場合は上着は省略してクールビス半袖喪服姿で出かけるか?? 葬儀の3日前から娘と共に散々迷ったものだ。
昨日実施された我が義理姉の葬儀に際し、自分らが当日着用する衣装の心配が優先してしまい誠に顰蹙である事は承知だが、特に真夏の葬儀出席に当たっては皆さん同じようなご経験をされている事であろう。
何はともあれ7月にしては適度な天候に恵まれ、これ幸いと(??)我々一家は電車にて葬儀会場へ向かった。
次なる私の心配事は、一体どこのどなたが葬儀に出席しているのかとの点である。
と言うのも我が家の場合、身内は故人である義理姉の実の弟に当たるし、娘も血縁関係だ。 私だけが他人である事を内心承知しておくべきであろう。
今回の葬儀は今時の例外ではなく「小規模」実施ではあるが、喪主である故人の夫の親族や故人の友人も出席するとの話は聞いていた。 それらの皆が、私にとって初対面である。 (もしもこれが大規模葬儀であるならば、あらかじめ決められた自分の座席に静かに着席していれば事は収まるであろう。) ところが、今回は少人数での葬儀だ。 近年見知らぬ人達が集まる葬儀への出席経験がなく、一体如何なる人物が葬儀に出席しているのかを想像しつつ葬儀場へ向かったものだ。
さて葬儀場内の義理姉葬儀会場受付場所へ到着してみると、既に我々一家は出遅れている様子だ。
大方の皆さんは既に控え室で待機されているとの事だ。 (まっ、いいか。我が家は親族内でも弟一家の立場だから、故人の直属親等内では三親等以下だしね…) などと原左都子の脳内で家系図を描く等、いつもの癖で綿密な計算をしつつ我が家は控え室へ向かった。
待合室では既に義理姉親族の皆が到着していた。 このような場合、実弟である身内が一番に挨拶するべきであろうが、我が家の法則としては常に私が開口一番を切り出さねばならない。 結局、控え室入口にいた親族から順番にテキトーな簡単挨拶をしつつ、とりあえず喪主氏のところへ向かった。 故人の夫である喪主氏とは義理姉死後既に電話で幾度かやり取りしていた事もあり、事無きを得た。 次に丁寧に挨拶するべきは、やはり故人の息子氏であろう。 これも思いの他本人が気丈だったことに救われ、無事に挨拶を終えた。 義母に関しては普段より保証人代行としての日々の付き合いがあるため、何ら問題はない。
次なる課題は喪主である故人の夫の親族への挨拶である。 この方々とは私は今回の葬儀が初対面であったが、意外と会話が盛り上がり安堵した。
そうこうしているうちに最後に控え室に訪れたのが、義理姉の友人女性である。 喪主である故人の夫の紹介によれば、当該女性は故人中学生の頃より死後2ヶ月前に至る半世紀に渡り生涯仲が良かった間柄との事だ。
原左都子にとっては、最後に控え室に訪れた故人の友人女性との会話が一番興味深かった。
(この女性をK氏と表現させていただくが)、K氏こそが他の親族参加者よりも誰よりも故人と一生に渡り一番長く濃く係り、義理姉を最大に理解している人物だったのだ!
義理姉とK氏が50年程前に通っていた中学校(その後高校、大学と自動的に進学する女子学園とは、過去に於いて国内著名企業の令嬢を就学対象としてその淑女ぶりを更に育成するのが最たる目的だった、現在も存続する某私立女子学校法人であるが)にて知り合い、とにかく二人は12歳当初から当該学園で意気投合したとの事だ。
K氏によるその談話が実に愉快だった。 (参考のため、K氏なる人物は創業100年を超える大企業のご令嬢であられるのだが) 「私と彼女(義理姉)は当時から学校の勉強など大嫌いでエスケイプしまくった劣等生徒だったの。 そんな縁で故人との関係はその後も末永く続き、お互いが結婚後も出産後も、そして年月を経て離婚等諸々のマイナーな人生経験の後もずっと続いて来たのよ…。 それにしても彼女には膵臓癌罹患2ヶ月前に会ってディナーを一緒した時はいつもと変わらず元気はつらつだったのに、何故今日葬儀を迎えねばならないのか……」と、K氏は涙ながらにその無念さを訴える…
今回の葬儀は斎場にての実施だったが、すべての儀式を半日で執り行う儀式様式だった。
葬儀本番、そして火葬、納骨、その後の出席者の会食のスケジュール。 ほぼ4時間内ですべてが完了した。
出席者の誰にとっても辛く疲れる「葬儀」など、短時間で済ませて欲しいものだ。
原左都子自身も、自分の葬儀を来る将来迎えるべく現実問題として捉え、そのあり方を一番簡略な形態にしたい意向は既に家族に伝えてある。
ただ今回の義理姉の葬儀において、一生涯に渡りずっと親しかった友人であるK氏の談話を聞かせていただけた事は、私にとって大いなるインパクトがあった。
葬儀の形態は簡略でいいとして、もしも叶うならば上記K氏のごとく私の人生をずっと見つめてくれた人物にでも最後に登場願い、少数の出席者相手に我が人生の一部を語ってもらえたならば本望でもあるなあ…
いやいや、それとて贅沢な欲望であろう。
やはり、人生の最後は粛々と迎えたいものだ……
昨日より7月に入り梅雨期も終盤、いよいよ夏本番のこの時期に、「原左都子エッセイ集」に於いて「葬儀」関連の話題が続き恐縮である。
昨日、7月にしては気温が高過ぎず湿度も低い、「喪服」を着るには比較的爽やかな程よい天候条件の朝を迎えた。
不幸中の幸いとはこの事である。
何分朝から義理姉の葬儀に一家総出(と言っても3名だが)で出席せねばならない。 もしも真夏日だった場合は熱中症対策上、上着は持って歩いて会場で着用するか? 持つだけでも暑苦しいし、猛暑の場合は上着は省略してクールビス半袖喪服姿で出かけるか?? 葬儀の3日前から娘と共に散々迷ったものだ。
昨日実施された我が義理姉の葬儀に際し、自分らが当日着用する衣装の心配が優先してしまい誠に顰蹙である事は承知だが、特に真夏の葬儀出席に当たっては皆さん同じようなご経験をされている事であろう。
何はともあれ7月にしては適度な天候に恵まれ、これ幸いと(??)我々一家は電車にて葬儀会場へ向かった。
次なる私の心配事は、一体どこのどなたが葬儀に出席しているのかとの点である。
と言うのも我が家の場合、身内は故人である義理姉の実の弟に当たるし、娘も血縁関係だ。 私だけが他人である事を内心承知しておくべきであろう。
今回の葬儀は今時の例外ではなく「小規模」実施ではあるが、喪主である故人の夫の親族や故人の友人も出席するとの話は聞いていた。 それらの皆が、私にとって初対面である。 (もしもこれが大規模葬儀であるならば、あらかじめ決められた自分の座席に静かに着席していれば事は収まるであろう。) ところが、今回は少人数での葬儀だ。 近年見知らぬ人達が集まる葬儀への出席経験がなく、一体如何なる人物が葬儀に出席しているのかを想像しつつ葬儀場へ向かったものだ。
さて葬儀場内の義理姉葬儀会場受付場所へ到着してみると、既に我々一家は出遅れている様子だ。
大方の皆さんは既に控え室で待機されているとの事だ。 (まっ、いいか。我が家は親族内でも弟一家の立場だから、故人の直属親等内では三親等以下だしね…) などと原左都子の脳内で家系図を描く等、いつもの癖で綿密な計算をしつつ我が家は控え室へ向かった。
待合室では既に義理姉親族の皆が到着していた。 このような場合、実弟である身内が一番に挨拶するべきであろうが、我が家の法則としては常に私が開口一番を切り出さねばならない。 結局、控え室入口にいた親族から順番にテキトーな簡単挨拶をしつつ、とりあえず喪主氏のところへ向かった。 故人の夫である喪主氏とは義理姉死後既に電話で幾度かやり取りしていた事もあり、事無きを得た。 次に丁寧に挨拶するべきは、やはり故人の息子氏であろう。 これも思いの他本人が気丈だったことに救われ、無事に挨拶を終えた。 義母に関しては普段より保証人代行としての日々の付き合いがあるため、何ら問題はない。
次なる課題は喪主である故人の夫の親族への挨拶である。 この方々とは私は今回の葬儀が初対面であったが、意外と会話が盛り上がり安堵した。
そうこうしているうちに最後に控え室に訪れたのが、義理姉の友人女性である。 喪主である故人の夫の紹介によれば、当該女性は故人中学生の頃より死後2ヶ月前に至る半世紀に渡り生涯仲が良かった間柄との事だ。
原左都子にとっては、最後に控え室に訪れた故人の友人女性との会話が一番興味深かった。
(この女性をK氏と表現させていただくが)、K氏こそが他の親族参加者よりも誰よりも故人と一生に渡り一番長く濃く係り、義理姉を最大に理解している人物だったのだ!
義理姉とK氏が50年程前に通っていた中学校(その後高校、大学と自動的に進学する女子学園とは、過去に於いて国内著名企業の令嬢を就学対象としてその淑女ぶりを更に育成するのが最たる目的だった、現在も存続する某私立女子学校法人であるが)にて知り合い、とにかく二人は12歳当初から当該学園で意気投合したとの事だ。
K氏によるその談話が実に愉快だった。 (参考のため、K氏なる人物は創業100年を超える大企業のご令嬢であられるのだが) 「私と彼女(義理姉)は当時から学校の勉強など大嫌いでエスケイプしまくった劣等生徒だったの。 そんな縁で故人との関係はその後も末永く続き、お互いが結婚後も出産後も、そして年月を経て離婚等諸々のマイナーな人生経験の後もずっと続いて来たのよ…。 それにしても彼女には膵臓癌罹患2ヶ月前に会ってディナーを一緒した時はいつもと変わらず元気はつらつだったのに、何故今日葬儀を迎えねばならないのか……」と、K氏は涙ながらにその無念さを訴える…
今回の葬儀は斎場にての実施だったが、すべての儀式を半日で執り行う儀式様式だった。
葬儀本番、そして火葬、納骨、その後の出席者の会食のスケジュール。 ほぼ4時間内ですべてが完了した。
出席者の誰にとっても辛く疲れる「葬儀」など、短時間で済ませて欲しいものだ。
原左都子自身も、自分の葬儀を来る将来迎えるべく現実問題として捉え、そのあり方を一番簡略な形態にしたい意向は既に家族に伝えてある。
ただ今回の義理姉の葬儀において、一生涯に渡りずっと親しかった友人であるK氏の談話を聞かせていただけた事は、私にとって大いなるインパクトがあった。
葬儀の形態は簡略でいいとして、もしも叶うならば上記K氏のごとく私の人生をずっと見つめてくれた人物にでも最後に登場願い、少数の出席者相手に我が人生の一部を語ってもらえたならば本望でもあるなあ…
いやいや、それとて贅沢な欲望であろう。
やはり、人生の最後は粛々と迎えたいものだ……