原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

育児ママ達よ、相談者は自分で選ぼう。

2013年10月07日 | 時事論評
 6年程前にネット上で開設した我が「原左都子エッセイ集」の初っ端の話題が、育児に関するテーマだった。

 当時我が娘は既に中学生にまで成長していたが、出産時のトラブルにより多少の事情を抱えてこの世に誕生した娘の育児が難儀の連続だったが故に、私自身の脳内に未だ育児体験の壮絶さを引きずっていた時期とも言える。 
 市民の育児を支援する立場にある医療機関や自治体育児指導の“お粗末さ”をずっと根に持っていた私は、ブログという媒体上でそれに対する“恨みつらみ”とも表現可能なエッセイを真っ先に綴ったのだ。


 2007年9月公開の3部作 「聖母マリアにはなれない」 の一部を以下に要約して紹介しよう。
 (以下は、1990年代前半の頃の話である。現在では、産院及び自治体の育児指導はこの頃より進化を遂げていることと信じたい。)

 私が子どもを産んだ病院は授乳教育が徹底的にマニュアル化されていて、授乳時間が厳格に決められ、毎日その時間になると母体及び赤ちゃんの健康状態にかかわらず母親は全員強制的に授乳室に集合させられた。 そして赤ちゃんの体重測定を経た後授乳を行うのだが、その産院では赤ちゃんが病院が定めた規定量を飲む(無理やり飲ませる)まで母親は病室に帰れないシステムとなっていた。 我が子は不運にも母乳も足りていなければ人工乳の飲み方も少ない子で、我々親子は授乳の時間毎に授乳室に居残りとなり胃が痛い思いをする辛い入院生活を味わう羽目となった。
 この拷問に近い仕打ちを余儀なくされた産院を何とか無事退院したものの、元々完璧主義で神経質な私はその後もこの産院の悪しき習慣を引きずってしまう。 後で思えば愚かな新米母親だった自分をつくづく恥じ入るばかりである。 ただ、帝王切開後の体の予後も悪いのに加えて病院の授乳指導の呪縛にがんじがらめとなり、冷静な判断ができなくなっていた。 医学的、教育学的バックグラウンドがあり、結婚・出産が遅かった分人生経験も豊富だと自負していたこの私でさえも……。

 次なる悲劇は、3か月検診のため地元の保健センターへ行ったことにより始まる。
 身長・体重共に平均よりはるかに上回っていた娘が、最後の保健婦(保健士)さんの問診までいったときのことである。「(我が子の体が)大き過ぎなので、授乳量を減らして早めに離乳しましょう。」 私も既に育児書等で離乳の知識があったが、離乳を赤ちゃんの体型だけで判断するのは短絡的だとの疑問を抱いた。ただ当時の私は上記のごとく未だ体の回復が遅れ反発意思などなかった事もあり、公的機関にそう指導されればそれに従うより他にないと判断し早速離乳食を取り入れていくこととなる。
 今度はこの離乳に難儀を極めることとなった。 離乳食とは赤ちゃん個々の摂食・咀嚼能力の発達段階に従って進めていくべきなのだが、「モグモグ期」に入ろうとした頃から我が子の摂食能力の低さに難航し始める。 ごく小さな固形物がほんの少しでも混入していると拒絶反応を示し吐き出してしまうのだ。 この状態がしばらく続き、潔癖主義の私はまたもや焦り始める。 何事も子どもの発達に合わせるべきと頭では理解できているはずなのに、またもや“お役所指導の呪縛”に囚われてしまっていた。 当然ながら親が焦るほど子は緊張を強めていき、その悪循環の繰り返しに親子で陥っていた。 この状態が9ヶ月検診まで続いてしまう。 不幸中の幸いは、我が子はミルクの摂取量は相変わらず多く、引き続き丸々と元気に育っていてくれていたことである。

 そして9ヶ月検診を迎えた日、保健婦(保健士)さんとの面談場で私は母になって初めて勇気を持って自分の意見を述べた。 今思うにその頃やっと心身が回復し、母親としての自信と余裕が持てる時期にさしかかっていたのであろう。
 「3か月検診ご担当の先生は離乳食をすぐに始め早めに離乳するよう指示され、今日までそれに従って努力してきたが、どうも我が子の摂食・咀嚼能力が未発達のように察する。今後は我が子のそれら能力の発達状況を母の私が観察しつつ、自然に任せて離乳に取り組みたい。」そのようなニュアンスの私見を述べた。
 時代が進化していたのか、はたまた今回はたまたまキャパシティある保健婦さんに当たったのか、ご担当の方は「お母様がそのようにお考えでしたら、私はそれで良いと思います。何かお困りのことがありましたらいつでもご相談下さい。」と応じてくれ、すんなりと検診は終了し一件落着した。
 (以上、原左都子エッセイ集バックナンバー「聖母マリアにはなれない」より要約引用)


 その後もまだまだ我が苦悩は続いた。

 次なる自治体の理不尽な対応は、娘1歳半検診会場に於いてである。
 何分出産時のトラブルで事情を抱えている娘だ。 会場で我が子が泣き叫ぶ事など母としては重々承知の上での自治体検診会場訪問である。
 最初の関門が内科検診だった。 案の定泣き叫んでいる娘に対し、老齢の検診医が怒って言い放った言葉を私は今だに忘れもしない。 「一番後ろに並び直して、子どもを泣き止ませてから受診しろ!」  (医師の立場からの信じ難い発言だ…。もう帰ろう…。)と一瞬考えた私だが、気を取り直して再度列の最後に並び直した。 当然ながら娘はずっとワーワー泣き続けている。 並び直した列の最後の番になって、やはり怒りながら検診医は(私が観察する限り)テキトーに診察した“ふり”をして娘の「異常なし」の判断を下したようだ。  その後の歯科検診に於いても事態は同様で、決して歯科医の前では口を開けない我が娘の診察結果を、歯科医先生は如何に出せたのだろうか??
 こんな“テキトーな診断”が今尚自治体乳児・幼児検診会場に於いて実施されていないと信じたい私なのだが…
 その後娘を自治体の3歳児検診に連れて行くことに関して、弊害こそ多かれど何らの有益な健康診断にも成り得ないと判断し避けて通った私である。

 以後は私が信頼でき、かつ娘も医師をはじめ職員の対応に抵抗がない医療機関や相談機関を母の私自身が模索選抜し、娘を受診させている。
 現在に至っては、我が家に程近い場所にある個人医院に私と娘の主治医を発見していて、それで事が済まされる程に娘が成長している事は実にラッキーだ。


 さてさて、今回のエッセイを綴ろうとしたけっかけとは、朝日新聞9月28日付 「それぞれの育児でいい」 なる記事を発見したことによる。
 その記事によると、某子育て雑誌が今年の10月で創刊20周年を向かえるそうだ。
 
 原左都子の産んだ娘が今年11月に20歳を迎える。
 そうなのか、我が子が生まれた頃に創刊された育児雑誌なのか。 と感情移入可能な思いだ。

 当該育児雑誌が現在の雑誌発刊のテーマとしている通り、「それぞれの育児でいい」事など、人類発生以来共通のテーマであるべきだと私は解釈する。
 なのに何故、進化を遂げたはずの現代のママ達がこの種の雑誌に依存せねばならぬ程に苦しく辛い育児生活を余儀なくされているのであろう??

 最後に原左都子の結論に入るが、時代の趨勢にはかかわらず子どもとは親である自分のポリシーに従って育てればよいのではあるまいか? 
 もしもある時信頼していた人物より「母の貴方の育て方が悪い」と指摘されたとして、自己を振り返った結果自分自身に非がないと判断可能ならば、その相談者の力量こそを疑っても遅くないと私は心得る。

 この世の中、昨今を問わず専門家氏と名乗る連中どもが自分より弱者と判断した僕の群集に“指導したがる”習性があると懸念する私でもある。
 その種の輩を、自治体が専門力の如何によらずに「指導者」として受け入れ過ぎている実態にも辟易としている。

 表題に戻って、世の育児ママ達よ。
 現在は小さい子どもを抱え辛く苦しい時期と慮るが、それでも自分が育児に関して相談する相手とは、是非共保護者の責任として自分自身で信頼出来る相手を選別して欲しい思いだ。