原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

試合中の選手に「ため息」はやはり失礼だよ

2013年10月24日 | 時事論評
 クルム伊達公子氏。
 この名を知らない日本人は少数派であろう。 

 日本の女子プロテニス選手であるクルム伊達公子氏の過去の輝かしき成績・記録を少しだけ紹介しよう。
 WTAランキング自己最高位はシングルス4位、ダブルス33位。 WTAツアー通算でシングルス8勝、ダブルス6勝を挙げている。 アジア出身の女子テニス選手として、史上初めてシングルスランキングトップ10入りを果たした選手である。(以上、ウィキペディア情報より引用。)

 ところが伊達氏はこの華々しい記録の裏側で、「すぐ切れる」「悪態を突く」「機嫌の悪さを公にする」等々の悪評でも名高い選手だった。
 例えば、試合が劣勢になるとイライラして「試合中にボールを手渡すボールボーイに罵詈雑言を浴びせたり、手渡ししたボールをラケットではじいたり……。」 「マスコミに対してもそっけない態度を取ったり、取材を拒否したりと、以前より機嫌の悪さを露骨に出すタイプだった」等々の評価が現在に至っても存在するようだ。
 これらに関して伊達選手本人も「感情のコントロールがうまくなかった」と後に反省しているとの論評もある。

 決してテニスファンではない原左都子だが、実は昔から伊達公子氏を好意的に捉えている。 
 何と言っても、あの徹底した「負けず嫌い」ぶりが爽快だ!
 氏の気性の荒い言動がマイナス面で表面に出てしまうとしても、日本一の輝かしい実績を伴っている故に肯定的に捉えられるべきと私は解釈してきた。
 当時より世界的に活躍している諸外国選手達の中には、伊達公子選手タイプの「悪態を突く」選手は少なからず存在したのではあるまいか? 伊達選手と同時期に活躍したドイツのシュティヒ・グラフ選手なども、私の記憶によると試合会場で大声を出すタイプではなかっただろうか?? 
 何故、伊達選手のみが日本国内で悪態言動を批判されねばならないのかを分析した場合、やはり日本特有の旧態依然とした歪みのある礼儀作法意識が揺ぎ無く存在したのであろう。 あるいは、メディアに出るスポーツ選手とはファンサービスに徹するべきとの、身勝手なメディア意識に依存する部分が大きかったのかとも推測する。


 今回のエッセイの本題に入ろう。

 以下はネット情報を引用要約して紹介する。
 去る9月24日に東京有明テニスの森公園で行われた女子テニスの東レ・パンパシフィック・オープン、シングルス2回戦で、クルム伊達公子氏が、自身のミスに対し観客が「あ~」と発するため息に、試合中にもかかわらず「ため息ばっかり!」と身振りを交えて怒りをあらわにした。 この日は平日にもかかわらず入場者が7000人を超えた。観客のお目当ては42歳でも世界に伍して戦うクルム伊達だったはず。 それなのに…。プロのアスリートとしては、試合で高いパフォーマンスを見せて観客を魅了するのは当然であるが、ミスのいら立ちを観客にぶつけるのは、お門違いではないかと疑問を持った。
 某試合に於いて第1セットを3-6で落として迎えた第2セットで6-6タイブレークに持ち込まれたことで、(伊達氏の)イライラは募りに募っていた。 その証拠に、タイブレークになる前に「シャラップ(黙れ)!」と叫んでいた。 ついにいら立ちを爆発させたのは、タイブレークの1ポイント目にダブルフォールトを犯した時だ。 その瞬間、伊達氏は観客席に向かい両手を広げ「ため息ばっかり!」と大声で叫んだ。
 試合後の会見で、伊達氏は「チャンスがなかったわけではない。ショットの質を上げる大切さが必要で、もう一段自分のテニスを上げないといけない」とのコメントを残した。
 (以上、ネット情報より要約引用。)


 ここで今回のエッセイとは何らの関連も無いであろう事は承知の上で、原左都子の私事を少しだけ語らせていただこう。
 私には高校教員経験があるのだが、その日常とは日々の授業毎に教室内生徒達からの「野次」や「バッシング」に反応しつつ、それに耐え偲ぶ連続だったとも表現可能だ。 
 いやもちろん、有難い事に私自身や授業内容の「応援」かと思う反応も日々数多くあった。 例えば「先生、彼氏いるの?」などは、私の職業特性を逸脱して生徒の私的関心に基づいた質問だったのであろう。(参考のため、この手の質問には「いないよ。」と淡々と返答する事に決めていた。多くの先生方は「授業に関係ない質問はやめろ!」と叱責していたようだが、私は年頃の子ども達の関心を尊重するべきと考え必ずや何らかの返答をしていた。)  あるいは授業内容に関する質問等ももちろん受けたが、それこそが当時の我が職業に逸脱する事ない正当な反応だったものだ。 
 ある時、「商業経済」の授業内で銀行等金融機関の業務の一例として、私自身が独身の立場で借入している住宅ローンに関する説明を始めたところ、一女子生徒より「先生の個人的な自慢話はやめて下さい!」 なる予想外の手厳しいバッシングを受けた。 これには驚かされると共に、今に至って尚教員たる私の大失態だったと心得ている。 当時未熟な私としては、自分自身の身近な事例を取り上げる事により生徒との“親密性”を図ろうと企てたのだが、様々な環境下に生きている多様な生徒が存在する事実に思いが及んでいなかった事を大いに反省したものだ。


 さて、クルム伊達公子氏が現在受けている世論バッシングに話を戻そう。

 9月24日の東レ・パンパシフィック大会で伊達氏が試合会場から発した「もうため息ばっかり!」との叫びに関して、多くの議論が世に炸裂している様子だ。
 某著名人は、「プロの選手としてファンのお陰で巨万の富を得ている訳だから失言をしてはいけないし、その資格もない」と批判しているようだ。 ただし、この著名人氏も「あの年になっても、反発心や感情を抑えきれない若さを持っていられるのは、いいところ。」との肯定的コメントを合わせて述べておられる様子でもある。
 某大学教授は、「落胆のため息は脳の活動にマイナスになるけれど、応援や歓声は脳の活動にプラスの影響を与える。 選手のマイナスになる落胆のため息ではなく、プラスになる応援が出来たらいい」と話しているらしい。(以上、朝日新聞10月20日記事より一部のみ引用。)

 プロスポーツ選手と、(私が昔一時経験した)しがない高校教員とでは、その立場が大いに異なる。

 観客の応援をもって成り立っていると表現可能なプロスポーツ界の選手達に課せられている厳しい使命の実情を思いやることも、ファンとしての一つの礼儀なのではなかろうか?

 世界に類稀な実績を上げ現在尚活躍中のプロスポーツ選手ご本人が「ため息はやめて!」と訴えられておられるならば、ファンの皆さんはそれを非難叱責するのではなく、それも観客としてのマナーと心得てはいかがか?  今後共ファンとしてその選手へプラスの歓声応援を贈り続ける事により、ファンご自身の人生の活性化に繋げたらどうなのだろう。