原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

手術を受けるより傍らで見守る方がよほど重圧

2015年04月21日 | 医学・医療・介護
 昨日、私の身内(亭主)が大学病院にて手術を受けた。


 原左都子の場合、元医学関係者である事が一番の理由で、出来得る限り医療に依存しない人生を貫いている。 これに比し、身内は元々医療依存度が強い人間である。 
 このように、こと医療対応に関しては全く相容れない両者であり、少し前までは見解の相違でよく対立したものだ。
 「深い思慮もなく医療に依存し過ぎるから不要な検査や薬漬けに陥り、更なる体調不良を招いているんだよ! 貴方も科学者の端くれならば、少しは科学的観点に立って物事を冷静に思慮判断したらどうなの!?」と、私はよく亭主を責め立てたものだ。  ところが私の叱責などお構いなし。 好き放題医療に頼る亭主の机の上は、ありとあらゆる医療科の“診察カードコレクション”で溢れている。

 そんな亭主が既に定年退職した身分となりては暇に任せて病院へ通う日々だが、言っても聞かない事だし医療バトルするのも疲れるしで、本人の自由意思に任せていた。 
 その陰で私なりに亭主の不調を“問診”しては“裏診断”している事に亭主は気付いていないだろう。 元々精神力が強靭とは言えない亭主の場合、どうもほとんどの病状が精神的弱さに基づいていると結論付けるのだが、大方はその通りのご意見を主治医より頂戴してくる始末だ。


 ただ、人間の体とは確かに老化の一途を辿る宿命を負っている。

 亭主が通っている数ある医療科の内、某科(ここではプライバシー保護観点で公開を避けるが)に於いて放置不能な病状が発見されたのは昨年末の事だ。 
 大学病院主治医より「手術」措置の診断が下された後、度重なる各種検査(癌の疑いもあった)を経て、病室ベッドの空きを待つ運命となった。(都会の大病院は何処もゲロ混み状態であり、癌末期でもない限りベッド空き待ちを余儀なくされるのが通常だ。)
 そして、4月17日に入院。 昨日(4月20日)に手術の運びと相成った。

 
 私自身が過去(20年前)に癌摘出手術のため、(偶然今回亭主がかかっている)大学病院にてお世話になっている。 
 そんな私にとっては大学病院での手術は手慣れたものだが、今回は傍で見守る役割である。

 入院初日17日に外来診察担当医師による、家族相手(要するに私相手)の手術事前説明が実施された。
 私の手術時にも亭主が見守り役でやって来て説明が実施されたが、その際には既に医学関係者の私自身が担当医と十分に話し合いを済ませていたため、ごく短時間で済んだ。
 ところが今回亭主の手術説明に費やされた時間は1時間にも及んだ。 と言うのも、私の“ツッコミ”が容赦ない。
 だが、それより感じたのは医療現場に於いて“説明責任”体制が20年前に比し各段に進化している事実である。 とにかく、何を聞いても担当医が即刻解答してくれるのだ。 ある時は臓器組織を図示しつつ「ご主人の場合患部の線種がこれ程の大きさになっている」とか、「腹腔鏡をここから通す」とか、「もしかしたら腹腔鏡がこの組織を突き破った場合大出血の恐れもある…」(それは勘弁して欲しいものだが) 「術後感染症の恐れもある」 「一度で取り切れない場合、期間をおいて再手術の場合もあり得る」等々…
 そして、出血多量の場合輸血対応を想定して「輸血同意書」にも印鑑を押し、事前説明を通過した「同意書」にも署名捺印した。

 全国津々浦々の大病院にて、腹腔鏡手術後短期間内に多数の死亡者が出ている現況下だ。 
 患者本人及び家族に対し説明責任を果たし「同意書」に署名捺印させておかない事には、もしやの医療事故発生後の責任問題対応に医療現場は苦慮する事であろう。
 そうだとしても、今回1時間にも及んで主治医より詳細の手術事前説明がなされた事実に、私は大いに安堵し一旦帰宅した。


 昨日はいよいよ手術日。
 手術中待合室にて手術終了を待つ時間とは、重圧に押しつぶされそうな感覚だ。 自分自身が手術を受けた方がよほどマシな気さえする。
 アナウンスにて手術終了を告げられ、私は手術室へ向かった。 早速オペ担当医より術後まもなく説明を受けたのだが、一見して医師のマスク顔の目に安堵感が漂っている。 (これは手術成功に間違いない!)事を確信した私に、「無事に手術は終了しました。」との報告だ。  亭主の体内から取り出した線種の残骸を見せてくれつつ「80gが採取出来ました。これで時間が経過すれば体調は良くなる事でしょう。」 「出血はどの程度でしたか?」との我が問いに対し「全く問題ない量でしたので輸血の必要はありませんでした。」と明瞭に解答して下さった。

 術後すぐに病棟ナースステーション直結の特別病室に運ばれた亭主が、私の顔を見るなり「痛い!」「痛い!」と半分意識朦朧としつつ酸素マスク着用状態で唸り始める。
 見るからに可愛そうで出来れば変わってやりたい心境だが、ここは本人の踏ん張りどころだ。 一応モニターにて脈拍数や血圧を確認したところ、まあまあのデータが掲示されていて多少安心した。 額に手を当てて高熱も出ていなさそうと判断した。
 昨夜はこの特別病室にて一夜を明かすとの看護師の説明だ。
 「痛いの辛いけど、我慢して。 明日また来るからね。」と言い残し、心を鬼にして私は帰宅した。

 本日も午後、病院へ様子を見に出かける予定だ。 少しでも痛みが緩和しているとよいのだが…


 
 P.S. 
  しばらく病院通いをして入院中の亭主の見守り役を続行するため、「原左都子エッセイ集」執筆が不定期となりますことをお知らせしておきます。