原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

"The Sleeping Beauty" in late summer 2015

2015年08月24日 | 芸術
 (写真は、都内目黒区柿の木坂地区に位置する めぐろパーシモンホール。)


 東急東横線都立大学駅を降車して柿の木坂通り沿いに7分程歩くと、その地区の丘に都立大学跡地がある。 現在は“めぐろ区民キャンパス”として区民の憩いの場の機能を果たしている場所だ。
 その一角の正面に光るガラス張りが特徴の建物が、めぐろパーシモンホールである。 都内のホールとしては珍しく豊かな光と緑を抱く中規模ホールである。

 我が自宅からは、東京メトロ副都心線から東横線直通にて1時間足らずの所要時間で到着可能な場所に当該ホールは位置している。 
 我が子が幼少の頃よりクラシックバレエを習っていた事と並行して、バレエ観賞が趣味の一つである娘と私は都内様々なホールを訪れているが、このホールを訪れるは今回が初めての事だった。

 近年は、熊川哲也氏や吉田都氏、はたまた国内最長の歴史を誇る大規模バレエ団体「松山バレエ団」にて今尚現役プリンシパルとしてご活躍中の巨匠 森下洋子氏等々を筆頭に、クラシックバレエは我が国でも更なる発展を遂げ続けている。
 加えて現在は、若い世代のクラシックバレエ界に於ける活躍の程が凄まじいばかりだ。 毎年毎年、著名な国際バレエコンクールに入賞し将来を嘱望される10代のバレエダンサーが数多く育っている。
 そのような国内クラシックバレエを取り巻く環境の成長・発展と共に、それを観賞する側のファンにとっても、幾多と開催されるバレエ公演の中からいつ、何を選択して予約するのかに関して“より取り見取り”の恵まれた時代と移り変わっている感がある。


 さて学校の夏休みも終わりに近づく晩夏の昨日、私は娘を誘って上記 めぐろパーシモンホールへ「眠れる森の美女」(英語題名“The Sleeping Beauty")を観賞しに出かけた。
 夏休み中の子供達を観客のターゲットとした今回の東京バレエ団主催「眠りの森の美女」は、さすがに観客のほとんどがプチバレリーナと思しき小さな子どもを伴った家族連れである。
 我が子に話を移すと、娘は中2にしてそれまで9年間励んで来た(親側としては少なからずの資金投資をして来た)クラシックバレエレッスンを辞めるに至っている。 おそらく今回会場に来ているプチバレリーナ達も、我が娘と同じような足取りを辿るのだろう。

 などと他人事のように感慨深く思いつつも、それでも国内に於けるバレエ人口が激増している事実を実感だ。
 何故ならば(失礼ながら)、こんなマイナー地区に於けるマイナーなバレエ公演でも会場が満杯の盛況ぶりだ。 しかも、プチバレリーナ達の観賞マナーが良いこと! 一昔ならば、必ずや公演途中で泣き叫ぶ子供達が多発したものだ。 
 それは主催者側の努力によることも歴然である。 今回の公演の場合、出演バレエダンサーの一人が「ストーリーテラー」の役割を果たし、最初から最後まで適時に舞台に登場して、物語のあらすじを子供にも分かり易いように語ったのだ。 (おそらくこのような演出を嫌う“真正バレエファン”は、もちろんの事この種の公演を避けるのであろう。 参考のため私はOKだ。 何故ならば私も今回の観客達同様に娘幼少の頃より娘と一緒にクラシックバレエ公演に親しんでいる故だ。)


 ここで大幅に話題を変えよう。
 
 私は昨日午前中に、午後から訪れる「眠れる森の美女」バレエ公演を最大限楽しむに当たり、そのストーリーをネット情報により再確認しておこうと志した。 
 そうしたところ、ウィキペディアにて興味深い情報を発見した。 その情報によれば、「The Sleeping Beauty」には大まかに三通りのあらすじが存在するとの事だ。  以下にその3つを要約して紹介しよう。

 その1。 日本語圏では一番ポピュラーな「グリム版」に基づいたストーリー。
 あるところに子どもを欲しがっている国王夫妻がいた。ようやく女の子を授かり、祝宴に一人を除き国中の12人の魔法使いが呼ばれた(13は不吉な数字であったためと見られる、またメインディッシュのため賓客に供する金の皿が12枚しかなかったためとも)。魔法使いは一人ずつ、魔法を用いた贈り物をする。宴の途中に、一人だけ呼ばれなかった13人目の魔法使いが現れ、11人目の魔法使いが贈り物をした直後に“王女は錘が刺さって死ぬ”という呪いをかける。まだ魔法をかけていなかった12人目の魔法使いが、これを修正し「王女は錘が刺さり百年間眠りにつく」という呪いに変える。呪いを取り消さなかったのは修正以外不可能だったためである。 (中略)  100年後。 近くの国の王子が噂を聞きつけ城を訪れる。 王女は目を覚まし2人はその日のうちに結婚、幸せな生活を送った。

 その2。 ペロー版。
 王女誕生の予告はない。 ここでは魔女は仙女と表され、8人登場する。魔法をかける順番はグリムの徳・美・富…とは違い、美・徳そして富はない。 眠りにおちた王女を悲しみ王と王妃は王女に別れを告げず城を去ってしまう。 他の者たちは妖精の魔法により眠らされてしまう。グリムとの大きな違いは王女は王子のキスで目覚めるのではなく、100年の眠りから覚めるときがやってきていたため、自分で目を覚ます。 また、グリム版では省かれたと思われる、2人の結婚の後の話が残っている。「王女は2人の子供をもうける。しかし、王子の母である王妃は人食いであり、王女と子供を食べようとする。そこを王子が助け、王妃は気が狂い自殺してしまう。」といった内容である。

 その3。  バジレ版。
 王女に対する祝福はない。ペロー版同様、誕生の予告もない。 眠りにおちた王女を悲しみ、父親は別れを告げてこの悲しみを忘れるために城を去る。 その後鷹狩りで偶然辿り着いた王が、眠る王女を見つけ、あまりの美しさに我慢出来なくなり愛の果実を摘む。そして王国へ帰り王女のことを忘れてしまう。 王女は寝ている間に双子を出産し、麻糸がとれて目を覚ます。 思い出した王は王女に会いに行き出産を喜ぶ。 とりあえず王国に帰った王であったが、王女のことが気にかかり、王妃はそれに気づく。 嫉妬した王妃は王の名前を装い、双子を呼び寄せ殺しスープにして王に食べさせようとするが、子供に同情した料理人が子山羊とすりかえる。 次に王妃は王女を呼び寄せて火焙りで殺そうとしたが、王が助けにはいり、子供をスープにして飲ませたという話をきいて王は怒り狂い、王妃を火の中に投げ込む。


 あな、恐ろし、恐ろし…。

 ただ現世とは、その3。「バジレ版」を地で行っているような事件が普通に多発している事態と捉えられるのではあるまいか?
 正常な精神構造の人間が一人もいなくなりそうな現世の「名誉欲」「金欲」「性欲」にほだされた人間模様を、よくぞまあバジレ氏は「The Sleeping Beauty」とのグリム童話を借りて構成し直したものだ。
 それにしても原左都子思うに、一番の諸悪の根源は主人公の「Sleeping Beauty」である事は間違いない。 貴女ねえ、静かに100年も寝ている場合じゃないよ。 無理に目を覚ましてでも自分主体に生き直さねば!


 いやいや、それにしても昨日のめぐろパーシモンホールにての「眠れる森の美女」バレエ公演は初版の「グリム童話」に基づいていて、子供達に大いなる夢を与えられたものと高評価している。