原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

郷里で過ごした怒涛の一週間  - 高齢者有料介護施設比較編 -

2016年10月29日 | 医学・医療・介護
 (写真は、JR四国高徳線 板野駅ホームにて撮影した徳島駅行列車。 ワンマン運転1両車両にて運行。 郷里実家よりの帰りはまずこれに乗って徳島駅到着後、バスに乗り換え徳島あわおどり空港まで行き、空路東京への帰路につく。 郷里実家より東京の我が家まで約7時間の長き道程だ。)

 
 さてこの度の郷里旅行記最終章は、テーマを旅行の原点に戻そう。

 郷里に一人暮らしの実母を、高齢者有料介護施設へ入居させるための引越を実行するのが、今回の旅行に於ける我が第一義の任務だった。
 結果としてその任務を滞りなく終了出来たと振り返るのだが、実は出発前の事前準備が大変な作業だったものだ。
 私の場合、東京に住む義母の介護保証人を既に4年程実施している経歴もあり、高齢者有料介護施設に関しては熟知しているものと自分では把握していた。
 ただ高齢者有料介護施設と一言で表現しようが、その存在意義や果たす役割が多様化している現実だ。 これに関しても、6月に実母の介護施設を探すため郷里の複数の有料施設を見学しているため、認識出来ているつもりだった。

 ところが、実際に実母が入居予定の介護施設へ第一保証人(参考のため、第二保証人は郷里の叔母夫婦に任せている)の立場の私が最初に東京から電話を掛けた時の施設長の対応に、多少がっかりさせられたのが正直なところだ。
 施設長氏曰く、「第二保証人のお母さんの妹さんご夫婦に既に保証人業務をお任せしておりますので、ご心配は要らないですよ。」
 ここで私が置かれている現実を振り返るはめとなる。
 確かに施設長氏がおっしゃる通りだ。 遠方に住む保証人など何らの役にも立たないのは歴然だ。 有事の際には、必ずや直ぐに施設へ駆けつける事が可能な郷里の親族に連絡が行くのであろう。

 そして、この度実際に実母が入居する施設を初めて訪れ、私は再度施設長氏と面談(と言っても玄関先で数分間話し合っただけだが)を持った。
 その時にも、今一度第一保証人である我が任務を確認せんとしたところ、またもや「現地に住まれているお母さんの妹さんご夫婦に連絡を取りますので、(直ぐに役に立たない?)遠方の娘さん(私の事)に連絡をする事はまずありません。」との回答だ。

 そのご回答が重々身に沁みつつも、「私は東京にて義母の保証人を既に4年来担当しております。義母が入居している施設では、年に2度ケアマネジャー氏と保証人との会合を持ち、今後半年間の義母の介護計画が話し合われそれに両者が同意しサインをします。 (実母が入居予定のこの施設では)第一保証人である娘の私が、その種の会合に同席しなくてよいのですか?」  

 この会話で、どうやら私は実母入居予定の介護施設長に嫌われてしまったようだ……
 ただ私としては、有料介護施設には支払いに応じた介護を期待しているからこそ、それを確認したのみだったのに。


 ここで、「有料介護施設」の“ランク”に関して、私が認識している範囲で注釈を加えよう。

 義母が数年前より入居している都心の介護施設とは、「介護付有料高齢者施設」と名付けられている施設だ。
 おそらく、すべての「有料介護施設」の中で一番介護が手厚く(この表現は誤解があろう。あくまでも施設内で完璧に介護がなされた場合の話)、入居者本人の介護レベルが最高値に達しようが他界するまで施設を移動することなく(病気の場合は病院入院する場合もあるようだが)介護を受けられると捉えてよいだろう。
 その分、支払う介護料も一番高額となるのは必然だ。

 片や、今回郷里の実母が入居するのは、「サービス付高齢者向け住宅」に分類されるものと認識する。
 その施設の役割とは、比較的自立している高齢者を支援しつつ一人暮らしをさせる事に重点があろう。
 ただし今回実母が入居した施設とは病院付属であり、しかもその規模が大きい事が功を奏していると捉える。 もしも母の介護レベルが上がったならば、病院内のより高度の介護が受けられる別の施設へ転居させてもらえそうだ。 更には、病院付属が功を奏して死に際にも病院内でその死を看取ってくれそうなのも遠方に住む家族としてはラッキーだ。 
 まあ何と言っても、定年まで公務員だった母の年金内で残りの人生をこの施設で全うしてくれそうな事実こそが、何にも勝る子孝行と結論付けるべきと心得る。

 実母が入居する施設の長に対し、私がマイナスの印象を抱こうがどうであろうが、とにかく実母自身がこの施設を選択決定した事を「幸」とするべきだろう。


 最後に、原左都子の結論でまとめよう。

 人それぞれの老後があるのだろう。
 そんな中ご自身に高額年金等の経済力があるのならば、それ相応の施設にて他者の介護力に頼るのも良かろう。

 それがほぼ無いに等しい私のような人間は、如何に老後を渡るべきか?
 少なくとも金力に加えて集団迎合力の微塵も無い私の場合、遠い(近い??)未来には一人で息絶えることが一番の美学かもしれないと、自宅に戻った今改めて実感させられる‥……

 (「原左都子エッセイ集」読者の大方は、定年退職した殿方がほとんどとお見受けしております。 そんな皆様が、実際問題ご自身の老後介護を如何に処理されるおつもりだろうか??  奥方に頼る?!? そんな“甘え”が通じない時代に変遷している事を、今から重々肝に命じて欲しい感覚がありますよ!)