原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

女の出世、丁と出るか、半と出るか!??

2021年10月23日 | 時事論評
 世の中、政権も一般企業も“女性起用”で躍起となっているようだが。

 どうも女の数だけ揃えりゃそれで済むと安易に捉えられている様子で、私など返って女性蔑視でなかろうか??、との見方しか出来ないでいる。


 本日2021.10,23付朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、50代女性による「女性の間にもある昇進格差」である。
 早速、相談内容の一部を以下に要約して紹介しよう。

 50代女性、新卒で入った会社で課長補佐をしている。
 会社も女性管理職を増やそうと対外的に数値目標を掲げているが、実際には管理部門のみ女性管理職が増え、私がいる営業部門はまだまだ男性の聖域のようになっている。
 昇進している女性は、2種類に限定されていると感じる。①残業もいとわずバリバリ働くバリキャリアタイプ。 子供がいないことが多い。 ②役員クラスから覚えめでたき人。
 私も頑張ってきたつもりだが、どんどん男性所クインに追い抜かれ、やりきれない思いに襲われる。
 出世は運やタイミングによると頭で分かっていても、時折襲ってくるモヤモヤ感にどのように打ち勝ち、日々穏やかに過ごすことができるか?

 (以上、“悩みのるつぼ”相談内容の一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私事に入ろう。

 私の場合はこの相談者とは大きく異なり、元々医学専門職員として新卒で雇用された。 入社後即戦力として、医学専門業務をこなしつつ。
 27歳時にその専門職場係長の地位に任命された。 当時としては異例の措置と思われたが、とにかく2000名規模の社内での女性係長は私を含めて2,3名だったように記憶している。
 その後、29歳時に管理部門である新宿本社の教育課配属となり、主任(部下のいない係長)の地位で、社員に対する医学教育や医学書の執筆等々をこなす日々だった。
 この本社管理部門への配属こそが、未来の女性管理職候補としての道のりの手始めであり、先々は女性管理職として企業を背負って立つのであろうぐらいの予想はついていた。

 ところが、我が人生に於ける私自身の目指す夢は全く異なっていた。
 まだまだ他分野の学問に励みたい!との明瞭な目標設定があった私は、業務で多忙な中、新たな大学受験を目指し職務の間に受験勉強に励み合格をゲットしたのだ!
 まさかそんなことを露知らなかった社内の上司陣が実に驚き、私が退職を申し出た際にそれの阻止行動に出たのだ。 「貴女は、春から“主査”(部下のいない課長)と決定している。これから当社でバリバリ働いて欲しいと思っている時期に、新たな大学進学とは何事か! 考え直せないものか。」
 首を横に振り続けた私の送別会が、企業上層部の面々も出席して執り行われた。 
 その席に副社長も出席して私に告げるには、「貴女はそのレベルまで医学を積み上げておきながら、会社を辞めて大学へ再入学すると聞くが、一体いかなる分野の学問をやりたいんだ?」
 私応えて、「経営学です。(当初の目標はそうだった。 入学後、哲学や法学に浮気しまくった挙句、結果としては大学院修士課程にて“経営法学修士”を取得したのだが。)」
 そうしたところ(某都市銀行頭取経験もあられる)副社長がおっしゃるには、「そんなのボクが教えてやるから、馬鹿なことを言っていないで、貴方は当社で医学を続けなさい!」

 この話題は過去に当エッセイ集にて複数回取り上げているが、実際この副社長の発言こそが、私にとっては“最高の贈る言葉”となった。 
 これ以上ない有難いお言葉を頂戴して、私は新たな分野へ前進していった。

 更に参考だが、その後“経営法学修士”を活かして高校教師となり、商業高校にて「商業法規」や「商業経済」の科目を伝授した後に、高齢出産にて教師を退職し。
 娘がある程度の年齢になった後、私は再び過去の医学経験を活かして国立開発研究法人・理化学研究所にて医学実験にかかわってきている。


 私事が長引いたが。
 
 今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる社会学者・上野千鶴子氏も以下のように述べられている。
 
 相談者女性は、「会社命」で生きてきたわけでもなさそうなので、定年後のソフトランディングを見据えて、ご自身の第二の人生を設計されてはいかがか? とりあえず、定年まで勤めて退職金と年金は確保するべき。
 会社ファーストより、自分ファーストです。

 (以下略すが、上野千鶴子氏のご回答の一部を引用。)



 最後に、原左都子の結論を述べよう。

 今現在世で叫ばれている「女性起用」とは、所詮、その程度のものと私も理解している。

 だからこそ、それに起用された(されてしまった)女性こそが、ご自身の将来を冷静に見つめるべきではないだろうか?