原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「民衆が立ち上がってこそ愛国心が芽生える」

2024年11月08日 | 時事論評

「民衆の歌」

闘う者の歌が聞こえるか
鼓動があのドラムと響き合えば
新たに熱い命が始まる
明日が来た時・・そうさ明日が
列に入れよ!我らの味方に 
砦の向こうに世界がある
闘え! それが自由への道
悔いはしないな例え倒れても
流す血潮が潤す祖国を!
屍越えて開け明日のフランス


“Do You Hear the People Sing ?”

Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!
When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!

Will you join in our crusade?
Who will be strong and stand with me?
Beyond the barricade
Is there a world you long to see?

Then join in the fight
That will give you the right to be free!

Will you give all you can give
So that our banner may advance
Some will fall and some will live
Will you stand up and take your chance?
The blood of the martyrs
Will water the meadows of France!


 
 冒頭より引用したのは、ヴイクトル・ユーゴー原作、ミュージカル「レ・ミゼラブル」内で歌われる 「民衆の歌 Do you hear the people sing?」 の日本語版と英語版である。 1832年にフランス王政からの圧政に蜂起で立ち向かったフランス民衆であるが、ミュージカル内で民衆がこの歌を熱唱する場面を鑑賞することができる。

 原左都子が最近この歌を聴いたのは、今年の米国アカデミー賞各賞受賞に輝いた映画「レ・ミゼラブル」を何ヶ月か前に鑑賞した時である。
 オペラ形式で展開する映画全体の印象に関しては、前半の影像が暗い場面が多いのに加えて映画自体が「長過ぎた」事もあり、座席にずっと座っているのが苦痛だったものだ。
 ただ後半部分に入り、舞台が「フランス革命」に移って後は見応えがあった。 特に大学生等若者達が民衆の一グループとして圧政に立ち向かう場面は圧巻だった。 その時に大学生達の間で歌われたのがこの「民衆の歌」であるが、映画鑑賞の後もいつまでも我が心にこの歌声が響き続けている。
 その後自宅でユーチューブ検索等により「民衆の歌」をマスターし、今では我がカラオケ持ち歌の一つである。

 フランス革命をご存知ない方はおられないであろうが、参考のため、以下にウィキペディア検索の一部を紹介しよう。
 フランス革命とは、18世紀にフランスで起きた市民革命である。
 1787年に王権に対する貴族の反抗に始まった擾乱は、89年から全社会層を巻き込む本格的な革命となり、絶対王政が倒れたのちフランスは立憲王政から共和制へと展開する。 さらに94年のテルミドール反動ののち退潮へ向かい、99年にナポレオン・ボナパルトによる政権掌握と帝制樹立に至る。 この87年の貴族の反抗からナポレオンによるクーデタまでが、一般に革命期とされている。
 革命によりフランスの王政と旧体制(アンシャン・レジーム)が崩壊する過程で、封建的諸特権が撤廃され、近代的所有権が確立されるなど、全社会層が変革へ向かった。 前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命として、 世界史上、ブルジョア革命 (市民革命) の代表的なものとされる。

 今回、何故に原左都子が「愛国心」などという大いに“危険性”を孕む難題をエッセイに取り上げたのかに関して説明しよう。

 2007年に「原左都子エッセイ集」を開設した初期の頃に“左都子の市民講座”とのカテゴリーを設け、我が高校教員時代に生徒相手に授業した講義ノートから引用してエッセイ(ごく簡単な講座)を綴っている。
 実はその講座シリーズが(著者の私がその根拠を把握できないものの)、今尚ネット上でコンスタントに閲覧されている様子なのだ。
 その講座の一つとして、「近代市民法の基本原理とその修正」なるシリーズも綴っているが、以下にその一部を要約して紹介しよう。
 近代市民法とは何か?    近代市民社会において施行されている法のこと
  近代っていつ?  → 市民革命以降の時代
  市民社会って何? → 資本主義社会が市民社会
               (社会主義社会は市民社会とは言わない。
                生産手段の社会的所有により横並び社会では
                あるが、反面、自由が制約されているため。)
 我が国における近代市民法とは?
   私権を確立するために制定された私法の基本法である「民法」のこと
     これに対し、「憲法」とは、国家統治のあり方を定めた根本規範
            政治指針であり、具体的な権利義務は表れない
 (以下略)

 まあこんな感じで、高校生でも理解し易いような授業展開を出来る限り工夫していた教員当時の原左都子である。


 さて上記我が講座内容にあるように、近代とは「市民革命」によりもたらされた時代である。
 18世紀においてフランスでは民衆が砦の向こうの世界を志し、市民が流血の末に絶対王政を倒したのだ。 “闘え! それが自由への道 流す血潮が潤す祖国 屍越えて開け明日のフランス!”

 片や我が国は20世紀に入って以降、戦争敗北によって米国から新しい憲法である「日本国憲法」を与えられる事により“やむなく”民主化に流れた国家と私は位置づけている。

 原左都子は絶対的に戦争反対派である。 それ故に日本国憲法第9条改定反対派でもある。
 以下に、憲法第9条を紹介しよう。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 世界規模での流血の歴史もなく、20世紀に入って他力本願に「民主化」に流れる事が叶った我が国が偶然経済発展できたからと言って、何故今更(近隣アジア発展国を)仮想敵国に仕立て上げて、それらの国に打ち勝つと国家は宣言するのか!? 少しは過去の恥を知った上で米国迎合を避けて近隣諸国との交友を築けよ、と私は訴えたいのだ。

 皆黄色人種であり先天的に同じ風貌を余儀なくされているにもかかわらず、近隣に住む弱者同士が何故仲良く出来ないのか?  どうして自民党政権は同類の弱者相手に領土問題を殊更取り上げたり、憲法改定してまで「喧嘩」を売りたいのか???  
 安倍政権はこの国の底辺に位置する“民主主義の真の意味さえ知らない平和ボケ民衆達”に、それをよい事として「愛国心」の掛け声の下“流血せよ!”と今更叫ぶのは控えるべきだ。  お上から強制される「愛」など空虚なものでしかない。 民衆自らが平和と平等を勝ち取り新しい国を創り上げてこそ、国家への「愛」の土台が出来上がるのだ。
 米国迎合より優先するべきは過去に於ける隣国への過去の「侵略」のお詫びを後世に及んでし続ける事であろうに、未だに政府要人が靖国参拝するとは……
 その解答こそを、安倍政権から聞きたい私である。 


 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーを再掲載したもの。)


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 本日私は 当該バックナンバーを発見して以降、その中で取り上げた楽曲を何度も聴き直しました。

 そして、それを口ずさみつつ当時の我が思考や思想等々を思い浮かべながら振り返り…

 当時、カラオケで歌いまくった過去を思い出した次第です…