原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

優秀人材揃いの我が医学部同窓生達の活躍ぶりに今更ながら感動!!

2024年11月17日 | 自己実現
 郷里医学部同窓会出席は、昨年に引き続き2年連続の出席となるが。

 昨年よりも参加者が少なく、9名(全員で18名のクラスだったため)と、ちょうど半数の出席率だった。

 私の場合現在東京暮らしと、同級生の中で一番遠方に暮らしていることもあるし。 また高齢出産だった娘の育児・教育に最近まで手がかかっていたこともあり、まさに何十年ぶりでの出席だった。

 それが功を奏したのか 昨年出席した際に有意義な会合だったとの印象が強く、今年も連続で出席したとのいきさつだ。


 今回の出席者たちが、現役時代にも仲が良かった連中が多かったせいもあろうが。 とにかく誰と会話してもツーカー感があり、私にとっては実に有意義な会合だったと振り返る。


 原左都子自身の経歴に関しては、当エッセイ集内で再三触れているためご存じの方々も多いだろうが。
 この私は医学業務を30歳にて一旦休止して、2度目の大学(大学院)にて学問に励んだ後、高校教諭としての活躍の時期がある身だ。
 その後、再び理化学研究所にて医学分野の実験業務に返り咲き、50歳手前頃までそれに励んだ。
 そしてはたまた、50歳過ぎてからはフランチャイズ学習教室運営に手を出したりしつつの、紆余曲折の職業経歴である。

 そんな私に比して。

 通常 医学部卒業者とは、おそらく99%以上が定年退職まで“その道まっしぐら”の人生であろう。
 昨日同窓会に出席していた 私を除く8名の皆さんも、全員が定年まで医学業務まっしぐらの道程を歩まれている方々ばかりだった。
 
 その中でも特筆するべきは、定年まで「係長」として活躍された女性のBさんだ。
 Bさん曰く、「とにかく私は医学業務のお陰で稼いだ! その自分自身の稼ぎがあったからこそ、贅沢な暮らしが叶っているし。 今では東京に暮らす娘が産んた孫に、好きな時に会いに行くことが叶っている。」

 いや、分かる!!
 この原左都子も30歳で一旦方向転換したとは言えども。 当時医学での稼ぎの蓄えにより、余裕で首都圏で一人暮らしが出来るマンションを自力経済力で購入可能だったし。(参考のため、その後6年間で全額自力完済しました。)
 加えて、次なる大学(大学院)進学費用の全てを、医学の稼ぎ力(大学の長期休暇中に医学業務その他等々を頑張りました! その他関してはバックナンバーを参照下さい。 ここで少し語りますと、自身の外見的特徴等を活かしてラウンジコンパニオン等にもチャレンジしたりもしました。 それら全てが私にとってはその後の更なる人生に繋がる、実りある良き思い出です。)


 昨日の郷里にての同窓会に、話題を戻そう。

 昨日の出席者が少なかったことは冒頭で述べたが。
 おそらく、その出席者たちとはその全員が「定年」まで医学業務を頑張った人達だったように思う。

 それに加えて。
 今回の幹事さん(Cさんとする)など医学業務定年退職後、自宅で「そろばん教室」を開かれてる。 (この話題に関してもバックナンバーにて触れているが。)
 今回、そのCさんに「定年後に更に自身の別能力を活かして仕事をされている事実が羨ましい!」旨の私の思いを伝えた。
 そうしたところ、Cさんから返ってきたのが、「〇ちゃん(私の事)だって、高校教師やってたじゃん。」

 そりゃそうなんだけど…

 やはり、70歳近い年齢になって本業とはまるで異なる分野の生業にて「そろばん教室」を開催される能力をお持ちのCさんは、どう考えても超人的な存在であることには間違いない!!


 とにかく 昨日参加した「医学部同窓会」は、私にとって想像以上に大いなる刺激をもらえる会合だった、とのことである。

 こんな同総会ならば、いつでも出席したい!! 
 と思えるほどに。
 
 高齢者にとっての、同窓会への出席意義とは。
 そのような自身にとっての“刺激的要素”があってこその参加要因が要求されるのではなかろうか??

 今後は 単に「飲み食い」「雑談」のみの同窓会には、原左都子は出席しない意向です。😩 😪