原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

政権トップの「ステーキ会合」、二階氏の言い訳は論理破綻かつお粗末過ぎ!

2020年12月29日 | 時事論評
 冒頭から、表題に関するネット情報を引用しよう。

 
 元日本テレビ・フリーアナウンサー某氏が28のテレビ番組内で。
 自民党の二階俊博幹事長が、菅総理らとの多人数ステーキ会食についてテレビ番組で反論したことに「違うメッセージが国民に伝わっているのは間違いない」と、“反論”に“反論”した。
 番組では27日のBSテレビ朝日の番組でステーキ会食について二階幹事長が反論したことを取り上げた。
 二階幹事長は「飲食店でやったといって、飯を食うために集まってきたのではない」「会食というそんなことを特にやったわけではない」と語り、飲食店で食事を共にしたら会食ではないのか?という問いには「ただそこでその時間に出会った。今の事態に対してどう対応するかなども考えてやっている」と答えた。
 これにアナ氏は「そしたらお店でなくても出来ると思うが」と首を傾げた。他氏も「(会食を)やめろっていっている人間が、会食に見えるようなことをやるから、それをやったら何の効力もなくなっちゃうよと。そこは謙虚に受け止めて」「これから気をつけるというスタンスでいいと思うけど」と謝らない姿勢に疑問を呈した。
 アナ氏は「楽しむ為の会食ではない、必要なものという問題ではない。この行為が国民に与えるメッセージの方が大事で、(会食は)いいじゃんとなっちゃう方が怖いのかな」と会食の内容ではないのでは?ともコメント。「こういった方々の認識とは違うメッセージが、国民に伝わっているのは間違いない」とも語っていた。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 ついでに昨日付朝日新聞夕刊記事より、同じテーマの記述を追加すると。

 二階氏は、政府が多人数での会食自粛を求めるさなかの会合が批判されていると指摘されると、「それはある意味で誤解だ」と主張。 「別に8人で会っただけで、会食をいうことを特にやったわけではない。飯を食うために集まったんじゃない。」と語った。
 司会者が「国のトップに近い人達が、言っている事とやっている事が違うと、(国民は)何のために忘年会を我慢したのだろうと思ってもおかしくない」と重ねて問うと、二階氏は「今の事態に対しても、どう対応するかということなども考えてやっている。全く無駄なことをやっているわけじゃない。」など応じた。

 (以上、朝日新聞昨日夕刊記事より引用したもの。)



 私見に入ろう。

 自民党の二階氏は、現在81歳であられるようだが。
 申し訳ないが我が目には、“パッとしない爺さん”にしか映らない。 発言にも切れがないし、過去に政治家として特段優秀な人材だった記憶もない。
 そんな人物が安倍政権以降、何故あれ程に首相をバックで操るドンに成り上がっているのかの理由が知りたく思ったりもする。

 そこで、二階氏に関するその辺のネット情報を少し探ってみた。  以下に引用しよう。

 いまや自民党の“最高実力者”となった二階俊博・幹事長(81)。旅行代理店の全国組織・全国旅行業協会の会長を長年務める「観光業界のドン」としても知られ、菅義偉首相が独断で年末年始のGo Toトラベル全国一斉停止を表明すると、二階氏はその夜(12月14日)、芸能・スポーツ関係者らと開いた“ステーキ会食”に首相を呼びつけ、「二階さんの一声で総理が飛んできた」(二階派議員)という権勢ぶりを見せつけた。 
 その政治権力はかつて「自民党のドン」と呼ばれた金丸信・元自民党副総裁に匹敵するとも言われる。だが、金丸氏が当時の最大派閥・経世会(竹下派)の圧倒的な数と力を背景にキングメーカーとなったのに対し、二階氏率いる志帥会(二階派。所属議員47人)は細田派(98人)、麻生派(55人)、竹下派(54人)に続く自民党第4派閥で、岸田派(47人)と並ぶ。 往年の金丸氏のような「数の力」があるわけではない。  それがなぜ、総理を呼びつけるほどの権力を握ることができたのか。
 二階氏の“成り上がり物語”を政治経歴から辿ってみよう。  和歌山県御坊市出身で父・俊太郎は戦前からの和歌山県議、母・菊枝は医師だった。中央大学法学部政治学科を卒業して代議士秘書を務めた後、落選していた父の跡を継ぐ形で1975年の和歌山県議選で当選。県議を2期つとめた後、1983年総選挙に自民党(田中派の候補)から出馬して初当選した。いわゆる2世議員だ。  (中略)   政界遊泳術は巧みだ。  1993年、宮沢内閣不信任決議案を経て竹下派が分裂すると、小沢一郎氏に従って自民党を離党し、細川連立内閣で2度目の運輸政務次官に就任。このころには“影の運輸大臣”と呼ばれた。  その後も新進党、自由党と小沢氏に従って側近の1人として頭角を現し、小渕内閣で自民党と自由党が連立すると、念願の運輸大臣として初入閣。 この運輸大臣時代、二階氏は航空会社や大手旅行代理店の社長ら旅行業者2000人の大訪問団を率いて中国を訪問した。  しかし、小沢氏が連立を離脱して自由党が分裂すると、政権にとどまって「保守党」(後に保守新党)結成に参加。小渕氏の急死後、続く森内閣の自公保連立政権でも運輸大臣に再任された。小泉内閣時代の2003年に自民党に復党する。  約10年ぶりの自民党復帰──。二階氏が出世の糸口をつかんだのはこの小泉内閣時代だ。  二階氏は保守新党から一緒に自民党に合流した議員と旧二階派(二階グループ、「新しい波」)を旗揚げして派閥領袖となり、出戻りながら小泉首相から選挙の実務を担当する自民党総務局長に抜擢されると経産大臣、自民党国対委員長とトントン拍子に出世していく。 
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 私見に戻ろう。

 二階氏の母上がその時代に“医師”だったというのは、政治家としてかなり異色な存在ではなかろうか? (原左都子としては、これに一番驚かされた。)😲 
 そして類い希とも言える幾多の政権を渡り歩き、政界遊泳術を学んだ様子だ。

 ただ今となっては既に81歳の高齢にして“政治家としての資質や能力が疑わしくなっているが故に、二階氏にとっては“扱い易い”のであろう安倍氏や菅氏の面倒をみるのがやっとこさの状況下にあるような印象も抱く。


 今回の「ステーキ会食」事件に関しては、何も一言のみ「私の不徳の致すところでした」と謝罪しておけば済んだものを。

 何故、これ程までにメディア取材相手に幼稚な反論をしてしまったのだろう??
 それはご高齢故の失策であったと、私は結論付ける。

 もうそろそろ政治家生命を自らの意思で終焉に持ち込まれて、今後はどうかご家族と共にご家庭でゆったりとステーキを堪能されては如何でしょうか、二階さん。
 

この記事についてブログを書く
« こんな年末の時期にあわや “... | TOP | 本日の東京は師走に入って初... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 時事論評