原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「教科書のページ数と子どもの学力は相関するか?」

2024年10月21日 | 仕事・就職
 多忙な1日を送り、夜の今になって我が「原左都子エッセイ集」を覗いてみると。

 2015.11.30付けにて公開した冒頭のバックナンバーが、現在の我がエッセイ集トップの位置に君臨していた。


 せっかくの現在1位の冒頭表題の我がエッセイ集バックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。


 私は過去に於いて高校教員経験があるが、私が受け持っていた教科は「社会」の一部と「商業」全般である。

 その時代の高校現場に於ける「教科書」の位置付けは、義務教育課程の小中学校とは異なり、学校現場に一任されていたのではあるまいか?
 と言うのも、私の場合、公立高校と私立女子高校での教員経験があるが、両者共に教科書使用に関しては教科担当教員に任せられていた。

 この自由度に大いに幸いした私だ。

 とにかく学問に関して確固たるポリシーを持っていた私には、そもそも“教科書に従って”つまらない授業を施そうなどとの発想が出るはずもない。
 加えて、一見“悪(ワル)”そうな子ども達の目の輝きに一旦感動を受けたものなら、教科書に従った通り一遍の授業を展開し、授業中に生徒達にお喋りしたり寝られる事こそが、こちらこそ許し難い。 (などと偉そうに言っても、授業中喋る子も寝る子も多かったのですがね…)
 一方、我が授業の賞賛生徒も少なからず存在したことを付け加えておこう。 (「先生って、毎日家で一生懸命授業の準備をして来てるのが伝わるよ。」などと黄色いくちばしで褒めてもらえる事もあった。)
 
 と言う訳で、私の場合は教科書に全面的に依存した授業などただの一度も実施せず、自分自身で毎時間レジメを作成して授業を執り行った。 その準備作業とは、おそらく皆さんの想像をはるかに超えて過酷だったと振り返る。

 ただ、例外はあった。

 例えば、社会の一科目「現代社会」などは、私自身が過去に生徒の立場で高校の授業にて未経験の、当時としては新しい科目だった。 一体如何なる科目なのかとの下調べ目的で、当時発行されていた「現代社会」の教科書を読み込んだ経験はある。 これがなかなかまとまった良き科目と実感した。 その教科書を参照しつつ、やはり自分で毎時間レジメを作成して授業を進めたものだ。

 あるいは、商業科の一科目である「商業法規」に於いて、副読本を利用した経験もある。
 それには私なりの確固たる理由があった。 たとえ相手が高校生と言えども、法律を学習させるにあたり「現行法規」を紐解き参照せねば授業が進められる訳もないのだ。 
 そこで私が真っ先に考えついたのは、市販されている「六法」の活用だった。 が、一番安価なものでも¥1,000ーを超過していたのに加え、生徒各自に書店に行って購入せよと指導しても、誰も買う訳がない事は十分承知していた。 
 そうしたところ、教科書の「副読本」の位置付けにある書物が存在する事が判明した。 これを利用すれば市販品よりもずっと安価だし、学校の教科書業者を通して生徒全員に私から配布する事も可能だ。
 私が当時利用したのは、㈱一橋出版社による「新商業六法」なる副読本だったのだが、この内容が実によくまとまっているのだ。 しかも市販品よりも安価である。
 それでも生徒達から、「せんせ~~、そんなもの買ってくれと家で言ったら、うちの母ちゃんがまた出費かと泣くぞーー。」とのご意見を複数賜ったものだ。  そんな生徒達の思いも十分に察して、「ホントに申し訳ないけど、この六法は貴方達が卒業した後にも必ず役に立つから、お願いだから買って。」と生徒に嘆願した事が今となっては懐かしい。
 教員である私のたっての希望により強制的に生徒に副読本を買わせた以上、もちろん授業中に当該「新商業六法」は十二分に活用した。
 ただその後時代の変遷や政権の移り変わりと共に法律改定が相次ぎ、今となっては役に立たない書物となっている事実を、遅ればせながら当時の生徒達にお詫びしておこう。

 ここで話題を変えよう。

 朝日新聞 2015.11.20 朝刊に、「教科書会社、教員との距離は 三省堂問題、他者に聞く」 との記事が掲載されていた。
 当該記事の片隅に、「少子化で減る部数」との記載があったのだが、その内容を以下に要約して紹介しよう。
 文科省によると、全国の小中学校や高校、特別支援学校で今年度使われている教科書は計1億2681万冊。 少子化の影響で1985年より4割減だった。 近年はゆとり教育からの転換で教科書の総ページ数は10年間で3割以上増え、製作費は大幅に上がっている。 教科書各社は関連教材などの売り上げ確保を図っているのが実情という。
 (以上、朝日新聞記事より左端にあったほんの一部を要約引用したもの。)

 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 ㈱三省堂による教科書販売に伴う学校現場の校長や教員との癒着事件は、既に皆さんご存知の事であろう。
 学校現場の校長達は、三省堂との癒着により旅行招待や金5万円謝礼金などという(私に言わせてもらうと実にみっともない)せせこましいばかりの癒着に何故長年興じていたのだろうか??

 学校現場教職員とは、そんなせせこましい業者との癒着に安穏としている場合ではなかろう。

 今教育関係者が一番に成すべき事とは、政権による「教科書検定」の実態に興味を持ち対策を練る事だ。
 安倍政権による安保法案改憲政策により、特に「社会」分野に於ける教科書検定が、その歪んた思想で大きく変貌しようとしている。
 この実態こそに、学校長はじめ末端の教員に至るまで興味を持って対応するべきではないのか!?

 それを実行出来て、その実態を子供達に自ら伝えられるごとくの授業を個々の教員が成してこそ、世は少しづつでも良き方向に変遷すると私は信じている。
 学校現場から国家や自治体の教科書政策に異議申し立てせずして、一体誰が貴方達教員の味方をしてくれると考えているのか。

 現政権政策に素直に従い、しかも大規模教科書企業の恩恵を被り少額賄賂を授受し、ましてやその賄賂企業が作成した教科書内容を鵜呑みにして、日々マンネリと授業をしている場合ではなかろう。
 その事を、現役学校教員達に是非とも私から今一度伝えたい思いだ。

 (以上、先程発見した現在の「原左都子エッセイ集」1位のバックナンバーを再掲載したもの。)





 いやはや、元教育者でもある私としては、このバックナンバーが今現在の我がエッセイ集No.1に輝いている事実が、実に実に嬉しい!!

 元々医学者である私が、突如として「高校教師」職に巡り会えたのは30代後半期のことである。
 当時、教師の成り手が少なかった時代背景だったのだろうか??
 どういう訳か 3月終わり頃のある日の夜遅い時間帯に、某県の教育委員会から我が家に電話が入り、「貴方は、4月から県立高校にての教諭職が決定しています。」と言う。

 当時私は元々の本職である「医学」業務にて結構な収入を稼いでいたので、その旨を伝えると。

 教育委員会側も負けていない!
 「いえ、貴方は4月からの県立高校教諭職が決定しています。 とにかく、明日必ず学校まで出向き校長面談を受ける義務があります!」
 
 (事の成り行きに関しては、我がエッセイ集バックナンバーにて綴っておりますので、そちらをご覧いただきたいのだが。)

 結果としては、私はその県立高校教諭を引き受けることとなり、その後3年半(プラス私立高校にて非常勤講師の依頼もありそれも1年間引き受けました。)の年月に渡りその業務に励んだものだ。
 結論を言うならば、その教諭経験は我が人生に於いていろいろな意味合いでかけがえのない期間であったと振り返る。


 何と申しますか。
 「教科書のページ数と子どもの学力が相関する」か否かに関しては、我が結論としては否定的に捉えている形となるが。

 突然自身の身に降って湧いた職種であれ。 
 それを自身が肯定的に受け入れて全身全霊で励めば、後々の立派な自己の業績になる事には間違いない!!
 
 との事だろう。



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