原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

他人の子の“悪さ”をどう叱る?

2011年05月14日 | 教育・学校
 昨日(5月13日)、私は見知らぬ他人の子を叱った。


 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて既述しているが、私が住む集合住宅は公立小学校のすぐ近くに位置している。 周辺は閑静な低層住宅地で一戸建て住居がほとんどという環境の中、我が集合住宅敷地内の駐車場やエントランス、通路空間等々共用持分施設が、公立小学校放課後の児童達にとって“恰好の溜まり場、遊び場”と化しているのだ。
 この住居に入居以来、小学校の下校時間である14時頃から夕方5時半頃(夏季は6時頃)まで、日々児童達の歓声が絶えない運命にある。
 共用施設で遊んでいる児童グループとは決まって男の子達である。 おそらく中学年から高学年程の男児が数名集まって、様々な“悪さ”を働いている。 時の経過と共に男の子達の一グループが成長して卒業していった後、また新たな年少グループが発生して“悪さ”が繰り返されているようだ。

 例えば“先々代”の男児グループは、動きが活発で“悪さ”の程が派手だったものだ。 このグループの主たる“悪さ”とはエレベーターを遊び道具とするため、住人がその時間帯にはエレベーターを使用できなくなる。
 この時初めて、私は他人の子相手に怒った!(叱ったというよりも感情的に“怒った”と表現した方が正確な程、内心怒り心頭だったものだ。) 「あなた達がエレベーターを遊び道具にすると、このマンションの住民はエレベーターを使えないということを分かってやってるの!!」 「……」 「人の迷惑を少しは考えて遊びなさい!」 小さい声で「はい」と返してくる子もいれば私を睨みつける子もいたが、その後しばらくして“エレベーター遊び”は終焉を迎えたものである。

 次世代男児グループは、専らエントランスで車座になってゲーム機を楽しんでいた。 どうも人の目を気にしている様子で、住人の通行の死角になる郵便ボックススペースでこれをやっているのだ。 この子供心が住人にとってかえって迷惑であることには思いが及ばないのかどうかは私の知ったところではない。 数日間、これを我慢していた私はついに怒りの声を挙げたのだ! 「あなた達がこのスペースに座り込んでゲームをしていると、住人は郵便物を取り出せないよね。 それが分かってここに座り込んでいるの??!」 この時男児達が無視を決め込んだのに一瞬たじろいだ私であるが、ここでいい大人が負ける訳にはいかない。 「分かったのかな!?」と繰り返す私に対して、一人の男の子から小声で「はい」との返答をもらったものの、結局児童グループは座り込んだままだった。 ただ、その後しばらく経過してこの現象にも遭遇することはなくなった。

 そしていよいよ“現役男児グループ”による昨日の“悪さ”について語ろう。
 以前より自転車で我が集合住宅に遊びに来る男児が多いようだ。 その自転車がいつもマンション敷地内のあちこちに無造作に置かれ邪魔であると共に景観を潰している。 これ自体が当物件購入時よりまさに“想定外”で至って迷惑なのだが、一番困惑するのは「ゴミ集積室」の入口前に自転車を置かれることである。 これに関してはマンション管理組合理事会よりも再三再四注意を促しているにもかかわらず、「ゴミ集積室」入口が位置的に自転車を置きやすい場であるためか児童達はやはりこの場所に駐輪するのだ。
 昨日ちょうど男子児童達が「ゴミ集積室」のすぐ近くに陣取ってゲームに励んでいたため、私は一声挙げる決断をした。 「この自転車はあなた達のだよね?」(男児グループからの返答なし) 「ここに自転車を置かれると住人がゴミを捨てられないのよ。」 (無言で自転車を片付け始める児童達…) 相手が子供であろうとせめて「すみません」位の言葉を発っせさせるべきと考えた私曰く「あなた達の行為が住人にとってほんとに迷惑なことが分かっているのかな!?」 やはり一人の児童からの小さい「はい」の声を聞ける(いい子だね~)のみだった。  さて、どうだろう。こいつらが小学校を卒業するまで我がマンションの共用施設では自転車の散乱放置が繰り返されるのだろうか? 


 原左都子とて、何も好き好んで近隣住民であろう男子児童達を叱っている訳ではない。むしろ出来ればこんな場面は避けたい思いが強い。
 と言うのも、今の時代においては下手をすると子供と言えども“刃物”を持っていたりするとの情報もある。 相手は小学生といえども体格が立派な子もいるし、そんな場面で華奢な私が打ち勝てるはずもないという“我が身息災”の危険性の観点が大きいものがあるのは事実だ。
 
 そして子供を叱った後にはいつも“後味の悪さ”が残り、その自己嫌悪にしばらく苦しめられるのも実に不快なものである。 しかも、子供(特に原左都子のように?感受性の強い子)とは、幼い日に“叱られた”経験が将来に渡ってトラウマとなるやもしれないのだ。 叱った相手が親等の保護者であるならば、家庭内においてそのフォローがいくらでも可能であろう。 ところが見知らぬ相手に突然叱られた場合の子どもが受ける後々の“トラウマ”を慮って余りある原左都子である。
 今の大都会においては人間関係の希薄化現象が蔓延している。 こんな環境下で他人の子供を叱る行為とは、ひと昔前とは大いにその意味が異なっている事に叱る側の大人は留意するべきとも心得ているのだ。


 ただし子供達を本気で叱ってやらないと、最悪の場合子供達が「死」に至る場面もあることを大人は是非共認識するべきである。

 広島市安佐南区の住宅街を流れる新安川で5月12日に発生した事故においては、翌日男児3人の死亡が確認された。 3人に目立った外傷はなく死因はいずれも水死であるとのことだ。 12日夕刻男児達が川に入るのを住民が目撃しており、同署は川に入り溺れたとみている。 当時の広島市では10日未明から12日夜まで雨が降り続き、10日夜~12日早朝にかけて大雨警報が発令されていた。 男児達発見時は普段20センチ程度の水深が最大約1メートルに達していたとのことである。
 この男児達が川に下りる姿を偶然目撃した女性が「滑るから危ない!」と声をかけたらしい。 それにもかかわらず男児達は川から出なかったとの報道である。

 同じく我が集合住宅に於いて“悪さ”を働く男児達に上記のごとく幾度となく声掛けをした経験がある原左都子としては、この現場に直面した女性が「危ない!」と声を掛けたにもかかわらず川を出ようとしない男児を目前にした時の思いが伝わるのだ。 
 「これ以上他人の私が何と注意しても、この子達は聞く耳を持たないのかな…」 と思わせられる程に、今の子供達とは見知らぬ大人のアドバイスを軽視するべく親に育てられているのが現実なのであろう。

 この子供達が置かれている現状を真っ先に誰が救えるのかと考察した場合、それは親を含めた保護者の日々の教育でしかあり得ないとの結論が導かれるのだろうか?? 
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