昨日(5月10日)より、福島第一原発から半径20km圏内の「警戒区域」からの避難生活を余儀なくされている住民の皆さんを対象とした“一時帰宅”が開始された。
一世帯1名(自治体によっては2名まで)限定、たった2時間の滞在時間、持ち帰る荷物の量も限定、そして暑苦しい防護服着用の上、放射線量計やトランシーバーを持参させられての“ものものしい”一時帰宅である。
たかが自分の家に帰るのに、厳しい条件と管理を課せられる対象世帯の皆さんの無念の程を思うと、いたたまれない気分だ。
折りしも、昨日の朝日新聞夕刊文化欄のページに 作家・池澤夏樹氏による興味深いコラム記事を発見した。
福島第一原発事故及びその後の国や東電の対応、そして今後の“反原発”動向のあり方等々について池澤氏が展開されたこのコラムエッセイの内容が、僭越ながらも原左都子の私論とほぼ一致しているのである。 この記事に大いに同感した私としては、本エッセイ集においてその内容を是非紹介申し上げたい思いなのだ。
多少長くなるが、以下は池澤氏による「イデオロギーを捨てよう a×bについて再考する」と題する上記コラムの要約である。
英語圏の友人から“フクシマ”の意味を聞かれた事がある。 「福」は「幸運」であり「富」でもある、すなわち good fortune と wealth だと答えた。 まったく逆の意味を負ってこの地名が世界に広まっている。福島の人々はさぞ無念だろう。
地震と津波は天災だが、原発は事故すなわち人災だった。 天災に対しては我々は備えるが、事故は防ぐものだ。今回の原発事故は事前の準備も充分ではなく、どちらにも失敗した。
事故という現象は二つの項からなる。 確率aと規模b。 社会への事故の影響は a×b で表される。 自動車事故の場合aは大きいがbは(あくまで社会的には)小さい。 飛行機事故ではaは小さいがbは数百名になる。それでも社会は何とか耐えられるから民間航空は営利事業として成り立っている。
原子力発電はどうだろう?
aに関しては無視し得るほど小さいと我々は告げられてきた。 しかしbが大き過ぎる。事故が起こった場合、その影響はあまりにも大きい。 原子炉とは重油や石炭を焚くボイラーとは原理が違う。原子炉とはいわば坂道に置かれた重い車である。 何段階ものブレーキが用意されているから大丈夫、何があっても暴走は起こらないと言われてきたが、今回それは起こった。
原発紹介のパンフレットには、「固い」「密封」「頑丈な」「気密性の高い」「厚い」といくつもの形容句が並んでいる。 これは論証の文体ではなく、セールスの文体、広告のコピーである。 原発の安全性は自明ではなかった。このような文体で売り込まねばならない代物だった。
事故が起こった後で、想定外とは言って欲しくない。起こり得る事態を想定するのは東電の責務だった。 原発の安全性に異議を唱える学者・研究者は少なくなかったが、それらの声を電力会社と官僚と歴代政権は押しつぶしてきた。厖大な広告費を使って安全をPRする一方でメディアを縛ってきた。 要するに、原発の現実とは裏付けを欠く思想、つまりイデオロギーだったのだ。 起こって欲しくないことは起こらないと信じ込み、力を持って反対派を弾圧し、数々の予兆を無視し、現場からの不安の声を聞き流した。 その結果が放射性物質ダダ漏れである。
競争原理の働かない独占企業だから陥った陥穽だろう。大日本帝国とソビエト連邦も同じようにイデオロギーを信じて亡びた。
幸い日本には世界で最上級の技術力がある。国民には理にかなった説明を受け入れる知力がある。 今ならば原子力を風力や太陽光などの自然エネルギーに置き替える先駆者となれる。 その気になれば日本の変化は早い。
(以上は、朝日新聞5月10日夕刊より 作家池澤夏樹氏によるコラム記事を要約したもの。)
私論に入ろう。
東日本大震災が3月11日に勃発し、それと同時に発生した福島第一原発事故に関して今まで原左都子が本エッセイ集において拙くも幾度となく主張し続けてきた原発事故に関する記述を、一瞬にして高尚なレベルでまとめて下さったとも言えるのが、上記の池澤氏のコラムである。
まさに、原発の安全神話とは“イデオロギー”の範疇を超えていなかった。
そこには何らの現実面での科学的裏付けはなかったのだ。 だからこそ、こうやって福島の地においてレベル7の放射能漏れ事故が発生し、日本のみならず世界をも混乱に陥れる惨劇と相成っているのである。
“イデオロギー”も確かに時には素晴らしいのかもしれない。
大日本帝国時代に於ける“主体的に生きることを何ら教育されていない底辺に位置した日本国民”は皆、お上から与えられたこの“イデオロギー”を頼りにそれを信じて行動することしか選択肢がなかった。 当時より天皇が大日本帝国憲法を通じて統治するこの国において、日本国民は昭和20年の太平洋戦争終戦時まで“天皇陛下万歳!”の掛け声の下一つになり、国力が貧弱であるにもかかわらず周囲のアジア諸国を植民地化する等の信じ難い過ちを繰り返しつつ、敗戦へと至ったのである。
その後「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年代より、時代は高度経済成長期へと移り行く。 その頃の日本と言えば時代が移り変わったとは言え、未だある種の“イデオロギー”に支配されている世の中だったと原左都子は記憶している。
「(政治経済大国である)米国に追いつき追い越せ!」との国からのスローガンの下、その種の“イデオロギー”を通じて国民が一丸となって経済力を増強した時代である。 上記の池澤氏によるコラムの最後の部分にも記述があるがごとく、我が国が戦後わずか20年にして世界に名立たる経済大国に“成り上がれた”源とは、その頃国全体に漂っていた一種空虚な“イデオロギー”力によるものと原左都子は分析するのだ。
その国力増強の一つの要が、原子力発電であると信じられたことも否めない事実であろう。
1970年代より着手され始めた原発事業とは、池澤氏のコラム通り当初より“安全神話のイデオロギー”が高々と掲げられていた。 “原発反対派”の存在にもかかわらず、その種のグループが変人あるいは国賊のごとく蔑まれた時代の記憶が私にはある。
ところが“信じるものは救われない”ことが、今回の福島第一原発事故において重々証明されてしまったのだ。
この事実を、何が何でもこの国の国民は今こそ受け止めねばならない。
今後はお上から発せられる根拠なき“イデオロギー”に頼って右往左往しない確固たる国民性を、国民一人ひとりに築かせていく事こそが国家の真の役割なのではなかろうか。
そういう意味では、先だっての菅首相による「浜岡原発停止」の勇断は改めて大いに評価できるのである。
今や世界中の人民が承知の“世界標準”と成り下がる不名誉を背負わされた放射能汚染“レベル7” フクシマが、元通りの「幸運」と「富」の地福島として一日も早く蘇る日が訪れる事を祈りたいものである。
一世帯1名(自治体によっては2名まで)限定、たった2時間の滞在時間、持ち帰る荷物の量も限定、そして暑苦しい防護服着用の上、放射線量計やトランシーバーを持参させられての“ものものしい”一時帰宅である。
たかが自分の家に帰るのに、厳しい条件と管理を課せられる対象世帯の皆さんの無念の程を思うと、いたたまれない気分だ。
折りしも、昨日の朝日新聞夕刊文化欄のページに 作家・池澤夏樹氏による興味深いコラム記事を発見した。
福島第一原発事故及びその後の国や東電の対応、そして今後の“反原発”動向のあり方等々について池澤氏が展開されたこのコラムエッセイの内容が、僭越ながらも原左都子の私論とほぼ一致しているのである。 この記事に大いに同感した私としては、本エッセイ集においてその内容を是非紹介申し上げたい思いなのだ。
多少長くなるが、以下は池澤氏による「イデオロギーを捨てよう a×bについて再考する」と題する上記コラムの要約である。
英語圏の友人から“フクシマ”の意味を聞かれた事がある。 「福」は「幸運」であり「富」でもある、すなわち good fortune と wealth だと答えた。 まったく逆の意味を負ってこの地名が世界に広まっている。福島の人々はさぞ無念だろう。
地震と津波は天災だが、原発は事故すなわち人災だった。 天災に対しては我々は備えるが、事故は防ぐものだ。今回の原発事故は事前の準備も充分ではなく、どちらにも失敗した。
事故という現象は二つの項からなる。 確率aと規模b。 社会への事故の影響は a×b で表される。 自動車事故の場合aは大きいがbは(あくまで社会的には)小さい。 飛行機事故ではaは小さいがbは数百名になる。それでも社会は何とか耐えられるから民間航空は営利事業として成り立っている。
原子力発電はどうだろう?
aに関しては無視し得るほど小さいと我々は告げられてきた。 しかしbが大き過ぎる。事故が起こった場合、その影響はあまりにも大きい。 原子炉とは重油や石炭を焚くボイラーとは原理が違う。原子炉とはいわば坂道に置かれた重い車である。 何段階ものブレーキが用意されているから大丈夫、何があっても暴走は起こらないと言われてきたが、今回それは起こった。
原発紹介のパンフレットには、「固い」「密封」「頑丈な」「気密性の高い」「厚い」といくつもの形容句が並んでいる。 これは論証の文体ではなく、セールスの文体、広告のコピーである。 原発の安全性は自明ではなかった。このような文体で売り込まねばならない代物だった。
事故が起こった後で、想定外とは言って欲しくない。起こり得る事態を想定するのは東電の責務だった。 原発の安全性に異議を唱える学者・研究者は少なくなかったが、それらの声を電力会社と官僚と歴代政権は押しつぶしてきた。厖大な広告費を使って安全をPRする一方でメディアを縛ってきた。 要するに、原発の現実とは裏付けを欠く思想、つまりイデオロギーだったのだ。 起こって欲しくないことは起こらないと信じ込み、力を持って反対派を弾圧し、数々の予兆を無視し、現場からの不安の声を聞き流した。 その結果が放射性物質ダダ漏れである。
競争原理の働かない独占企業だから陥った陥穽だろう。大日本帝国とソビエト連邦も同じようにイデオロギーを信じて亡びた。
幸い日本には世界で最上級の技術力がある。国民には理にかなった説明を受け入れる知力がある。 今ならば原子力を風力や太陽光などの自然エネルギーに置き替える先駆者となれる。 その気になれば日本の変化は早い。
(以上は、朝日新聞5月10日夕刊より 作家池澤夏樹氏によるコラム記事を要約したもの。)
私論に入ろう。
東日本大震災が3月11日に勃発し、それと同時に発生した福島第一原発事故に関して今まで原左都子が本エッセイ集において拙くも幾度となく主張し続けてきた原発事故に関する記述を、一瞬にして高尚なレベルでまとめて下さったとも言えるのが、上記の池澤氏のコラムである。
まさに、原発の安全神話とは“イデオロギー”の範疇を超えていなかった。
そこには何らの現実面での科学的裏付けはなかったのだ。 だからこそ、こうやって福島の地においてレベル7の放射能漏れ事故が発生し、日本のみならず世界をも混乱に陥れる惨劇と相成っているのである。
“イデオロギー”も確かに時には素晴らしいのかもしれない。
大日本帝国時代に於ける“主体的に生きることを何ら教育されていない底辺に位置した日本国民”は皆、お上から与えられたこの“イデオロギー”を頼りにそれを信じて行動することしか選択肢がなかった。 当時より天皇が大日本帝国憲法を通じて統治するこの国において、日本国民は昭和20年の太平洋戦争終戦時まで“天皇陛下万歳!”の掛け声の下一つになり、国力が貧弱であるにもかかわらず周囲のアジア諸国を植民地化する等の信じ難い過ちを繰り返しつつ、敗戦へと至ったのである。
その後「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年代より、時代は高度経済成長期へと移り行く。 その頃の日本と言えば時代が移り変わったとは言え、未だある種の“イデオロギー”に支配されている世の中だったと原左都子は記憶している。
「(政治経済大国である)米国に追いつき追い越せ!」との国からのスローガンの下、その種の“イデオロギー”を通じて国民が一丸となって経済力を増強した時代である。 上記の池澤氏によるコラムの最後の部分にも記述があるがごとく、我が国が戦後わずか20年にして世界に名立たる経済大国に“成り上がれた”源とは、その頃国全体に漂っていた一種空虚な“イデオロギー”力によるものと原左都子は分析するのだ。
その国力増強の一つの要が、原子力発電であると信じられたことも否めない事実であろう。
1970年代より着手され始めた原発事業とは、池澤氏のコラム通り当初より“安全神話のイデオロギー”が高々と掲げられていた。 “原発反対派”の存在にもかかわらず、その種のグループが変人あるいは国賊のごとく蔑まれた時代の記憶が私にはある。
ところが“信じるものは救われない”ことが、今回の福島第一原発事故において重々証明されてしまったのだ。
この事実を、何が何でもこの国の国民は今こそ受け止めねばならない。
今後はお上から発せられる根拠なき“イデオロギー”に頼って右往左往しない確固たる国民性を、国民一人ひとりに築かせていく事こそが国家の真の役割なのではなかろうか。
そういう意味では、先だっての菅首相による「浜岡原発停止」の勇断は改めて大いに評価できるのである。
今や世界中の人民が承知の“世界標準”と成り下がる不名誉を背負わされた放射能汚染“レベル7” フクシマが、元通りの「幸運」と「富」の地福島として一日も早く蘇る日が訪れる事を祈りたいものである。