原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

名も知らぬ鳥たちの群集が羽ばたく奇跡

2011年12月18日 | お知らせ
 (写真は、本日午後4時半過ぎに都心の我が家のベランダから撮影した鳥の群集の“舞い”)


 いつ頃からだっただろうか?

 都心に位置する我が住居地の自治体が毎日16時半から地域全体に放送している 「遊んでいる皆さんはお家に帰りましょう」 の防災アナウンスと共に鳥の群集が空を舞い始める姿を、私は自宅の南側ベランダの窓越しに発見した。

 一体どれ程の鳥たちの群集なのだろう?
 私が推測するに、数百羽、いやもしかしたら千羽を超える鳥の群団かもしれない… (写真を参照下さい。)
 ちょうど我が家から展望できるすぐそこの上空で、毎日午後4時半きっかりから約10分ほどの間、鳥軍団の “航空ショー” と相成る。

 こんな大都会のど真ん中で一体全体何処に巣を作り、毎夕群集で羽ばたいているのか大いなる興味を持って私はその鳥群集の行動習性を観察し続けてきた。


 そうしたところ、鳥群集の「巣」のありかが特定できたのである!
 まさかとは思っていたのだが、その「巣」とは我が家に間近い“竹薮”のようだ。
  
 何故に我が家の直ぐ近くに結構大規模な“竹薮”が存在するのかについて説明すると、その地域は 「東京都市部計画道路 幹線街路」 の候補地となっているが故である。
 いつ着手するかもしれぬ(いずれ凍結と相成る可能性も色濃い)政府(都庁?)のいい加減な都市開発事業に巻き込まれたばかりに、開発されずに放置を余儀なくされている雑地に力強く成長した竹が、今や都心のオアシスの“林”のごとく存在するのである。

 そこに私の推測通り、数百、いや千羽を越す群集の鳥たちが「巣」を造営し大集団で生を営んでいるとして、その生態の一部を我が家から日々観察できるとするならば、こんなミラクル世界はないのではなかろうか??






 明日から、原左都子は我が郷里に旅立ちます。  


 一時ネット世界から離れ、我が過疎地の田舎にドップリと浸かる予定でおります。 


 しばらくエッセイの執筆を休ませていただきますが、その間、よろしければ 「原左都子エッセイ集」 のバックナンバーをお楽しみいただけましたら幸いです。  
 

今時の街は忘年会の“感じ”がないね。

2011年12月16日 | 
 我が子が小学校高学年の頃の話だが、国語の漢字書き取り課題で次のような設問があった。

 「父が忘年会の “かんじ” になった」    この“かんじ”に当てはまる漢字を入れなさい。

 この設問に対する娘の 珍答 に大爆笑の私だったものだ。

 我が娘が解答して曰く、 「父が忘年会の “感じ” になった」  

 もちろんこの問題の正解は 「父が忘年会の“幹事”になった」 なのであるが、娘の気持ちも大いに分かるのだ。


 その頃の身内はまだまだ元気で、毎年12月中旬の今頃の時期と言えば“忘年会のはしご”と相成る。 夜遅くゴキゲン気分で帰宅した身内が、手土産と共にまだまだ幼い娘相手に上機嫌ではしゃいだものだ。

 そんな年末の忘年会後の父親の様子が娘の目にはいつもとは一味も二味も違う人格に映り、さぞや印象的な “感じ” であったことだろう。

 そもそも小学校高学年程の年齢で「幹事」の意味合いが理解できるのだろうか? との疑問を抱いた私は、“忘年会の幹事”に関して、我が実体験を交えて娘に説明したのである。


 この原左都子も独身時代に幾度か忘年会の「幹事」を任されたことがある。
 一番新しい記憶として高校教員時代に幹事をしたことが思い出されるのだが、一時前の所属高校の忘年会とは“温泉地1泊宿泊”を毎年恒例行事として大々的に実施されたものだ。
 この“宿泊付忘年会”の幹事業務は大変である。
 まず温泉地の宿から探さねばならない。 今のようにネットが氾濫している時代においてはネット情報に依存すれば簡単に宿泊先も見つかるであろうが、そうはいかない。 しかも当時下っ端教員の私としては上司のご意見も拝借しつつ、「幹事」である自分の個性も発揮したいというものだ。
 結果として探し当てた温泉地の宿泊先が例年より“高額”となってしまった…。 これを一部の職員より責められつつも強引に決行したものだ。

 そして忘年会本番において、私は幹事であるにもかかわらず大失策の失態を晒すはめとなる。
 いえいえ、この飲兵衛の私とて一次会の会場では“一応”飲み食いを控えて幹事の役割を果すべく努力したのだが、その「幹事業」から解放された2次会以降の記憶がほとんどない始末だ…

 次の朝起きた私に、無常にももう一人の幹事男性が問いかけてくる。
 「昨夜預けたお金はどうなってる??」
 「えっっ? 私、昨夜お金を預かったんですか?????」
 「え~~~~~~~。 ○○(私のこと)が僕よりしっかりしていると思ったから預けたのに憶えてないのーー!?!?!」
 そうなのだ。 酒に強い私は端から見ると“一見”しっかりしているがごとく映るようだ。 ところが、会合が2次会、3次会と進むとそうはいかないものでもあるよね…。
 それでも会場が宿泊地だったからこそ救われた。 お金は私のバッグの中にちゃんと納まっていたことに安堵して、一件落着ということである。 ホッ

 それにしても忘年会の幹事とは“酒が入る”故にいくら元々責任感が強いと主張したところで、その責任感の程が一時“ぶっ飛んで”しまうところが難儀なものなのよ~~、とは決して娘に伝えなかった私である。
 結論として私のような“深酒タイプ人間”は忘年会を始めとする飲み会の幹事など、絶対に拒否するべきということであろう。


 話が変わるが、昨日私は我が家から遠方の某所に忘年会の“前会合”に出かけた。
 忘年会自体は遅い時間設定だったため残念ながらそれには出席せずに帰宅したのであるが、行きと帰りに長時間電車に揺られている時間帯の風景が、1990年代頃に比して大きく変容しつつあることを実感させられたのである。

 現地は東京都下の郊外に位置するのだが、まず通勤帰宅時間帯の電車内が“ゲロ混み”状態である。 これは皆さん、忘年会になど参加せずにいつも通り帰宅している風景を物語っているものと言えよう。
 そして夜9時頃に都心に向けて帰宅しようと電車に乗り込んでも、ただの一人として“酔っ払い”の姿を見かけない。 皆さん、いつも通りに黙々と自分の携帯画面を眺め独りでうつむいている…


 そうだよねえ。

 世界的規模の大経済難に加えて、我が国には歴史的大震災及びそれに伴う原発事故が勃発したこの1年であった。 
 そんな厳しい環境の中で、まさか年の瀬に忘年会に参加する気分になどなれないというのがこの国民全般の選択肢なのかもしれない。
 忘年会シーズンのこの12月半ばに、そんな市民の苦渋の心の動向を世の片鱗として捉えつつ帰宅を急いだ私である。

 今時は冒頭の娘の漢字課題解答のごとく、 「忘年会の“感じ”」 になど誰もなれないものだよね……

挨拶くらいしても損はないと思うが…

2011年12月14日 | 人間関係
(写真は昨日撮影した我が家の近くの公園の銀杏並木。 もうほとんど葉を落とした樹々の中で少数残っている木の葉が夕日を浴びて黄金色に輝く光景が実に美しく、思わずその影像を携帯写真に映したものである。   本日のエッセイ内容とはまったく無関係です。)


 今回の記事は、早い話が我が住まいである集合住宅の隣家の日頃の行動に対する苦情をこんな場でこっそり愚痴ろうとの“せせこましい”意図であることを、あらかじめお断りしておく。 
 そのため身勝手ながら隣家の人達が「原左都子エッセイ集」の読者でないこと、及び隣に住む私が「原左都子」であるとは露知らない事を希望したいものだ。

 2011年10月の本エッセイ集バックナンバー 「野田政権は挨拶だけして事は済まないぞ」 に於いて、野田氏が総理に就任した直後に、やたら政権幹部の“挨拶パフォーマンス”がメディア上で目立つ事をバッシングした私である。
 例えば野田氏は就任後早速に米国オバマ大統領との会見のため外遊したり、韓国のイ・ミョンバク大統領との会合のため、日本に保存されていた(おそらく懇親の官僚が用意したと思われる)韓国の古書を手土産に訪れた。 いずれも差し迫った外交事案の解決のため自らの力量を発揮せんとの外遊ではなく、単に野田氏が日本の首相に就任した“お披露目挨拶”が目的であったようだ。
 一国の総理が就任直後にやるべき任務とは、国民に対して自らの政策を明言する事であり、そして大震災復興との重圧課題を抱えた内閣の長としては“挨拶外遊”よりも何よりもその実行力をもって自らのポリシーを示すべきであったはずだ、と叩いたのがこのバックナンバーの趣旨であった。


 片や一般市民の世界に話を戻すと、特に都会においては“地域コミュニティ”など名ばかりの形骸化した存在と化し、人々はプライバシーや個人情報の保護観点からも“ご近所”とは距離を置いてスマートにお付き合いするのが今や常識と相成っている。

 ここで我が家の“お隣さん”に話を移すが、3年程前の秋頃先住者の物件転売により入居家族が入れ替わった。 
 入居前に室内を大規模リフォームした模様で、これに関しては管理組合を通してリフォーム工事の作業工程と近隣に迷惑をかける旨の文書が投函された。 それにしても相当大規模のリフォームだった様子で、1~2ヶ月に及んで隣の我が家には日々大音量のリフォーム音が鳴り響いてきた。 
 さて、そのリフォームも完了し、いよいよ次なる“お隣さん”が引っ越してきた。
 入居後間もなく転居挨拶のために我が家を訪れた“お隣さん”ご夫婦曰く、「長期に渡るリフォームでご迷惑をお掛けして申し訳ありません。 今後共よろしくお願い致します。」
 (そうか、そうか、若いご夫婦の割にはよく出来た挨拶だなあ)と内心関心しつつ、「こちらこそよろしくお願いします」と応じた私である。

 ところがどうしたことか?? 
 (この辺の若き世代の考え方や言動の思考背景がよく理解できない原左都子なのだが)、その後例えば集合住宅内で“お隣さん”一家に偶然出会っても挨拶の一つもないのだ。
 大人のご夫婦に関してはこちらから挨拶をすると何とか(あくまでも“何とか無理やり挨拶を返させているような”感覚の範囲で)一応反応があるものの、現在小学1年生になっている長女にエレベーター内で出会って「こんにちは」と声を掛けても、疑り深そうな視線をちらりと投げかけてくるのみである。 これに関しては私も推測可能だが、今時多発している子供を巡る事件事故から身を守るため“大人から優しく声掛けされても応じるな!”との学校や親からの指導に子供が素直に従っている公算が大きいのではあるまいか。

 “お隣さん”が引っ越してきた直後に次なる男の子が生まれ、そしてつい最近、3人目!の子供を出産した隣家のご夫婦である。
 今の時代に3人もの子供を産む勇気と元気と心意気があるならば、親としては産んだ子供たちが周囲から被害を受ける事態にバリアーを張り巡らす事に先駆けて、自ら一家が周囲に迷惑を及ぼす事態こそをそろそろ考慮し始めてよいのではなかろうかと感じる私は、単に “嫌われ左都子” なのだろうか???

 この期に及んでやはり一切の挨拶もないのに加えて、私が一番困惑しているのは隣家からの日常的な“大騒ぎの音声”と、住居前に散らかされている置物の数々に関してである。 
 早い話が「長屋」の延長でしかない集合住宅に於いては、いくら建造物が技術革新したとはいえ隣家や上階からの騒音被害は日々避けられない事態だ。
 そして通路の置物に関しては集合住宅に暮らした経験のない方々は理解しにくい事を鑑みて、少し補足説明をしよう。  集合住宅における「通路」とは法的には住民皆の“共有財産”の位置付けであり、消防法等に基づいて本来その場には私物を設置してはならない場所と規定されている。 ところが恐らくそんな法的事情を一切わきまえない隣家は、子供のベビーカーや自転車や三輪車、一輪車、それに不要な粗大ゴミ等々を通路に置き放題なのである。
 隣家に限らず「通路」を“物置き場”とする住居は他にも数多く存在するため、管理組合を通じてそれを撤去するべく指導を繰り返しているにもかかわらず、どうしてもそれが理解できないのか、通路に私物を置き放題の住居が後を絶たない現状だ。


 今の時代背景として、もしかしたら民主党政権から“子ども手当て”をもらえると吹聴されそれを期待している若き夫婦が世には多いのだろうか??  子供を3人設けたことを誇りに思いそれに“優越感”を感じて有頂天になっている隣家の様子が日々伝わるような思いもしないではない。 (ただし、民主党政権の“子ども手当て”の行く先にも大いなる限界があるのを隣家が認識しているのであろうか否かは不明である。)
 それにしても“子供手当て”の現行支給額が月々13000円/人とのことは、3人産めば39000円、年間にすると468000円!!  小中校義務教育と高校を公立でやり過ごす気でいるのならば、これは確かに美味しい話なのかもしれないね!? 


 いや別に、お隣さんが子どもを3人生んだことを責めている訳では決してないよ。
 どうぞ、いい子に育てて下さいますように。 そしてその子ども達が将来幸せになって、この混乱した国を立ち直らせるべく力をつけることを私も祈っているよ。

 そのためには、親は何をするべきなのだろう?
 もちろん、率先して我が子の命を守るべきだよね。

 あなた達若い親世代にとってのその手段とは、近隣住民を“徹底的に排除”することなのだろうか??  それであなた達は本当に心が満ち足りるのだろうか?
 それがよく分からない原左都子であるが、一言言えるのは今の古い世代とて自らのプライバシーは守りたいし、嫌な奴となど一切付き合いたくもないんだよ。

 それでも、長年付き合っていかねばならない近隣の人達とは“表向き”だけでもいい関係を続けていった方がお互いに得策でしょ?
 そうした場合、集合住宅内で住民に偶然出会った時に“挨拶”くらいは交わした方がいいんじゃないのかな? 
 たとえ日々隣から騒音が聞こえてこようが、通路に私物を散乱させようが、あなた達の“挨拶”さえ聞く事が出来たならば、私に限らずおそらく旧世代の住民は皆、法的措置などぶっ飛んでそれを許容できると思うよ。

そして誰も民主党政権に興味がなくなった…

2011年12月12日 | 時事論評
 最近本エッセイ集において民主党政権を叩いていない原左都子であるが、まさか、断じて野田政権“支持派”に鞍替えしたという訳ではない。

 相変わらず、リーダーとしての資質の視点から考察して野田氏のようなタイプは私には受け入れ難い。
 2011年11月のバックナンバー 「野田さんの言う“国益”って何?」 に於いても既述したが、野田さんには一国の首相に相応しいようなポリシーや風格が見て取れず、政治家としての存在感が薄くカリスマ性が私にはまったく感じられない。
 それでは野田氏の何が悪いのかと尋ねられた回答として朝日新聞「声」欄の投書より言葉を拝借するなら、「どじょう内閣」の愛称の通り泥に潜って情勢を伺い時々浮上しては唐突な発信をする内閣ということだ。 国会や国民への説明責任を果たすよりも官僚に操られつつ国際会議の場で既成事実を作り上げて来て、まともな議論はせず国民の目くらませをたくらむリーダーである。

 姑息な手法しか使えない“小粒野郎”であるくせに、国民の目くらませが巧みとの妙な図太さがある嫌味な奴を、到底一国の首相として認める訳にはいかないよ!


 それにしても、一時のように血気盛んに“政権バッシング”をしなくなった私がここに存在することも事実だ。

 それは何故なのかと分析してみるに、おそらく世間の動向と共通点があるように思える。
 巷の政権支持率調査では、国民の野田政権の支持率は低下の一途を辿っているとのことである。 
 これが鳩山政権、菅政権の時代であれば、少しでも支持率が低下すると新聞のトップニュース扱いとなったものだが、野田政権の支持率低下を何故メディアが報道しないのか?と推測するに、やはり原左都子同様にメディアも政権を叩く気力が低迷している故ではないのだろうか?

 「新政権」として劇的に発足した民主党政権であるが、あれからまだ2年少しの月日しか流れていない。  にもかわらず、力なき政権の失策や幹部のカネ問題等で“短命政権”を余儀なくされトップがコロコロと入れ替わり野田政権が既に3代目となる。
 長期に政権が続いているのならばわずか2年少しにして国民はまだ「新政権」の感覚も持てることであろう。 だがこれ程短期でトップが次々と交代した挙句、どうも煮え切らない野田氏率いる現政権から受ける印象とは何らの“新しさ”もないのだ。
 これでは、支持派として応援するのも、不支持派としてバッシングするのも“ダレる”というものだ。

 そのように野田政権に対して“ダレて”しまったメディアや国民感情をうまく利用して、“ここはのさばれるだけのさばろう”との魂胆で単に図太くのさばっているのが、現在の民主党政権と表現できるのではあるまいか?


 ただ、この現状はやはりまずい。

 このまま野田政権をのさばらせてはならない。
 メディアが率先してもっと積極的に野田政権の支持率低迷を報道して国民に吹聴しない事には、元々政治になど関心がない国民がますます政治離れを起こし、野田政権の存在が正当化されてしまうではないか!

 山岡消費者相、一川防衛相、お二方の叔父さん閣僚の扱いに関しても参議院から問責決議が可決されている以上、もっと騒いでもよいのではなかろうか?  野田総理は両人の続投を表明しているが、これが鳩山、菅時代であれば事が重大であったはずだ。
 一川氏に関しては単なる失言の問題と捉える世論もあるが、防衛相として今沖縄が置かれている立場を考察した場合、枝野氏が指摘した通り国会答弁においてあるまじきの失言は許し難き失態であったと私は捉えている。
 山岡氏のマルチ商法企業よりの献金問題に関しても民主党の政権奪取の趣旨を鑑みた場合、野党から突かれて当然であろう。
 

 一川氏の失言に関連してであるが、米軍普天間基地の辺野古移転に関して環境影響評価書をめぐって発せられた防衛省沖縄局長の不適切発言も許し難いものがあった。
 これなど、まさに官僚の指示通りに動いている野田氏の施策を後押しする発言であったと私は捉えているが、要するに国としては沖縄県側が如何にあがこうが、米国に迎合して辺野古へ基地を移転するべく動いている事を暴露する結果となったものだ。
 ただ、甘いよ野田さん。  そのやり方は姑息過ぎるよ。
 何度も言うが、民主党鳩山政権が当初掲げた“米軍基地は少なくとも県外”公約を現政権も何が何でも実現するべきと考えて、原左都子はずっと沖縄を応援しているのだ。 そのためには官僚の言うなりになって米国に迎合してばかりいないで、本気で今後の我が国の新しい平和外交を模索するべきなのだ。 その努力を一切せずして米国のオバマ氏に“へらへら”しているあなたの姿は実にみっともないよ。


 100歳を間近に控えて今尚現役でご活躍中の医師であられる 聖路加国際病院理事長 日野原重明氏も、12月3日の朝日新聞紙面で訴えられている。
 「野田首相に望むこと」と題する日野原氏のエッセイの一部を以下に要約して紹介しよう。
 この欄でエッセイを書き始めて10年目となるが、今回参加の是非を巡って大論争が起きたTPPをめぐって野田首相が示した姿勢を見て、リーダーとしての資質について改めて考えさせられた。  関係国との協議内容に対する自党内や国民からの反発情勢の中、「もう一晩じっくり考えたい」と答えた野田氏が如何なる最後の切り札を出すのか、どう意思決定するのか、興味深く見守った。  しかし野田首相から出された言葉は「参加する」ではなく、「参加への協議に加わる」だった。 これは極めてあいまいな表現であり、足を引っ張られまいとする逃げ口上にも聞こえた。 この“あいまいさ”は松下政経塾で教えられたのだろうか? どんな困難に直面しても日本国家のあるべき道を守ろうとの発言ではない。 一国家の首相の発言として非常に遺憾である。 古代ギリシャのソクラテスも言っているが、トップに立つものとは明確な言葉を用い、ひるむことなくリーダーシップを発揮せねばならない。 


 一国の総理である野田さんは、100歳になられようとしている先人著名人のお言葉を真摯に受け止めるべきであろう。
 (どうせ、一庶民に過ぎない原左都子の存在すら知るすべもない現状においてはね…。

 そしてメディアや国民達もこの100歳の先輩の生き様を見習いつつ、いつまでも国政に目を光らせているべきである。
 我が身が助かるも滅びるも国政次第なのだ。 
 決して表題のごとく 「そして誰も民主党政権に興味がなくなった…」 の事態と成り下がらないよう、野田政権の今後の動向を国民皆がしっかりと注視していくべきなのである。

「強者」と「弱者」の線引き

2011年12月10日 | その他オピニオン
 NHKの連続テレビ小説「カーネーション」が面白い。
 何と言っても主人公 小原糸子 の洋装店店主としての快進撃が痛快である。

 ここ数日は亭主の出征と同時に表沙汰になった“浮気問題”に主人公糸子の心が揺れ動く等、ストーリー展開がやや複雑となり物語の方向性が見定まらない状況だ。
 それにしても今回のNHK連続テレビ小説「カーネーション」は、主人公糸子役の 女優・尾野真千子氏の勢い溢れる演技が大きく視聴率を稼いでいると言えるのではあるまいか。


 そんな「カーネーション」であるが、原左都子が特にお気に入りだった場面が幾つかある。

 その一つは糸子が「パッチ屋」に新入り直後にしごかれた場面であるが、あれなど、新入り(新入社員)の心がけを“正しく”指導するものと絶賛した私だ。 
 (新入社員時代の私も含めての話だが)そもそも新人とは世間知らずで考えが甘いものである。 その甘い考えをまず“叩き直す”ことから新人教育とは始まるべきなのだ。 もちろん新人の個性が多様である以上その“叩き直し方”にも多様性があって当然だが、「パッチ屋」に於いて成された“新人教育”には十分な合理性があったし、それに耐えて成長を遂げた糸子も素晴らしかった。

 次なる糸子の快進撃は “デパート女性店員の洋装制服受注ゲット”事件である。
 当時の糸子にとっての“大規模プロジェクト”であろうこの課題が叶うとするならば実にミラクル世界であろうが、そう簡単には実現不可能である事には間違いない。 さて、糸子がこの難題をどうやってクリアするべくシナリオ展開がなされるのだろうと興味津々の私だった。 下手な描き方をして安易に糸子が成功をゲットすることだけは御免被りたく思ったものだ。
 そうしたところ、糸子なりに紆余曲折しつつも“単なる一時のサクセスストーリー”としてこの場面が終結するのではなく、その後糸子が再び仕事をなくしてしばらくあえいだ姿に現実味があって、常に厳しい視線を投げかけている私にも受け入れられたのである。

 後もう一つ原左都子にとって印象深いのは、岸和田の場末の踊り子に過ぎない“さえ”がたまたま知り合った糸子にイブニングドレスを発注した場面である。 
 この場面においては、既に年老いた母方の富豪の祖父母の描き方にも現実味があった。 体調を崩した祖母から何とかもらってきたイブニングドレスを元に作ったドレスが“さえ”役の 女優・黒谷友香氏 によく似合って実に美しかったのも印象的である。


 年末にさしかかろうとしている現在、連続テレビ小説「カーネーション」は上記のごとく昭和10年代後半の戦争時代へと突入した。

 主人公糸子の幼馴染である勘介(“かんすけ”の漢字が間違っているかもしれない点お詫びします)が早くも出征して、何年か後に既に帰宅しているとの現在のドラマ設定である。
 その勘介が戦争体験を通して受けた痛手により精神的に壊滅状態なのだ。 それを励まそうとした糸子であるが、その励まし方に大いなる“勘違い”があったようで勘介は今まで以上に再起不能状態を彷徨う事と相成った…

 糸子はそれを勘介の母親から痛恨の極みで責められることとなる。
 勘介の母親が糸子に向かって曰く、「あんたのように成功ばかりを繰り返している“強者”には、うちの勘介のごとくの“弱者”の気持ちは到底分からない! 戦争で精神を痛めつけられた勘介を支えるべく家庭内で努力をしてきて少しは明るい兆しも見えたのに、あんたの心無い“勘違いの励まし”によって勘介は再びどん底に突き落とされてしまった。 お願いだから、今後は勘介はじめ我が家には一切近づかないで欲しい」

 この勘介の母親からの切実な訴え(元ミュージシャンでもあられる濱田マリ氏演じるこの場面はド迫力だったものだ)をテレビドラマの中で見聞した原左都子は、一瞬我が身にこの言葉を投げつけられたかの感情を抱いのだ。
 もちろん勘介の母親の思いは十分過ぎるぐらいに理解できるし、戦時中の当時の時代背景を慮ると、私が今生きている現実にこの言葉を照らし合わせることにそもそも大いなる無理があるのかもしれない。


 それでも原左都子の脳裏に浮かんだのは、一般庶民社会おける 「強者」「弱者」の線引きって一体何なのだろう? との感覚である。

 端から見て頑張り続けているように映る人は皆 「強者」 だって???
 反面、上記の勘介のごとく戦争にめげて帰国して塞いでいる男は 「弱者」なのか??
 で、「強者」はいつも「弱者」に“余計な言動をしないよう”配慮しつつ神経を使って生きなきゃいけないんだと!?!

 それにしても、小原糸子さんのその後の対応も素晴らしかったのだ。
 勘介のお兄ちゃんの嫁より、「昨日義母が失礼な事を言って堪忍な。 義母には悪気がないから許してやって」と訴えられて、糸子は以下のごとくに返したのだ。
 「私は私で頑張ってる。 それを責められても困る。 しばらく勘介とその一家には近づかないようには配慮する…」
 ここで原左都子から一言小原糸子を弁護すると、実に「一生懸命頑張っている事を端から責められても」逆の立場として大いに困惑するのである…


 このエッセイの最後に、表題に掲げた “「強者」と「弱者」の線引き” について語らせてもらうことにしよう。
 バックナンバーで幾度も述べているが、現在は「強者」と「弱者」の線引きが実に困難な時代背景である事には間違いないであろう。

 例えば電車の中で“腐った足”を晒して眠りこけている人物は真正弱者ではあるまいか。 役所とはその種の人物を優先して助ける事を本来の任務とするべきだ。 “生活保護”の届出をする能力のある人種をすぐさま弱者として支援するよりも、この種の役所に届出を出せない真正弱者を早期に救って欲しい思いだ。

 あるいは、ネット上で著名有名人の歪んだ論説を叩く庶民の掲示板の“つぶやき”等を殊更取り上げ、これは“煩悩”だと言って少しばかりの知名度を利用して庶民をいたぶって“仕返し”をするがごとく行動に出ることこそが、一体何なのであろうか???

 原左都子は“真の弱者”こそが救われるべきとのポリシーに揺ぎ無い思いがある。

 それに対して後者(ネット上で著名人が叩かれている現状)に関しては、どちらが「強者」でどちらが「弱者」なのかの分別がつなかいでいるのだが、どうであろうか? 
 
 著名人とてネット上で叩かれれば「弱者」に成り下がることを庶民は心得て言動するべきだと??
 それ程までにキャパがない事でよくぞまあ著名人と成り上がったことだと、庶民としてはせせら笑うしか手立てがないのではなかろうか???

 ここは「カーネーション」の小原糸子さんの生き様でも眺めて、もっと自分自身に真の実力を養いつつ今後現世に生き延びることだね~~。