原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

原左都子が選ぶ 「ビリー・ジョエル」 トップ10

2011年12月07日 | 音楽
 (写真は、原左都子が20代前半の頃趣味で活動していたアマチュアロックバンドの舞台。)

 本エッセイ集2011年4月のバックナンバー 「原左都子が選ぶ“ビートルズ”トップ10」 に於いても同じ舞台の別写真を掲載させていただいているが、これは同舞台の第2幕で衣裳替えをしたバージョン。  私一人“足がぶっとい大女”のごとく映っているが、この写真が私の斜め前方から撮影されているからであり、実際の私は足がもっとスリムだったし写真程の“大女”ではなかったと自己弁護しておこう… 


 久々の「原左都子が選ぶトップ10シリーズ」であるが、その第4段において音楽好きの私が今回取り上げるのは 「ビリー・ジョエル」 である。

 この年末の時期に何故「ビリー・ジョエル」 なのかと言うと、これには私なりの理由があるのだ。

 7月末よりダンススタジオにおいてウォークマンを耳に“単独ダンスレッスン”を始めたことは既にバックナンバーで紹介している。
 毎週欠かさず体育館に併設されているダンススタジオを一人で訪ねては1時間“単独ダンスレッスン”をたっぷり堪能している私の行動を、端で見ている現在自宅療養中の身内が不思議がるのである。 
 「毎週毎週スタジオに出かけて、よくぞまあ一人で1時間もの長時間踊るべくダンスがあるものだ……」
 (病人に言われたくはないわ、と思いつつも)何分音楽好きの私である。 音楽(ディスコサウンドやソウル、ロック等々なるべくアップテンポの曲がいいのだが)さえ耳から流れてくるとそのジャンルが何であれ自然と体が動く私は、その種の音楽がある事それだけで何時間でも踊り続けられるのだ。
 
 それが原則であるものの、バックナンバーで記した通りこのスタジオには数少ないとは言えども人の目がある。  そうした場合、単独ダンスを楽しんでいる私にも一応の“羞恥心”が漂うというものでもある…。

 単独ダンスを始めて5ヶ月目となる今、新しい楽曲を使用して新たな振り付けのダンスを披露するべきではなかろうか??? 
 原左都子がその種の行動に出るのも必然的な成り行きであった。


 ここで参考のため、今まで私の単独ダンスに好んで取り入れてきたアーチスト名を挙げることにしよう。
 ダイアナ・ロス、クインシー・ジョーンズ、アース・ウィンド&ファイア、アラベスク、ジンギスカン、ボニーM、ヴィレジ・ピープル、KC&サンシャイン、サンタ・エスメラルダ、ホット・ブラッド、トニー・バジル、ディープ・パープル、エアロスミス ……   
 加えて、若い頃より既に振りをマスターしている ピンクレディ に モーニング娘 もはずせない。

 ピンクレディ と モーニング娘 に関しては、その振りをユーチューブ等で再学習したものを自分が踊り易いように多少アレンジして踊っている。
 その他のアーチスト(ほとんどが70年代ディスコサウンドであるが)に関しては、70年代にディスコ現場で経験したステップ等を参考にしつつ、これも自分でアレンジしながら単独ダンスを楽しんでいるというのが現状だ。

 人の目がなければそれで十分我がダンス欲求は満たされるのであるが、身内に指摘されてみると、確かに単独ダンスと言えども「新天地」を開発していくのが次なる楽しみに繋がるということであろう。


 そんな時、我が脳裏に蘇ったのが ビリー・ジョエル なのである。
 
 ビリー・ジョエル氏とは米国ニューヨークの豊かな家庭に生まれながらも、両親がユダヤ系であった等の事情で子供の頃には“いじめ”に遭う等さほど恵まれた環境にはいなかった様子だ。 それでも父親の音楽の才能を引き継いでピアノの能力を高めつつ、音楽界で才能を開花した人物であるようだ。 “コロンビア大学へ入るよりも、自分はコロンビアレコードと契約したい” との意思の下に、その後鬱病等で紆余曲折しつつも音楽界を邁進する人生を歩んでいるとのことだ。 (以上、ウィキペディア情報の一部を引用要約) 

 その ビリー・ジョエル を原左都子が何故に今思い出したのかというと、やはりその原点は70年代ディスコに遡る。
 氏の「ストレンジャー」は今尚忘れ難いディスコサウンドである。
 ディスコで聴いて踊った「ストレンジャー」をきっかけとして、その後若き私はビリー・ジョエルにはまったのである。
 この後何年にも渡って「ニューヨーク52番街」「グラスハウス」等の氏のアルバムを“カセットテープ”で購入して楽しんだ原左都子だ。

 そんな私は、上記のごとく「ストレンジャー」を思い出したことをきっかけに、今回ビリー・ジョエルのベストヒットアルバムCD2枚組みをネット通販で購入した。

 
 久しぶりに聞く ビリー・ジョエル は、やはり実に素晴らしい。

 そこで今回は勝手ながら、還暦に近づきつつある原左都子が今現在傑作と感じるビリー・ジョエル氏の心が伝わる楽曲をランキングして以下に紹介することにしよう。

   1位   「ムーヴィン・アウト」

   2位   「素顔のままで」

   3位   「マイ・ライフ」

   4位   「ストレンジャー」

   5位   「ガラスのニューヨーク」

   6位   「ロンゲスト・タイム」

   7位   「ロザリンダの瞳」

   8位   「ロックンロールが最高さ」

   9位   「オネスティ」

   10位  「ドント・アスク・ミー・ホアイ」


 これらの中からアップテンポの楽曲を我がウォークマンに録音して、昨日ダンススタジオまで持参した私である。
 ところがダンスナンバーとしては残念なことに、例えば上記1位の「ムーヴィン・アウト」にしても、4位「ストレンジャー」にしても、ビリー・ジョエルの楽曲とは実にメロディアスであることをスタジオで再確認である。

 アップテンポダンスを好む私にとってはダンスナンバーとしては適さないのかもしれないが、実に情緒豊かなヒット曲を量産しつつ今62歳を迎えているビリー・ジョエルに感謝して、今後は我が家のユーチューブで聴いて歌って楽しもうと考えている私だ。

エリート達は何故“死刑囚”へと身を滅ぼしたのか

2011年12月05日 | 時事論評
 今を遡る事17年前の1994年に、オウム真理教が長野県松本市において無差別テロである「松本サリン事件」を引き起こしたのは、我が子が生まれて数ヶ月が経過した頃だったであろうか。
 戦後50年も経過しているというのに、戦時中に密造され悪用された化学兵器である神経ガス “サリン” を用いた無差別テロ犯罪の底知れぬ不気味さに、日本中が震撼させられたものである。

 (オウム真理教とは無関係だが) 我が子が1歳になって間もない1995年1月に、今度は「阪神淡路大震災」が勃発し数千人に上る犠牲者が出た。 テレビの生影像で高速道路が崩れ落ちた様子や町全体が焼け尽くされる惨像を見せつけらるごとくの経験は、私にとってその時が初めてだったかもしれない。
 多少の事情故に手がかかる幼子を抱え日々悪戦苦闘していた私の脳裏には、度重なる信じ難い惨事の発生に、いやが上にも“世紀末”感が漂ったものである。


 その直後に(種々の理由があり大損失を計上して住まいの物件を買い換え)転居をして新たな地で少し気分を持ち直し子育てに励んでいた私を、またもや“奈落の底”に引き落とすべく衝撃を与えたのは、1995年3月に東京都内において発生した「地下鉄サリン事件」である。

 この時の様子は実によく憶えている。 
 午前中は1歳を過ぎた我が子をあやしつつ一緒にテレビの子供番組を見ながら、掃除をしたり布団を干したりするのが私の日課だった。
 その時、テレビの画面にニュース速報のテロップが入った。 東京都内の地下鉄において多くの人が倒れたとの情報だった。
 地下鉄霞ヶ関駅と言えば、私も独身時代に仕事先への通勤ルートの乗り換え駅として日々利用していた。 あの駅とは外が官庁街であるため、普段よりさほどの喧騒はなく混雑している時でもビジネスマン風の乗客が多いのが特徴である。 その一種特質的な都心の駅で人が大勢倒れただと??


 この「地下鉄サリン事件」が勃発する以前に発生した冒頭の「松本サリン事件」後より、警察庁や公安の調査は水面下で進んでいたようだ。 
 「松本サリン事件」においては冤罪者を出すとの大失策を演じた警察庁及び公安であるが、さすがにその後、世にも稀な“毒ガステロ事件”の調査を虎視眈々と進めていた様子だった事は一応の評価に値するのかもしれない。

 どうやら「松本サリン事件」後よりこの犯罪にはオウム真理教が関与しているとの憶測はあったようだ。
 95年3月に「地下鉄サリン事件」が発生した後程なく「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」でオウム真理教に対する強制捜査が実施された。 その過程でオウム真理教幹部は、松本サリン事件がオウム真理教の犯行であることを自供したとのことだ。
 オウム真理教の教祖麻原彰晃(松本智津夫)は、上記公証役場担当者よりの立ち退き請求の現実を打開するために、同教団信者である村井秀夫・新実智光・端本悟・中村昇・中川智正・富田隆・遠藤誠一らに、裁判を担当する判事の殺害を指示した。これを受け、同信者らは長野地方裁判所松本支部官舎に隣接する住宅街にサリンを散布した、というものであったとのことだ。 (以上、ウィキペディアより引用要約)


 ところで、何故今回原左都子が“オウム真理教”関連事件を題材とした記事を綴っているのかに関しては、我が家なりの“迷惑事情”があったからに他ならない。

 ちょうど上記の「地下鉄サリン事件」が勃発した直後頃であろうか。
 転居して間もない我が家に警察官2人が昼間訪問して来た。 その2人から在宅していた私に“我が身内に関する詳細の質問”等が投げかけられたのである。
 「ご主人は研究者でいらっしゃいますよね」 「現在○○会社の基礎研究員でおられるようですが、どのような研究をなさっていますか?」 「奥様はどのような業種で働かれていますか?」等々……
 (どうもこの警察官達は、我が家の個人情報を徹底的に調べ上げた上で家まで押しかけているぞ。 それにしても一体何を聴取したいがために家まで直接訪問して来たのだろうか??)
 身内が帰宅した後、早速これに関して話し合った。
 その結果、「オウム真理教」関連で我が自宅まで警察官(公安)が押し寄せた確率が高いことは直ぐに察しがついた。

 「オウム真理教」が教団内に“いわゆるエリート”を集結させていたことはその後のニュース報道等で解明された通りである。
 中でも、例えば教団の公報を担当してテレビ出演していた“上裕○○氏”と我が身内(我が身内の方が先輩の立場なのだが)は、高校時代より大学博士課程まで同じ道程を歩んでいるのだ!
 その大学や大学院で同じ学科に所属していた同窓生が「オウム真理教」に係わっていた事実も存在する中で、警察(公安)がその大学の理系博士課程まで進んだ人種を教団から入手した「同窓会名簿」等を頼りとして“しらみつぶし”に調査しても不思議ではない事だったのであろう。


 その後も何年にも及んで、警察(公安)の我が家の追跡は現在の住まい地である住居までへも続行したのである。
 何せ、幾度も住居を買い換えている我が家である。 それは決して“警察(公安)”の追跡から逃げるためではなく我が家自らの事情によるのであるが、どういう訳か、引き続き警察のフォローを受け続けたのだ。

 次に転居した住居地にも警察は幾度かやって来た。
 警察官氏が言うには 「この辺は強盗に遭った家もありますから、鍵をかけるようにお願いします」等々と私に伝える割には、集合住宅の他の住居に訪問するでもなくそそくさと帰ったのである…

 現在の住居地に転居した時にも警察官がやって来た。
 「何かお変わりありませんか?」 などと親切そうに言いつつ、「何か困ったことがありましたらお電話をいただきたいので、その電話番号を書く紙を持ってきてくれませんか?」と私に言うのだ。 “ちょっと待ってよ。こう言って私を安心させる強盗もいるじゃないか! それにしても相手は確かに警察官の恰好をしているぞ。 やはり、亭主がまだ“オウム真理教信者”だと疑って調べに来ているのか??” などと不信感を募らせつつ玄関まで紙を持参したところ、本当に管轄警察署の電話番号と自分の内線番号を書いて帰ったのである。(その紙片は今尚保存してあるのだが) 
 身内が帰宅後その警察の連絡先を見せつつ、“我が家はまだ公安にチェックされてるね” と話し合ったものである。

 まあそれにしても今となっては、「オウム真理教」加害者としてよりもむしろ“被害者”候補者として暗黙に警察(公安)より保護されていたのかもしれないと、善意に解釈している我が一家である。


 そんな一連の「オウム真理教」による残虐な事件の数々に係わった人物すべての死刑判決が先だって下されたとのことである。
 どうやら我が家もそれに関連して追跡されていたように思うのだが、先だって「オウム真理教事件」に関する法的判決が一段落したことを受けて身内と語りあったのだ。
 身内曰く、1990年代前半頃といえば博士課程まで進んだ研究者の卵が既に就職困難にあえぎ始めた時代であったとの事だ。

 ここから原左都子の私論に入るが、そんな一種“世間知らずの頭でっかち人間”にとってはどこでもいいから自分の専門を貫きたい思いもあったのだろう。  そこに甘い汁を投げかけたのが「オウム真理教」だったのではなかろうか?
 あの “サリン” を製造させてもらえる!?!
 それが“ミラクル世界”である事は、元科学者の端くれである私にも少し理解できるような気がしないではない。
 
 ところが人間とはそんな自分の身勝手な見識や立場を超えて、五感を磨きつつこの世に生きて行かねばならない事を運命付けられた生命体なのだ。
 その意味で、愚かにも「オウム真理教」幹部の殺害指示に従いそれを実行して“死刑”判決を受けた死刑囚達は、その判決に従って命を閉じるしか道は残されていないのである……

“分かって欲しい”思いとは仏教では煩悩なのか?

2011年12月03日 | 人間関係
 これ程までにインターネットが世間一般に普及した現代において、ネット通信なくしてはもはや生活が成り立たないと原左都子も実感の日々である。

 先だって我が娘の大学推薦合格結果を真っ先に確認したのも、ネット上の大学のホームページだった。  合格発表時間の午前10時直後にはさすがにネット回線が混雑していたようで直ぐには繋がらなかったのだが、10時5分過ぎには早くも結果を確認することが叶った。

 航空券や旅行の予約など、今時ネットを利用しない手はない。
 あるいは美術館や観劇(私の場合バレエ観賞が趣味なのだが)等々個人の嗜好を満たす最新情報の確認やチケット予約もネットに頼るのが一番手っ取り早い。
 それからネット通販は元より、今となっては日常的な食材の配達や出前等もパソコンを通じて発注すれば直ぐに宅配してくれるまでに、インターネットは人々の生活に密着した存在になっていると言えよう。

 その一方で、ネットは人が個々人の思想等“自分の思いを伝える”べく個人的情報を伝達公開する手段としても目覚ましい発展を遂げている。
 私が発信しているこの「原左都子エッセイ集」のごとくのブログとてその一端であろう。
 (私は一切利用しておらず認識不足であるものの)“掲示板”や“つぶやき”?、あるいは“出会い系サイト”等々も人同士が交流可能なインターネット上のサイトと言えるのではあるまいか。


 さて話が変わるが、朝日新聞夕刊に継続的に掲載されている仏教家・小池龍之介氏のコラムを本エッセイ集のバックナンバーにおいて2度程取り上げさせていだだいた。
 (「原左都子エッセイ集」2011年10月バックナンバー 「“安請け合い”は人間関係の破綻を招く」 及び 「人は“プライド”を守るためにクレームを発するのか?」 と題する記事において、小池氏のコラムの要約と共に私論を述べておりますのでよろしければご参照下さい。)

 小池氏のネットに関するご見解に関しては、先だって訪れた美容院に置かれていた婦人雑誌のコラムにおいても偶然発見した私である。 (そうか、この人物は仏教家であるのみならずコラムニストとしても現在各種出版物に取り上げられているのだな、との認識を抱いた私だ。)
 そのように現在ご活躍の小池氏のコラム記事をたまたま何度か読ませていただいて原左都子が感じたのは、 「どうもこの仏教家先生は、ネット上で展開されている人間関係を否定的視野で捉えておられるのか?」 という懸念感であった。

 そうしたところ朝日新聞12月1日付夕刊の小池氏が担当されている連載コラムに於いても、ネット上の個人的情報公開を否定せんとする見解が記されていたのである。
 その内容を以下に要約して紹介しよう。
 インターネットを通じて人とつながりたい気持ちの裏にも「自分を分かって」という“煩悩”が紛れ込んでいる。  現在ネット上の日記や掲示板を通して膨大な量の言葉が吐き散らかされている現状だ。  ネット上の書き込みと個人的な日記との決定的な違いとは“他人に見てもらえているか否か”である。 ネット上に書き込む人達とは「自分ってこんな人だよ」と分かってもらおうと実は寂しくあがいている。  例えば、自分の誕生日に友達が赤坂のホテルでお祝いをしてくれた事や、皆からもらったプレゼントを写真付で紹介している日記があるが、なぜそんな事を書き込みたくなるのか?  「私はみんなから祝福してもらえたりプレゼントをもらえたりして、こんなに大事にされている。 こんなにステキな自分だとネットを見ている人たちにも分かって欲しいよ」 という思いに他ならないのだ。  (中略)   かくして現代社会は「自分の事を分かって」欲しい孤独な言葉へと翻訳できる文字達で満ち満ちている。  かつての日記とは他人の目を避けたいが故の心の避難所であった。 現在はそれを他人の目に晒すことで「わかってよーー」と心を乱すものへと変わっているが、これは“煩悩”でしかなく控えたいものだ。
 (以上、朝日新聞夕刊の仏教家・小池氏のコラムより要約)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 仏教家でありコラムニストであられる小池氏とは、もしかしたら日頃ネット上のサイトにおいて、不特定人物からの誹謗中傷等により痛めつけられる等の被害にでも遭われておられるのであろうか??
 
 この私にとってはネット上でよく見かける“取るに足りない個人的自慢話”など“可愛いもんだ”♪ ぐらいに感じて素通りする対象である。 何故そんなものを殊更取り上げ“煩悩”などとの言葉を持ち出して、小市民を叩きのめす必要性があるのだろう???  勝手にさせてあげれば済む話なのではなかろうか?
 もし本気でこの種の“取るに足りない自慢話”を鬱陶しく感じるのであれば、一応朝日新聞のコラムを担当する程名を轟かせておられる有名人として取るべき行動とは、何もネット上の一般庶民が利用しているサイトなどさらりと素通りすればよいだけの話と、アドバイス申し上げたい思いなのだが……

 同じく一般庶民に過ぎない原左都子とて、つい先だって「原左都子エッセイ集」のコメント欄閉鎖措置を取る事と相成った。 それには種々の事情があるのだが、その思いを総括するならば不特定多数の読者が訪れて下さる“ネットの特質性”に対応していくことに、ある意味で限界を感じたからに他ならない。
  
 現実世界に於ける人間関係とは、直ぐそこに存在する生身の相手とのかかわりにおいて自分自身の五感で多角的に観察分析しつつ懇親の関係となることが可能である。 ところがこれが一旦ネット世界となると、その関係とは書かれた文章のみを判断材料とするしかないのが現状だ。
 要するに、ネット上の人間関係とは単なる言語の付き合いでしかないことが明白であろう。 ただし言語だけ、たかがそれだけの関係であっても、信頼関係が築かれて長年お付き合いが継続する相手も存在し得るのではなかろうか。
 私は現在「原左都子エッセイ集」のコメント欄を閉鎖してはいるが、たとえネット上の言語のみの関係と言えども信頼に値する方々が存在するからこそ、我がエッセイ集の継続が成り立っていると実感させていただいているのだ。

 そんな心境複雑な原左都子が既に5年目に至る長きに渡ってネット上で公開し続けているこのエッセイ集も、仏教家であられる小池氏の視点からは “自分の思いを分かって!” と訴える愚かな「煩悩」の集合体に他ならないと位置付けられてしまうのかもしれない。

 上記のバックナンバーでも述べたが、私は宗教とは無縁の人生を歩み続けているため小池氏がおっしゃる 「煩悩」 の概念自体が全く理解できないでいる。
 それでも仏教家先生に向かって大変失礼な事は承知の上で、原左都子から小池氏に伝えたい事があるのだ。

 人間関係とは信じる宗教あるいは無宗教にかかわらず “他者と分かり合う” ことから始まるのが原則ではあるまいか?
 今の時代、悲しい事に現実社会において人間関係の希薄化現象が蔓延ってしまった。  そのような虚しい現実世間の中で自分の生き様が見つけにくい人種が、一時ネットに救いを求めて 「私のことを分かって欲しい!」 との無言の叫びを発しても許されるのではないかと、私は捉えるのだ。

 原左都子ももちろん、ネット上の関係のみが心の拠り所となってしまう事態を懸念してはいる。 
 だが、特に若い世代とはネット上を彷徨いつつも社会の移り変わりや自己の成長と共に今後実世界に羽ばたける潜在エネルギーを内面に秘めていると、無宗教の私は信じている。

マニュアル指導に翻弄される店員の対応にもの申す!

2011年12月01日 | 時事論評
 日々商取引をせずしては成り立たないこの経済社会の下で生き延びている顧客側の一員として、いちいち店員氏の落ち度を突くのは自分の器量の狭さを物語るものと、この原左都子とて重々心得ているつもりだ。

 特に大規模チェーン店舗等に於いて“顧客対応マニュアル化”が急激に進んだ時代背景の下では、顧客側はその“お決まり対応”が指導マニュアルの範囲内とは承知しつつもさほどの悪印象を抱かなくなった、というのが現実ではなかろうか?


 そんな中、昨日私は(全国展開のチェーン店舗らしき)某書店において、近頃経験しないような杓子定規の対応に遭遇したのである。

 今時のデパートや大手量販店をはじめとする各種大規模店舗では、会計における順番制を確保するため「入口」と「出口」を設けてロープを張り巡らせ、顧客をそのロープの道順に従ってレジ前に並ばせるのが通常である事は、皆さんもよくご経験のことであろう。
 この“制度”が店舗内に設けられた当初は、レジの順番制を確保する方策とはいえ顧客をないがしろにせんとするような対応にウンザリさせられた私である。 せめて銀行のように顧客に番号札を引かせ、椅子を用意して顧客に座って待ってもらうべく対応をするべきではないのかとも思ったものだ。 と言うのも、時折お年寄りが長蛇の列に戸惑っている場面にも出くわすし、ベビーカーをひいた母子連れがロープ内に並びきれないような風景にも遭遇するためである。
 これに関しては、おそらく店舗内が狭くて椅子を設置するべく対応が取れないのであろうことも想像はついている。  まあそれにしてもその対応で商売が成り立っているのであれば私が口出しするには及ばず、勝手にせよと言うところであろう。


 ここで昨日私が経験した某チェーン書店での店員氏の対応を紹介することにしよう。

 書籍一冊を購入しようとして上記書店のレジへと向かったところ、そこには案の定「入口」「出口」を設けロープが張り巡らされていた。 
 ただ、当時顧客は一人も並んでおらず1人の店員氏が出口付近でパソコンを打つような作業をしていたため、その店員氏に私は「すみません」と声をかけた。
 そうしたところ私の問いかけにもかかわらず相変わらずパソコン画面に向かう店員氏から返ってきたのは 「何かお問い合わせですか!」 との怒りがこもった返答だったのだ。  その剣幕にめげそうになりつつも私は 「この本を購入したいのですが…」 と応じた…。 
 こういう場面において店員氏から次に出るべき言葉とは 「大変失礼しました。お会計します。」 ではなかろうか??  
 ところが、驚くべき事に昨日は違ったのだ。 「本を購入する場合は、レジの“入口”に並んで下さい!」 と私はけんもほろろに叱られてしまった…
 店員氏の対応に唖然としつつも 「すみません。」 と小声で謝りつつレジの“入口”に並んだ(と言っても顧客は相変わらず私一人なのだが…)ところ、やっとその店員氏はレジを打ってくれて会計をしたのである。 
 その後は最後の「ありがとうございました」までマニュアル通りの対応だったのが、これまた不気味な感覚だったものだ…
 善意に解釈するならば、この店員氏は顧客がいない中パソコン作業に集中していたのであろう。 そこに「すみません」と私から声を掛けられて一瞬集中が途切れ憤った気持ちは分かる。
 それにしても、何ともまあ店員としてお粗末な事……


 話が変わるが、先だって娘の傘を買うべく大規模チェーン店を訪れた。
 どういう訳か娘が欲する傘に「値札」のレッテルが貼られていないのだ。 そこで私は他の商品を購入するよう娘に勧めたのだが、どうしてもその値札のない商品が欲しいと娘が訴える。
 この種の経験は過去にもあるのだが、価格を調べるためにレジ前で長時間待たされる事を想像してそれを避けるため、私は娘が欲する傘と共に別柄の同一傘商品をレジに同参したのだ。 そして「この商品は値札が貼られていないのですが、もしかしたら持参した商品と同価格ではないですか?」と訪ねた私である。
 そうしたところ、レジ担当者が言うには「もっと低額かもしれませんので調査します」 との事だった。 
 結局は価格調査のために長時間待たされるはめとなったのだが、(もしかしたら“返品商品”にレッテルも張り替えずそのまま店舗に並べたのか???) との疑惑も抱きつつ、どうしても娘のその傘が欲しいという思いと共にレジで待っていると 「同一別柄傘と同じ価格で販売します」との回答だった。 
 会計を終えた後も、(おそらく)返品商品を元の売値で買わされたとの思いが消え去っていない私であるが、何よりも我が娘が雨の日に“お気に入り”の傘をさして学校に通う姿を見て“帳消し”の思いではある。 

 この事例などは、大規模チェーン店の“マニュアル指導”に基づいたのか、あるいは店員の勝手な判断でマニュアルに従わず通常は再販売しないはずの返品商品を買わされるはめとなったのかは不明である。
 それにしても、「こちらのミスで値札のない商品を売り場に置き、長時間お待たせして申し訳ございませんでした。」の一言ぐらい欲しかったものだ。
 
 

 本日のニュース報道によると、大学3年生対象の就職活動が既に開始されたとの事である。 
 まだ就職まで1年以上も期間があるのに、こんなに早期から就活を開始するのか? と思う私の感覚とは裏腹に、今年はこれでも開始時期が遅いとの事だ。

 第三次産業において若手社員はマニュアル指導を受けるのが現状といえども、今後経済社会に旅立つ学生の皆さんは自分自身の職業人としてのポリシーを明確にもって就活に臨んで欲しいものだ。
 日本企業が置かれている現状を打破する若き力として、経営者を越える能力がほんの少しだけでも備わっていて欲しいものである。

 とにもかくにも今後この国の経済力を益々衰退させるも少しは発展に転じさせるも、あなた達の今後の実力発揮如何にかかっている。
 是非共、先人達が作り上げた既成マニュアルになど従わないしたたかなポリシーを抱きつつ、社会に進出して欲しいものであるぞ!!