「原左都子エッセイ集」に於いて、ここのところしばらく民主党政権をバッシングしていない。
バックナンバーを確認してみたところ、私が一番最近政権関連の記事をしたためたのは 5ヶ月前の2011年12月 「そして誰も民主党政権に興味がなくなった…」 に於いてであった。
上記記事内でも述べたが、一貫して“無党派層”の原左都子がまさか断じて野田政権“支持派”に鞍替えした訳ではあり得ない。
早いもので当時より数ヶ月が経過した今尚、民主党政権の官僚依存体制を正当化せんと我が物顔に総理の立場で“意味不明の笑み”を浮かべつつ、国内外で報道陣に応じているメタボ体質 野田氏の態度には“身の程知らず”の感さえ抱かされる。
消費税問題にしてもそうだ。 国民や野党はもちろんのこと、民主党内部にさえ消費税増税反対意見が根強い中、国会や国民への説明責任を果そうともせず官僚に操られつつまともな議論をせずして、現在に至って尚強引に増税を押し通そうとしている。 あの得体がしれない“どじょう”の姿をメディアで見るにつけ、何でこの人物にいつまでも一国の総理としてのさばれる資格があるのだろうか? との不可思議な感覚しか抱けないでいる。
(参考のため原左都子は消費税増税に必ずしも反対の思想でないのだが、野田氏のあの官僚の言うままの態度には徹底的に嫌悪感を抱かされるのだ!)
その間、確かに国政の存在が希薄になる事態が我が国に発生し続けている。
地方自治を操る大阪市の橋下市長こそがその張本人であろうし、先だって本ブログで取り上げた東京都知事の石原慎太郎氏も、高齢にしてその片棒を担ごうかと目論んでいる人物なのであろう。
ところが上記ご両人は、現在あくまでも地方自治を司る立場にしかないのが事実だ。 若い世代の橋下氏に関しては、将来的には国政のトップの座を狙っての魂胆・諸行動であることなど誰しも承知のことであろう。 片や石原慎太郎氏の場合、そのご年齢から察するに申し訳ないが今後の政治生命は短いことと結論付けたい。 しかも“一匹狼”体質であったと原左都子が分析する石原氏の後継者が一人として育っていない厳しい現状だ。
政権政党である民主党内部に於いても 「小沢氏起訴」 との大事件が勃発した。
その結論として小沢氏には「無罪」判決が下されたものの、先だって検察側が「控訴」をした事実を私は高く評価している。
今となっては小沢氏の政治家生命自体が既に消え去ったような現実と心得るが、それでも元々“反小沢派”の立場(と言うよりもそもそも“反民主党派”の私だけどね…)の原左都子に言わせていただくと、小沢氏が「白」であるはずがないのだ。 法律を多少心得る私の場合、裁判で争われる事象により今回のように小沢氏「無罪」判決が下される事も想定内ではあった。 それでも、検察側には「控訴」をして欲しいと切望していた私にとってはそれが実った事はうれしい思いだ。
ただし野田氏も既に承知の上ではあろうが、小沢氏の控訴結果が何処に傾こうとも、あなたの首相生命にさほどの影響力はなさそうな時代に突入しているね~~。
去る5月15日には、沖縄復帰40周年を向かえた。
この記念すべき式典会場に於いて、国の首相の立場で相変わらず官僚依存で米国に迎合するべく中途半端な挨拶を述べるしか手立てがなかった野田氏である。 これに対して、ご高齢の仲井間知事は未だ沖縄を米軍基地と欲する政権の姿勢に対し、本土と沖縄の間に深まる溝に関する自身の痛恨の思いを述べられた。
原左都子が沖縄基地反対派であることに関しては、本エッセイ集で幾度か訴えて来ている。 その立場として、今後東京に米軍基地を移設してでも沖縄の基地負担の程を早急に軽減したいと本気で考えている。
(石原知事はもしかしたら、尖閣諸島を将来米軍基地にしようとでも考えた上で今回買収行動に入ったのか? そうだとすると、沖縄県の現在の負担に対処できるのかもしれないが…??)
今回私がこのような記事を綴るきっかけを得たのは、本日(5月19日)朝日新聞朝刊記事による。
その記事によれば、野田政権の藤村官房長官が民主党政権内で“9ヶ月”もの長きに渡って官房長官を続けているとのことだ。
実は、原左都子もこの藤村氏を一度だけバックナンバーで取り上げている。
野田氏よりずっと年上にして野田氏の“側近”であるらしき無名の藤村氏が“なんと!”官房長官に抜擢された直後、事もあろうに藤村氏はメディア上で野田氏に対して「敬語」を繰り返していたのである!
無名の立場で官房長官に抜擢された事に喜び、野田氏に恩義を感じたのであろう藤村氏の心情も重々お察しするが、国民が皆見聞しているメディア上で政権内身内の野田氏を“奉る”表現は如何なものか!? と私はバッシングした。
よもや、藤村氏が「原左都子エッセイ集」など読んではおられないであろうが、おそらく周囲より同様の指摘があったのだろう。 その後、野田氏を奉る“敬語”は藤村氏の口より聞かれなくなった。
それにしても、朝日新聞が指摘している通り、この官房長官は“地味”な存在である。
何故に総理が指名した官房長官がこれ程に“地味”な存在であるのかを慮った場合、それは総理自体が“地味”な存在であるからに他ならない。
民主党が政権奪取した当時は、小沢氏の策略により、一見礼儀正しく国民に受け入れられそうなイケメンの鳩山氏を党首に打ち立てていた。 その小沢氏の戦略が一時成功して民主党は歴史的政権交代を果した。
ところが、悲しいことに総理である鳩山氏の存在とは“バブル”以外の何物でもなかった。(総理退任後の鳩山氏民主党内の“奇行”の程を思えば、国民の皆さんもおそらく同感であろう。)
それを引き継いだ菅氏に関しては原左都子は肯定の立場であるが、反論も既に多く頂いているためこの場で菅氏肯定見解を述べることは自粛しておこう…。
そしてその後の野田政権……
朝日新聞が官房長官の実態を“地味”と評価したように、私も野田政権自体を「地味政権」と後ろ指を指したいのだ。
政界においてある程度著名で目立っていた鳩山政権、菅政権の時代であれば、少しでも支持率が低下すると新聞のトップニュース扱いとなったものだが、何故かメディアが野田政権の支持率さえも報道しない現在に移り果ててしまっている…
それは現政権が“地味”であるからに他ならない。
それでは、政権とは“地味”であれば済むのだろうか?!?
そんなことはあり得ない。
国民皆の我が身が助かるも滅びるも国政次第なのだ。
民主党に政権交代して3年程の年月が流れた現在、やはり政治とは国民を本気で助けてくれない存在なのだねえ…、と嘆くにはまだ早過ぎる。
“地味”野田政権の今後の動向を国民皆がしっかりと注視していくべきなのである。
政治とは目立ちさえすれば誰がやってもいいはずもないが、“地味”ならば許されるというものでも決してない。
バックナンバーを確認してみたところ、私が一番最近政権関連の記事をしたためたのは 5ヶ月前の2011年12月 「そして誰も民主党政権に興味がなくなった…」 に於いてであった。
上記記事内でも述べたが、一貫して“無党派層”の原左都子がまさか断じて野田政権“支持派”に鞍替えした訳ではあり得ない。
早いもので当時より数ヶ月が経過した今尚、民主党政権の官僚依存体制を正当化せんと我が物顔に総理の立場で“意味不明の笑み”を浮かべつつ、国内外で報道陣に応じているメタボ体質 野田氏の態度には“身の程知らず”の感さえ抱かされる。
消費税問題にしてもそうだ。 国民や野党はもちろんのこと、民主党内部にさえ消費税増税反対意見が根強い中、国会や国民への説明責任を果そうともせず官僚に操られつつまともな議論をせずして、現在に至って尚強引に増税を押し通そうとしている。 あの得体がしれない“どじょう”の姿をメディアで見るにつけ、何でこの人物にいつまでも一国の総理としてのさばれる資格があるのだろうか? との不可思議な感覚しか抱けないでいる。
(参考のため原左都子は消費税増税に必ずしも反対の思想でないのだが、野田氏のあの官僚の言うままの態度には徹底的に嫌悪感を抱かされるのだ!)
その間、確かに国政の存在が希薄になる事態が我が国に発生し続けている。
地方自治を操る大阪市の橋下市長こそがその張本人であろうし、先だって本ブログで取り上げた東京都知事の石原慎太郎氏も、高齢にしてその片棒を担ごうかと目論んでいる人物なのであろう。
ところが上記ご両人は、現在あくまでも地方自治を司る立場にしかないのが事実だ。 若い世代の橋下氏に関しては、将来的には国政のトップの座を狙っての魂胆・諸行動であることなど誰しも承知のことであろう。 片や石原慎太郎氏の場合、そのご年齢から察するに申し訳ないが今後の政治生命は短いことと結論付けたい。 しかも“一匹狼”体質であったと原左都子が分析する石原氏の後継者が一人として育っていない厳しい現状だ。
政権政党である民主党内部に於いても 「小沢氏起訴」 との大事件が勃発した。
その結論として小沢氏には「無罪」判決が下されたものの、先だって検察側が「控訴」をした事実を私は高く評価している。
今となっては小沢氏の政治家生命自体が既に消え去ったような現実と心得るが、それでも元々“反小沢派”の立場(と言うよりもそもそも“反民主党派”の私だけどね…)の原左都子に言わせていただくと、小沢氏が「白」であるはずがないのだ。 法律を多少心得る私の場合、裁判で争われる事象により今回のように小沢氏「無罪」判決が下される事も想定内ではあった。 それでも、検察側には「控訴」をして欲しいと切望していた私にとってはそれが実った事はうれしい思いだ。
ただし野田氏も既に承知の上ではあろうが、小沢氏の控訴結果が何処に傾こうとも、あなたの首相生命にさほどの影響力はなさそうな時代に突入しているね~~。
去る5月15日には、沖縄復帰40周年を向かえた。
この記念すべき式典会場に於いて、国の首相の立場で相変わらず官僚依存で米国に迎合するべく中途半端な挨拶を述べるしか手立てがなかった野田氏である。 これに対して、ご高齢の仲井間知事は未だ沖縄を米軍基地と欲する政権の姿勢に対し、本土と沖縄の間に深まる溝に関する自身の痛恨の思いを述べられた。
原左都子が沖縄基地反対派であることに関しては、本エッセイ集で幾度か訴えて来ている。 その立場として、今後東京に米軍基地を移設してでも沖縄の基地負担の程を早急に軽減したいと本気で考えている。
(石原知事はもしかしたら、尖閣諸島を将来米軍基地にしようとでも考えた上で今回買収行動に入ったのか? そうだとすると、沖縄県の現在の負担に対処できるのかもしれないが…??)
今回私がこのような記事を綴るきっかけを得たのは、本日(5月19日)朝日新聞朝刊記事による。
その記事によれば、野田政権の藤村官房長官が民主党政権内で“9ヶ月”もの長きに渡って官房長官を続けているとのことだ。
実は、原左都子もこの藤村氏を一度だけバックナンバーで取り上げている。
野田氏よりずっと年上にして野田氏の“側近”であるらしき無名の藤村氏が“なんと!”官房長官に抜擢された直後、事もあろうに藤村氏はメディア上で野田氏に対して「敬語」を繰り返していたのである!
無名の立場で官房長官に抜擢された事に喜び、野田氏に恩義を感じたのであろう藤村氏の心情も重々お察しするが、国民が皆見聞しているメディア上で政権内身内の野田氏を“奉る”表現は如何なものか!? と私はバッシングした。
よもや、藤村氏が「原左都子エッセイ集」など読んではおられないであろうが、おそらく周囲より同様の指摘があったのだろう。 その後、野田氏を奉る“敬語”は藤村氏の口より聞かれなくなった。
それにしても、朝日新聞が指摘している通り、この官房長官は“地味”な存在である。
何故に総理が指名した官房長官がこれ程に“地味”な存在であるのかを慮った場合、それは総理自体が“地味”な存在であるからに他ならない。
民主党が政権奪取した当時は、小沢氏の策略により、一見礼儀正しく国民に受け入れられそうなイケメンの鳩山氏を党首に打ち立てていた。 その小沢氏の戦略が一時成功して民主党は歴史的政権交代を果した。
ところが、悲しいことに総理である鳩山氏の存在とは“バブル”以外の何物でもなかった。(総理退任後の鳩山氏民主党内の“奇行”の程を思えば、国民の皆さんもおそらく同感であろう。)
それを引き継いだ菅氏に関しては原左都子は肯定の立場であるが、反論も既に多く頂いているためこの場で菅氏肯定見解を述べることは自粛しておこう…。
そしてその後の野田政権……
朝日新聞が官房長官の実態を“地味”と評価したように、私も野田政権自体を「地味政権」と後ろ指を指したいのだ。
政界においてある程度著名で目立っていた鳩山政権、菅政権の時代であれば、少しでも支持率が低下すると新聞のトップニュース扱いとなったものだが、何故かメディアが野田政権の支持率さえも報道しない現在に移り果ててしまっている…
それは現政権が“地味”であるからに他ならない。
それでは、政権とは“地味”であれば済むのだろうか?!?
そんなことはあり得ない。
国民皆の我が身が助かるも滅びるも国政次第なのだ。
民主党に政権交代して3年程の年月が流れた現在、やはり政治とは国民を本気で助けてくれない存在なのだねえ…、と嘆くにはまだ早過ぎる。
“地味”野田政権の今後の動向を国民皆がしっかりと注視していくべきなのである。
政治とは目立ちさえすれば誰がやってもいいはずもないが、“地味”ならば許されるというものでも決してない。