原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

故人の正しい偲び方

2012年05月17日 | 人間関係
 原左都子のこれまでの半生に於いて一番懇親の付き合いをしたとの感覚がある友が、今年2月にくも膜下出血にて急逝したことに関しては、本エッセイ集のバックナンバーに於いて幾度か述べた。


 私がその第一報を手にしたのは、友の急逝より1ヶ月以上が経過した3月下旬の事だった。 「生前妹と仲良くしていただいていたことを伺っていた」との事で、故人のお姉様が葬儀の後に私宛に訃報を届けて下さったのだ。
 そのお知らせを受け取った私は、49日の法要に間に合えば出席させていただきたいとの趣旨の返答を早速したため投函した。  残念な事に友は一人暮らしの自宅にての突然死だったため、その無残な最期の姿が発見された時には既に日数が経過していたようだ。  そのため葬儀に引き続き、死亡推定日より数えて49日目に当たる日にお身内のみで49日の法要も済ませた、とのお姉様よりのご返答だった。

 それではせめて墓前に伺ってお花を供えさせていただきたいと、さらにお手紙を書かせていただいたところ、またまたご丁寧にそのお返事を頂戴した。  お姉様曰く、「(原左都子の住居地より)遠方に霊園墓地が位置するため、もしも今後その近くを通られる折りにでもお手を合わせていただけたらそれで十分…」云々とのお手紙の内容だった。
 そこで遅ればせながら、私は「ご霊前」でも「ご仏前」でも「ご香料」でもなく 「お花料」 との名目でお姉様宛に少しばかりのご香典をお送りした。 「○○様(故人のお姉様)にはお手数をおかけしますが、今後ご身内の法要の機会に墓前にお花をお供えしていただければ幸いです…」云々との挨拶文を添えて…。

 その後、さらに故人のお姉様よりそのお礼を兼ねてお葉書を頂いた。
 急逝した我が友が生涯独身を貫き一人暮らしだったため、故人亡き後の部屋の片付けを身内であるお姉様が現在一人で担当されているとの事だ。
 お便りによれば「貴方(私のこと)もよく訪ねられた妹の住居の片付けに現在遠方から通っております。 思い出に浸るというより半端ではない片付け物に辟易としているというのが正直なところです…」
 そのお姉様のお気持ちが重々理解可能な私である!  確かに(既に故人となった)我が友一人暮らしの3LDKの空間には雑多な物品が所狭しと散乱し、居住可能空間はリビングだけだったように記憶している……  お姉様よりのお便りを拝見した私は、「ここは私も片付けをお手伝いします!」と申し出るべきか?? と一瞬迷った程であるが、霊園を訪れることすら辞退されたお姉様の心情を鑑み遠慮させていただく結論とした……。


 そして昨日故人のお姉様より、私がお送りした少しばかりの「お花料」のお礼の品と共にまたもやお葉書を頂戴した。  その内容を少し紹介しよう。
 「早いものでもう5月になりました。 お嬢さん(原左都子の娘)は大学生になられ青春真っ盛りといったところでしょうね。  先日、○子(我が友である故人)のお墓に行って参りました。 貴方からと言ってお花を供えてきました。 茶目っ気のある妹のこと、風になって貴方の処へお礼に伺ったかもしれませんね。  お茶をお送り致します。お茶好きだった○子の供養のためにご笑納下さいませ。」


 昨日、故人のお姉様より届けて頂いた地元産の“手揉み新茶”のまろやかで優しい風味を味わいつつ、(ヨーコちゃんと呼ばせて頂いていた)故人を偲び再び涙した私である。
 ヨーコちゃんは本当にお茶好きだった。 職場に常備している“安くてまずい”お茶ですらいつも美味しそうに味わうヨーコちゃんの姿を、お姉様より頂いたお便りにより懐古させていただいた。

 加えてお姉様がおっしゃる通り、ヨーコちゃんは実に“茶目っ気”があられる人物だった。
 私より13歳年上のベテラン高校教諭の立場の大先輩であるにもかかわらず、当時はまだ若き世代の私のつまらない誘いに乗って一緒に楽しんでくれた事を思い出す。
 ある時私は、勤務先高校の地元商店街の福引“特等賞”「東京ディズニーランドペアご招待」をゲットしたのだ。  これは是非「ヨーコちゃんを誘っていこう!」(でも、こんなくだらない企画にヨーコちゃんが一緒に行ってくれるだろうか…)と迷いつつ誘ったところ 「絶対行きたい!」 との即答である。  そして当日、既にディズニーランドには何度か行っている私以上に本気ではしゃいでいた“茶目っ気たっぷり”のヨーコちゃんだったものだ。

 あるいは、ヨーコちゃんはカラオケ好きの私にいつも付き合ってくれた。
 当初ご本人はカラオケの経験などないと言いつつ、私が「ヨーコちゃんも歌って!」と無理強いすると、織井茂子氏の「黒百合の歌」や西田佐知子氏の「アカシアの雨がやむ時」「エリカの花…」等々の歌を、しっかりした音程の下、ハリのあるアルトの歌唱力で披露してくれたものだ。
 実に“茶目っ気がある”と表現するよりも、多才でキャパ豊富なヨーコちゃんに支えられつつ、我が過去の青春時代が成り立ち十分に楽ませて頂いことを、お姉様より頂戴するお便りにより今さらながら実感させていただける思いだ。


 そろそろ、“故人の正しい偲び方”と題した今回の「原左都子エッセイ集」の結論に入ろう。

 何だか、こんな死後を迎えたい気になっている私だ。
 「こんな死後」とは、ヨーコちゃんのお姉様と私がヨーコちゃんの突然死の後交わしている文書の数々のごとくの死後である。 
 故人の生前にお会いした事は一度もなかったけれど、今回ヨーコちゃんの突然死を痛み入る思いを共有し、「親族」「友」とお互いの立場は異なるが2人で故人を偲びあう文書を何度も交わす間柄になり幾度となくお便りのやり取りをしているこんな関係…

 おそらく天国に行ったヨーコちゃんが、この2人のやり取りを一番喜んでくれているような気もする。


 自分の死後遺族に盛大な葬儀を挙行させ、その後の法要をも続行することを後世に命じて死に至る人物も未だこの世には数多いことであろう。
 生前の業績が素晴らしければその墓を訪れる後進も存在するのかもしれないが、今の時代、自分からそれを後世に強制してこの世を去る事自体が実にみっともない現実と誰しも判断出来よう。

 そんな中我が友のヨーコちゃんのごとく、死後自然体で生前を語り合ってくれる人物がたとえ少数なりとも存在する事の方が、自分がこの世に生きてきた意義をずっと高く見積もられるように思うのだが…