原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

心臓発作、明日は我が身か?!?

2012年05月08日 | 医学・医療・介護
 今夏開催されるロンドン五輪の競泳平泳ぎで、日本代表 北島康介選手の最大のライバルと目されていたノルウェー代表 アレクサンドル・ダーレオーエン選手が、米国での高地合宿中にホテルの浴室で心不全により急死した。

 このダーレオーエン選手の突然の死を受けて、北島選手はツイッターを通じ 「涙が止まらない。 彼は素晴らしい選手だった。 もう1度闘いたい、それがボクのモチベーションだった。 心に大きな穴があいた。」 と発表したとのことである。
 実にその通りであろう。 世界的アスリートにとって同等の力を維持し切磋琢磨しつつ闘っているライバルの存在とは、何者にも替え難い貴重な存在であることだろう。
 一般市民としても残念の一言である。 4年に一度、世界のトップアスリート達が繰り広げる超人的な闘いを観戦することこそがオリンピックの醍醐味である。 その開催を目前にして金メダルに程近かった選手を失った現実は、ノルウェー国民のみならず世界的規模での痛手であろう。
 
 アスリートの突然死とは、皆さんもご承知の通り上記のダーレオーエン選手に始まったことではない。
 朝日新聞5月3日の記事を参照すると、過去に於いてサッカー選手に同様の突然死が多発しているようだ。 例えば日本においても、昨年8月に松田直樹選手(当時34歳)が急性心筋梗塞で帰らぬ人となっている。 松田選手の場合、サッカーの練習中に「やばい、やばい」と言いながら倒れ込み、心肺停止状態で病院に運ばれた後の他界であったとの報道だ…


 私事に入るが、原左都子にとってこの事態が他人事として片付けられないのには我が DNA に基づく理由がある。
 本エッセイ集バックナンバーに於いても再三綴っているが、我が一族はバリバリの「心臓発作による突然死」家系なのである。
 我が父は69歳にて急性心筋梗塞突然死により他界した。 風邪をこじらせ発熱していたとの事情はあったようだが、前日まで自宅の前庭で植木の手入れをしていた父である。 翌日夜中に突然発作が起き死に至っのだが、前日庭で元気な姿を披露していた父を見かけた近所の人達にとっては、それはそれは驚くべき突然死であったとの談話だ。
 加えて、父の兄弟2人が同じく心不全による突然死を遂げている。 一番若くして亡くなった叔父は、40代で心臓発作を起こしそのまま他界した。 その次に若死の叔父は50代での突然死だった。 そして一番年下の叔父も50代時に心臓発作を起こしたのだが、その場所が幸いな事に職場であったため、その時の周囲の対応が功を奏して一命を取りとめている。(現在も要注意の身ではあるものの…)
 しかも我が母方の祖母も、急性心筋梗塞による病院内での突然死であった。(その治療のための入院中に、母の妹である娘に見守られながらさほど苦しむ事もなく“コトッ”と他界したらしい…)

 上記、原左都子血縁親族の“心不全による突然死者(及び一命を取りとめている)人数”を総計すると、なんと、5名に及ぶのだ!


 普段、自らの医学経験とそれにより培われたポリシーに基づき医療機関を頼る事を避けているこの私も、1年半程前に10日以上に渡って続く不整脈の症状が消滅しない時には、さすがに我が家の主治医である医療機関を訪れた。
 その主治医先生も、やはり我が遺伝子的背景の特異性に注目されたようだ。 これ程多くの身内を心不全による突然死で亡くしている家系は珍しい事であろう。 スクリーニング検査の心電図で若干の異常が検出された私は「ホルター24時間心電図」二次検査と相成った。
 その「ホルター検査」に於いても若干の異常が検出されたのだが、さすが私が主治医として頼っている医師先生の結論の程が素晴らしい。 私がそれでも健康維持のために(当時はダンスとジョギングだったが)それを続けたいと訴えた事に関して 「いいと思いますよ」 と言い切ってくれたのである!

 その我が主治医の力強いお言葉を武器に、私は現在ジョギンクをランニングにまで昇格していずれマラソン大会に出場することを視野に入れている。

 そんな強気の私でも、実はランニング練習中に“ある恐怖”が脳裏にのしかかってくることがある…。
 それこそが我が生まれもったDNAである。
 今現在は何の問題も無く走っている私だが、もしかしたらその負荷が後で心臓にかかるのかもしれない…  ランニング練習をした日の夜中に心不全を起こして私は突然死するのだろうか??  そんな事が脳裏に過ぎり始めると、それがストレスとなりランニングの続行が厳しいのも現実である。
 何せ、原左都子にはまだ守らねばならない娘がいる。 娘のために今後もずっと生き延びて“お抱え家庭教師”を全うするためには、現在ランニングなどしている場合ではないのではなかろうか??  そんな思いもある。

 実際問題、アマチュアのスポーツ大会に於いて心配停止状態になる市民の数も侮れない。
 例えば私が来年の出場を目論んでいる「東京マラソン」に於いても、6年間で5人もの“心肺停止者”を出しているとのことだ!
 いやはや、怖いとしか言いようがない。  ここはやはり自己責任の世界であろう。


 冒頭のごとく、4年に一度の五輪に出場する程の実力を育んで来た世界のアスリートとて心不全により突然死を余儀なくされている現状である。
 もちろん今後トップアスリートを育成するに当たって、この種の事故を防ぐべく医学的進化も問われることであろう。

 今回の我が記事においては、世界のトップアスリートと市民のスポーツ愛好とを同列で語ること自体がナンセンスだったのかもしれない。
 そうであるとしても一般市民の立場として、我が命はやはり自分で守るべく思考行動するしかないとも言えよう。  (と言いつつ、今週も10kmランニングに出かける予定でいる懲りない私なのだが…

おとぎの国の 「コッペリア」

2012年05月06日 | 芸術
 (写真は、2002年5月に東京芝・メルパルクホールに於いて公演された「コッペリア全幕」の一場面。  前列中央が当時小学3年生だった我が娘。 最後列右から2人目は、世界中の数多くのバレエ舞台で長期に渡りご活躍のベテランダンサー マシモ・アクリ氏)


 昨日5月5日、私は娘と共に東京渋谷Bunkamuraオーチャードホールで開催された 松山バレエ団による「コッペリア」を観賞しに出かけた。
 (松山バレエ団の「コッペリア」の写真を掲載しようとあちこち探したのだが残念ながら見当たらないため、冒頭では我が娘が今から遡る事10年前の2002年5月に出演した「コッペリア」の舞台写真を掲載させていただいた。)

 数あるクラッシックバレエ古典名作の中でも、原左都子の一番のお気に入りは 「コッペリア」 であることに関しては、本エッセイ集のバレエ関連バックナンバーにおいて再三触れてきている。  そのため、国内で「コッペリア」の公演がある情報を得るとそそくさと座席を予約して出かけている。

 何故私が 「コッペリア」 ファンであるかに関しても再三述べてきているが、その第一の理由とは、冒頭の写真のごとく幼少の頃よりクラシックバレエを習っている我が娘が(教室の小規模な発表会等を除いて)初めて出演させてもらえた古典全幕ものの本格的舞台がこの作品であり、親として大いに思い入れがあるためだ。
 参考のため述べると、幼い子どもにクラシックバレエを習わせる親の負担とは相当のものがある。 経済的負担の程はともかく、特に舞台に子どもを出演させる場合(その規模が大きい程)、常に稽古やリハーサル会場へ親が付き添わねばならない。  この「コッペリア全幕」の時のその付き添い負担の程は実に厳しかった。 時には学校を早退させねばならない日もあるのだが、それを避けたい私はリハーサル会場に遅刻して娘を連れて行った。 これが既に年長者であるならば許されるが、一番下っ端の端役の娘には許され難き事態だったようだ。 親子共々主宰者よりこっ酷く叱られつつも、とりあえずは「申し訳ございません!」と謝るしか手立てがなかった私だ……

 そんな舞台裏の苦労を一保護者として噛み締めながらも、リハーサル会場の裏に流れてくる「コッペリア」の楽曲の素晴らしさにつられて、その練習風景をこっそりと覗き見したものだ。  何せ、出演者中一番年少組かつ端役下っ端の娘を抱えた立場の親であり、諸先輩保護者の方々から“いじめにも似たご指導”も賜ったものだ。  そんな言われなき屈辱に耐えつつも、心底音楽芸術好きな私とってはリハーサル中にこっそりと覗き見した「コッペリア」という素晴らしい古典作品の威力の方がずっと勝っていたのだ!


 我が娘が2002年5月に出演させていただいた、上記写真のメルパルクホールに於ける「コッペリア全幕」の舞台以降、私は幾度この作品のプロによる舞台を観賞してきたことだろう。
 その回数は自分自身でもカウント不能な程であるが、昨日観賞した松山バレエ団による「コッペリア」はさすが“こどもの日スペシャルバージョン”とのタイトルのごとく、少し特異的な「コッペリア」との感想を抱いた。

 松山バレエ団と言えば、私が過去に於いて一番多く観賞させていただいたのは毎年年末に公開される「くるみ割り人形」である。
 とにもかくにも全国に渡って多大な団員数を抱えている松山バレエ団の場合、その舞台における出演者数もダントツに多い。 常に数十人の出演者が舞台に繰り出して所狭しとダンスやマイムを連続するその絢爛豪華な演出は、オープニングからエンディングまでの一部始終が圧巻である。 これ程の人員数や財力のあるバレエ団とは世界的にも 松山バレエ団 を於いて他にはないのではあるまいか?

 今回の「コッペリア」“こどもの日スペシャルバージョン”も上記「くるみ割り人形」と同様の演出だった。 1幕から3幕に及ぶまで常に舞台に数十人に及ぶ団員ダンサーを配し、(おそらく子どもを飽きさせない配慮と心得るが)団体で踊るコールドバレエを充実させた舞台だった。
 原左都子個人的には、第3幕に於いては1曲ずつの踊りをもう少ししっとりと観賞したかった気がするし、最後の「コーダ」に関しては、1曲毎のダンサーグループを舞台の下手(しもて)から上手(かみて)に順次流した上で、最後に全員で盛り上がった方が更なる舞台の高揚力が演出できたのではないかとも思う。


 そんな「松山バレエ団」から今回入場者に配布された文書の内容がこれまた素晴らしい。
 以下にその文書の内容の一部を端折って紹介しよう。
 「すべての舞台芸術の“前座”にならん」 わたくしたちはこのような心意気のもとに松山バレエ団のもろもろの公演ならびに The Japan Ballet としてのさまざまな形態の公演をおこなっております。  (中略)   わたくしたちが The Japan Ballet というプロジェクトを厳粛に根気よく粘りづよく迫力をもって魂をこめて途絶えることなく続けてゆくことで、先人たちが芸術界にあってともしつづけてきた燈の一端を微力ながら担うことができれば、幸いです。

 最後に原左都子の私論を少しだけ述べると、日本のバレエの歴史を担って発展を遂げてきた“天下”の「松山バレエ団」がこのような内容の文書を記載したチラシを配る世の現実の程も理解できそうに思う。
 クラシックバレエ界も昨今大幅な歴史的変遷を遂げているのが現状であろう。 この私も新進気鋭の様々なクラシックバレエ公演を鑑賞する機会があるため、それを重々認識している。
   

 それにしても、昨日の松山バレエ団による“子どもの日スペシャルバージョン”「コッペリア」は大盛況だった模様だ。
 幼い子どもの観客が多かった今回の舞台において、我が席のお隣に座っていた“プチバレリーナ”と思しき3歳位の可愛らしい女の子も途中ダレてはいたものの、最後まで“おりこうさん”で舞台を楽しんでいたのが何よりである。

 まさに今回の松山バレエ団による「コッペリア」とは、原左都子が表現するに “おとぎの国の「コッペリア」” であり、お隣の席の女の子同様に私も十分に楽しませていただけたのは事実である。

城戸真亜子氏が描く「水」の躍動感 vol.2

2012年05月03日 | 芸術
 (写真は、画家であり女優・タレントでもあられる 城戸真亜子氏 が描かれた油絵作品 “escape” の アートフェア東京2012 限定品として制作されたジグレー版画。  いつもながら原左都子の安カメラと撮影能力の低さ故に、城戸氏のせっかくの大作を歪めて撮影している点をお詫び申し上げます。


 冒頭から話題が大幅にズレるが、本日昼のNHKニュースによるとノルウェーの画家ムンク氏の大作「叫び」が96億円で落札されたとの報道である。 今回落札された作品は、4作ある「叫び」の中でも非公開度が一番高い貴重なバージョンであるらしい。

 美術素人の原左都子としては絵画の値打ちなど到底分かるはずもないのだが、このムンクの「叫び」に関しては“ある私的事情”により少し思い入れがあるのだ。
 その“私的事情”を、我が娘が美大受験を目指して頑張っていた頃である高2の国語の時間に書いた 「ムンクの“叫び”と私の表情」 と題する作文を要約引用することにより以下に紹介しよう。

 私は時々母(原左都子)から、画家ムンクの代表作“叫び”に似た表情になることがあると言われます。 決していつもその表情をしている訳ではなく、家にいる時や親しい人と一緒の場面などではムンクの表情にはなりません。 学校などの集団の中にいる時に“ムンク顔”に変身するようです。 例えば学校参観の時に集団の中にいる私を見た母が、「また“ムンク顔”になっていたね」などと言ってからかうのです。
 中学生になった頃から、自分でも“ムンク顔”になっていることに気付くようになりました。 集団内で緊張したり困惑している時に「あっ、今の私は“ムンク顔”に変身しているぞ」と自覚できるのです。
 話が変わりますが、画家ムンクは存在の不安や恐怖を描いたノルウェーの代表的画家です。 強烈な色彩と流動する曲線がムンクの絵画の特徴ですが、そのムンク独特の筆のタッチが代表作“叫び”の作品においても強烈に表現されています。 登場人物の表情や周囲の風景に不安感や恐怖感が醸し出されていて見応えがあります。
 私の“ムンク顔”の場合、ムンクの作品程の強烈さはなく弱々しいのですが、やはり不安感や若干の恐怖心が私の内面から出てこの顔の表情を創り上げてしまうのだと思います。
 ただ、私はムンクの“叫び”をはじめムンクの作品が嫌いではありません。 自分が“ムンク顔”になるせいかもしれませんが、ムンクの作品にはユーモラスな雰囲気も感じられて親しみを抱きます。 美術館でムンクの作品を発見すると何だかうれしくなるような気さえします。
 なるべく“ムンク顔”にならないようにしたいですが、“ムンク顔”になる部分も私の個性の一つであると思います。 今後もっと成長できたら、私の表情から“ムンク顔”が減ってゆくのかもしれません。 ですが、今は“ムンク顔”を否定せずにこれも自分の個性の一部であることを受け入れつつ、私らしく自然体でいたいと思います。
 (以上、我が娘の作文より要約引用。 母である原左都子の“子どもの個性を肯定する”との教育ポリシーを、何ともよく理解しつつ育っている我が娘の一面を披露させていただいた。)

 本日もNHKのニュースを見つつ、「ムンクの“叫び”は96億円で落札されたらしいよ! あなたの将来の価値もそれくらいに評価されるといいね!」などといい加減なコメントをした私に対し、後ろで半ばまんざらでもなさそうに笑っていた我が娘である…


 さてさてムンク「叫び」に関する私事の引用が長引いてしまったが、いよいよ表題に掲げた 城戸真亜子氏の作品について語ろう。

 去る3月29日に私が 「アートフェア東京2012」を訪れたことに関しては、3月末の本エッセイ集に於いて既に綴った。  当該アートフェアを訪問するきっかけをいただけたのは、美術家及びギャラリー主宰者としてご活躍の 長はるこ氏 よりその招待状を頂戴したことによる。(長はるこ氏のHPへは左欄ブックマークの“B-gallery"よりお入り下さい。)
 3月のアートフェア東京に於いて、長はるこ氏は「城戸真亜子氏、瓜生剛氏、長はるこ氏の3人展」とのテーマでご自身が主宰する“B-gallery"を出展されていた。 その中でも、長はるこ氏が今回ギャラリー出展のメインに位置付けられていた 城戸真亜子氏の “YUKA-③” と題する油絵大作が展示室に燦然と輝いている風景は、我が目にも壮絶な印象だった。 
 その大作に見とれている私に「こんばんは」と優しくお声を掛けて下さる城戸真亜子氏である。 私は恐れ多くも「事前にパンフレットでも拝見していましたが、この(正面の)作品は素晴らしいですね!」などと切り出した。 その後も次々と(ヘボい)質問を繰り返す私に対して、城戸真亜子氏は画家の立場としてきちんと返答を重ねて下さるのだ。  城戸真亜子氏のご返答の一部を紹介するならば、「この作品は私が“水”の躍動感を描いた作品です。」 「絵のモデルとしては19歳の女性を描いています。」 「まさに19歳の彼女には若き力があるが故にその前進力を水の躍動感に転化して描きたかった作品です。」等々… (記憶のみに頼っているため、不正確な部分がありましたらお詫び申し上げます。)
 芸術素人の原左都子の視線からしても、城戸真亜子氏の作品に於いて描かれている「SWINNING POOL」の中で19歳の少女(女性)の動きに応じて波立つ水面の“躍動感”の描写の程は素晴らしいと感じさせていただけた。
 我が娘が出生以来苦難の歴史を超えて現在18歳となり、来週4月には大学へ入学可能とまでに躍進を続けている事実が我が脳裏に重複するからであろうか??
 (以上は3月に綴った本エッセイ集バックナンバーよりアレンジしつつ引用。)


 上記 アートフェア東京 会場で、(冒頭掲載写真の解説通り)城戸真亜子氏制作油絵“escape”の“ジグレー版画”版を購入させていただいた我が親子である。
 受注制作であるその絵画の仕上がりを心待ちにさせて頂いていたにもかかわらず、こちらのプライベート上の混乱により、長はるこ先生のギャラリーにしばらくお預かり願う手立てとなっていた。
 今に至って尚、諸事情による心身的打撃によりいつもの健全状態が完全復活したとは言えない原左都子であるが、娘が楽しみに待っている城戸真亜子氏の“escape”の作品をGW休暇に入る前に是非共自宅に飾りたいと志したのだ。
 そして一昨日、その作品を自宅に持ち帰らせていただくことと相成った。
 
 やはり素晴らしい! 
 19歳の女性がプールで水をかき分けるその躍動感が、波立つプールの青く美しい水面の動きと共に力強く表現されている作品であると改めて感じさせていただいた。

 ムンク作“叫び”の表情が大学生になった今尚完全には消え去らない我が娘であるが、この城戸氏による“escape”の作品を真っ先に好んだのも我が娘である。
 おそらく我が子も今後共にプールの水をかき分けるがごとく娘なりの“躍動感”を水面下に秘めながら、少しずつ前進してゆくことであろう。