今夏開催されるロンドン五輪の競泳平泳ぎで、日本代表 北島康介選手の最大のライバルと目されていたノルウェー代表 アレクサンドル・ダーレオーエン選手が、米国での高地合宿中にホテルの浴室で心不全により急死した。
このダーレオーエン選手の突然の死を受けて、北島選手はツイッターを通じ 「涙が止まらない。 彼は素晴らしい選手だった。 もう1度闘いたい、それがボクのモチベーションだった。 心に大きな穴があいた。」 と発表したとのことである。
実にその通りであろう。 世界的アスリートにとって同等の力を維持し切磋琢磨しつつ闘っているライバルの存在とは、何者にも替え難い貴重な存在であることだろう。
一般市民としても残念の一言である。 4年に一度、世界のトップアスリート達が繰り広げる超人的な闘いを観戦することこそがオリンピックの醍醐味である。 その開催を目前にして金メダルに程近かった選手を失った現実は、ノルウェー国民のみならず世界的規模での痛手であろう。
アスリートの突然死とは、皆さんもご承知の通り上記のダーレオーエン選手に始まったことではない。
朝日新聞5月3日の記事を参照すると、過去に於いてサッカー選手に同様の突然死が多発しているようだ。 例えば日本においても、昨年8月に松田直樹選手(当時34歳)が急性心筋梗塞で帰らぬ人となっている。 松田選手の場合、サッカーの練習中に「やばい、やばい」と言いながら倒れ込み、心肺停止状態で病院に運ばれた後の他界であったとの報道だ…
私事に入るが、原左都子にとってこの事態が他人事として片付けられないのには我が DNA に基づく理由がある。
本エッセイ集バックナンバーに於いても再三綴っているが、我が一族はバリバリの「心臓発作による突然死」家系なのである。
我が父は69歳にて急性心筋梗塞突然死により他界した。 風邪をこじらせ発熱していたとの事情はあったようだが、前日まで自宅の前庭で植木の手入れをしていた父である。 翌日夜中に突然発作が起き死に至っのだが、前日庭で元気な姿を披露していた父を見かけた近所の人達にとっては、それはそれは驚くべき突然死であったとの談話だ。
加えて、父の兄弟2人が同じく心不全による突然死を遂げている。 一番若くして亡くなった叔父は、40代で心臓発作を起こしそのまま他界した。 その次に若死の叔父は50代での突然死だった。 そして一番年下の叔父も50代時に心臓発作を起こしたのだが、その場所が幸いな事に職場であったため、その時の周囲の対応が功を奏して一命を取りとめている。(現在も要注意の身ではあるものの…)
しかも我が母方の祖母も、急性心筋梗塞による病院内での突然死であった。(その治療のための入院中に、母の妹である娘に見守られながらさほど苦しむ事もなく“コトッ”と他界したらしい…)
上記、原左都子血縁親族の“心不全による突然死者(及び一命を取りとめている)人数”を総計すると、なんと、5名に及ぶのだ!
普段、自らの医学経験とそれにより培われたポリシーに基づき医療機関を頼る事を避けているこの私も、1年半程前に10日以上に渡って続く不整脈の症状が消滅しない時には、さすがに我が家の主治医である医療機関を訪れた。
その主治医先生も、やはり我が遺伝子的背景の特異性に注目されたようだ。 これ程多くの身内を心不全による突然死で亡くしている家系は珍しい事であろう。 スクリーニング検査の心電図で若干の異常が検出された私は「ホルター24時間心電図」二次検査と相成った。
その「ホルター検査」に於いても若干の異常が検出されたのだが、さすが私が主治医として頼っている医師先生の結論の程が素晴らしい。 私がそれでも健康維持のために(当時はダンスとジョギングだったが)それを続けたいと訴えた事に関して 「いいと思いますよ」 と言い切ってくれたのである!
その我が主治医の力強いお言葉を武器に、私は現在ジョギンクをランニングにまで昇格していずれマラソン大会に出場することを視野に入れている。
そんな強気の私でも、実はランニング練習中に“ある恐怖”が脳裏にのしかかってくることがある…。
それこそが我が生まれもったDNAである。
今現在は何の問題も無く走っている私だが、もしかしたらその負荷が後で心臓にかかるのかもしれない… ランニング練習をした日の夜中に心不全を起こして私は突然死するのだろうか?? そんな事が脳裏に過ぎり始めると、それがストレスとなりランニングの続行が厳しいのも現実である。
何せ、原左都子にはまだ守らねばならない娘がいる。 娘のために今後もずっと生き延びて“お抱え家庭教師”を全うするためには、現在ランニングなどしている場合ではないのではなかろうか?? そんな思いもある。
実際問題、アマチュアのスポーツ大会に於いて心配停止状態になる市民の数も侮れない。
例えば私が来年の出場を目論んでいる「東京マラソン」に於いても、6年間で5人もの“心肺停止者”を出しているとのことだ!
いやはや、怖いとしか言いようがない。 ここはやはり自己責任の世界であろう。
冒頭のごとく、4年に一度の五輪に出場する程の実力を育んで来た世界のアスリートとて心不全により突然死を余儀なくされている現状である。
もちろん今後トップアスリートを育成するに当たって、この種の事故を防ぐべく医学的進化も問われることであろう。
今回の我が記事においては、世界のトップアスリートと市民のスポーツ愛好とを同列で語ること自体がナンセンスだったのかもしれない。
そうであるとしても一般市民の立場として、我が命はやはり自分で守るべく思考行動するしかないとも言えよう。 (と言いつつ、今週も10kmランニングに出かける予定でいる懲りない私なのだが…)
このダーレオーエン選手の突然の死を受けて、北島選手はツイッターを通じ 「涙が止まらない。 彼は素晴らしい選手だった。 もう1度闘いたい、それがボクのモチベーションだった。 心に大きな穴があいた。」 と発表したとのことである。
実にその通りであろう。 世界的アスリートにとって同等の力を維持し切磋琢磨しつつ闘っているライバルの存在とは、何者にも替え難い貴重な存在であることだろう。
一般市民としても残念の一言である。 4年に一度、世界のトップアスリート達が繰り広げる超人的な闘いを観戦することこそがオリンピックの醍醐味である。 その開催を目前にして金メダルに程近かった選手を失った現実は、ノルウェー国民のみならず世界的規模での痛手であろう。
アスリートの突然死とは、皆さんもご承知の通り上記のダーレオーエン選手に始まったことではない。
朝日新聞5月3日の記事を参照すると、過去に於いてサッカー選手に同様の突然死が多発しているようだ。 例えば日本においても、昨年8月に松田直樹選手(当時34歳)が急性心筋梗塞で帰らぬ人となっている。 松田選手の場合、サッカーの練習中に「やばい、やばい」と言いながら倒れ込み、心肺停止状態で病院に運ばれた後の他界であったとの報道だ…
私事に入るが、原左都子にとってこの事態が他人事として片付けられないのには我が DNA に基づく理由がある。
本エッセイ集バックナンバーに於いても再三綴っているが、我が一族はバリバリの「心臓発作による突然死」家系なのである。
我が父は69歳にて急性心筋梗塞突然死により他界した。 風邪をこじらせ発熱していたとの事情はあったようだが、前日まで自宅の前庭で植木の手入れをしていた父である。 翌日夜中に突然発作が起き死に至っのだが、前日庭で元気な姿を披露していた父を見かけた近所の人達にとっては、それはそれは驚くべき突然死であったとの談話だ。
加えて、父の兄弟2人が同じく心不全による突然死を遂げている。 一番若くして亡くなった叔父は、40代で心臓発作を起こしそのまま他界した。 その次に若死の叔父は50代での突然死だった。 そして一番年下の叔父も50代時に心臓発作を起こしたのだが、その場所が幸いな事に職場であったため、その時の周囲の対応が功を奏して一命を取りとめている。(現在も要注意の身ではあるものの…)
しかも我が母方の祖母も、急性心筋梗塞による病院内での突然死であった。(その治療のための入院中に、母の妹である娘に見守られながらさほど苦しむ事もなく“コトッ”と他界したらしい…)
上記、原左都子血縁親族の“心不全による突然死者(及び一命を取りとめている)人数”を総計すると、なんと、5名に及ぶのだ!
普段、自らの医学経験とそれにより培われたポリシーに基づき医療機関を頼る事を避けているこの私も、1年半程前に10日以上に渡って続く不整脈の症状が消滅しない時には、さすがに我が家の主治医である医療機関を訪れた。
その主治医先生も、やはり我が遺伝子的背景の特異性に注目されたようだ。 これ程多くの身内を心不全による突然死で亡くしている家系は珍しい事であろう。 スクリーニング検査の心電図で若干の異常が検出された私は「ホルター24時間心電図」二次検査と相成った。
その「ホルター検査」に於いても若干の異常が検出されたのだが、さすが私が主治医として頼っている医師先生の結論の程が素晴らしい。 私がそれでも健康維持のために(当時はダンスとジョギングだったが)それを続けたいと訴えた事に関して 「いいと思いますよ」 と言い切ってくれたのである!
その我が主治医の力強いお言葉を武器に、私は現在ジョギンクをランニングにまで昇格していずれマラソン大会に出場することを視野に入れている。
そんな強気の私でも、実はランニング練習中に“ある恐怖”が脳裏にのしかかってくることがある…。
それこそが我が生まれもったDNAである。
今現在は何の問題も無く走っている私だが、もしかしたらその負荷が後で心臓にかかるのかもしれない… ランニング練習をした日の夜中に心不全を起こして私は突然死するのだろうか?? そんな事が脳裏に過ぎり始めると、それがストレスとなりランニングの続行が厳しいのも現実である。
何せ、原左都子にはまだ守らねばならない娘がいる。 娘のために今後もずっと生き延びて“お抱え家庭教師”を全うするためには、現在ランニングなどしている場合ではないのではなかろうか?? そんな思いもある。
実際問題、アマチュアのスポーツ大会に於いて心配停止状態になる市民の数も侮れない。
例えば私が来年の出場を目論んでいる「東京マラソン」に於いても、6年間で5人もの“心肺停止者”を出しているとのことだ!
いやはや、怖いとしか言いようがない。 ここはやはり自己責任の世界であろう。
冒頭のごとく、4年に一度の五輪に出場する程の実力を育んで来た世界のアスリートとて心不全により突然死を余儀なくされている現状である。
もちろん今後トップアスリートを育成するに当たって、この種の事故を防ぐべく医学的進化も問われることであろう。
今回の我が記事においては、世界のトップアスリートと市民のスポーツ愛好とを同列で語ること自体がナンセンスだったのかもしれない。
そうであるとしても一般市民の立場として、我が命はやはり自分で守るべく思考行動するしかないとも言えよう。 (と言いつつ、今週も10kmランニングに出かける予定でいる懲りない私なのだが…)