原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「ハタチは一生もの」、娘の晴れ姿は必見!

2012年11月17日 | 自己実現
 表題は、再来年20歳を迎える我が娘の「成人式」の晴れ姿を、娘18歳の今から楽しみにしている“馬鹿親”ぶりを披露したもので恐縮である。


 冒頭から話題が変わるが、先程読んだ本日(11月17日)朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、50代女性による 「息子を捨てていいですか?」 だった。

 現在大学1年生の我が娘が日々順調に学業に励んでいる姿を傍らに、娘の「お抱え家庭教師」としての職務が大幅に軽減した現状の下、一時余裕に浸っている我が脳を一瞬にして叩き起こしてくれるような相談である。

 早速、上記 “悩みのるつぼ” の相談内容を以下に端折って紹介しよう。
 相談者である契約会社員50代半ばの女性の息子さんは現在30歳手前であるそうだが、この息子さんが大学卒業後就退職を繰り返し、実質働いた期間は3年程であるらしい。  仕事を覚える努力をするでもなく、家ではゲームと出会い系サイトに夢中。 会社で嫌な事があると途端に家に閉じこもり、すべてを他人のせいにする。 母である相談女性はそんな息子氏の現実に悩み様々な努力をした挙句、息子を捨てるのが親の愛情ではないかと腹をくくる覚悟までしかかっているようだ。  夫は定年で家にいる。 女性自身は来年3月で契約社員の契約が切れる。  それを機に家族解散宣言をしようとも思うが、これは単に相談者である自分が楽になりたいというエゴだろうか? 

 今回の“悩みのるつぼ”回答者は評論家の岡田斗司夫氏であられるが、岡田氏なりの人生経験に基づいた興味深い回答をしておられる。
 それに関しては朝日新聞紙面でお読みいただければ幸いだ。


 (娘と息子の違いはあれども)上記相談者と似た年代かつ家族構成である原左都子の私論を、ここで述べる事としよう。

 この相談内容、今後社会人として世に進出する子を持つ我が身としても、現世社会に放り出された若者が置かれるべく厳しい現実を目の当たりにする思いで、かなりショックだ。
 何分、我が娘は今現在未だ大学1年生。 推薦合格で大学現役入学し、その後も比較的順調に学業に励んでいる姿に一時安穏としている現在の私だが、この先就職活動期に入ったならば我が子は果たしてその戦線に打ち勝っていけるのだろうか???  そういう意味でも、上記相談内容は“明日は我が身”とも捉えられ空恐ろしい思いである。

 だが、もしかしたら子どもが(特に一人っ子の場合)「息子」か「娘」かの違いは大きいのかもしれない。
 昔から“女の子は育て易い”との迷信もある。  私など産んだ子が「娘」であったことにどれ程喜び安堵した事であろう。 正直なところ“同士”あるいは“友”のような位置付けで娘を育てている感覚もある。
 
 加えて、子どもが持って生まれたDNAの違いも多大であるかもしれない。
 我が娘の場合は生まれ持った性質が(父親譲りで)実に素直かつ従順であるのに加え、(私譲りの?)努力家気質でもある事は幼少の頃より見抜いていた。(要するに両親の良い所ばかり受け継いでいる娘なのだが。)
 上記相談者の息子さんは果たしてどうだったのかに関して私には計り知れないが、相談内容から推測する限りでは大学卒業まではこれといった問題はなかったようにも受け取れる。

 そして私が一番問いたいのは、息子さんに接してきた母である相談者の現在までの教育力及び家族の歴史であり、また現在の家族関係の様相である。
 息子さん大学卒業後の相談者一家の家族関係が多少気に掛かる。

 親が子どもに施す教育の最終目標とは、社会人としての自立を見届ける事であろう。
 ところが、相談者の息子さんとは社会人となって以降、就退職を繰り返しつつ30歳に近づいているとの事だ。
 だがこの相談に限らず、せっかく大卒でゲットした就職先をわずかな期間で退職する事例は現在少なくない様子だ。 人間の人生模様が多様化している現在、その現象自体を非難したところで埒が明かないことも子を持つ親として重々自覚している。


 それでは、この厳しい時代に親とは子ども自立に向けて何をしてやればいいのだろう?

 原左都子の場合、娘幼少の頃より「お抱え家庭教師」として家庭内で常に身近に子どもと接している事が功を奏しているようだが、現在に至って尚娘より絶大な信頼を得ている感がある。

 そんな親子関係において、(原左都子の趣味により)「外見」にもとことんこだわる教育を重ねて来た一環として、表題のごとく大学在学中の再来年の「成人式」には“晴れ着”を着ることを母娘共々実に楽しみにしているのだ。 
 「成人式」など取るに足りない儀式であることは重々承知の上だが、この種の伝統行事を利用して我が子を活気付ける手段も、良好な親子関係を築くに当たり有効であるのではなかろうか。
 
 今回の表題の 「ハタチは一生もの」 とのキャッチコピーは、成人式の晴れ着提供を業としている某民間業者が、もう半年程前より我が家の娘宛に幾度となく届けてくるパンフレット内で発見した一文である。
 このコピーには、現在還暦に近づきつつある原左都子も感動させられる。
 特に女の子にとっては、まさに「ハタチ(のお祝い)は一生もの」であろうと今更実感する思いだ。 (何分、我が親の極端に合理的な歪んだ思想により、私は一番の花の時期の「ハタチのお祝い」を一切してもらっていない。 )


 私が来たるべく娘の成人式を祝いたい事と、“悩みのるつぼ”相談者の息子氏が置かれている現状には何らの相関関係はないかもしれない。
 ただ、子どもとはほんのちょっとした親の配慮により愛情を感受し、今後自らの人生を再築するきっかけを掴み取るような気もする。

 いやいや、もしかしたら(少し過保護気味の原左都子の娘こそが)今後の人生を誤るのかもしれないし…… 
 それでも娘よ、就職活動はさておき、ハタチになった暁にはそのお祝いに晴れ着を着よう!

民主党政権落日

2012年11月15日 | 時事論評
 思い起こす事今からわずか3年少し前の2009年8月、衆院総選挙に於いて民主党が圧勝し、歴史的政権交代を果たした事は皆さんご周知の通りだ。
 その選挙前哨戦段階から、原左都子は民主党に嫌悪感を抱き続けている。


 当時、国内が “打倒自民党” “歴史的政権交代” に向けて否応なしに盛り上がりを見せる中、民主党の 「カネのバラ撒き公約」 及び小沢氏による 「得体の知れないチルドレン擁立による形だけの票集め」 等々、民主党の姑息な戦法が許し難い思いだった。 
 (参考のため、原左都子は決して自民党も支持しておらず、あくまで無党派層です。)

 しかも、どう考察しても民主党マニフェスト内容の実行不確実性の程が甚だしい。   「カネのバラ撒き公約」に安易に釣られ、こんな似非マニフェストを信用して大量票を投入せんとしている国民の単純馬鹿さ加減に実に辟易とさせられたものだ。

 そうしたところ案の定、民主党政権発足当初よりマニフェスト総倒れの連続の日々である。
 自民党政権がお得意だったゼネコン癒着公共事業撤廃のスローガンの下、一番先に槍玉に上がった八ッ場ダム建設中止民主党公約に関しては、その後結局建設続行と相成り現在も建設中のようだ。
 まもなくして政権初代首相の鳩山由紀夫氏及び当時幹事長だった小沢一郎氏の 「政治とカネ」 問題が表面化し、政権内が混乱を極めることと相成る。
 さらには 「少なくとも県外」 と選挙公約した普天間基地移設問題もその後迷走を続け、現在尚その決着を得ていないどころか、先だってのオスプレイ普天間強制配備等々沖縄基地問題は悪化の現状だ。
 これでは民主政権支持率が急落するのもやむを得ないと思ったら、当時の鳩山内閣は歴史的短命にして無責任にも総辞職、そして数多くの問題を孕みつつその後菅内閣にバトンタッチと相成る。

 原左都子個人的には、菅直人氏の政治家ポリシーを比較的好意的に捉えていたのに加えて、官房長官に枝野氏を指名した菅内閣に多少の期待を抱いた。
 ところが何と不幸にも菅政権の下、我が国は2011年3月歴史的大震災に見舞われる。
 当時の菅政権の震災直後の対応(特に福島原発事故に関して)を、今現在も各方面が責め続けているようだが、私に言わせてもらうと震災直後の切羽詰った場面における対応は、菅・枝野体制だったからこそ最小限の被害に食い止められたのではないかと考察するのだ。 この大震災がもしも鳩山あるいは野田政権下にて勃発していたならば、如何なる政治家としてのポリシーがあるのか不明の両人共に、何の政治統制力も発揮できなかったのではないかと今でも空恐ろしい思いである。 (ついでに言うと、前自民党政権下に於いても同様の失態だった事であろうと私は考察している…。)

 そして、民主党政権は野田首相に移り変わった。
 野田氏ご本人が当初自称していた“どじょう内閣”の名称通り、政権奪取当初の“政治主導”理念はすっかり何処かへ消え去り、全面“官僚主導”にのらりくらりと移り変わる…
 野田氏とは確かに(メディアが取材をしているという意味合いでの)公的場面において、国民の前では失言等の失敗はないのかもしれない。  ところが原左都子に言わせてもらうと、政治家としての確固たるポリシーが一端も感じられない人物である。
 確かに政治家とは失言をすれば各方面から叩かれる運命にあろうが、それにしても失言すらしなければ誰でもいい訳があるはずもない。
 結局野田氏との人物とは、2009年政権奪取直後の民主党マニフェストであった 「政治主導」(所詮その実行力は民主党政権にはなかったのだが) を自らの政治力の無さ(あるいは身近な官僚より指導される事)により180度方向転換して、 「官僚依存」 政策を表向き大々的に実行するしか自らの政治家生命を繋げなかったのであろう。 その最たるものが昨今話題になっている「消費税増額導入」だったのだろうが…


 昨日11月14日の党首会談で、民主党 野田首相は明日16日に衆院を解散する方針を表明した。  その後の政府・民主三役会議に於いて 「12月4日公示、12月16日投開票」 の日程を決めたとの報道だ。
 野田政権の急転を受けて、年内の衆院解散・総選挙を求めてきた自民・公明両党では、驚きと歓迎の声が上がったらしい。

 一方、民主党内には早期解散への反対論が根強く、離党者が少なからず出ているとの報道でもある。

 片や、野田政権が近いうちに崩壊するであろうことを視野に入れての次期政権奪取に向けた外野種々雑多の動きは、半年前以前より凄まじいものがある。


 長年続いたが余りに世襲や各界との癒着等の歪みを抱えた政権(自民党のことだが)が、長年月に渡ってその温床に浸かり切る事に免疫が出来てしまい、それを自らの当然の権利と勘違いし平然と政権を維持する現実にはもちろん辟易とさせられる。

 かと言って、(民主党のことだが)歴史的政権変換のためにその手段として 「庶民へのカネバラ撒き」 等短絡的マニフェストを掲げ安直に票を集めて許される訳もない。

 はたまた、それも潰れ去る事をいい事にして、少しばかりメディアで名が売れたまたま政治家にまで上り詰めた奴等(想像にお任せします)が、合流・結託・連携の手段によりこれまた安易に「票集め」をしようとの馬鹿げた魂胆にもウンザリだ。


 この国、一体どこに行こうとしているのだろう??? 

ロードレース5km 自己新で完走しました!

2012年11月12日 | 自己実現
 原左都子が長距離走競争大会に出場するのは今回が2度目となる。(長距離とはいってもランニング初心者の私の場合、距離が短い競技へのエントリーに過ぎないのだが。)

 その記念すべき第1回目は、当エッセイ集先月のバックナンバー 「『一般女子3000m競技』を完走しました!!」 に於いて公開している。
 今回は秋も深まった頃の大会であるし、前回よりも距離が若干長い5kmにエントリーしていたという訳だ。

 前回の3000m出場時も、台風が直撃直前との不確実性の高いコンディションだったものだ。(実際には台風直前の残暑炎天下状態での競技と相成ったのだが…) 
 今回も天候の予想がつきにくい状況下でのレーススタートとなりそうだ。 数日前より天気予報を確認しつつ、どうか当日雨天にならないようにとばかり祈る思いだった。 何分アマチュアランナーとして至って経験が浅い私だ。 たった一度だけ小雨の中ランニング練習をした事はあるものの、本降り状態での練習経験は皆無だ。 しかも、晩秋にして肌寒い状況下で雨に打たれた場合の体調の予想がつきにくい。


 さてさてそんな我が天候懸念の中、レース当日の朝を迎えた。

 その朝が爽やかな訳などあり得ず、特に初心者には現実問題として数日前より緊張及び不安ばかりが押し寄せてくるのが正直なところであろう。 
 レースの3日程前から夜な夜な苦しい夢に苛まれる日々だった… 
 例えばレース途中にトイレに行きたくなるのだが、これが長蛇の列だったり、やっとトイレを探し当てれば使用禁止だったりの夢とか…
 あるいは今回の大会の場合、タイムを正確に計測するため“RSタグ”をシューズに装着するシステムが採用されていたのだが、それが初体験の私である。 夢の中でこのタグがレース中に何度も外れて、それを付け直すのに死ぬ思いだったりとか…
 更には、スタートの集合場所が分からず(これは実際に前回の大会で主宰者側の競技場内のアナウンスがまったく聞こえず、集合場所へ辿り着くまでに相当の体力を費やしてしまった苦い経験をしたのだが。)、やはり集合場所へ行くまでに何キロも走るはめになって疲れ果てる夢とか…

 眠れぬ夜を数日過ごした私も、当日朝にはアマチュアランナーとして覚悟を決めるしかない。 せっかくエントリーして出場可能となっているロードレースだ。
 現在の自我を公に表出可能な一舞台として、都内光が丘公園で最大限のパフォーマンスをして来ようと開き直った原左都子でもある!

 そんな自意識強靭な私にとって一番の味方につけてくれたのは、レース時の天候だった。  曇天で肌寒くそして風がほとんど吹いていない。 これは私が一番に望む天候条件であり実にラッキーだった。
 今回はある程度規模が大きい大会のようだが、前回とは異なり出場者の集合場所が分かり易くその誘導も的を射ていた。

 
 そして、私は5kmロードレースのスタートラインに立つ。
 今回のレースの場合、名目上は男女年齢別グループ分けがなされている(参考のため原左都子は「40歳以上女子」の部にエントリーしている)のだが、総勢500名程のランナー全員一斉スタートと相成った!!

 比較的前方のスタートラインに位置していた私だが、スタート直後おそらく10mにも達しない間に、俊足ランナーに次々と追い越される。  これは想定内だ。 初心者の私が“レースつわもの”どもに勝てる訳もない。
 その後も100mも行かないうちに、一体何百人のランナーに追い越されただろう。  それでも私は普段練習している自分のペースを維持することに集中した。 むしろ前半で崩れるよりも「完走」目指し最後までマイペースを貫く意志は強かった。

 今回の5kmロードレースは光が丘公園内を2周する周回コースなのだが、1周目のタイムを腕時計で確認するといつもの練習時より早いペースだ! 自分の感覚では1周目は自重していたつもりなのにこのタイムは予想外にうれしい!  
 かと言って、後半こそが残された体力勝負である事に関して重々承知の上でもある。
 それでも、光が丘公園の自然に満ち溢れた背景が私を救ってくれる。 (参考のため、光が丘公園とは樹木自然保護ゾーンもあれば、バードサンクチュアリーも存在する自然に恵まれた市民の公園である。)

 2周目の“樹木自然保護ゾーン”に入った辺りから、私は少し活性化した。 その樹木のお陰で、苦しいながらも前を行くランナーを少しずつ追い抜いてみようかとの発想が出る程の余裕を持てた。
 それまで私は全集団の後方に位置していると自己判断していたのだが、そうでもないかもしれないとの推測も可能となった。 だがそれにしてもランナーとしての経験が全く足りない自分を慮るべきでもある。 前を走るランナー達の様相を観察しながらの追い抜き合戦と相成る。
 正直なところ周囲のランナー達の中で私自身が一番体力尽き果てていると自覚しつつも、最後の1kmに差し掛かるまでに男性も含めて10人ほどのランナーを抜き去った!
 ところが残念な事に、ゴールである陸上競技場に入った残り300m地点で女性3人に逆転された時には、もう力尽きていた…


 その結果は、上記写真の「完走証」に於いて披露している。 写真不鮮明であるためここで今一度復唱させていただこう。
 昨日のロードレース5kmの原左都子の記録は “30分45秒”。
 5km女子40歳以上 の部に於けるゴール着順位は “62位 / 106名。”  補足説明させていだだくと、40歳以上の部女性ランナー内で原左都子は高齢順で言えば106名中の11番目である。
 しかも私は初心ランナーであることも勘案すると、今回の記録とは(有森裕子氏ではないが)「自分を褒めたい!」とも思えたりもするのだ。

 それはともかく、日頃の練習のみでは得られない結果と満足を公開競技がもたらしてくれる事実を、今回もロードレースに出場したことで実感である。


 今後アマチュアランナーとしてどこまで自己新タイムを伸ばせるかに関しては、若い時期よりランナーの基礎をまったく積み重ねていない私故に、その先は見え透いているのかとも考察している。
 
 それでも上記に述べた通り、原左都子の一人間としての自己表現の一舞台として、今後もこのようなロードレースの端っこに参加させていただくことが叶うならば、大変うれしいと思える次第だ。

和田アキ子の身長が5cm低かったら…

2012年11月10日 | 自己実現
 我が娘が小学校高学年頃(今から7、8年前)の話だが、私が化粧中の顔を覗き見して「名前が分からないけど、どなたかの歌手に似ている」と言い始めたのだ。

 (ん? ちょっと勘弁してよ。 どうせ美人ではない歌手に似てるとでも言いたいんでしょ??) と警戒しつつも平然さを装い、「それはお母さん位の年齢の歌手かな?」と尋ねたところ、やはりそうであるらしい。
 という事は、「結構ベテランの歌手だよね?」と再び警戒しながら尋ねると、「たぶんそうだと思う。 その人がテレビ番組でリサイタルをやっていたのを見た事がある。」と答えるではないか。
 テレビ番組でリサイタルを挙行できる女性歌手と言えば、ごくごくベテランの歌手に絞り込むことが可能だ。

 そこで私なりに、テレビリサイタル実行可能な「大物」女性歌手を何人が思い浮かべてみた。
 一番に我が脳裏に浮かんだのが、和田アキ子氏である。 
 実は私は和田アキ子氏の隠れファンなのだが、特に氏の持ち歌の一つである 「古い日記」 は、いつ聴いてもビートの効いたノリのよさがビシバシと五臓六腑に染み渡る程の名曲と評価させていただいている。 現在に至っても、原左都子のカラオケ十八番の一曲でもある。
 私にとって和田アキ子氏とは、日本人女性としては珍しい程の特異的歌唱力の持ち主であれば、これまた特異的に長身で還暦過ぎてもスタイルの良さを保たれている何ともカッコイイ存在である。 その和田氏にもしも似ているならば至って光栄なのだが、まさかそんなはずがある訳はない。 やはり娘の答えは、「私も和田アキ子は知ってるけど、そうじゃないよ」とのことだ…

 次に思い浮かんだのは 天童よしみ氏 であるが、この方はどう考察しても原左都子の外見及び雰囲気とは程遠い…。 そうしたところ、やはり娘も「天童よしみも知ってるけど、それも違う」との事だ。

 幼き日の娘が母である私がどんな大物女性歌手に似ていると感じたかなど、どうでもよい命題ではあるものの、話のついでにその答を暴露すると、以外や以外、美空ひばり氏 だったのだ。
 この根拠を直ぐに見抜いた私だ。 決して一見すると私と美空ひばり氏は全く似ていない。 であるのに何故我が娘が“似ている”と判断したのかの種明かしをすると、顔の輪郭が似ているのだ。
 当時、私が化粧中だったとのことを思い浮かべていただくと話は簡単だが、化粧をする時とは前髪も含めて髪の毛をヘアバンドで後ろへ固定して、顔全体を塗りたくる作業である。  その時の私の顔の輪郭が、確かに若死される直前のリサイタルで「川の流れのように」を熱唱していた美空氏に似ていると私も納得した次第である…。


 ずい分と前置きが長くなってしまったが、今回の「原左都子エッセイ集」のテーマとしてターゲットとした対象は 和田アキ子氏 だ。

 何故今回和田アキ子氏を取り上げたくなったのかと言うと、昨日昼間のNHKテレビ番組「スタジオパーク」のゲストが和田氏であったからに他ならない。
 氏に関しては、その特異的な歌唱力と長身故に16歳にしてのデビュー当時より目立った存在であったと私は記憶している。

 ここでウィキペディア情報を少し紹介すると、和田アキ子氏とは小学5年生の頃より洋楽に触れ、15歳の時には既に173cmの長身から発せられるパワフルな歌声が評判を呼んでいたらしい。 当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」との事だったようだが、昨日のNHK「スタジオパーク」に於いて、その意味合いを専門的観点から和田氏自らが解説した内容も興味深かった。

 さらに昨日の「スタジオパーク」内で、和田アキ子氏が2008年にニューヨークのアポロ・シアターで、単独公演を行った話題をご自身の快挙とされているトークが興味深かった。 和田氏曰く、これは日本のみならずアジアの“ソロ歌手”としての単独公演として初となる出来事だったとのことだ。 (今夜7時半よりNHKBSテレビにおいて、その影像が公開されるらしいが)
 その予告影像を垣間見ながら、恐る恐る語る和田氏のコメントがまた素晴らしい。「この影像をこのスタジオで初めて観るのですが、物凄く緊張します。 明日、BSで公開されるとのことですね。是非テレビの前で正座して見聞します。」


 「スタジオパーク」最後の視聴者よりの「生まれ変わったらどうしたいですか?」との(原左都子に言わせてもらうと的外れな質問にも)、和田アキ子氏は率直な回答をされるではないか!?!
 私としては、既に天下を取ったも同然の世界的歌手である和田アキ子氏の理想的な回答として「もちろん歌手を全うします!」との返答を期待していたのだが、意外や意外、「子どもが好きだから保母さんになりたかった」などとの庶民的なたわ言をおっしゃるではないか!

 しかも、「もう少し身長が低く生まれて来たかった」と和田氏が答えた暁には、原左都子は仰天してしまったものだ。 
 和田氏曰く、特にデビュー当時は「身長が高いとデカイ面している印象を持たれるのが嫌だった…」との事だが、その思いは多少理解できる気もする。


 何をおっしゃる、和田アキ子さん。 貴方はその身長があってこそ今の成功を勝ち取って来られたのではあるまいか。 (いえいえ、もちろんご本人が持って生まれた類稀な気質の明るさや、同じく努力家としての今日までの歩みが現在の和田アキ子氏を形成されたことも重々存じております。)
 和田アキ子氏の身長は、ウィキペディア情報によると175cmであるらしいが、確かに現在62歳にして長身であられる事だろう。 (と言うのも、現在それ位の身長がある若い世代の女性タレントは吐いて捨てる程に存在するからだ。)
 それに加えて、和田アキ子氏程身長がない“リズム&ブルース”の和製女性歌手もこの世に存在していない訳ではない。 それらの人達が日の目を見るのを、私はさほど見聞していない…。

 
 和田アキ子氏とは対照的に、165cmまでしか身長が伸びなかった私は、「あと5cmあれば…」と、幾度親を恨んだことか…
 まあ、その後モデルやタレントや歌手になるでもなく一般人として生きている私にとっては、現在の身長で十分とも考察するべきなのだが…。
 
 そんな一般人の私は、今後カラオケに行く度、和田アキ子氏の 「古い日記」 を歌い続けるつもりだ。
 ハッ!!!

東大生も人の子

2012年11月08日 | 時事論評
 昨年のちょうど今の時期に、私は当エッセイ集に於いて 「『感じが悪く』て何が悪い??」 と題する記事を公開している。

 当時大学の公募制推薦入試に挑むこととなった我が娘の受験対策、特に「面接試験」に際して如何なる方策を練るべきか等を引き合いに出しつつ、“人は「感じが悪く」てはいけないのか?”に関する私論を展開したエッセイである。

 以下に上記エッセイの中から「面接試験」に関する部分のみを取り上げ、今一度要約して紹介させていただこう。

 入学試験や就職試験の面接に際して、受験者は初対面である面接官に「感じが悪い」印象を持たれるよりも「感じよく」接するに越した事はない。  そこで、口数が少なくややもすると“暗い人間”と誤解されがちな我が娘に対し、面接内容以前の問題として、姿勢を正してまっすぐ前を見て話すよう、娘「お抱え家庭教師」の私は指導したものである。
          (  中略   )
 “あの人は感じがいい”  あるいは  “感じの悪い奴だなあ”  ……
 これらは特に初対面の人間同士の関係においてよく発せられる言葉であるが、“自分自身が人に与える表向きの一見の評価”にしか過ぎない上記のような印象とは、その後人間関係が進展するにつれ直ぐに忘れ去られる性質のものではなかろうか。
 人の長き人生の目的とは、万人に対して「感じが良い」人になることではあり得ない。 加えて“一見した人の感じの良し悪し”とは、有意義で実効性ある人間関係に於いてさほど重要な事項ではないことは明白だ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーのごく一部を修正して要約)


 今回のエッセイを綴ろうと志したきっかけは、ネット上で「東大生」の就職活動現状に関する情報を垣間見た事による。

 その情報によると、どうやら“天下”の東大生にして、現在就職内定を取れず四苦八苦している学生が少なくないとの事だ。
 早速当該ネット情報を (  )内に原左都子の私論を同時進行で交えつつ、以下に要約して紹介しよう。

 (原左都子の観点からは、あくまでも一アジアの日本社会において) 学歴社会のトップに君臨する東京大学。 「東大卒」という称号は、この学歴社会における最強の「プラチナチケット」だ。 (こんなに国内の政治経済状況が廃れている今でも東大内ではそんな神話が通用してるの??)  ところがこの切符を手にしていながら、就職活動で内定を取れず負け続けている東大生がいる。 (海千山千の私に言わせてもらうと特段不思議な現象ではないのだけど…)
 一体それはどんな学生なのだろうか。 この疑問を他ならぬ東大生自身の手で明らかにした著書がある。東大生でつくる東大就職研究所の「内定とれない東大生」(扶桑社新書)だ。 (私は読んでないけど、面白そうな書物だね!) この解明作業は、彼らにとって少なからぬ深刻さをはらんでいる。

 例えばある企業への就職活動でほぼ互角に競い、最終面接まで到達した二人がいたとする。その最終決定でも二人のどちらにするかを企業担当者が迷ったとき、最後はどうなるだろうか。 東大生の場合この段階で落ちた時に、その理由が「大学」であることは絶対にない。 (へえ~。東大現役学生が運営する就職研究所はそう判断するんだね。申し訳ないけど私の印象では、特にこの厳しい世界の現実に打ち勝っていかねばならない産業世界はもっと進化していて、特に優良企業程「大学」云々ではなく自らが欲する有能人材を採用すると思うのだけど…)
 それにもかかわらず、東大生が内定を取ることができないというのは、学歴ではない「もっと深刻な何か」によってその人間性が否定されているということになるだろう。   (人間性の否定との言及は何とも大袈裟だけど、東大生の中には結局競争が激しい産業界で“使い物にならない”人物と判断されている学生が多い現状なのじゃないの??)

 人生を勝ち続けてきた東大生 (一般人の原左都子としてはかなりびっくり発言と受け止めるけど、過去の東大生がほんとに人生勝者なの?? そうとは思えない東大卒著名人は数多いけどねえ。例えば政治家氏とか…) にとって、これほどの厳しい問題はない。では、それは何が原因なのだろうか。
 その答えを見つけることは、「企業が求める人材は何か」を探ることでもある。 (「就職活動」に限って言うとその命題は間違っていないけど、それを今更ながら東大生が分析するというのも時既に遅しだよね。 20年程前のバブル崩壊期に世間の学生が就職にあえいでいる時、東大生は特別扱いされていたのだろうか?? あるいは“リーマンショック”後直ぐにでもそれを解析すればよかったのに、その時もまだ東大生は厚遇されていたの???)  
  (以下略)


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。 

 上記東大生グループ著書情報の通り、現在の東大生は以外や以外就職の内定を取るのに四苦八苦しているとの事である。
 日本国内の就職において「東大」ブランド (“プラチナチケット”と東大生自らが表現しているようだが、この言葉何だか聞く方が恥ずかしい思いもする…)が通用しなくなっているようだ。

 現実問題、就職活動において「東大卒」の肩書が有利となるのはエントリーシートまでとの事情は、東大学生の著書を読まずして理解可能だ。
 実際の就職試験(特に面接)に於いて、「やることがない」だの「自分がやりたいことがわからない」だの「大学院へ進学したいとも思っているし…」等々との言葉が口からポロポロ出る東大生が内定が取れるはずもない。
 
 それに遡って、実は原左都子は東大生が本当に「偏差値」が高いのかに関しても以前より疑問視している。 もちろん「塾」等受験業界の言うところの「偏差値」が高かったからこそ東大に合格できているのだろうが、その「偏差値」と実際の学力とは異質のものとも捉えている。 
 一生に渡って力強く生きていける能力の一要素として「学力」が欠かせない事は確かだが、東大生にその真の「学力」は元より、今後一生世間で渡っていける力があるのかどうかに関して、未知数と捉えるのが大人の常識であろう。


 そういった意味では、就職活動中の学生とは(「東大生」も含めて)まだまだ子どもであるし、今後社会で発揮する潜在能力の程は安易には判定不能であるはずだ。
 (東大生も含めて)何処の学生もピンキリというのが現実でもある。

 今回のテーマで私が訴えたいのは、その種未知数の「学生子ども」の皆さんの将来に渡る潜在力を見極めるべく、面接担当者の方こそが大人になってはどうかとの結論に達するのだが…

 未だ成熟過程にある人間がその能力を発揮する手前段階において“プラチナチケット”なる言葉を恥ずかしげもなくほざくからこそ、「東大生」とは概して社会全般に“感じが悪い”存在と受け止められ嫌われるのではなかろうか?
 それもまた受取側の歪みも含有した現象と感じる私だが、もしも東大生自らが今の時代背景において尚、自分は「特権階級」なる勘違い意識を醸し出しているとすれば、それは時代錯誤も甚だしいということであろう。
 
 それはともかく、上記私論のごとく「東大生」とて所詮人の子であり、まだまだ子どもであることを肝に命じつつ、既に大人であろう面接担当者側こそが、真に優れた人材を採用するべく自らの力量を磨かんと精進すれば、世も少しずつ変遷できるという事ではあるまいか。