原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

贈り物の極意

2012年11月21日 | 人間関係
 昨夕、我が郷里の母より宅配便が届いた。
 30数年前に上京後、ほぼ1ヶ月に一回のペースで続いているこの“親心定期宅配便”は私が家庭を持って以降も途絶えることなく、孫(我が娘)の誕生以降はむしろその回数を増やしつつ続行している。

 正直言って、「こんなもの要らないのに…」なる内容物も数多い。
 娘のために送ってくれるお菓子類等がその筆頭だが、何分子どもとて好みがあるのに加え、わざわざ郷里より高い宅配料を支払って送って来ずとて都会で十分手に入る類のものを平気で送りつけてくる。
 あるいは採れ立て新鮮野菜などはうれしいのだが、「うちは馬でも飼ってるのか?!?」と思わんばかりの大量を届けられても大困惑だし… 
 それから、夏場に腐りやすい食品を手作りして送って来るのにも難儀する。 まさか「美味しかったよ」とはどうしても言えず、腐敗していたことを正直に伝えて「宅配物とは輸送中高温状態に放置されることを考慮して、送る季節を考えてよ」と指導した経験もある。 「分かった」と答えたはずなのに、“親心”の愚かさ、切なさと表現するべきか、同じ失敗を何度も繰り返してくれる事実には閉口させられる。

 もっと許し難いのは、母が「今は宅配業者が自宅まで集荷に来てくれるから助かるが、もう年老いた身としては宅配物の梱包をするのが疲れる」と、私相手に平気でのたまう事だ。
 売り言葉に買い言葉で、「こっちだっていつも要らないもの送りつけられて迷惑してんだから、今後一切宅配物を送りつけて来るな!!」と、捨てゼリフを吐きたい思いが山々なれど、親不孝者で名高い(?)原左都子ですら (これを言っちゃ最後…) との感覚だけは持ち合わせている。
 「もう高齢なんだから、そんなに無理して宅配を送って来なくてもいいよ」などと、私らしくもなく精一杯配慮した言葉で母をねぎらってやっているつもりだ。

 なんだかんだ言いつつ、親子間での「贈り物」とは“親子の愛情”表現の一産物であり、梱包されている内容の如何にかかわらず、お互いの無事と平穏を確認し合うまたとはない機会なのであろう。
 母親が高齢になるにつれ、その思いが強まるのは確かだ。 月に一度の宅配が郷里から届く事が、私にとっては母が元気に気丈に生きているサインでもある。
       


 話題が変わるが、時は「お歳暮」との我が国特有文化である“贈り物”による時候の挨拶の季節となっている。

 原左都子は誰から指示された訳でもなく、夏のご挨拶である「お中元」も含めて、日頃お世話になっている(と私が判断申し上げる)方々に年に2度“贈り物”を届ける習慣がある。 (この我が習慣とは、もしかしたら母が定期的に宅配物を届けてくれる現象と相関があるのかもしれない。) 
 日頃のご恩を何らかの形で表出したいと思いつつ、直接お会いしてご挨拶する機会もなくご無沙汰続きだったり、あるいは年賀状等の文筆手段よりももう少し顕在的な形態にしたご挨拶をするべきと判断した場合に、私は日本特有であろう「お中元」「お歳暮」慣習を有効利用しているという事だ。

 実は、この“贈り物”の商品選択にいつも難儀している。

 当初はとりあえず、私自身が貰って嬉しいものを贈る事とした。
 その筆頭が「酒類」(スミマセン、底なし飲兵衛なもので…)だったのだが、贈り先の正直な方から「下戸です…」との返答を頂いた時には、“真っ青”状態だった。 だが、それを正直に言って頂いて原左都子としては後々大いなる勉強となった。
 次に考慮したのがやはり私が好む「著名ホテルの保存食品」だったのだが、これを郷里の親戚にクール便で贈ったところ、母から「奥さんは喜んだようだが、ダンナが嫌いだったようだよ」との情報を得て、反省しきりである。 
 万人の好みが異なることは重々想像できてはいるが、“贈り物”とはその選択が困難であることを再認識だ…。

 それでも私自身の結論としては、やはり私が贈ってもらってうれしい事を第一義として、その中で概して一般に受け入れられそうな商品を贈呈すれば、もしもご本人が好まずとてご家族内で何とか消費可能でないかと志している。


 少し古くなるが、朝日新聞11月3日別刷「be」“RANKING”のテーマは 「もらってうれしいお歳暮」 だった。

 早速、朝日新聞記事のランキングを 10位まで紹介しよう。
     1位   商品券
     2位   ハム・ソーセージ・肉類
     3位   海鮮類
     4位   酒類
     5位   フルーツ・果物類
     6位   カタログギフト
     7位   ビール券など特定のギフト券
     8位   洋菓子
     9位   コーヒー・お茶
    10位   チーズ・乳製品
  (以下、朝日新聞のランキングは20位まで続くのだが…)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 正直言って、上記ランキング内の“贈り物”に関して貰う立場であるならば、私はすべて 「要らない」 と判断させていただきたい思いである。
 と言うのが、そのすべてを「歳暮」も含めあらゆる“贈り物”として現在までに頂いた経験がある故だ。

 まず、食品類は勘弁して欲しい思いである。 
 2位に位置づけているハム類など、私に言わせてもらうと贈答品は塩辛くて“まずい”ことこの上ない。 3位の海鮮類も同様だ。 5位のフルーツ類に関しては、元々私の好物ではない。 9位のコーヒー・お茶に関しては、美味しい場合は試飲することもある程度だ。 10位のチーズ等に関しては頂いた経験がない。
 その中で、4位の酒類に関しては飲兵衛の私としては一応歓迎するものの、“真正飲兵衛”とは日々飲む酒にはとことんこだわりがあるものである。 ただし、私の想像では“似非飲兵衛氏”にとっては酒類の贈り物(地元産等珍しい酒が贈られるであろうから)はうれしいのではなかろうか?
 9位の洋菓子に関しては私も貰って嬉しい故に、贈る立場としてもこれを志向している。 ただ、食べ終わった後の箱や缶等のゴミ分別作業が鬱陶しい限りであることを贈答業者は考慮して、今後はエコ観点に立つべきではなかろうか。

 1位の商品券、及び7位のビール券等に関しては受け取った側の思いが分からなくはないが、原左都子にとってはこれも鬱陶しい。
 「商品券」の場合、その使用店舗が限定されていることが常である。 指定の店舗を訪れない限り使用不能なため、この「商品券」が使用可能な店舗にわざわざ出向く気がせず、我が家では“タンスの肥やし”状態だ。
 7位のビール券に関しても同様だ。 もしかしたら地方ではこれが容易に使えるのだろうか? 都会の店舗ではビール券使用を拒否している店舗(スーパー、ディスカウント店等)が数多く、使用できないままこれも“タンスの肥やし”状態である。


 「贈り物の極意」と題して綴ってきた今回の我がエッセイである。

 その結論を述べるならば、第一の極意として、“贈られた側”こそが何を頂いたとしてもまずは贈り主が“贈り物”をしてくれたその事自体に思いを馳せるべきであろう。

 それは“贈り物”をする方も同様である。
 政府及び産業界等各界ではその癒着が叩かれ、一般市民間に於いても人間関係が希薄化している今の時代背景に於いて、安易に“物を贈る”という事自体が迷惑行為ではないかと振り返る事こそが、今の時代 最高の極意 かもしれないと原左都子は示唆するのだが…