原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人が持って生まれた寿命に対する不可思議感

2013年07月06日 | 医学・医療・介護
 人の寿命とは不可思議だ。

 平均寿命を超過して生き抜いたお年寄りが天寿を全うしたような場合、「長い間、お疲れ様でした」と粛々と頭を下げて見送ってあげたい思いこそ強けれど、さほど不可思議な感覚は湧き出て来ない。 
 ところが、未だ寿命には程遠い身近な人物に他界されると、人が先天的に持って生まれた寿命の不可思議感とでも表現すればよいのか、何とも言葉では言い表しようのない無念感が漂うものである。

 先週6月28日に我が義理姉が7ヶ月に及ぶ壮絶な「膵臓癌」闘病の末、63年間の短い命を閉じ、7月1日にその葬儀に出席した話題は、既に当エッセイ集にて公開した。
 

 どうも原左都子は、ごく身近な人物に「突然死」や「余命宣告闘病の末の壮絶死」等々で、若くしてあの世に旅立たれる運命にあるようだ。

 我が実の父がそうだった。
 もう14年程前の事になるが、父は“急性心筋梗塞”で夜中に突然死した。 享年69歳だった。 一番困惑したのはご近所の方々で、皆さん口々に「昨日昼間お目にかかった時は元気に挨拶されていたのに、なぜ…」と葬儀の場でも驚きが隠し切れない様子だったのが印象的だ。

 昨年の冬、我が今までの人生に於いて一番親しかったと言える女性の親友を、これまた“くも膜下出血”の突然死で亡くした。 やはり享年60代の若さだった。 生涯独身を貫きつつ趣味が盛り沢山で「100歳まで青春を謳歌するぞ!」が口癖だった彼女が、何故一人暮らしの自室で倒れ、孤独死せねばならなかったのか…   我が子が自立した暁には“再びの青春を”一緒にエンジョイさせてもらうはずだったのに、後々までも我が無念の感情を引きずったものである。(今尚引きずっているかもしれない…)

 そして、今度は義理姉。
 義理姉とは日頃頻繁には会合しないのだが、新年会等親族の集まりの場では親族を代表して会合を取り仕切るようなキャラだった。 いつもはつらつとしていて親分肌の義理姉は、一族の中心人物だったとも言える。 
 既に我がエッセイ集バックナンバーで記述済みだが、幼い頃よりお嬢さん育ちの義理姉はいつ会ってもブランド物で身を包み、社交ダンスを趣味としてグルメ三昧の日々を過ごす傍ら、自分の健康管理には敏感で健康診断を欠かさず体調に異常があるとすぐさま主治医を訪れていたようだ。  親族会等の集まりの場でも、自ら親族の我々に健康維持増進の声かけをする等、「健康」と「美」に関する執念が強い人物と私は把握していた。
 そんな義理姉にして、昨年12月のある日病院受診した際に判明した「膵臓癌」罹患及び、余命3か月~1年宣告だった。 結局、その後7ヶ月で63年間の命を終焉した。


 原左都子の私論に入ろう。

 人の寿命とは、自分が持って生まれたDNAにより“ほぼ”(あくまでも“ほぼ”の範疇であり日々の生活習慣や本人の意思・思考等々によるその幅が大きいのだが)運命付けられていると解釈してよいのではないか、と元医学関係者の立場から結論付ける。

 我が実の父に関しては、バリバリの「急性心筋梗塞」DNA一族である。 父の兄弟3人が同じく「急性心筋梗塞」で40代から60代の若さで突然死を遂げている。 もう一人生き残っている末弟は、心筋梗塞を発病した場が職場だった事が幸いして一命を取りとめたが、現在も要注意の身でこの世を綱渡りしている現状だ。

 「くも膜下出血」により突然死した我が友に関しても、はやり日常の生活習慣や本人の気質故の早死だったかと考察する部分もある。  何分私とは性格が正反対だった。 基本的に“のんびり系”で“なんとかなるさ的”な彼女を好き好んで慕った私とも言える。  負けず嫌い気質を全面に出し何事にも突進してしまう私に、いつも大らかに対応してくれた。 そんな彼女は自分の体内異変にも大らか過ぎたのではあるまいか?? 少しでも“くも膜下出血”の前兆を嗅ぎ取れたならば、その対応をするべきだったにもかかわらず……

 義理姉に関しては、上記“突然死”の2人とはその死に様が明らかに異なる。
 病院を受診したにもかかわらず、その直後に余命宣告を受ける運命にあった。 その点で、義理姉には何らの落ち度もない。 
 本人に何の落ち度もないのに、何故人は7ヵ月後に命を落とさねばならないのか!?!


 上記観点で、今回の義理姉の死は原左都子に大いなる「寿命の不可思議感」なる新たな命題を残してくれたのだ。

 私自身は(元医学関係者としての知識内で)、自分が持って生まれたDNA体質をほぼ理解出来ているつもりである。 それを武器として今後この世を生き抜くつもりでいた。
 どうやら私は母親側のDNAを強く受け継いでいるようでHDL(善玉)コレステロールは多いし、飲兵衛にして肝臓も強靭、心臓が多少バクバクしようと5kmロードレースもこの年齢にして何度も完走可能だし、常に自己実現意欲に燃えて前向きに生きているし、私って、絶対長生きできる運命だよねーー。 

 こんな私の証拠なき長生き思考を、先週の義理姉の死によって現在へし折られた感覚だ…


 人間とは実に不思議な動物である事を実感でもある。
 
 (我がDNA論理に基づく)根拠乏しい長生き思考を一旦“へし折られて”しまうと、あちこちが急に痛み出すのだ。
 義理姉の死後、気丈な原左都子にして日々腹部が痛み下痢が続くし、心臓のバクバク感が再発するしで、何ともだらしない体調不良状態だ。
 
 ただこれも義理姉の壮絶な闘病後の死に対する、私なりの“追悼儀式”と理解させてもらう事にしよう。
 もう少し時間が経過したら、私も絶対心身共に復活するはずだ。

 それを信じつつ今回のエッセイは、義理姉の葬儀以降未だに体調面で立ち直っていない我が心身面の軟弱な一面を、正直に綴らせていただいた。

っていうかー、ぶっちゃけマジでチョーめっちゃじゃん!

2013年07月04日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞6月29日付別刷「be」記事 RANKING 「どうにも気になる口癖」より転載)


 本日7月4日、来る7月21日が投票日となる参議院選挙が公示された。
 昼のテレビニュース報道によると、各党党首を筆頭に立候補者達が早速街頭演説合戦を開始したようだ。

 さすがに党首ともなると演説慣れしているのか、(演説の中身の議論はさておき)癖の無い程よい音量と口調かつ聞く側に分かり易い明瞭な表現を用いている。
 ところがこれが立候補者当人の場合、声ばかりデカく力づくに何かをがなり立てているのみで聞く側としては喧嘩でも売られている気分だ。 「あんた、単にうるさいだけだよ! 静かにしてくれ!!」と喧嘩を売り返すしかない。


 参院選はとりあえず隅において、今回のエッセイテーマは人(特に若い世代の?)の口癖である。
 原左都子にも「口癖」はあるっていうかー、ぶっちゃけマジでチョーめっちゃ、自分の「口癖」を反省させられる記事を公開してくれたじゃん、朝日新聞さん。
 っていうかー。
 「原左都子エッセイ集」を自分自身で読み直してみても、ここだけの話、ある意味普通に~ 左都子の「口癖」オンパレードの現状にちょーマジで辟易とさせられる思い、みたいな~。

 (普段使い慣れない?「俗語」を展開しまして大変失礼申し上げました。


 さて、早速冒頭写真の朝日新聞記事を取り上げよう。

 今回の RANKING 記事は上記写真の通り、(おそらく)若い世代を中心として俗世間で頻繁に会話に用いられる「口癖」をテーマとして分析した内容である。
 以下、原左都子の私論と RANKING 記事に見解を述べておられる“有識者”氏のご意見とを交錯させつつ、エッセイを展開しよう。

 写真の1位の文言が画面に収まっておらず恐縮なのだが、「っていうかー」 である。
 これ、原左都子自身も聞かされて身の毛がよだつ程に“チョー”不快な表現だ。
 写真の解説絵図が不鮮明で見づらいため、ここで反復すると、女性二人がカフェで会話をしている風景だ。 「っていうかー。うちの犬がさー」との右の女性の話しかけに対し、左の女性は携帯を片手に持ちつつ他人事のごとく「っていうかー。もう帰ろう」
 そもそもまるで会話が成り立っていない。 今時の人間関係希薄化社会現象を象徴するべく会話内容である。
 ここで朝日新聞内の“有識者”であられる大学教授氏の解説を紹介すると、これは「『垣根表現』であり、相手と境界を作ることで距離を取る『ぼかし』の表現です」との事だ。
 それは違うぜ、教授先生! と反論を翻したいのは原左都子のみではなく、朝日新聞に意見を寄せた読者の多くもこれを「否定表現」と断定している。 おそらく、大学教授見識者先生は「っていうかー」との俗語の存在はご存知だろうが、対等な立場で発せられた経験が無いのであろう。(私もないが。)
 まあそれにしても若き世代の皆さん、相手との会話懇談を続行したくないのであれば、「っていうかー」なる気持ち悪い言葉を発していないで、単刀直入にその意思を相手に明言しようではないか。
 
 次に取り上げたいのは、3位の「~みたいな」であるが、これに関しては朝日新聞解説絵図が何とも可愛いのだ。
 男性曰く「付き合いたいかな~ みたいなー」 女性が応えて曰く「うれしいかも~ みたいなー」
 原左都子の私論だが、この種の場面で「~みたいな」が活用されるならば、激励したい。 確かに「~みたいな」のニュアンスとしては、中途半端さが醸し出されているのは事実だ。 そうだとして、自分の(肯定的)感情を相手に伝えるのがはばかられるような場面に際して、この俗語は有効活用可能と判断する。
 “有識者”がおっしゃる通り、口癖俗語も肯定的場面で発せられるならば、「ぼかし表現」とも表現可能であろう。
 ただ気をつけるべきは、「~みたいな」を否定的な場面は元より、普通の人間関係の場で決して引用しない事が鉄則であろう。 発した人物のレベルの程とその後の責任が問われる事間違いないよ。

 4位の「超(チョー)」に関しては、実は原左都子も日頃多発している。
 と言うのも、これが流行言葉とのニュアンスをまさに「超」えていると認識している故である。 「超」とは英語で言うと「SUPER」(要するに「すばらしい」「最高級の」)の意味あいがあると捉えているからだ。 まさか「超カワイーー!」などとは決してホザかないのだが、親しい間柄の会話で「超すばらしい!」などとついつい言ってしまう場面もある。(これも顰蹙だろうか?)
 これに対し「めっちゃ」は明らかに嫌いだ。 おそらく「超」と同様の意味合いであろうが、語源が『メチャクチャ」である事を理解できるが故に、私は今後共に一切発語したいとは思わない。

 理論派の原左都子が今後人との対話場面に於いて気をつけなければならないのは、10位に位置している「要するに」や、11位の「逆に言うと」、はたまた15位の「ある意味」、さらには18位の「いやっ」等々であろう。
 「逆に言うと」や「いやっ」と同類の、20位にランクインしている「でも(でもでも)」も要注意だ。 「原左都子エッセイ集」内で多発しているのがこの「でも」バーション発展系の「ただ」「ただし」「あるいは」「一方」「他方」「別の角度から見れば」… 例を挙げればきりがないのだが…
 話を聞かされる側としては、「逆にいうと」と人の話を中断しておきながら、少しも逆ではなく何のオリジナリティも無い会話をダラダラ続けられるような場合、(結局自分が上位だと言いたいだけなのね…)とウンザリするしかない。

 今回の朝日新聞記事の、上記“有識者”大学教授が最後に述べている結論文章を紹介しよう。 「日本人は不完全文で話すのが常識。一人で全部を話さず、相手とやりとりしながら一つの文章を作る、つまり仲間内の私的会話なのです。そのために『口癖』とは潤滑油の役割を果している」
 原左都子の反論だが、上記有識者氏の発言とは半世紀程前の日本人の人との関わりについて述べた時代錯誤のコメントではなかろうか。
 今時の社会の人間関係や若者文化をどれ程理解しての“有識者”氏の発言であろう!? 上記「口癖」一覧は、私的会話内で何らの潤滑油的役割を果し得ていないと私は結論付ける。 


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 若者が発する俗語「口癖」の数々に直接触れる経験は日頃ほとんど無い私だが、これらの言葉を新聞紙上で見せられるだけで不快感を抱かされる。 俗語流行り言葉のすべてに、今現在若者達が仲良くするべく対面相手への「否定的」感情を嗅ぎ取ってしまう故である。

 若者達よ、ここは正しい日本語会話を今一度学び直そうではないか。
 
 人間関係が希薄化した現社会においても、人との関わりとは何らかの形で多少なりとも自分の成長に繋がるものだ。
 否定的な流行り言葉を発して、せっかく仲良くなった相手との関係を短期間で終焉させるよりも、正しい日本語を通じて人との関わりを繋ぎ直したいものである。

葬儀会場 人間模様

2013年07月02日 | 時事論評
 今時の葬式とは、有名人所属事務所が何万人ものファンを集めて営利目的で大々的に執り行う大規模葬祭や、大企業の社葬を除き、そのほとんどが密葬か、あるいは少人数で施す場合が多いのではなかろうか。

 昨日より7月に入り梅雨期も終盤、いよいよ夏本番のこの時期に、「原左都子エッセイ集」に於いて「葬儀」関連の話題が続き恐縮である。


 昨日、7月にしては気温が高過ぎず湿度も低い、「喪服」を着るには比較的爽やかな程よい天候条件の朝を迎えた。
 不幸中の幸いとはこの事である。
 何分朝から義理姉の葬儀に一家総出(と言っても3名だが)で出席せねばならない。 もしも真夏日だった場合は熱中症対策上、上着は持って歩いて会場で着用するか? 持つだけでも暑苦しいし、猛暑の場合は上着は省略してクールビス半袖喪服姿で出かけるか??  葬儀の3日前から娘と共に散々迷ったものだ。

 昨日実施された我が義理姉の葬儀に際し、自分らが当日着用する衣装の心配が優先してしまい誠に顰蹙である事は承知だが、特に真夏の葬儀出席に当たっては皆さん同じようなご経験をされている事であろう。
 何はともあれ7月にしては適度な天候に恵まれ、これ幸いと(??)我々一家は電車にて葬儀会場へ向かった。

 次なる私の心配事は、一体どこのどなたが葬儀に出席しているのかとの点である。

 と言うのも我が家の場合、身内は故人である義理姉の実の弟に当たるし、娘も血縁関係だ。 私だけが他人である事を内心承知しておくべきであろう。
 今回の葬儀は今時の例外ではなく「小規模」実施ではあるが、喪主である故人の夫の親族や故人の友人も出席するとの話は聞いていた。 それらの皆が、私にとって初対面である。  (もしもこれが大規模葬儀であるならば、あらかじめ決められた自分の座席に静かに着席していれば事は収まるであろう。) ところが、今回は少人数での葬儀だ。 近年見知らぬ人達が集まる葬儀への出席経験がなく、一体如何なる人物が葬儀に出席しているのかを想像しつつ葬儀場へ向かったものだ。

 さて葬儀場内の義理姉葬儀会場受付場所へ到着してみると、既に我々一家は出遅れている様子だ。
 大方の皆さんは既に控え室で待機されているとの事だ。 (まっ、いいか。我が家は親族内でも弟一家の立場だから、故人の直属親等内では三親等以下だしね…) などと原左都子の脳内で家系図を描く等、いつもの癖で綿密な計算をしつつ我が家は控え室へ向かった。
 待合室では既に義理姉親族の皆が到着していた。 このような場合、実弟である身内が一番に挨拶するべきであろうが、我が家の法則としては常に私が開口一番を切り出さねばならない。 結局、控え室入口にいた親族から順番にテキトーな簡単挨拶をしつつ、とりあえず喪主氏のところへ向かった。 故人の夫である喪主氏とは義理姉死後既に電話で幾度かやり取りしていた事もあり、事無きを得た。  次に丁寧に挨拶するべきは、やはり故人の息子氏であろう。 これも思いの他本人が気丈だったことに救われ、無事に挨拶を終えた。 義母に関しては普段より保証人代行としての日々の付き合いがあるため、何ら問題はない。
 次なる課題は喪主である故人の夫の親族への挨拶である。 この方々とは私は今回の葬儀が初対面であったが、意外と会話が盛り上がり安堵した。
 そうこうしているうちに最後に控え室に訪れたのが、義理姉の友人女性である。 喪主である故人の夫の紹介によれば、当該女性は故人中学生の頃より死後2ヶ月前に至る半世紀に渡り生涯仲が良かった間柄との事だ。

 原左都子にとっては、最後に控え室に訪れた故人の友人女性との会話が一番興味深かった。 
 (この女性をK氏と表現させていただくが)、K氏こそが他の親族参加者よりも誰よりも故人と一生に渡り一番長く濃く係り、義理姉を最大に理解している人物だったのだ!
 義理姉とK氏が50年程前に通っていた中学校(その後高校、大学と自動的に進学する女子学園とは、過去に於いて国内著名企業の令嬢を就学対象としてその淑女ぶりを更に育成するのが最たる目的だった、現在も存続する某私立女子学校法人であるが)にて知り合い、とにかく二人は12歳当初から当該学園で意気投合したとの事だ。
 K氏によるその談話が実に愉快だった。 (参考のため、K氏なる人物は創業100年を超える大企業のご令嬢であられるのだが) 「私と彼女(義理姉)は当時から学校の勉強など大嫌いでエスケイプしまくった劣等生徒だったの。 そんな縁で故人との関係はその後も末永く続き、お互いが結婚後も出産後も、そして年月を経て離婚等諸々のマイナーな人生経験の後もずっと続いて来たのよ…。  それにしても彼女には膵臓癌罹患2ヶ月前に会ってディナーを一緒した時はいつもと変わらず元気はつらつだったのに、何故今日葬儀を迎えねばならないのか……」と、K氏は涙ながらにその無念さを訴える… 


 今回の葬儀は斎場にての実施だったが、すべての儀式を半日で執り行う儀式様式だった。
 葬儀本番、そして火葬、納骨、その後の出席者の会食のスケジュール。 ほぼ4時間内ですべてが完了した。

 出席者の誰にとっても辛く疲れる「葬儀」など、短時間で済ませて欲しいものだ。
 
 原左都子自身も、自分の葬儀を来る将来迎えるべく現実問題として捉え、そのあり方を一番簡略な形態にしたい意向は既に家族に伝えてある。  

 ただ今回の義理姉の葬儀において、一生涯に渡りずっと親しかった友人であるK氏の談話を聞かせていただけた事は、私にとって大いなるインパクトがあった。
 葬儀の形態は簡略でいいとして、もしも叶うならば上記K氏のごとく私の人生をずっと見つめてくれた人物にでも最後に登場願い、少数の出席者相手に我が人生の一部を語ってもらえたならば本望でもあるなあ…

 いやいや、それとて贅沢な欲望であろう。 
 やはり、人生の最後は粛々と迎えたいものだ……