人の寿命とは不可思議だ。
平均寿命を超過して生き抜いたお年寄りが天寿を全うしたような場合、「長い間、お疲れ様でした」と粛々と頭を下げて見送ってあげたい思いこそ強けれど、さほど不可思議な感覚は湧き出て来ない。
ところが、未だ寿命には程遠い身近な人物に他界されると、人が先天的に持って生まれた寿命の不可思議感とでも表現すればよいのか、何とも言葉では言い表しようのない無念感が漂うものである。
先週6月28日に我が義理姉が7ヶ月に及ぶ壮絶な「膵臓癌」闘病の末、63年間の短い命を閉じ、7月1日にその葬儀に出席した話題は、既に当エッセイ集にて公開した。
どうも原左都子は、ごく身近な人物に「突然死」や「余命宣告闘病の末の壮絶死」等々で、若くしてあの世に旅立たれる運命にあるようだ。
我が実の父がそうだった。
もう14年程前の事になるが、父は“急性心筋梗塞”で夜中に突然死した。 享年69歳だった。 一番困惑したのはご近所の方々で、皆さん口々に「昨日昼間お目にかかった時は元気に挨拶されていたのに、なぜ…」と葬儀の場でも驚きが隠し切れない様子だったのが印象的だ。
昨年の冬、我が今までの人生に於いて一番親しかったと言える女性の親友を、これまた“くも膜下出血”の突然死で亡くした。 やはり享年60代の若さだった。 生涯独身を貫きつつ趣味が盛り沢山で「100歳まで青春を謳歌するぞ!」が口癖だった彼女が、何故一人暮らしの自室で倒れ、孤独死せねばならなかったのか… 我が子が自立した暁には“再びの青春を”一緒にエンジョイさせてもらうはずだったのに、後々までも我が無念の感情を引きずったものである。(今尚引きずっているかもしれない…)
そして、今度は義理姉。
義理姉とは日頃頻繁には会合しないのだが、新年会等親族の集まりの場では親族を代表して会合を取り仕切るようなキャラだった。 いつもはつらつとしていて親分肌の義理姉は、一族の中心人物だったとも言える。
既に我がエッセイ集バックナンバーで記述済みだが、幼い頃よりお嬢さん育ちの義理姉はいつ会ってもブランド物で身を包み、社交ダンスを趣味としてグルメ三昧の日々を過ごす傍ら、自分の健康管理には敏感で健康診断を欠かさず体調に異常があるとすぐさま主治医を訪れていたようだ。 親族会等の集まりの場でも、自ら親族の我々に健康維持増進の声かけをする等、「健康」と「美」に関する執念が強い人物と私は把握していた。
そんな義理姉にして、昨年12月のある日病院受診した際に判明した「膵臓癌」罹患及び、余命3か月~1年宣告だった。 結局、その後7ヶ月で63年間の命を終焉した。
原左都子の私論に入ろう。
人の寿命とは、自分が持って生まれたDNAにより“ほぼ”(あくまでも“ほぼ”の範疇であり日々の生活習慣や本人の意思・思考等々によるその幅が大きいのだが)運命付けられていると解釈してよいのではないか、と元医学関係者の立場から結論付ける。
我が実の父に関しては、バリバリの「急性心筋梗塞」DNA一族である。 父の兄弟3人が同じく「急性心筋梗塞」で40代から60代の若さで突然死を遂げている。 もう一人生き残っている末弟は、心筋梗塞を発病した場が職場だった事が幸いして一命を取りとめたが、現在も要注意の身でこの世を綱渡りしている現状だ。
「くも膜下出血」により突然死した我が友に関しても、はやり日常の生活習慣や本人の気質故の早死だったかと考察する部分もある。 何分私とは性格が正反対だった。 基本的に“のんびり系”で“なんとかなるさ的”な彼女を好き好んで慕った私とも言える。 負けず嫌い気質を全面に出し何事にも突進してしまう私に、いつも大らかに対応してくれた。 そんな彼女は自分の体内異変にも大らか過ぎたのではあるまいか?? 少しでも“くも膜下出血”の前兆を嗅ぎ取れたならば、その対応をするべきだったにもかかわらず……
義理姉に関しては、上記“突然死”の2人とはその死に様が明らかに異なる。
病院を受診したにもかかわらず、その直後に余命宣告を受ける運命にあった。 その点で、義理姉には何らの落ち度もない。
本人に何の落ち度もないのに、何故人は7ヵ月後に命を落とさねばならないのか!?!
上記観点で、今回の義理姉の死は原左都子に大いなる「寿命の不可思議感」なる新たな命題を残してくれたのだ。
私自身は(元医学関係者としての知識内で)、自分が持って生まれたDNA体質をほぼ理解出来ているつもりである。 それを武器として今後この世を生き抜くつもりでいた。
どうやら私は母親側のDNAを強く受け継いでいるようでHDL(善玉)コレステロールは多いし、飲兵衛にして肝臓も強靭、心臓が多少バクバクしようと5kmロードレースもこの年齢にして何度も完走可能だし、常に自己実現意欲に燃えて前向きに生きているし、私って、絶対長生きできる運命だよねーー。
こんな私の証拠なき長生き思考を、先週の義理姉の死によって現在へし折られた感覚だ…
人間とは実に不思議な動物である事を実感でもある。
(我がDNA論理に基づく)根拠乏しい長生き思考を一旦“へし折られて”しまうと、あちこちが急に痛み出すのだ。
義理姉の死後、気丈な原左都子にして日々腹部が痛み下痢が続くし、心臓のバクバク感が再発するしで、何ともだらしない体調不良状態だ。
ただこれも義理姉の壮絶な闘病後の死に対する、私なりの“追悼儀式”と理解させてもらう事にしよう。
もう少し時間が経過したら、私も絶対心身共に復活するはずだ。
それを信じつつ今回のエッセイは、義理姉の葬儀以降未だに体調面で立ち直っていない我が心身面の軟弱な一面を、正直に綴らせていただいた。
平均寿命を超過して生き抜いたお年寄りが天寿を全うしたような場合、「長い間、お疲れ様でした」と粛々と頭を下げて見送ってあげたい思いこそ強けれど、さほど不可思議な感覚は湧き出て来ない。
ところが、未だ寿命には程遠い身近な人物に他界されると、人が先天的に持って生まれた寿命の不可思議感とでも表現すればよいのか、何とも言葉では言い表しようのない無念感が漂うものである。
先週6月28日に我が義理姉が7ヶ月に及ぶ壮絶な「膵臓癌」闘病の末、63年間の短い命を閉じ、7月1日にその葬儀に出席した話題は、既に当エッセイ集にて公開した。
どうも原左都子は、ごく身近な人物に「突然死」や「余命宣告闘病の末の壮絶死」等々で、若くしてあの世に旅立たれる運命にあるようだ。
我が実の父がそうだった。
もう14年程前の事になるが、父は“急性心筋梗塞”で夜中に突然死した。 享年69歳だった。 一番困惑したのはご近所の方々で、皆さん口々に「昨日昼間お目にかかった時は元気に挨拶されていたのに、なぜ…」と葬儀の場でも驚きが隠し切れない様子だったのが印象的だ。
昨年の冬、我が今までの人生に於いて一番親しかったと言える女性の親友を、これまた“くも膜下出血”の突然死で亡くした。 やはり享年60代の若さだった。 生涯独身を貫きつつ趣味が盛り沢山で「100歳まで青春を謳歌するぞ!」が口癖だった彼女が、何故一人暮らしの自室で倒れ、孤独死せねばならなかったのか… 我が子が自立した暁には“再びの青春を”一緒にエンジョイさせてもらうはずだったのに、後々までも我が無念の感情を引きずったものである。(今尚引きずっているかもしれない…)
そして、今度は義理姉。
義理姉とは日頃頻繁には会合しないのだが、新年会等親族の集まりの場では親族を代表して会合を取り仕切るようなキャラだった。 いつもはつらつとしていて親分肌の義理姉は、一族の中心人物だったとも言える。
既に我がエッセイ集バックナンバーで記述済みだが、幼い頃よりお嬢さん育ちの義理姉はいつ会ってもブランド物で身を包み、社交ダンスを趣味としてグルメ三昧の日々を過ごす傍ら、自分の健康管理には敏感で健康診断を欠かさず体調に異常があるとすぐさま主治医を訪れていたようだ。 親族会等の集まりの場でも、自ら親族の我々に健康維持増進の声かけをする等、「健康」と「美」に関する執念が強い人物と私は把握していた。
そんな義理姉にして、昨年12月のある日病院受診した際に判明した「膵臓癌」罹患及び、余命3か月~1年宣告だった。 結局、その後7ヶ月で63年間の命を終焉した。
原左都子の私論に入ろう。
人の寿命とは、自分が持って生まれたDNAにより“ほぼ”(あくまでも“ほぼ”の範疇であり日々の生活習慣や本人の意思・思考等々によるその幅が大きいのだが)運命付けられていると解釈してよいのではないか、と元医学関係者の立場から結論付ける。
我が実の父に関しては、バリバリの「急性心筋梗塞」DNA一族である。 父の兄弟3人が同じく「急性心筋梗塞」で40代から60代の若さで突然死を遂げている。 もう一人生き残っている末弟は、心筋梗塞を発病した場が職場だった事が幸いして一命を取りとめたが、現在も要注意の身でこの世を綱渡りしている現状だ。
「くも膜下出血」により突然死した我が友に関しても、はやり日常の生活習慣や本人の気質故の早死だったかと考察する部分もある。 何分私とは性格が正反対だった。 基本的に“のんびり系”で“なんとかなるさ的”な彼女を好き好んで慕った私とも言える。 負けず嫌い気質を全面に出し何事にも突進してしまう私に、いつも大らかに対応してくれた。 そんな彼女は自分の体内異変にも大らか過ぎたのではあるまいか?? 少しでも“くも膜下出血”の前兆を嗅ぎ取れたならば、その対応をするべきだったにもかかわらず……
義理姉に関しては、上記“突然死”の2人とはその死に様が明らかに異なる。
病院を受診したにもかかわらず、その直後に余命宣告を受ける運命にあった。 その点で、義理姉には何らの落ち度もない。
本人に何の落ち度もないのに、何故人は7ヵ月後に命を落とさねばならないのか!?!
上記観点で、今回の義理姉の死は原左都子に大いなる「寿命の不可思議感」なる新たな命題を残してくれたのだ。
私自身は(元医学関係者としての知識内で)、自分が持って生まれたDNA体質をほぼ理解出来ているつもりである。 それを武器として今後この世を生き抜くつもりでいた。
どうやら私は母親側のDNAを強く受け継いでいるようでHDL(善玉)コレステロールは多いし、飲兵衛にして肝臓も強靭、心臓が多少バクバクしようと5kmロードレースもこの年齢にして何度も完走可能だし、常に自己実現意欲に燃えて前向きに生きているし、私って、絶対長生きできる運命だよねーー。
こんな私の証拠なき長生き思考を、先週の義理姉の死によって現在へし折られた感覚だ…
人間とは実に不思議な動物である事を実感でもある。
(我がDNA論理に基づく)根拠乏しい長生き思考を一旦“へし折られて”しまうと、あちこちが急に痛み出すのだ。
義理姉の死後、気丈な原左都子にして日々腹部が痛み下痢が続くし、心臓のバクバク感が再発するしで、何ともだらしない体調不良状態だ。
ただこれも義理姉の壮絶な闘病後の死に対する、私なりの“追悼儀式”と理解させてもらう事にしよう。
もう少し時間が経過したら、私も絶対心身共に復活するはずだ。
それを信じつつ今回のエッセイは、義理姉の葬儀以降未だに体調面で立ち直っていない我が心身面の軟弱な一面を、正直に綴らせていただいた。