原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

家に引きこもる定年退職男

2015年03月18日 | 時事論評
 我が家にも民間企業を定年退職してほぼ3年が経過した身内がいる。

 その身内が定年退職した数日後の2012年4月7日、当「原左都子エッセイ集」にて 「定年退職の日は駆け足でやって来る」 と題するエッセイを綴り公開している。

 以下にその一部を要約して振り返ってみよう。
 娘の大学入学式の2日後に、我が身内が35歳時に中途入社した一部上場民間企業研究所の定年退職を迎えた。(参考のため、我が亭主は大学研究室にての博士研究員期間が長かったのだが。)   そもそも私が身内と知り合ったのは身内が当該企業に就職した数年後の事であり、入社当時の様子に関しては本人及び人づてに聞く話に於いてしか心得ていない。 しかも我が家の場合婚姻後まだ十数年の年月しか経過していない晩婚夫婦という事情もあるが、例えば40年も連れ添われたご夫婦のごとくご亭主の定年退職までの長き年月を“内助の功”の役割を果しつつ支えた、などとの美談には程遠いものもある。
 そんな私にとっては、身内の定年退職の日は実に“駆け足”でやって来たと表現するしかない。
 ついこの前結婚し、娘の“お抱え家庭教師”として日々君臨するうち、いよいよ娘が大学生となった暁に早くも身内が定年退職である。
 さて、その身内が定年退職の日に手に持ちきれない程のお祝い品の数々を携えて、夜遅く帰宅した。
 その中で一番大きい荷物だった「花束」をはじめ、自身の研究実績が綴られた業績集ファイルや、数多くの関連企業からの記念品や職場の皆様より賜った贈り物等々を自宅に持ち帰って来た。  そんな荷物と共に、中途採用で入社した企業に於ける勤務の日々がまんざらでもなかった様子で、いつもは口数が少ない身内が我々母娘相手に25年間の懐古と共に在籍中の自慢話を繰り広げるではないか。 
 この日この話を聞いてやるのが本日定年退職した家族の役割と心がけつつも、大学に入学したばかりの娘の明日のスケジュールを思いやり、娘を自室に行かせた。 その後も長引きそうな身内の在籍中の話を聞き流しながら、“なんで4月初旬との1年で一番多忙な時期に定年退職を向かえたの!”とイラつきつつ一時を過ごした私である。  
      (  中 略  )
 今の時代、還暦にして定年退職を迎える者の現実は厳しいものがあろう。
 (一部の特権公務員退職者達の“天下り”を除外すれば)、再就職を実行しようとて、高齢者には清掃や守衛等の単純作業しか待ち構えていない現実社会ではなかろうか? それでも労働を欲した退職者にとってはその世界も有意義であるとのことだろうか??
 片や、定年後の生活資金を「年金」にのみ頼って済む多少リッチな高齢者達の未来が芳しいとも到底思えない。
 多くの方々は趣味に生きようとでも欲しておられることであろう。 ところが、趣味とはあくまでも「趣味」にしか過ぎない。 これは誰しも“3日”で飽きよう。  では奥方と共に定年後の人生を楽しく過ごそうかとの甘い考えに至ろうと、奥方は皆多忙で亭主の相手などしていられない。 ならば年寄り連中で仲良くしようかと志そうが、今時の年寄りはその個性が多様性を帯びているため直ぐに喧嘩別れとなる存在同士であろう。 
 元々自由業を営んでいる人種はそれをさらに開拓可能であろうが、経済不況の今時、そんな自営力に恵まれた部類とはごく一部の層に限られていることも私は常々実感している。
 それでは定年退職後の人物とは、今後何を心の拠り所として生きていけばよいのだろう?
 40年現役で勤め上げようが、十数年で退職を迎えようが、すべての皆さんにとって定年退職後の厳しい現実は共通との結論に達するのかもしれない。
 少なくとも定年後の我が身の於き場所を他者に依存するのではなく、自分自身の能力と実力で自身の老後を開拓していくしかその先はないのではあるまいか? 
 そういう意味では老若男女を問わず、現役時代から周囲に依存しない「自立」した日々を歩むよう日頃より心がけているべきであろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)


 ここで話題を変えよう。
 
 定年退職した男に関して、妻の立場からその“鬱陶しさ”を指摘される分においては何も今に始まった事でない。 “粗大ゴミ”“濡れ落ち葉”など、今や格言の地位を築いていよう。
 ところが、これが実の娘から後ろ指を指されている事態だとしたなら、その定年退職男の行き場は何処にあるのだろうか??

 早速、朝日新聞2月28日“悩みのるつぼ”に取り上げられた 45歳女性からの相談を以下に紹介しよう。
 退職した父は元々社交的ではなかったが、家でひたすらテレビを見るだけ。 退職の際、同僚より「何かあったら仕事を頼む」と言われた言葉を信じ、それを社交辞令と認識出来ずに今も電話を設置してある居間を離れようとしない。 当然、何ヶ月たっても電話はかかって来ない。 それに対して家族から意見を言うのだが、「馬鹿な女どもだ!」と聞く耳を持たない。  父はアナログ主導人生を貫いて現世を渡ったにもかかわらず、「自分は技術者だ!」と言って譲らない。 自分が他者より優れていると思い込んでいる父には友人が一人もいない。 私も母も、もう限界だが、父の考え違いを止められる方策をお聞きしたい。
  (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用。)

 一旦、原左都子の私論を述べよう。

 上記“悩みのるつぼ”の相談者女性とは、既に45歳にもなっているらしい。
 どうしてその年齢に達するまで、自分の父親の偏向に気付かなかったのだろうか??  父親定年退職前にその事実に気付いてさえいれば、父が偏った人物であるが故、母親が被った苦労を共存できたであろうに…
 そんな母親の苦労に気付かずして、45歳女性は父親定年退職後に父親が持つ“歪み”をやっと認識出来たようだ。
 
 原左都子から言いたいことがあるが、一体全体この45歳の娘さん、何故その年齢にして自宅にパラサイトし続けているのか?  それこそが元凶との結論ではなかろうか??
 親が嫌いなら45歳にもなっているのだから、とっとと家を出たらどうなのか。 貴方が自宅でパラサイト状態だからこそ、父親が定年退職後もうだうだと(貴女も含めた家族に対し)鬱陶しくも暴言を吐き続けているようにも考察するのだ。
 ここは45歳の貴方こそが、今すぐ自宅を出よう!
 定年退職者である父親氏は、実は貴方の存在こそが障壁となって不自由感を強いられている恐れもある。 貴女が独り立ちしさえすれば、父親氏は(貴方の母親である)妻との今後の関係を築き直す事が可能なような気もする。

 
 我が家では、身内定年退職後は夫婦間双方の「公的年金独立採算制」を原動力としている。
 人間とは人生最終章まで「ひとり」の人生を主体的に刻めてこそ、お互い自由にこの世を渡り合え、他者との「対等」な人生を心置きなく全う可能と私は心得ている。

誰に口きいてるの?

2015年03月16日 | 人間関係
 先週末、いつものようにトレーニングジムへ行った時のことだ。

 個人情報を自ら口外しない事が常識化している現代社会に於いては、よほど親しい関係にならない限り、誰しも自身の年齢等のプロフィールを公表しないのが一般常識であろう。

 私が通うジムは昼間の時間帯は男女共に年配者が多いのが特徴だが、上記一般常識の例外ではなく皆さんご自身の年齢等々に関して詳細を語らない。 そのためどなたが何歳程のお年寄りなのか不明のまま、普段お付き合いをしている。 (ジムにて私が毎回お話する親しい女性は67歳である事を承知しているが、その他の方々とは挨拶程度の付き合いのためご年齢の程を存じていない。)


 先日、ロッカールームで偶然一緒になったご年配御婦人2名のうち、一人が私に声をかけて下さる。
 「スタイル抜群だけど、モデルさんでしょ?」
 (実はこのセリフ、ロッカールーム内で度々お年寄り女性達からお声がかかる決まり文句だ。 その問いかけ自体は私にとってはまんざらでもない。 ただ高齢女性の“見る目の不確かさ”など重々承知の上でもある。 こんな年寄り連中しか来ないジム内で、派手なスタイルでトレーニングに励むスリム高身長の私が目立っているであろう事など、当の昔から客観的に自覚済みでもある。)
 それに応えて私曰く、「ありがとうございます。 ですが、とんでもございません。 若い頃には少しはマシな体型でしたが、今となっては体型を保つのに苦心しています。」

 そこですかさず横槍を入れてきたのが、ロッカールームにいたもう一人のお年寄り女性である。
 「若い人が綺麗なのは当たり前じゃないの! 我々の半分程しか生きていない女性が綺麗でなくてどうするの。 そんなの褒めるに値しないよ。」
 その反発の勢いに驚くと同時に、そのご意見に同意した私は女性の方を見た。 なるほど、お元気そうな女性である。
 その女性の反論に応えて私も負けずに曰く、「実にお元気そうですね。失礼ですがお幾つでいらっしゃいますか?」
 女性が応えて曰く、「83歳だけど、ずっと若い頃から身体を動かす習慣があって、その名残で今でもジム通いして健康を保っているのよ。」
 なるほど、「それは素晴らしいですね!」と私は心より賞賛し、その旨ご返答申し上げた。
 確かに若い時代から身体を鍛え続けている人物の健康維持のポリシーは素晴らしい!との感慨深い思いと共に、この高齢者女性達との束の間の会話は終焉した。
 (ただ後々印象として残ったのは、「あなた、私の半分の年齢で誰に口きいてるの?」と言われたかのような一抹の後味の悪さである…)

 さて上記会話に於いて、原左都子として心に留まった事があるのだ。
 ジム内で会話した83歳の女性は、(“私達の半分の年齢”との会話内容に従って計算するに)私のことを40代前半と実年齢よりもずっと若く推測した模様だ。 
 まあそうだとしても実際問題今年還暦を迎える私の方が年下には間違いないのだから、その対応で許されるのかもしれない。


 話題を変えるが、もっとムカつく事態を我が民間企業退職後の若き時代に経験している。

 この我が“ムカつき経験”に関連して、先だってテレビ番組にて同様の面白い事例に遭遇した。 それはフジテレビにて昼間放映している「対談番組」に於いてである。
 その番組に出演していた“某女性お笑い系タレント氏”が、一昔前に民間企業勤務とタレント業をかけ持ちしていた時期があると言う。 既にタレントとして名を売り始めた頃、タレント身分に対する周囲よりの手厚い扱いに浸り“天狗気分”になり始めていたそうだ。 そんな時期に民間企業よりの劣悪な扱いに対し 「誰に口きいてるの!?」 と言いたくなったのとの談話だった。

 実は原左都子も民間企業退職後に2度目の大学の門をくぐった直後、学生達に対し「誰に口きいてるの!?」なる違和感に、身勝手にも苛まれたものだ。 
 当然ながら、一般学生と同列扱いとなる事など承知の上での入学だったはずだ。
 それでも正直なところ、当時バブル経済絶頂期にして既に職業経験を積んでいる私に失礼な物言い(“タメ口”等)をしてくる身の程知らずの学生達には、内心「誰に口きいてるの!」とホザきたい思いが山々だった…  実際あまりにも失礼な学生に対しては、それを言い放ったかもしれない。(その記憶もあるかも…。) 
 ただそれはほんの例外であり、私がその言葉をほとんど発せずに済んだのは、おそらく学内にて良質な学生達と良き交友関係を築きつつ学業を全う出来た故であろう。
  

 ここで、話題を180度転換してみよう。
 
 もしかしたら私側の言動が、相手方にとって 「誰に口きいてるの?」 なる感覚を抱かせる場面もある(あった)事態も推測出来る。  (ただし今の世の中に於いては、カースト制度下でもない限り、「誰に口きいてるの?」と言える程の“特権階級層”がこの世に存在し得るとは思えない時代背景とも考察するが…)
 にもかかわらず、もしも私がとった言動に対して“身の程知らずの失礼な奴”感覚を抱いた人物が万一この世に存在するならば、ひとまずここでお詫び申し上げておく事としよう。


 最後に原左都子の私論を述べるならば、そんな言動を超越した対等な人間関係が築けるならばそれに超した事はないと考察する。

 冒頭にて紹介した、私が通うジムにてお年寄り女性達より頂戴した 「モデルさんですよね!」 「我々より半分しかこの世を生きてないよね。」等々の発言に関して、私は大いなる刺戟を頂けた思いでもある。
 今になって考え直すならば、もはや「誰に口きいてるの?」感覚を抱きそれを根に持つよりも、若輩者の私に「口をきいてくれてありがとうございます!」と申し上げたい思いすら抱ている。  

絵むすび (朝日新聞2015.3.14編)

2015年03月14日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2015年3月14日別刷「be」 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)


 冒頭から私事で恐縮だが、本日朝我が娘が某就活セミナーに出かけるとの事で“早起き”を強いられた。

 ところで私は、我が子を高齢出産にて産んだ直後より現在に至るまで、ずっと「不眠症」に苛まれ続けている。
 事の発端は、産院にての“杓子定規”授乳指導に遡る。
 予期せぬ産前トラブルにより救急車にて大病院へ搬送され緊急帝王切開手術を余儀なくされた私は、産後の入院中にその病院にて「授乳指導」を受けるはめとなった。
 (その授乳指導の“杓子定規”ぶりに関しては、当「原左都子エッセイ集」開設直後の「聖母マリアにはなれない」に於いて公開済みですので、よろしければご参照下さい。)
 医学関係者でもある私が何故“杓子定規”授乳指導などに従わざるを得なかったのかについて説明するならば、当時の我が脳は緊急手術による体力消耗の大打撃を受け、まともな思考回路が閉ざされていた故だ。
 退院後も来る日も来る日も朦朧とした我が脳内記憶により、産院から指導された“杓子定規”の授乳に従い続けた。 スヤスヤ眠る産後間もない我が子を無理やり叩き起こし、夜中に4度の授乳を続けた。 その事態は、母体である我が体力も消耗し続けた… 
 眠れない日々はその後も続いたが、娘の9ヶ月健診時には我が脳内思考力もある程度戻り、担当保健師氏相手に(医学関係者としての)我が思いを対等以上のレベルで議論出来るまでに回復した。
 
 あれから20年程の年月が流れた今尚、今朝のごとく急に“早起き”を余儀なくされる場合、不眠症の我が身にとって前日の就寝時から大いなるプレッシャーである事に間違いない。
 昨夜もその例外ではなく、ほとんど眠れないまま朝の早起きを強いられた私だ…… 



 純粋な「絵むすび」ファンの皆様には、冒頭の記述は我が余談にしか過ぎなかった事をお詫び申し上げます。

 さて、今回の朝日新聞「絵むすび」は久々の“レベル4”だった。

 我が家は集合住宅であるが故に、新聞の配達場所が集合住宅1階玄関オートロックの外にある郵便受への配達と相成っている。
 それ故朝の忙しい時間帯に1階玄関まで新聞を取りに行くことはほぼ困難故に、いつも新聞を開く日が後日になる事が多い中、私は本日昼食後新聞を取りに階下の郵便受けまで出かけた。
 何故ならば、本日の朝日新聞パズルが「絵むすび」であるような予感がしたからだ。 そうしたところ案の定、今週のパズルは 「絵むすび」 だった。

 しかも、今回の「絵むすび」は、久々の  “レベル4”!

 昨夜ほとんど睡眠していない我が脳内も、この「レベル4絵むすび」 課題に大いに触発された。

 
 結論を言えば、如何なる課題とて “経験(スキル)がものを言う” との事ではなかろうか。
 短時間にて解答を導けた。
 脳が働かずして、我が手が自然と動く事を実感させられた今回の「絵むすび」解答である。 

福島原発汚染、廃炉まで詳細情報を国民に開示し続けよ

2015年03月12日 | 時事論評
 昨日(2015年3月11日)、未曽有の大災害「東日本大震災」の発生から丸4年を迎えた。

 未だに発見されない行方不明者や、不自由な日常を強いられ続ける22万名を超過する避難生活者の皆さん…
 この4年間復興がままならないまま、被災地では様々な追悼行事が執り行われた。

 それら報道の中で、当「原左都子エッセイ集」において本日取り上げるのは 「福島第一原発事故」 である。

 朝日新聞記事によると、3月10日現在で福島県の原発避難者は約11万9千人に上っているとの事だ。(要するに、東日本大震災による避難者総数の内、半数は福島原発事故による避難となろう。)
 政府は“汚染地の除染を終えた”との理由で、該当地住民に避難指示を解除し続けている。 ところが帰還をあきらめる人が少なくない現状…。  その一つの理由として挙げられるのは、「放射線被爆による健康被害」に対する住民の皆さんの懸念である。 
 (以上朝日新聞3月11日記事より、一部をアレンジしつつ引用。)
 
 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。

 現自民党政権(及び福島県の地元自治体)は、如何なる放射能数値に基づき原発近隣元住民に対して「避難解除指示」を発しているのであろうか?  
 昨夜視聴したNHK報道によれば、未だ福島原発は深刻な汚染課題を抱え右往左往状態を強いられている事態との様子だ。
 (その報道に関し先程ネット上で検索したのだが検索不能だったため我が記憶のみに頼り説明するなら)、福島原発現場に(1号機から4号機なる)主たる4機の原子炉が存在していた現場に於いて、その中の一つの原子炉が救いようがない程に“壊滅状態”であるらしい。
 この“壊滅状態”とは、過去に於いてスリーマイル島で勃発した原発事故と比しても比較にならないレベルの劣悪事態であり、現在東電現場はその対応に追われているとの事だ。 (しかもその対応を現場技術者に一任している事実も取り上げられていたが、現場で働く人材のほとんどが“日雇い”に近い労働者であるらしい。 一体全体この人達の被爆による健康被害補償を東電及び国家がどれ程真摯に実行しているのか否かも疑わしく、これも大いなる懸念点だ。)

 つい先だっての3月初旬頃、福島県の某漁業団体から「放射能汚染海産物」に関する補償請求が提示された事件も我が記憶に新しい。
 これぞ上記の福島原発原子炉のうち一基が壊滅状態故に、その地下を通して膨大に海へ流れ出た放射能汚染水がもたらした被害と推測出来よう。
 どうか東電及び国家はその事態を真摯に認め、福島原発近い海で漁業を営む住民の皆さんに手厚い補償を執り行って欲しいものだ。

 
 福島原発事故から4年が経過しようとしている去る3月7日、朝日新聞紙面で 「放射性セシウムの行方」と題する記事が公開された。
 その一部を以下に紹介しよう。
 東電福島原発事故で3つの炉心から地上に飛び散った放射性セシウムは森林、田畑、居住地と広い範囲に降り注ぎ今も大きな問題となっている。 (私論だが、そのセシウムの行方を一部の科学者達が4年間に渡り地道に検証していたとの事実に関しては、評価申し上げたい。
 地上に生きる生物各々が身に被るセシウムに関しては、セシウム汚染物対策の如何や生物体間の“食物連鎖”により様々な行方を辿るとの事のようだ。 それでも汚染廃棄物を最終的にどれ程最終貯蔵庫へ持って行く分を減らせるか、が一番のポイントであるらしい。 ところが、現在環境省は汚染廃棄物を最終貯蔵庫へ運ぶ量を減らす事に難儀している。
 更にはその“処理した土”が科学的に“きれい”と将来的に判断されたとしても、その土を使った住宅地に住んでくれる人がいるかどうかも今後の課題であり懸念でもあるとのことだ。 
 
 再び私論だが、真に環境庁がそこまで放射性セシウム研究をやり遂げる意志があるのならば、たとえ今後40年の年月がかかろうと、必ずやそれを国家の責任として最終段階まで成し遂げて欲しい思いだ。


 まだまだ原左都子から言いたい事がある。

 先だっての3月9日、安倍首相はドイツより来日したメルケル首相と対談を行った。
 その場で、「原発」に関するお互いの考え方に関して議論がなされたようだ。
 その会合の場で、安倍氏は「日本のエネルギーの3分の1を原発が担っている。基準をクリアしたと原子力規制委員会が判断したものは再稼働していきたい。」 とのたまったらしい。
 これに対し物理学者の顔も持つメルケル氏は、「素晴らしいテクノロジー水準を持つ日本でも原発事故が起きる。現実とは思えないリスクがあると分かった。 これによりドイツでのエネルギー政策大転換を図り2020年までの原発全廃を決めたが、その理由が福島原発事故だった。」 との事実を会見で明らかにした。 「脱原発」を最後に判断するのは政治家であることも、メルケル氏は安倍首相に対して暗に示した。


 最後に、原左都子の私事及び私論で締めくくろう。

 2011年3月11日 「東日本大震災」勃発と同時に発生した 「東電福島第一原発事故」 により、我が家にて飼育中のメダカが数匹、その後幾日かに及び集団死に至った。(その様子は我がエッセイ集バックナンバー「メダカは死にました」等々に於いて、写真付きで公開済みだが。)
 福島第一原発事故後(私の記憶では3月16日)、私が住む東京都内の水道水貯蔵地にもメルトダウンした原子炉より大量の放射性物質が降り注いだ様子だ。  その頃、私はネット情報より逐一東京都内の「放射線量」を日々注視していた。 風の向き・強さ等によりその上下動が凄まじかった様子を今尚記憶している。

 今現在の安倍政権の「興味・感心」とは、「集団的自衛権」の確立及び「改憲」にしかないような感覚を一国民として抱かされる。
 4年前に勃発した「東日本大震災」と同時に必然性を持って起きた「東電福島原発事故」を安倍政権は現在如何に捉えているのだろう??
 チェルノブイリ事故に匹敵する程の世界的最悪規模「レベル7」原発事故を我が国が人為的ミスにより起こしたにも関わらず、その反省が一切なく更に国内「原発再稼働」を煽るなど、一地球人の常識観点からは、到底信じ難い“非常識”としか言いようがない。

 特に報道各社には、今後40年に及ぶと言われている福島原発「廃炉」時まで、その過程報道を真摯に国民に向けて発信し続けて欲しい思いだ。
 安倍政権に関しては、既に世論の支持率も低下していると見聞している。
 私の予想では、もうしばらくすれば(東京五輪後あたりに)終焉に至るであろうと推測する安倍氏の政権維持力の程は、今後不確実性がますます高まると予想している。
 だからこそ、(たとえ原発稼働推進を志す安倍政権から報道規制の圧力がかかろうと)今後の報道メディア各社よりの福島原発廃炉に向けての積極的な継続報道に期待したい。

 私も100歳までこの世を生き延びて、「福島原発」の廃炉をこの目でしかと見届けたいものだ。

自分に「○○力」があれば人生違う方向に転んでいた??

2015年03月09日 | 自己実現
 今回のエッセイは、朝日新聞3月7日付別刷「be」 RANKING 「私に足りない『○○力』」 に依存して綴らせていただくことを、最初にお断りしておく。

 今年還暦を迎える原左都子の場合、ありとあらゆる能力において急激に低下の一途を辿っている現状を日々思い知らされ、嫌気がさしている。 
 それでもそんな我が身を肯定し受け入れねば今後の人生が成り立たない。 能力低下を自覚しつつも、自分を奮起して残されている脳内活力を図りながら世を渡っていくべきと心得ている。


 以下は、朝日新聞記事の 「私に足りない『○○力』」 に掲げられたランキングを紹介しつつ、我が身に照らして考察していく。

 第1位  「語学力」
 いやはや、これは実に辛い。 
 30代後半頃までは海外旅行に出かけても、何とか現地の人と会話が出来る程度の語学力(私の場合「英語力」に限るが)が備わっていたはずだ。
 直近で海外へ出かけたのは2012年12月。 その時の目的地だったアルゼンチン ブエノスアイレスとはスペイン語が主たる言語の地域である。 その地において、お互い英語が苦手との関係の下、現地の人達とある程度英語での会話が通じ合った。 (参考のため、双方が英語が母国語でない関係で英語会話するのは、実に困難な事態である。)
 昨秋そのブエノスアイレスの知人氏達が、東京にて芸術個展を開催するため来日した。 その時にギャラリーへの交通案内を引き受けた私だが、以前のようには「英語」が通じない自分に辟易とさせられたものだ。 特に我が発音の劣悪さが元凶となり、鉄道を利用しての道中に切符を改札口に入れる動作がままならず、トラブルに巻き込んでしまい実に申し訳ない事と相成った。 それを謝ろうにも、これまた発音が悪い我が英語が通じず、せっかくの来日初日に更なる混乱に巻き込む珍道中だった… 

 第2位  「経済力」
   
 既に定年退職している亭主とは、公的年金部分に関して「独立採算性」を採用している我が家の家計事情である。 私自身の今後30年後までの収入対支出試算は既に計算済みだが、安倍政権及びその後に続く政権の行く末によっては何とも心もとない老後だなあ… 
 それでもまあ夫婦間で「年金独立採算性」を採用している事に、今後も我が自由度が高そうな人生を歩めるとの意味合いで開放感を得ている私だ。

 第3位  「記憶力」
 これぞ低下の一途を辿っている事を認識済みだ。 
 特に「短期記憶」の衰退の程がみすぼらしい…  片や、「長期記憶」に関しては今尚インパクトがある出来事は鮮明に脳裏に蘇って来る事態とは、年老いた懐古趣味の範疇かもしれない…

 第4位  「体力」
 これに関しては、50歳を過ぎてから積極的にジムに通い始め、意識的に体力増強を図っている現在である。
 どこまで体力増強出来ているのかは不明だが、とにかくコンスタントに体力増強トレーニングを実行している事実に於いて、とりあえず自分を褒めたいと思う。

 中を飛ばして…

 第6位 「決断力」、第7位 「行動力」、 第8位 「意志力」、 第10位 「交渉力」
 これらに関しては、まさに我が長き独身時代に積極的に培ってきた能力だ。  今に至って尚、これらの能力が我が人生の要となっている事実に自己肯定したい思いである。

 第12位 「快眠力」 に関しては私も日々悩むところだ。
 毎晩毎晩うなされつつ夜中に目覚めつつ、それでも元医学関係者にして病院にて「睡眠薬」を処方してもらおうとの意思は毛頭ない。

 第9位の 「家事力」 これこそ勘弁して欲しい。 
 私が晩婚に至った理由の第一が、この能力に決定的に欠けていたことに基づいている。(特に「料理力」に於いての話だが。 「一家の要力」や「家計管理力」には長けていて、一家を牛耳っている私だ。)
 実は一昨日、ジムにて仲良くしている私より年上の女性から、「晩御飯はどうするの?」なる質問を受けた。 すかさず「買って帰ります!」と自信を持って回答したところ、「え~~! それはひどい!」なる返答を受け、私こそが仰天させられた。  今時、自分で下手に作るより美味しい惣菜が世に溢れている時代ではなかろうか? 
 “料理嫌い”女性の立場が既に市民権を得ていると思って堂々と発言した私なのに、この年上女性の反論には少なからずのショックを受けた。 (それでもめげずに出来あいの惣菜を買って帰った。 だってその方が、私が作るより断然美味しいんだもの!) 
 


 ここで、朝日新聞当記事内で公開している番外編に入ろう。

 「本当につけたいのは『自分力』。 自分が確立できれば仕事もプライベートももっと胸を張ってきて行ける」(55歳女性) 等々、このアンケートには様々な「○○力」に関して読者の意見が押し寄せた模様だ。
 他にも列挙するならば、「笑顔力」 「青春力」 「感動力」 等々…

 それを言うならば、現在の原左都子はそのすべてを独身時代に虎視眈々と持ち合わせる作業を優先した後に、婚姻に至りその後この世を渡り続けているとも言えそうだ。
 まさに我が人生は、「自分力」開花のために若き時代を主体的に消費したと表現出来よう。
 「自分力」開花こそが一番の目的である私にとって、結婚願望及び子育て願望などずっと優先順位が低かった。
 その間自分磨きに明け暮れる道中、たとえば「笑顔力」や「青春力」 それ故に派生する「感動力」に支えられ、その成就の下この世を渡って来た。


 最後に原左都子の私見で締めくくろう。

 人間皆生まれ持ってのDNA特質及び生育環境が異なるのは自明の理である。
 誰しもが如何なる「○○力」を目的として、この世を生きて許されるはずだ。 

 特に若い世代には、自分自身が目指す「○○力」に誇りを持って人生を歩んで欲しい思いである。
 それによりたとえ他者との間に齟齬が生じたとて、人間関係自体が熟成しているならば他の「○○力」によりいくらでも挽回可能と心得る。