原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

輝く未来ある少年少女達よ、マスクを外して語り合おう!

2015年04月18日 | 教育・学校
 近年、街中や交通機関内で季節を問わずマスクをした若者に出くわす機会が多い。

 原左都子の私論によれば、この現象の始まりとはおそらく国家(厚労省)がインフルエンザ感染予防等の目的で、市民に対しマスク着用を奨励する指導を行った故と考察する。 
 (この厚労省の指導によりマスク製造業界が如何程潤っている事実だろう!??)  実際薬局を訪れると、ありとあらゆる種類のマスクが店内に溢れている現状だ。  結局マスクとは、我が国に於ける厚労省とマスク業界の癒着産物に過ぎないと疑いたくもなるのだが…

 元医学関係者でもある私に言わせてもらうならば、こと感染症防止目的に於いてはマスク着用の医学的根拠の程が乏しいのではないかと判断する。 
 要するにマスク着用を強要する世の風潮とは、むしろ「マナー」観点に基づいていると結論付けられるのではあるまいか。
 例えば都心の通勤通学時間帯の電車内は大混雑している。 そんな場で傍らにいる見知らぬ人物から「ハックショーーン!」なる不意討ちを浴びせられる事実とは、私としても許し難いし気持ち悪い。 そんな場面で相手がマスクを着用していたならば少しは許せる気分になるとの、被害者側の根拠無き単純心理に過ぎないのではなかろうか?
 マスク着用の効用とは、所詮その程度と私はずっと認識している。


 ところが、学校現場等に於いては事はそう容易ではないようだ。
 我が娘が過去に通った私立中高でも、学校側がマスク着用を奨励(と言うよりも半強制)していた。 その趣旨とは、まさに上記通り周囲への「マナー」観点だったようだ。
 インフルエンザ等法定感染症の場合、法律に基づき生徒は主治医より完治診断書が発行されるまで登校が許可されない。 その許可後も“咳”等が続く場合には、「必ずマスクを着用して登校せよ」との学校側の指導だ。
 もちろん「マナー」面ではその指導をよしとするべきだが、これを教育者側が煽り過ぎる事の弊害を当時より私は懸念していた。

 ついでに私事を続けるなら、本日、現在大学生である娘がマスクに関して興味深い話題を提供してくれた。
 娘が通う女子大学でも、マスク着用学生が(感染症等とは一切関係なく)少なからず存在するとの事実だ。 何故、彼女らはマスクを着用して登校するのだろう!? 
 なんと! その理由とは時間不足でメイクをする暇がなかった故との事だ!
 アッとビックリだが、実は原左都子とて高齢域に達して尚“メイクせずして外出しない主義”のため、その心理自体は理解出来る気もする…   などとは言っていられない! 今後、社会に進出する若い年代の人物は、必ずや外出前にメイクをする時間を確保するべきだ! (それしき不能で、まさかまさか電車内等人前でメイクを施すなど社会人足り得ず世も末の光景だが…)
 ここで一旦原左都子の結論を述べるなら、メイク等外見要因で自分を演出したいのならば、マスクでノーメイク顔を隠すなどとの姑息な手段に頼らず、早起き等の努力をして堂々とメイク顔を披露せよ!とアドバイスしたいものだ。


 今回のエッセイを公開するきっかけを得たのは、我がエッセイ集読者であられるY氏よりメッセージを頂戴した事による。

 現役高校教諭であられるY氏の記述によれば、現在の高校教室内で年中 四六時中マスクを着用している生徒が少なからず存在するとの事実だ…。
 その事実にマイナスの意味合いで興味を抱いた私は、Y氏にその旨返信申し上げた。

 そうしたところY氏より大変興味深い「校内マスク調査結果」返答を頂戴したのだ! これに私は更なる感激を頂いた。(Y様、まさにありがとうございました。この場で御礼申し上げます。)

 Y氏の記述によると、現在高校教室内にてマスクで顔を隠す「マスク少年少女」の深層心理とは…
 ・顔にコンプレックスがある(頬、口元、歯並び、鼻など)
 ・表情の変化を見られたくない  (これはやんちゃな男子生徒に多い感じがします。注意や指導を受けている時に都合がよいのでしょうか。 怖いおじさんのサングラスの役割でしょうか。)
 上記2つが大半の理由だと思います。 つまり自分を見せたくないという事でしょうか。
 マスクを外すことが出来るように自信を付けさせる事も私達の仕事の1つだと考えています。
 番外編として
  ・飴やガムを食べていても口元が見えないのでバレない
  ・日焼け防止(運動部のマネージャー)
  ・すっぴん(おばさんみたい(笑))
  ・たばこの匂い防止
 (以上、「原左都子エッセイ集」を継続してお読み下さっているY氏より頂戴したメッセージから一部を紹介させて頂いた。 Y様、身勝手に我がエッセイ集内でこの話題を取り上げ公開させて頂いた事を改めてお詫び申し上げます。 ただ、それ程にインパクトがある話題でした。)

 
 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 国家による感染症予防手段としてのマスク奨励指導が、現在に於いては若者の間で自己のアイデンティティ暴露回避の“隠れ蓑”になっている始末……
 確かに諸外国に於いては、「マスク文化」など(イスラム過激派以外は?)皆無と見聞するが…

 世紀の米国大リーグとてガムを噛みつつ闘う選手が多い現状ではなかろうか。(ただし学校の教室内授業中のガム噛み行為はやはりみっともないよ。)  あるいは私も日焼けは回避したいし…(でもマスクでは目元の日焼けが防げないよねえ。)  「すっぴん」だとおばさんみたい…?? (これなど私には切実な課題だが…)  しかも「たばこの匂い防止」…(高校生に限らずタバコは健康のためやめようね。)
 なるほど。 現在の高校生の心理とは私が現役で高校教員だった頃と少しも進化がない事実を、Y氏よりのメッセージで再確認させて頂いた。

 変化したのは、国を上げて「マスク着用」を国民に煽っている事態であろうと考察可能な気もする。
 まさに日本に於ける「マスク文化」とは、(特殊分野の人が愛用する)「サングラス文化」と同様か、ある意味では庶民にとって自己表出との場面に於いて、更なる「仮面を被る権利」をも保障してしまったと表現可能ではあるまいか?
 
 ここは世界標準にのっとり、「マスク」ごときが感染症を壊滅不能な事実を国家こそが悟り、せめて「マスク着用」を未成年者を含め庶民相手にむやみやたらと奨励する指導を撤廃しては如何か?

 マスクを外して一時でも誰かと語り合ったり微笑み合う事こそがよほど自己が活性化され、歪んだコンプレックス解消に繋がる事に間違いないよ!

著名人と“同姓同名”である事のエンターテイメント力

2015年04月16日 | 雑記
 「原左都子エッセイ集」開設後 半年頃の2008年2月19日に、私は「同姓同名物語」なる表題のバックナンバーを公開している。

 そのエッセイの一部を要約して以下に紹介させていただこう。

 当エッセイ集に於いて私はペンネーム「原左都子」を使用しているが、我が本名は実はある著名人と同姓同名である。
 詳細を語ると本名がバレるためほんのちょっとだけ話すが、その著名人が、な、な、なんと超美人!!なのだ! 既に現役を引退している人物のため若い世代の方々には馴染みはないであろうが、ある年齢以上の世代の方々にとってその名前を知らない日本人はいない程、一世を風靡した人物である。
 当エッセイ集を立ち上げるにあたり、私は散々迷った。 このまたとない“光栄な本名”を使用した方が得策か、はたまたペンネームを使うべきか…。 結果としてあえてこの映えある本名をはずしペンネームを使用した理由は、第一に個人情報及びプライバシー保護の観点。 そして当該著名人ご本人とのネット上での混乱を避けるため。 加えてその人物の美しさや知名度にあやからず、自身のエッセイ実力で勝負したい!と目論んだためである。  その結果として“原左都子”はやはり、このペンネームを使用して大正解だったと判断する。
 私が光栄な本名をゲットしたのは婚姻後姓が変わったことによる。 実は私の旧姓も現在の本名と大差のない氏名だった。 昔、親から聞いた話によると、私の名前自体は父親に考えがあって名付けたらしいのだが、苗字との釣り合いも考慮し、やはりその著名人も少し意識しての命名であったらしい。
 私は晩婚に当たり、こんなすばらしい氏名は二度とゲットできないとほくそ笑んだものである。 この新姓がとにかく万人受けするし、すぐに覚えてもらえるしで大成功だった。 今後万一離婚に至れども決して改名はせず、現在の氏名を一生使い続けたいと目論んでいる。
 私はこの本名のお陰で日頃大いに得をしている。  まずどこへ行ってもすぐに憶えてもらえる。 そして話題性がある。 この氏名のお陰で大抵は相手方と話がはずむのだ。 と言うのも、その著名人は超美人であることに加えて清純なイメージを押し通したまま引退したらしく、時代の変遷にかかわらず今なお高い評判を得ている人物である故だ。 特に往年のファンにはこの人物が嫌いだと言う人物は一人としておらず、大抵の人(特に男性)は絶賛する。  加えてこの氏名のお陰で世間の反応も面白い。これが楽しめるのだ。 例えば、病院や役所、銀行等の公共機関で順番待ちをしていて氏名を呼ばれる場面があるが、「○○○さ~ん」とお声がかかり立ち上がると、周囲のほぼ全員が一斉に私に注目する。 本来目立ちたがり屋の私はこれが“快感”だ。
 この氏名のデメリットと言えば、たまに「本名ですか?」と確認されたり、意見書を提出したような場合、“偽名”と疑われる事がある程度だ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用。)


 本日このエッセイを綴るきっかけを得たのは、昨日私の元に某来客があったことによる。

 その来客人物とは、我が家の近くに位置する某金融機関の営業担当氏である。
 昨年夏、原左都子単独所有の賃貸不動産物件を売却し、その売却資金すべてを当該金融機関へ入金した時点から、どうやら私は当金融機関の“VIP顧客”扱いとなっている模様だ。
 それは一応よしとしても、賃貸物件を売払った私にはもはや金融機関へ“奉仕”可能な資産など現時点では一銭たりとて無い有様だ。  故に営業担当氏が自宅集合マンションオートロックを訪れる都度、1階玄関で門前払いにてお引き取り願っていた。

 ところが、昨年11月に我が自宅近くの支店に新就任したとの上記金融機関担当氏の営業力の程が並大抵ではない事実に、私も気付いていた。
 度々1階玄関先で自宅への訪問を断わろうが、その後幾度もマンションを訪れ我が家のチャイムを鳴らす始末だ。 しかも「モニター」にて確認するその態度が常に低姿勢であることを確認していた私は、昨日初めて上階の我が家まで招き入れたとのいきさつである。

 最初に当該金融機関への我が資産預入れに関して感謝の言葉を述べた後、当営業担当氏が言い始めた話題に私は驚かされるはめと相成った。
 「私は元々映画ファンでよく映画を見に行くのですが、特に昭和期の小津安二郎氏のファンでもあり氏の映画を鑑賞する趣味があります。 そのため主役を務めている女優氏に関しても十分把握し、昭和の大女優○○○氏に関して素晴らしい女優氏と感嘆致しております。 この度、私が転勤した支店の顧客様の中に同姓同名の女性が存在することに驚きました。 是非とも一度お会いしたく、何度も訪問致しましたことをお詫び申し上げます。」

 これがたとえ営業マン氏の“リップサービス”であったとはいえ、確かに半端ではない映画観賞力である事実には間違いない! それに恐れ入った私はしばらく営業マン氏と語り合う事態と相成った。
 それがそもそも営業担当氏からの更なる預金勧誘手順だったとしても、私側もそんな事は二の次でよい感覚にもなったといえよう。 「お若い年齢層(おそらくアラフォー世代)ですのに、よくぞまあ小津安二郎氏の映画など見たいと思われましたね! 実は私本人が某女優と同姓同名であるにも係らず、テレビでしか氏の映画を見たことがないのですよ。」と言う私に対し…
 「それは残念です! 小津安二郎氏の映画を是非とも映画館でご覧下さい。」 「女優○○○氏とは、昭和史は元より、日本映画史に残る名女優であることに間違いありません。 それにしても素晴らしいご氏名ですね!」と言い残し、当該営業担当氏は何の営業活動をするでもなく我が家を去って行った。


 最後に原左都子の私論を述べよう。

 はてさてこの金融機関の営業担当氏は、今後著名人と同姓同名である一顧客の私から何らかのフィードバックが得られるのであろうか??
 それぞ困難かつ難儀なのは、「金融機関」に於ける今後の歪んだアベノミクス経済政策にかかわっているが故だ。  昨日のニュース報道によれば、日銀黒田総裁は今後も安倍氏に迎合しつつ金融緩和を続ける意向らしい。

 少しは本気でこの世を将来引き継ぐ世代である若者の意向も慮った上で、経済政策を考え直せよ!と言いたくもなる。

後見人無き高齢者とは自治体側には美味しい存在かも?

2015年04月13日 | 時事論評
 義理母がケアマンション(有料高齢者介護施設)に入居しその保証人を務めている我が家に、先月ケアマネージャー氏より電話が入った。
 その要件とは、「お母様が預金通帳をお持ちのようだが、出来るならば保証人様の方でその通帳を管理して頂けないか?」との事だ。
 当該用件以外にも義母の体調等医学方面に関して相談するべき事柄があり、我々夫婦は早速ケアマンションへ出かけた。

 そうして我々は義母担当のケアマネジャー氏と話合いを持った。
 (参考だが、義母一族はかつて事業を営んでいた故に、現在に至って尚ある程度の資産を保有している。) そのため義母名義の預金通帳が数冊あり、そのほとんどに関して保証人である我々夫婦が現在手元にて保管し財産管理を実行している現状だ。 
 片や、義母がケアマンションにて個人使用目的で日々必要な“小遣い”を逐一ケアマンションへ保証人の立場から持参するのも面倒な作業のため、義母には一冊だけ預金通帳を持たせ、それを自由使用可能との措置を採っている。
 「確かに通帳残高が高齢者に持たせるには高額と判断するが、元々経済力ある母故に、保証人としてはその使途を母自身の判断に任せたく考えている。 もしもケアマンション内で何らかの事故が発生してもそれも想定内との措置故に、今後共母に1冊のみ通帳を持たせたい意向です。」
 これに対するケアマネジャー氏の回答とは、 「保証人様のご意見を十分承知致しました。今後共お母様がご経済力がおありだったお立場を尊重して参ります。」 これで一件落着した。


 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。

 実際問題、身内高齢者の財産管理とは実に煩雑かつ難儀な業務であろう。
 私自身が義母の財産に関する「税務管理」を2年前より執り行っているが、自分自身の財産ではない資産の管理とは並大抵のことではない。 ましてや、私はこの業務を義理姉死去後突如として引き受け管理する事態と相成った。
 まったくもって当初訳が分からない義母名義財産の現状把握から開始して、それに伴う親族相続関係等の実態の詳細を事細かく分析する作業から開始した。 2年が経過した現在、やっとこさその全体像が掴めるに至った有様だ。  しかもしかも、義母には我々長男夫婦以外に「法定相続人」が存在する現状…。
 それでも、我々夫婦が義母から一番“信頼を得ている”故に成り立っている保証人の立場である。


 朝日新聞4月5日付朝刊トップ記事に、「身寄りない認知症高齢者財産保護 自治体の後見申請急上昇」なるテーマが掲げられていた。

 これぞ我が現在の苦悩に通じそうだと捉え、当該記事を要約して以下に紹介しよう。
 認知症などで判断能力が不十分になった高齢者に代わり、親族や弁護士らが財産管理を担う「成年後見制度」の申し立て状況について調査した結果、市町村長による「首長申し立て」の件数が例年より年々増加している現実だ。
 ところがそんな年寄りを放置すると孤独死に至る可能性もある中で、確かに「身寄りなし・虐待の高齢者救済」が難儀にならざるを得ない現状、とも朝日新聞は訴えている。
 要するに、「身寄りなし・虐待の高齢者救済」が現在急激に増殖しているとの事実だ。

 その実態に於いて、後世に残された身である子孫達が介護・後見するべき高齢者に如何程の「遺産」が残っているのかこそが、高齢者が子孫達に優遇されるか否かの分かれ道となっている現状ではあるまいか。
 要するに、「親族に相応の遺産が残せる」高齢者達とは、後続世代より大いに歓迎される立場にある事に間違いないのであろう。 
 片や、それに該当しない高齢者とは遺族に捨て去られる運命を背負っているとの実態ではなかろうか??


 そんな現実下に置いて、後見人無き(ある程度の遺産ある)高齢者の面倒を看つつその「後見人」になろうとする自治体や弁護士団体とは、結構恵まれた存在と判断可能ではあるまいか?

 そのように解釈可能な文面も、朝日新聞記事に掲載されているのだ。
 「青年後見人はどうやって決まる?」 「認知症の人などには判断力が弱い順に3段階ある。 親族や市町村長の申し出を受けて家裁が決める。」 「高齢者の年金や預貯金、不動産の管理や公共料金の支払い、介護施設の入居契約などをもらえる。」  「その費用は?」 「申し立て時は自治体で行うが、他に本人の能力を調べる鑑定料等が掛かる場合もある。」   総合して「後見人への報酬額は月2~3万円」 財産が5千万円を超過すると月5~6万円程が目安」…

 へえー、そうなんだ。
 親族後見者無き人物の後見人を自治体や弁護士団体がその後を引き継いだ場合の後見金額が、場合によっては月5~6万円が目安!?! 

 そんな高額後見金額を、自治体等が身寄り無き高齢者から搾取していたんだ! としか言いようがない。
 何故ならば、我が家とて亭主定年退職後は夫婦相互の「独立採算家計」を築き上げている所以だ。 それぞれの家系親族の相続遺産をそれぞれの老後の資産とすることを約束している。
 その立場に於いて、私は亭主側義母の財産管理を全面的に委任されている。 その管理委任報酬として月5~6万円を貰える立場だったのだ! え~~~。 私はそんなにもらってないよーーー。

 と、今更訴えたとて、恐らく亭主に喧嘩を売るだけの話なのだろう…。
 ここは私が大人になって、今後共低額後見手数料にて義理母の親孝行を続けるべきなのだろうなあ。

骨折記念日

2015年04月11日 | 医学・医療・介護
 昨年4月12日に自宅バルコニーにて洗濯物取り込み中に転び、左鎖骨及び右手首2か所を同時骨折して以降、明日で丸1年を迎える。

 これぞ我が人生最大の大怪我であり、整形外科医を受診したのも産まれて初めての経験だった。 まさに“青天の霹靂”であり、私にとっては「記念日」と称するに値する出来事である。


 いえいえ、骨折自体は我が人生に於いて何度か経験している。

 小学校中学年の頃、就寝中に足の指(記憶によればおそらく左足第4指辺り)を掛布団に引っかけて骨折した事がある。
 その時の痛みの程が尋常ではない事を親に告げたのだが、「そんなもの直ぐに治る!」とけんもほろろに無視されてしまった。 確かに通常の怪我など2,3日も経てば治る事は子供心にも既に経験済みのため、痛みに耐えつつ日々を過ごした。  その後2週間程が経過しても痛みが消えないため再び親に訴えた。 相変わらず「放っておいたら治る!」との回答だ。 (そもそもこの頃から、私は我が親どもの態度に不信感を募らせ始めていたのだが…)
 保護者である親に2度に及びそう言われてしまえば、子供としては打つ手がない。 もう諦めた。 私は学校での日常(体育授業も含め)すべてを足指の痛みを耐えつつ普通にこなした。
 後の考察だが、当時の我が怪我とは「骨折」だったのであろう。 それが証拠に1ヶ月程で完治した記憶がある。 

 次なる骨折私事は、我が30代後半期教員時代に被った(あくまでも極秘処理するべき)骨折体験だ。
 これに関しては当エッセイ集バックナンバーにて既に公開済みのため、ご存知の読者の方もいらっしゃる事であろう。
 (実に顰蹙な話だが)何分生来“飲兵衛”体質の私。 バブル経済後半期頃高校教諭をしていた私は、職務を終えた時間帯に飲兵衛仲間達との“居酒屋”等飲み処をはしごする日々だった。   そのはしごの行き着く先は「カラオケ処」である。 ある日、何軒かをはしごした後に辿り着いた「カラオケ処」にて、私は椅子から転げ落ち胸を強打した。  ところが酔っ払っているが故にその痛みがさほどでもないのを良きこととして、私は帰宅した。 帰宅後の夜中から胸の激痛が増すのだが、現役教師としてはそんなことは言っていられない。 次の日にはきちんと職場である高校へ出向き、いつも通りの職務を果たす日々が続いた。  
 当時既に医学経験を積んでいた私は、“肋骨骨折”と自己診断していた。 加えて法学経験もある私は、自己の瑕疵(例えば酒による負傷等)による怪我に関しては、医療保険対象ともならない事実も承知していた。 
 ただ肋骨骨折とは一般人にとってさほどの苦悩を伴わない骨折らしく、それに気付きもしない患者氏も存在するようだ。 その一例である私は胸の痛みに耐えつつも、医療に頼ることなくほぼ1ヶ月程で完治に至った。

 数年前にも、自宅にて左手薬指骨折を経験している。
 それは着替え中の出来事だ。 足元がふらついた私は咄嗟に左手で近くにある椅子を掴もうとした。 ところがそれに失敗し、激しく左手を椅子にぶち突けた!  薬指の痛みはその後1ヶ月続いたが家族の誰に直訴するでもなく、私は咄嗟に「骨折」と判断し、完治までの1ヶ月を普通に生活しつつ耐え抜いた。   

 そして迎えた我が大災害こそが、昨年4月12日の両腕2カ所(正確に言うと左鎖骨と右手首骨折)の全治2ヶ月重傷の大怪我である。

 この日(というよりそれ以前に発生していた)我が身にまつわる“予期せぬ惨事”に私は心を痛め続けていた。
 我が所有賃貸マンション物件に新たな賃借人氏を迎え入れたのはよかったのだが、それを仲介した不動産会社から「賃借人氏よりクレームが出ているから直ぐに仲介会社まで来て欲しい」との要望だ。 既に20年の年月に渡り賃貸歴がある私としては、オーナーに向かって現地に来い!なる仲介会社からの指示は初めての経験だった。 それでもその指示に従って現地に向かったところ、(私の解釈では)“ヤクザもどきの賃借人”に仲介会社が難儀していたとの事実だ。 出来れば仲介会社こそがその対策を打って欲しかったものの、それが叶わず(今時の新進不動産仲介会社とは経験不足の若手社員が多い有様だ。) やむを得ず、オーナーである私に事の決着を頼ったと判断した。 
 そうだとしても、賃借人側の要求額の程が尋常ではない。 それにすべて応えるか否か等々を含め、我が所有物件に関する最終結論を投げかけられる程の事態と私は判断した。 その後、ある程度賃借人の要求に応じつつ、我が賃貸物件事態を売却するべきとの判断に至った。
 それ以前に遡ると、特に昨年4月頃は“ヤクザもどき”の賃借人氏から日々直接、我が家の電話やメールアドレス宛に「ここが不備だから改築しろ!」、やれ「排水管が詰まっているぞ!」 「こんな古い物件に賃借人を入居させた責任をオーナー側が取るべきだ!」 さて「修繕中のホテル補償しろ!」 「修理中の労働対価を保障せよ!」等々… 言わせておけばきりがない…。
 私としては自分自身に法的バックグラウンドがある事を相手に明示しつつ、賃借人側よりの全ての要求に対し出来る限りの「修繕及び補償」を紳士的に実行した。 その総額が150万円に上ったとの事だ。
 その後それ以上の損失を避けるべく、当該不動産物件を「オーナーチェンジ兼リノベーション対象物件」として売却するに至った後、“ヤクザもどき”の賃借人氏より私宛に何も言って来ない事実に大いに安堵している…。


 私事が長引いた事をお詫びしよう。

 要するに、何故私が昨年4月12日に自宅バルコニーで突如として転ばざるを得なかったのかを今解説するなら、当時私は上記のごとくの人生に於ける大きな難問課題を一身に抱えていたのだ。
 何をなすにも“ヤクザもどき賃借人”よりの理不尽な要求が頭から離れなかった。 あの日洗濯物をバルコニーから入れる時にも我が脳裏には“ヤクザに如何に対応するべきか!??”なる課題が多くを占領していたと推測する。 そして、私はその“ヤクザもどき賃借人”に背後からぶち倒されたような感覚だった…
 結果として左肩からバルコニーの地面に直撃で突き落とされた(感覚の)私は左鎖骨を骨折した。 その際、右手を植木鉢に打ち付けた事で2箇所の骨折を招いたと結論付けている。


 よく言われる世間の談話では、「骨折など“時間薬”であり時が経過すればすぐ治る」との決まり文句だ。 ところがそれはまったくもって迷信である事実を、今年還暦を迎える骨折経験者の私から指南しておこう。
 「骨折が日にち薬」とのセリフとは、おそらく子供相手か、あるいは骨折経験がない人物からの“希望的観測”に過ぎないであろう。
 
 明日「骨折記念日」を迎える私も、実は左鎖骨及び右手首周辺に今尚“違和感”がある事が否めない。 
 そんな事実が許し難く昨日もジムにて両腕を鍛えて来たのだが、トレーニングをやり過ぎると直ぐに骨折箇所周辺の関節が痛むのだ…  実に情けない思いだが、「骨折が日にち薬」なる表現とは、あくまでも回復が早い子供相手に発するべきと再度指南せざるを得ない。 

 私自身が「骨折記念日」を設け、今後決して骨折だけはしない人生を歩むべきと志している。

 世間の高齢者の皆様がもし未だ骨折経験がおありでないならば、ご自身が思われている以上に高齢にての骨折後の人生がままならない事実を、明日「骨折記念日」を迎える私から今一度是非共お伝えしておきたいものだ。

「あなたが嫌いです。」

2015年04月09日 | 人間関係
 (写真は、原左都子20代半ば頃 バリ島にて。 30数年前に撮影したこの写真を掲載した理由は、本文をお読み下されば判明します。)


 「原左都子エッセイ集」ほぼ1年前 2014.3.10 公開のバックナンバー 「悪口を言われる事とは自身に存在感がある証拠」 が、当エッセイ集本日の Popular Entries トップ10入りをしているようだ。

 これを見て思い出した。
 実は私は20代半ば頃にも、職場の後輩女性(年齢はあちらが上)から、面と向かって 「あなたが嫌いです。」と直言された事があるのだ。


 上記バックナンバー内でも記しているが、私は小学6年生卒業間近の頃にクラスの一男子生徒から 「お前が嫌いだ!」 と罵倒された経験の持ち主でもある。
 以下にその部分のみを振り返らせていただこう。
 時は我が第二次反抗期、小学6年生頃の出来事である。
 当時より既に大いなる“天邪鬼批判気質”を内に秘めていた私は、早くも学級担任批判を展開した。 その批判の手段とは国語の時間に課せられた作文内なのだが、私は「学級担任とは“えこひいき”をするべきでない」なる表題の作文を仕上げて提出した。
 作文提出直後に私は担任から教室内全生徒の面前で“吊し上げ”措置を食らったのに加えて、一男子生徒より「お前が嫌いだ!」なる直訴を受ける事態と相成った。  男子生徒曰く、「クラスの皆が仲良くしようとしているのに、何でお前だけが反発ばかりしているのだ! お前のような奴がクラスにいるのは迷惑だし、先生が可愛そうだよ!」   この一男子生徒よりの暴言に、私は敢えて反論はしなかった。 幼き頭で“自分の論理こそが正しい!”と信じていたから黙って耐えた。
 その後の教室内では、特に目立った動きはなかった。 クラスの誰かがどちらかに迎合するでもなく卒業式の日を迎えた。  ただ大人であるはずの担任だけは、私に対する“憎しみ”の思いを卒業後も募らせていたようだが…      
 (途中略して、以下は結論部分だが)  この私など幼き頃に“お前が嫌いだ!”との「悪口」を周囲から“直言”されたことがきっかけで我が“天邪鬼気質”を確認して、この世を力強く生き延びているとも表現可能だ。 そんな批判精神旺盛な自分を肯定できることを武器として、今後も年老いていくつもりだよ!
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)

 当該エッセイの趣旨は、女子高校生が“陰で悪口を言われている”事態に悩んでいるのを受けて、そんな事を気にするには及ばない、との我が結論を導いた内容である。 
 もしも私の事例のごとく、相手から面と向かって否定的言論を直言されたのならばともかく、“陰での悪口”とは受け取る側の勘違いや妄想の場合もあり得る。
 片や相手よりの悪口の“直言”とは、それを言われた自分自身の存在感の大きさを物語る証拠とも受け取れ、将来に向けてむしろ自己発展上プラスに作用する。 とアドバイスしたものだ。


 ここで話題を表題に戻そう。

 時代はおそらく我が20代半ば期と記憶している。
 その当時私は既に新卒にて就職した民間企業にて“生え抜き”で一部門のリーダー格の地位を築いていた。
 そこに入社して来た一人の女性がいた。(ここではA子さんと名付けよう。) A子さんとは要するに中途採用者なのだが、某大学研究室にてある程度の研究実績を立ち上げた後“縁故採用”にて当該民間企業に再就職したと見聞している。
 紛れもなく美人だ!  業務上の実力の程に関しては我が所属係と異なるため不明なのだが、分野が同じ故に接触する機会は幾度かあった。  会社内に於いてA子さんは後輩とは言えども相手は年上。 更には“縁故入社”の噂を聞いていた私はその対応に多少難儀・苦慮した。 おそらく私はA子さんが年上である事を尊重して、丁寧な対応を心掛けていたと振り返る。  その時の感想としては、プライドが高そうな割にはご自身が“縁故入社”故の後ろめたさもあるのか??、どうもA子さんの私に対する態度のちぐはぐ感が否めなかったものだ。

 そんな折、A子さんが“ダイビング”の趣味があるとのことで、同趣味の我が部下女性が社内でA子さんと仲良くなった話を聞いた。
 折しも私がバリ島旅行(上記写真参照)を企てていた頃だ。 部下女性曰く、「A子さんのダイビングインストラクター氏が何度もバリ島に行っていて詳しいから、今度A子さんと一緒にそのインストラクター氏の話を聞きに行きましょう!」  年齢近き部下にそう言われて拒否出来る訳もないし、そもそも私もまだまだ若き時代だ。 ダイビングには興味がないものの、バリ島に関して詳しい話を聞けると思った私はその誘いに乗った。

 そして出かけた先は、当該ダイビングインストラクター氏が経営しているショップだった。
 ただダイビングに関してやはり一切の興味が抱けない私は、インストラクター氏の話を空耳で聞きつつ店内をそれとなく見回していたと振り返る。
 十数分が経過した頃、そのインストラクター氏の関心が突然私に向いたのだ! そう言えば、この男性がダイビングには興味無さそうな私に時折チラチラと視線を送っている感覚もあった。 そして言うには…
 「あなたって、面白い顔をしてるね!」
 私自身は、これを“褒め言葉”と一瞬にして解釈した。(このインストラクター氏、私に興味を持ったのかなあ?)なる感覚だ。
 ところがA子さんの解釈はまったく異なったようだ。(要するに“面白い顔”を“変な顔”と悪い方に解釈したのだろう。)  そこでA子さんが「プッ!」と吹き出したのも、その場にいた皆が認識した事であろう。
 さてさて、どちらの解釈が正しいのかは、今となっては私には計り知れない事実だ。 
 ただその後、インストラクター氏が私に対して「バリ島に行くならば、絶対にダイビングをするべきですよ!」と勧めたくれた事実を記憶している。 残念ながら、どうしてもその趣味が無かった私にとっては当該インストラクター氏とは単なる“一期一会”の出会いでしかない。


 そんな事を経験した間もない頃の事だっただろうか。
 
 会社からの帰り道で、駅への道を前を歩くA子さんを偶然見つけた。
 「今日はもう仕事が終わったんですか?」 と問う私に対し、しばらく黙ったA子さんが私に告げたのが…
 「あなたが嫌いです。」   なる一言である。
 この一言には、未だ若き私は実に困惑させられた。 
 一体全体、私の何が嫌いなのかが咄嗟に分析不能だったものだ。 ただ当時の我が脳裏に過ったのは、私こそが職場の先輩であるとの事実だ。 A子さんとは要するに“縁故採用”が社内にバレバレの存在でしかなく、その身分にして対照的に“生え抜き”で頑張っている私を敬遠したかったのではあるまいか??
 更には、社内友人を通じて自分の趣味範疇にまで私に侵入されてしまった…  もはや逃げ処が無い…

 今となっては私としては、一時とは言えども彼女のプライベート趣味分野をも侵害した事実を申し訳なかったと謝罪するしかないような思いだ。

 それにしても、遠い過去の時代に私に対して「あなたが嫌いです。」と言い放ったA子さんは、その後如何なる人生を歩まれているのだろう?? 
 結局社内での存在感が薄かったA子さんは、早期に退職したような気もするのだが…  と言うのも、その後のA子さんに対する記憶が我が脳裏に一切無いのだ。

 私にとっては、「あなたが嫌いです。」と直言した希少な存在のA子さんの現在にこそ、多少興味があるのだが…