原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

背骨が歪むと気持ちも歪みそう…

2016年12月17日 | 医学・医療・介護
 昨日、いつも通っているスポーツジムへ行った時のことだ。

 半年程前より私を見つけると話しかけて来る、気さくでとてもお元気そうな高齢男性(本人がおっしゃるに現在78歳らしい)がいる。
 その男性が、トレーニング走路にて走り終えた私に声を掛けて下さるには…
 「後ろから見ると、体が左に傾いているよ。」
 自分でも心当たりはある。 ランニング練習5㎞終盤になると息絶え絶え状態になり、自然と体が左に傾くのを自分でも自覚している。
 「ランニングの終り頃でしょ?」と高齢男性(“おじいちゃん”と呼んだ方が当該人物像に近いのだが)に確認すると、
 「いや、最初からずっとだよ。」と“おじいちゃん”は容赦なく私に告げる。
 私としてはこの発言がかなりショックだったのを演技力でカバーしつつ、「元々背骨が歪んでいると幾度か医師より指摘されているので、そのせいで体が傾くんです。」
 それに応えて“おじいちゃん”曰く、「あっ、失礼だったらごめんね。」 
 そして“おじいちゃん”は、急いで話題を変えてくれたのだが……

 “おじいちゃん”からのご指摘がどうしても気になって、その後のトレーニングに身が入らない。
 心がヘコみつつもいつものトレーニングメニューをこなし帰宅し、夜になって帰宅した娘に早速確認した。
 「今日ジムの“おじいちゃん”から身体が左に傾いていると指摘されたんだけど、見てもらえる?」と言いつつ、後ろ向きで歩いてみた。
 そうしたところ、娘の回答が“おじいちゃん”に増して容赦ない!
 「腰から上が完全に左に傾いているよ。」


 実は我々母娘と実母を含め3代に渡って、「側彎症」 の傾向がある。
 娘に関しては、子供の頃に習っていたクラシックバレエ教室の指導者から背骨の歪みを指摘され、その後実際に整形外科医より「側彎症」の診断が下り、コルセットまで特注し、その対策のため一定期間通院させている。
 我が実母など、背骨の歪み故に足腰に負担がかかり結果として腰が曲がり、現在高齢者介護施設にてリハビリに励んでいるとも言える。
 この私も同様だ。 私の場合は基本的に“病院へ行かない主義”のため、こちらから好んで診断を受けてはいないのだが、過去の健診に於いて、胸部レントゲン写真を診断した医師から「背骨が曲がっていますよ」なる指摘を複数回受けている。


 さてさて、それではどう対処しましょう?
 私としては自分の背骨の歪みは過去の医師の指摘により十分に自覚し、実母のように将来腰が曲がらぬよう積極的にトレーニング等に励んだりランニンで身体を鍛えているつもりだ。
 そんな努力に関わらず背骨の歪みなるDNA資質が我が身体を左側へ傾かせている事実に、如何に対応せよと言うのか??
 これは冗談だが、ペンネームを「左都子」などと名付けた事が諸悪の根源だったのか!?! 
 いやいや、元々左利きだったらしき私の体は、そもそも左へ傾く運命にあったのか?!?


 いえいえ努力家の原左都子としては、そんな馬鹿げた弱音を吐いている訳には行かない。

 ジムの知り合い“おじいちゃん”がせっかく指摘して下さった事実をきちんと捉え、今後の対策を考えねば。

 そんな折、ネット情報より素人にも分かり易い「背骨の歪み」に関する情報を得た。
 (参考だが、私自身は元医学関係者にして解剖学等の基礎医学は過去に習得しているものの、臨床整形外科医学に関しては十分に周知してはいない立場であることを明記しておく。)

 以下に、そのネット情報の一部を要約して紹介しよう。
 正しい姿勢が崩れると、背骨が曲がったり骨格・骨盤にゆがみが生じ、慢性的な頭痛や肩こり、腰痛、内臓障害などのさまざまな症状を引き起こしやすくなる。
 人間の体を支えているのは、いわゆる背骨と呼ばれている脊柱。  脊柱は椎骨という短い骨が26個積み重なってできている。  正常な脊柱は正面から見た場合はまっすぐで、横から見ると首の部分が緩やかに前に湾曲し、続く背中の部分が後に湾曲し腰の部分が再び前に湾曲しているS字型になっている。 これが正しい姿勢。
 脊柱(背骨)は、単に柱の役目だけをしているわけではなく、脊柱の中には体の各部分に張り巡らされた神経の中枢組織である脊髄が通っている。
 正しい姿勢で脊柱を保護することが健康維持に大切。 私たちは重力の世界に生きているので、日常の行動はすべて重力に逆らっている。 重い物を持って急な階段や坂道をのぼるとすぐに疲れてしまう。 
 正しい姿勢を横から見ると、「耳を通った重心線が体の中心を通り、脚部を離れることなくかかとに達する」こと。  その時には、背筋がピンと伸び、あごが引かれている。 この正しい姿勢の状態で、5~6kgの重さがある人間の頭を脊柱が支えている。
 ところが、うつむいたりして頭が前に出ていると、それを肩の筋肉が支えることになる。 いわゆる猫背は背中が曲がって頭が前に出ている状態だから、肩の筋肉で重い頭を支え続けているわけだ。 その結果、肩がこったりするのです。
 悪い姿勢が、筋肉に悪いクセをつける。  筋肉には適応性があり、クセがつきやすい。 たとえば猫背のときには胸の筋肉(大胸筋)が縮まった状態になっているが、その姿勢をとり続けていると筋肉がその状態をいちばん楽だと思い込んでしまう。  そして、いつもその姿勢をとらせようと働きかけるようになる。 そのため、仕事や運動をしているときは正しい姿勢をとることができない。 字を書くにしてもパソコンに向かうにしても、それなりに背中を丸めた方がやりやすいことが多いからだ。
 そして大切なのが、クセのついた筋肉を意識して元に戻す習慣をつけること。 どんな姿勢で仕事をしていようとも一段落したらスッと背筋を伸ばして基本姿勢に戻す習慣を、日常生活で取り入れることが肝要。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 いやはや、ジムの“おじいちゃん”(などと失礼な表現を幾度も用いた事をお詫びします。気さくで年齢よりもずっとお若くお元気に見えるおじいちゃん。 今後も何なりと声掛けして下さいね!)に、我が身体が左に傾いている事実を直言して頂けたお陰で、私の今後のもう一つの目標が定まったような気もする。
 
 我が血縁一族の3代に及んで“背骨が歪む”なるDNA事実が運命付けられた事は無念なものの…
 それでも、先代の実母がそれに苦しみ結果として高齢者介護施設へ入居した事実も我が事として心得ている。
 我が娘など「側彎症」の診断にもかかわらず、今のところはその悪化もなく、日々元気に新社会人としての日課を頑張ってくれている。

 この私も自らの“背骨の歪み”になどに、決して自分の気持ちまでも歪ませてはなるまい。
 少しでもその歪みを抑えるべく今後も自助努力しつつ、颯爽とまっすぐにこの世を生き延びたいものだ!

貴女にとって母親の存在は大きい?小さい?

2016年12月14日 | 人間関係
 冒頭から、朝日新聞 “悩みのるつぼ” の相談内容を引用しよう。

 12月10日の上記相談は、30歳女性による「母親に依存してしまいます」だった。 以下に要約して紹介する。
 1児の母だが、この年齢になっても親に頼ってしまい精神的に自立できない。 昔から母親とは仲が良く、何でも話し、一緒に出かけたり旅行に行ったりする関係だ。
 結婚し実家から出れば自然と自立できると思っていたが、実家から徒歩5分の場所に住んでいて母親と頻繁に会うため、相変わらず親に頼ってしまう状態だ。 娘の服を買ってもらう等物質的な依存もあるが、何より、母親の意見を聞いてからでないと物事が決められず、精神的な依存が大きい。
 自分の家庭の問題でも主人より母親に相談し親の意見を尊重する事もあるため、主人も呆れていると思う。 自分の意見が無い訳ではないが、母と違った場合母親の意見に合わせてしまい後悔することもある。
 自分自身も家庭を持ち母になったので、親に甘えてばかりでなくしっかり自分を持ち精神的に自立したい。 どうすればよいかアドバイスをお願いしたい。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談内容を要約紹介したもの。)


 ここで一旦、原左都子の私事及び私見に入ろう。

 郷里で(一度目の専門)学業を終えた後すぐに単身上京し社会人となり、親から完全独立した私がその後歩んだ道程とは真逆の生活環境下に暮らしている相談女性の様子だ。 
 今時の若き母親とは、この相談事例のように結婚出産後も実家の近くに住み、親に依存する女性が多いのだろうか?

 ただ、今思い起こすに私が親元から去った40年程前の郷里過疎地でも、この相談女性同様に親元かその近くに住み、親に依存しつつ子育てをする女性が大多数だった記憶がある。 現在は既に郷里の旧友達とは付き合いが希薄になっているため、彼女らが親元あるいは親の近くで如何なる心境で暮らして来たのかは私には未知の世界だ。 
 そうだとしても、おそらく相談女性の事例が今の時代も我が国に於いてはスタンダードであり、親子で仲良くしつつ子が親の恩恵に授かる事が出来るのは幸せな事なのではなかろうか、と思ったりもする。 

 本エッセイ集長期読者の皆様は既にご存知であろうが、私の場合極論を言えば「家を出て親を捨てたい!」との思いの下に、単身上京を決行したようなものだ。 (何故そういう行動をしたかの我が心情に関しても幾度となく綴り公開しているため、ここでは重複を避けるが) 
 そのような行動をとった私がまさか遠き過疎地に住む親の意見などわざわざ聞く訳も無く、上京後はすべて自己責任・判断の下、勝手気ままに自己の自由意思を貫く人生を歩んできている。
 ただそんな私に郷里の母は、定期的に宅配便を送って寄越し続けた。 晩婚出産後は母のこの行動に更に拍車がかかった。 そんな形で我が子や孫に愛情表現するしか手立てが打てない母を、鬱陶しく感じる時も正直言ってあった。
 それ程までにこの相談者と私が歩んだ道程は180度食い違っているため、私には当該相談に回答する権利も能力も無いだろう。


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は(過去に「原左都子エッセイ集」にコメントを頂戴した) 評論家 岡田斗司夫氏なのだが、そのご回答が素晴らしい。
 以下に、回答の一部を要約引用しよう。
 現状では何も問題は起きていませんよね。 夫に「自立しろよ」「お義母さんの言いなりになるな」と叱られている訳でもない。 単に貴方自身が「自立しなきゃ」と自分を追い詰めているように思える。
 たとえばファッションを例に挙げると、一般人が求めるそのレベルとは自分で着るものをデザインできるレベルでは決してあり得ない。 自分で作るではなく「選ぶ」「組み合わせる」レベルが一般人に必要なファッションセンスとなろう。 
 同様に「自立」に関して考えると、果たして如何なるレベルの自立が望ましいのか? 母や他人に影響されない、自分だけで考えて得た結論だろうか? 
 ファッションと同じく、意見だって「選ぶ」でいいじゃないですか。人に意見を聞いて、自分で「選んでいる」という気持ちがあればそれで十分。  自分で「選んでいる」との自覚が出来ればそれが貴女の「自立」です。   以下略。
 (以上、“悩みのるつぼ” 岡田斗司夫氏の回答よりその一部を引用したもの。)


 表題に戻ろう。

 原左都子にとっては、物心ついた幼き時代には確かに親(特に母親)は欠かせぬ存在だった。 
 ところが自分自身が成長を遂げるにつれ、両親共に共働きだったが故にいつも母に“放ったらかして育てられた”怨念が倍増していくのも必然的だっただろう。

 特に我が母の子供に対する “放ったらかし” 様に対する反発が、40歳近くに我が娘を産んだ時点で再燃した。
 (娘のサリバン先生として我が命を尽くし育てているとも言える私にとっては)子供を育てる事とはこれ程までに“過酷”な業(なりわい)なのに、何故我が母は過去にあれ程までに私(及び姉)を放ったらかしたのか??   (そんな姉も当の昔に米国に渡り、日本にはまったく未練は無いと言いつつ米国に骨を埋めるらしいが…)
 まさに、「憎しみ」とも言えそうな感情を抱いている母が住む郷里へ行くことすら一時苦痛で、2年程母の孫である娘を連れて行かない行為を目論み実行した事もある。


 最後に私事を記そう。

 そんな過疎地郷里の母も、実際年老いてしまった……
 今年6月、10月と実母を高齢者有料施設へ入居させるべく次女の私が積極的に動き、郷里へその活動のため通った。
 その我が行動を、実母がどれ程喜んだことか……
 実母の素晴らしさは、私と姉がそれぞれの地で頑張っている事実を全面的に評価し、自分の自慢材料にしていることだ。 ただの一度も郷里へ帰って来いと嘆願した事も無い。

 結局実母は、次女である私の働きにより郷里地元の高齢者有料介護施設へこの11月に入居した。
 その後、母が私に寄越す電話内容が実に可愛らしいのだ。 
 「〇子が施設入居を推薦し頑張ってくれたから入居したけど、食事は美味しいし、足腰のリハビリも頑張ってるよ。 何よりも職員皆様がきちんと対応して下さるのが嬉しい」

 高齢域に達しこんなにまで素直な実母の態度に触れて、私は思い直すのだ。
 若き時代には「親を捨てよう」などとの発想があった私に対し、年月を経た今、年老いた親とは実に素直に可愛くなるものだと。

 ただ実母が更に年老いた暁には、一体何を言い出すのやら…   認知症状が日々深刻化する義母の現在の実情も周知している私は、恐怖心もあるのだが…


 そうだとして30歳程の子育て中の若き女性にとっては、将来の親の介護など一切考慮に入れずに済む時期だろう。 今は近くに住んでいるお母様に精一杯甘えるのが一番の親孝行であり、自身にとっても得策ではなかろうか!??

師走の時空間に力強く響いたマンドリンの調べ

2016年12月11日 | 音楽
 (写真は、昨日娘と共に訪れた「第35回 立川マンドリンクラブ定期演奏会 ~世界遺産~」のパンフレットより転載したもの。)


 幼少の頃よりずっと音楽に親しんで来ている私だ。

 幼稚園の時に吹いたハーモニカは、誰よりも上手だった記憶がある。(??)
 小学校では鼓笛隊で小太鼓を叩き、卒業時の音楽発表会ではアコーディオンを担当した。

 中学校へ進学すると迷いなくブラスバンド部に入り、フルートとピッコロの練習に励んだ。 これが今までの我が音楽人生経験の中で一番ハードだったかもしれない。 何分所属中学校ブラスバンド部が過去に全国優勝を果たしている。 日々放課後と土日にも練習に励み、夏休み中は合宿もあった。 このブラスバンド部は自治体音楽隊の役割も果たしていた関係で、在校中は毎年、消防出初式や成人式、駅の開通式、市内パレート等々、と演奏に駆り出され頑張ったものだ。 
 卒業後、フルート・ピッコロからはすっかり離れたが、ずっと後に高校教員となった暁に音楽部の顧問を担当した縁で、再びフルートを吹いた。 これが難なく吹けるのには自分でも感動した。 指と呼吸が年月を経て尚、その感覚をリアルに覚えていたのだ。

 高校進学後はオーケストラ部に所属しチェロを担当したものの、何分受験校だったため部活動は1年時の文化祭で終了。  ただ、当オーケストラ部出身者の中に音大を卒業してプロとして活躍する人物が多かった関係で、毎年OB中心演奏会が開催されるのだが、それに現役高校生も(強制的に)出場した。 現役在校生は最前列で出演させてもらえたにも関わらず、なるべく音を出さずに弾いている演技力でカバーした事実が今思うと何とも情けない……

 大学を経て社会人となって以降は、まさに余暇を利用して音楽三昧だ。 
 まず、ダンス好きな私はプロが主催するジャズダンス教室にてジャズダンスに励む。 ところが、ここではクラシックバレエの基本からの徹底指導のため、その経験もなく身体の柔軟性に乏しい私はどうしてもそのレッスンについていけない。 わずか1年でギブアップした…… 
 ただその経験が活き、当時勤務していた民間企業の余興ダンス大会で優勝した私は、社内ロックバンドのリーダーより女性ボーカルに抜擢された。 今、その歌唱力の程を自己分析するならば、その後カラオケで年季を入れて鍛えた喉により、当時より現在の方が上回ってることだろう。

 我が音楽遍歴はまだまだ続くが、どれもこれも見事に“中途半端”なため、この辺でやめておこう。
 それでも、そんな我が半生に及ぶ音楽遍歴が我が人生を豊かにしてくれている事には間違いはないし、それ故に新たな出会いがあったりするものだ。


 前置きが長過ぎたが、この辺で冒頭写真の「立川マンドリンクラブ定期演奏会」に移ろう。

 実はこの演奏会情報を得たのは、当該goo にブログを公開していらっしゃる某氏のサイトを拝見した事に遡る。
 「QAZのつれづれ日記」と称するそのサイトは、著者氏自らのご趣味であられるマンドリン演奏や旅行に関する記事を中心に発信されている。 その高尚な雰囲気に触れた私は、決して私には真似の出来ない別世界に誘われ、暇を見つけては拝見させていただいていた。
 そんな折、ご自身が出演される当該マンドリン定期演奏会の記事を綴られているのを発見したのだ! すぐさま飛びついた音楽好きの私が、その演奏会へ行かない訳もない。

 そんなこんなで、私は昨日娘と共に当該マンドリン定期演奏会を拝聴した。 


 ここで、マンドリンに関する基礎知識をウィキペディア情報より少し引用しておこう。
 マンドリンに関し、現在もっとも一般的にみられるのは17世紀中頃に登場したナポリ型マンドリンから発展したもので弦はスチール製の8弦4コース、調弦はヴァイオリンと同じく低い方からG-D-A-E。 ただしヴァイオリンと違って指板にはフレットがあり、弓ではなくピックを使って演奏する。
 撥弦楽器であるマンドリンはギターと同じく持続音が出せない楽器である。 この問題は高音においてギターより大きな問題となり、その結果持続音を模したトレモロ奏法が使われる。 その他の奏法には、アルペジオ、ピッツィカート、ハーモニクスなどがある。
 19世紀末にアメリカ合衆国で派生したフラットマンドリンは、ブルーグラス、カントリーなどの音楽ジャンルで、フィドルやバンジョーなどとともに使用されることが多い。
 (以上、ウィキペディア情報よりごく一部を引用したもの。)

 私もほんの一時だけ「フレット」の無い“チェロ”に関わった事があるため、マンドリンに関しても少し理解出来る気がする。 確かに、指板に「フレット」があるか無いかで弦楽器も演奏法が大違いとなるだろう。 
 しかも、マンドリンはギター同様に持続音が出せないとの事実にもガッテンだ。 例えば吹奏楽器の場合、その持続音こそが命とも私は捉える。 それをやり遂げるがために、どれ程“ロングトーン”(一音を“ながーーーく伸ばす)練習を重ねただろう。  その恩恵で私は肺活量が今尚平均より大きいのだが。

 マンドリンに話を戻すと、確かにマンドリンはトレモロ奏法等々の長音を演奏者の技術力によりカバーしている楽器であることも再認識した。


 と言う訳で、吹奏楽の経験はほんの少しだけあるものの、マンドリンに関してズブの素人の原左都子が、昨日人生で初めて「マンドリンオーケストラ演奏会」を観賞させていただいたのだ。

 いやはや驚かされたのが、そのマンドリンの音色たるが我が想像よりもはるかに「力強い」のだ。
 大変失礼は承知だが、トレモロ演奏等に頼るマンドリンオーケストラの演奏とは、吹奏楽器が混合しているフルオーケストラのダイナミックな演奏など再現不能だろう、と想像していた我が未熟な発想を覆すものだった。
 例えば、第一部最後の「アクアエクスプレス」や、第二部の「エグモント序曲」「幻想曲第一番イ短調作品22」等々でそれを実感させていただいた。


 終演後に、QAZさんにロビーにてお伺いしたところによれば、「マンドリン演奏とは、2,30名の演奏が一番よいと心得ます。」 
 我が未熟さを思い知らされるばかりだ…… 

 そうだとして、音楽趣味を貫く人生は実に素晴らしい! と再確認させて頂けた昨日のマンドリンオーケストラ演奏会観賞だった。 
   ブラボー!!  

“職替え” も立派な人生の選択肢の一つと私は思う

2016年12月09日 | 仕事・就職
 NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」よりの引用が続くが、本日は主人公すみれのご亭主 紀夫くんを取り上げよう。

 えっ? 原左都子って、ここのところNHKの批判ばかりしている割には、実はNHKのファンなんじゃないの? ですって??
 いえいえ、決してファンと言う程NHKの番組を見ている訳でもないのだが、いつも昼食時間帯に天気予報と昼のニュースを見る流れで、連ドラを習慣的に視聴しているのは事実だ。


 さて、その紀夫くん。 
 すみれの女友達のご亭主の内、戦争から帰還するのが一番遅かった。
 それまで紀夫の帰りを待ち続け泣いて暮らしていたすみれだが、何故か、戦争との困難を乗り越え無事生還したにもかかわらず、紀夫に対する態度が冷たい。  その理由とは、すみれが立ち上げた「キアリス」に対し紀夫が当初批判的な感情を抱き、すみれにそれを辞めるように嘆願した故だ。

 原左都子に言わせてもらうならば、戦争の残虐性や悲惨さを考慮した場合、その現場から生還直後の紀夫の心理的大打撃こそをドラマ内で周囲が労わるべきはずだ。

 にもかかわらずシナリオではその描写が完全に抜け去り、あくまでも主人公すみれの身勝手な心情を「善」と決めつけ、それに合わせるべくストーリーが展開していく‥
 ちょっと待った! と言いたい我が気持ちを抑圧し白けつつドラマを見続けていると、結局、紀夫の戦争体験は何一つ描かれる事は無かった。 (極寒の戦場にて風呂に入ると、仲間に衣服を盗まれ凍死するため風呂に入れないし、そうやって凍死した仲間の死体から衣服を剥ぎ取って生き残った、なるエピソードのみ、紀夫の口から語られたが…) 
 その紀夫の逸話すら すみれは完全無視して、ドラマはとっとと次なる場面へと急展開した。 
 今になって遅ればせながらHNKに問いたいが、一体全体何故紀夫の悲惨な戦争体験を無視するシナリオ展開としたのか!?  (やはり、戦闘地南スーダンへ平然と自衛隊員を派遣する安倍政権迎合故か??)


 そんな紀夫くんが戦争から帰還後、今度は「坂東営業部」なる民間企業の最高責任者としての立場で苦しんでいる。

 ドラマをご存知ない方々のために少し補足説明をしておこう。
 紀夫はそもそも、「坂東営業部」創始者の次女である娘すみれと婿養子の立場で見合結婚している。 戦争により「坂東営業部」は崩壊したものの、それを再び立ち上げようと現在長女ゆりとそのご亭主 潔 が頑張っているとのドラマ設定だ。
 紀夫が戦争帰還後、長女のゆり夫婦が企業再建に向け頑張っている事実を垣間見た紀夫は、自分が「坂東営業部」より去るべきと考え、一時“就活”に励んだ。 ところが、その実態とは“なしのつぶて”…
 それを知ってか知らずか、「坂東営業部」創始者であるすみれの父とゆり夫婦が、「お前こそが、『坂東営業部』の最高責任者だ!」と紀夫に告げる。  就職先が決まらずやむを得ずゆり夫婦が立ち上げた職場へ行くも、その職場環境が紀夫に冷たい…
 例えば、元々営業肌の社員がバリバリ働いている。 そして陰で紀夫の悪口を言う。「あの人、営業の適性など全く無い」 あるいは、すみれの姉のゆりさえも「紀夫さんは経理に向いているからそれをさせてあげたらいいんじゃないの?」
 そして本日の放送内では、ゆりの夫 潔から突然「紀夫くんには今後新しく展開するデパート内で婦人服教室統括の仕事をしてもらう!」  それに対して紀夫くん曰く、「自分には適性が無いから経理を引き続き担当したい」  それに対し潔曰く、「お前には経験値を積んで欲しい」
 それに愕然とした紀夫が、酒処で男グループに酔っ払いつつ相談したところ、「職替えはどうなか?」なる一意見が出た。 (参考だが、この場合の“職替え”とは、紀夫が「坂東営業部」を辞職して経理等自分の能力が活かせる他の職場に移るとの意味、と私は理解しているが。)
 本日の「べっぴんさん」ドラマ展開はこういう風になっている…


 ここで、原左都子の私見に入ろう。
 
 ドラマ「べっぴんさん」と現在の時代背景が大幅に違っている事実を視野に入れつつも…

 どうも、ドラマ「べっぴんさん」にて現在行われている紀夫くんに対する処遇の程が、「いじめ」 に近いような印象を抱かされるのだ。
 私の感覚では、すみれの「キアリス」がある程度成功しているがばかりに、紀夫くんは妻にも気遣ってもらえず今尚「孤立」をやむなくされているように映る。 加えて、坂東営業部再建のためにその職場へ戻れ!とゆり夫婦から嘆願されれば、それに従わねば仕事がない紀夫の立場をどうしてあげたらよいと言うのか…

 そんなこんなで、これこそ紀夫に対する最たる「いじめ」と私は捉え、紀夫戦争帰還後ずっと(弱者であろう)紀夫視線で物事を考えている。
 確かに紀夫はまだまだ若い。 ゆりの夫潔が言う、紀夫には経理のみではない別分野の能力も開花させよう! との発言は、紀夫の将来を思っての事だろうが…… 

 そんな折、紀夫の男子グループの一人が紀夫の困惑に応え「職替えをしたらどうか?」なる提案をした。
 この一言が酔っ払った紀夫の脳裏に響いた様子だ。


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 紀夫が生きた戦後間もない時期と、現在の職業事情を比較出来る訳もなかろう。

 そうだとして私が想像するに、ドラマ内の紀夫はおそらくこの後(2017年3月放映終了までには)、すみれの夫として「坂東営業部」を立派に引き継ぐべく成長を遂げ、ゆくゆくは社長として ゆり夫婦を手下の経営陣として迎え入れている事だろう。 
 我が推測が正しいとして、いやはやドラマはそれで済まされるから放っておくこととして…。

 片や、現在の混とんとした時代を生き抜かねばならない次世代を支える若者達は、一体如何なる職歴を辿ればよいのやら…
 我が意見としては、特に財閥等の大企業の子孫でもない限り、自分の能力や可能性を信じられる人材は積極的に“職替え”をして冒険すれば、また新しい世界が開拓されるのではないかと結論付ける。

 とにかく、一般庶民は自己の能力が未来へと拡大すると信じるならば、“職替え”を実施するのも良き手段となろう。

  紀夫くん、シャイで口下手な貴方は結構私の好みですよ! そんな自らの個性こそが自分を支える最高の力と信じて、これからも頑張り抜こう!!

「手のかかる子は人の何倍も手をかけてあげたらいい。」

2016年12月07日 | 教育・学校
 表題の言葉は、本日(12月7日)放映のNHK連ドラ「べっぴんさん」内で、主人公すみれの家に住んですみれの娘さくらの面倒をみている女中頭 喜代が発したセリフである。

 つい先程昼の再放送でこの言葉を聞いた途端、我が脳裏に23年間に及ぶ壮絶な自分の子育て(サリバン業)光景が走馬灯のように蘇り、涙が留めどなく溢れた。
 まさに娘に対する我がサリバン業とは、“人の何倍も手をかける” 連続の日々だった故だ。


 ドラマの物語を振り返ろう。

 今週の「べっぴんさん」は、主人公すみれを加えた4名の仲間が立ち上げた子供服製造販売「キアリス」の大手デパート内での委託販売に備え、その準備作業に奔走する場面を中心に展開している。
 加えて今週のもう一つのテーマとして、「キアリス」メンバーの一人 良子の息子である2歳位と思しき龍一の多動行動を取り上げている。

 私見に入るが、最近のドラマでは、多動性等発達障害児が取り上げられる機会が多いように見受けている。
 上記の良子の息子も、私の診断では(今の言葉で表現するならば)まさにその傾向がある子として描いているのだろう。
 主人公すみれも幼少時代の場面では、寡黙性の発達障害児風に描かれていたと私は判断している。  発語が苦手で自分の思いを言葉で周囲に上手く伝えられず誤解を生んでいる子として、すみれを演出していると私は理解した。 ただし子供時代のすみれの場合、父親の靴を解体したり、家出したりとの突発行動に出る“勇気”があったようだ。


 ここで、原左都子の私事に入らせていただこう。

 まさに我が娘が寡黙性発達障害児(あくまでも私が名付けたものであり、そういう診断名は無いだろうが)に該当した。
 娘の場合多動性はまったく無く、その真逆で発語や自発的行動が極度に苦手だった。 我が子の場合、放っておくといつまでも“ボーっ”として何もしないタイプだったため、四六時中サリバンとして主体的に娘と関わり脳内刺激を与え続けるノルマに励んだ。
 娘が幼稚園や学校に通い始めて以降は、まさか当該組織指導者が四六時中我が子に1対1で構ってくれる訳には行かないのは重々承知だ。 そんな娘は、いつも学校から帰宅後は何の反応も無い「フリーズ」状態だった。  それを“溶かす”作業に30分程要した後は、幼少の頃より母の私には十分に懐いているため、我が子なりにある程度人間らしく蘇ったものだ。 その後は散歩に出かけ公園で遊ばせたり、自宅学習指導はもちろんサリバンの重要な日課だ。 あるいは習い事に通わせるための送り迎えをする日々だった。
 小6時に私立中学校受験を経験させた事が、娘にとって大きな転機となったかもしれない。 当然ながらサリバンがほぼ全面的に受験指導に当たったものの、年齢的にも娘本人の目標意識が初めて芽生えた時期だったと後に振り返る。 何らのコネにも頼らず娘自身が合格をゲットして以降は、高校卒業までの6年間、電車3度乗換えの登下校も難なくこなした。
 相変わらず日々積極的に我が子とかかわり続けるサリバン自宅学習指導の効果があったのか、大学には公募制推薦入試に一発合格し、4年後には無事大学を卒業した。
 そして昨年、社会人として世に出るべく就活に励んだ娘だ。 そんな我が娘は、(自らの“寡黙性”を考慮に入れ??)、紆余曲折しながらも自分の最終決断で「IT技術者」として某民間企業に採用され、この春から新卒社員の身で周囲の諸先輩達にご迷惑をかけつつも、頑張り続けている。

 
 サリバン(原左都子のことだが)の私事が長引いた事をお詫びしよう。
 
 さて、NHKドラマ「べっぴんさん」の龍一くんは多動性故に保育所から手に負えないとの理由で退園を通告された。
 その後龍一くんを育てている良子は自宅でも職場でも手を焼き、一人で悩んでいた。 (どうしてうちの子だけ、こんなに手がかかるの? 他の子は皆お利口さんなのに…)と。 
 その相談を良子の亭主から受けた すみれ家の女中氏である喜代さんが発した言葉が、表題の「手のかかる子は人の何倍もの手をかけてあげたらいい。」との “名言” である。

 この描き方に、私は感動した。
 喜代さんを演じている女優氏がそれまで すみれ の子どもである さくら を可愛がっていた風景の心情が伝わっていた故だ。 それ程までにその女優氏の さくら への接し方に、たとえドラマであれ「愛情」を感じ取れたのだ。
 
 ここでNHKの子供を扱う番組制作に一言苦言を呈するならば、特に幼少の子どもを出演させている場合、その子供の安全を第一義として欲しいものだ。
 ところがテレビ画面で見ると危なっかしい映像が多々あるのが実情。 例えば、主演女優氏が演じている傍で写っている子供に先が尖ったおもちゃを持たせ放ったらかしている、等々……
 母親を経験している人間ならば誰しも、子どもの障害の有無にかかわらず、その危険性に気付くはずだ。 すみれの子 さくらを描く場面でその危険映像を幾度もみせられ、ハラハラした事実もここで公開しておこう。


 最後に、私論でまとめよう。

 確かに良子の息子 龍一くんに関しては、こと“多動性”があるばかりに他者に対する直接的な迷惑度が大きく、養育責任者をはじめ各種専門機関に於いてもさぞや対応が困難なことと想像する。
 他方、我が子のように寡黙であるが故に他人への迷惑度が少ない子供は、集団現場で放置される傾向も否めない。 
 結局、両者共に、親である保護者が“人の何倍もの手をかけて” 育てるしか方策が採れないのが現状だ。

 それでも、喜代さんがおっしゃった「手がかかる子は人の何倍も手をかけてあげたらいい」 なる子育てポリシーこそが、確かに最高にして最善の回答であると私は信じる!

 それを実行するには、社会保障制度の充実こそが議論されるべきとの結論に至ったところで‥…、
 「カジノ法案」どーたらこーたらに邁進している国家政権に思いを寄せれば、その実現がほど遠く、望むべくもないこの国の現状こそが嘆かわしい限りだ……