(写真は、東京都中央区日本橋室町にそびえ立つ日本橋三越本店本館。 正面玄関前より撮影したもの。)
私が日本橋を訪れるのは何年ぶりだろう。
あっ、そうそう。 娘の振袖を購入した4年前頃、呉服屋の招待で日本橋にて開催された「着物展示会」に幾度か訪れた。 確かに、お江戸日本橋という土地は和服が似合う場所かもしれない。
ただ、その時には日本橋三越本店は訪れていない。
実は、我が亭主が日本橋の生まれだ。
亭主の実家が代々日本橋の地で事業を執り行っていた関係で、この地にて生誕したとの事だ。
亭主4歳時に、現在義母の家がある地に一家で住み替えたそうだ。 その後も日本橋にての事業は義母及び義父(義父が養子の立場)がそのまま続行していたらしい。
亭主が35歳にしてやっと定職に就いた(参考だが我が亭主は大学院博士課程修了後、ポスドクの身分で複数の大学研究室にて研究に励んだ関係で人より就業が大幅に遅れたらしい。)事をきっかけに、義母が赤の他人に日本橋での事業を営業譲渡する決断をしたとの事だ。(もちろん有償にて。)
実質的経営者であった義母の言い分を、私は亭主との婚姻直後に義母から直接聞いた事がある。
本来ならば長男である亭主が事業を継承するべきだろうが、その適性が無いと早期より判断していた。 亭主には姉もいるが、その義姉(3年前に膵臓癌にて他界)に関しては義母の意向で最初から“お嬢さん”として育て、そもそも事業を継承させるつもりはまったく無かったとの話でもある。
その話を義母から聞いて、私はもったいない事をしたものだ、と大いに残念に思った。
どうして亭主婚姻後まで事業をそのまま継続してくれなかったのだろう? その事業を、この私こそが継承したのに! などと、言える筋合いも無いしね……
ただただ義母の言う通り、我が亭主には事業家の資質・適性など100%皆無であろうとの義母の判断に納得するばかりだ。
そんな義母が、亭主と結婚し立ての頃、よく私に話してくれたのが日本橋三越本店の話題だ。
事業所兼実家が日本橋三越本店の近くにあり、毎日の買い物に当該店舗を日常的に利用したとの事だ。
義母が幼き頃の我が亭主を連れて行こうとすると、「四越(よつこし)へ行く!」と亭主が喜んだとの微笑ましい話題でもある。
これ、私には十分にガッテンだ。 我が亭主には、冗談で言っているのか元々天然質故に本気で言っているのか今尚不明な不思議な雰囲気が確かにある。
そんな亭主に「あなた過去に日本橋に住んでいた頃、四越(よつこし)へ行く! といつもお義母さんに言ってたそうだねえ。」と私がからかうと、決まって「そんな事言ってないよ!」 と向きになるところなど、実に可愛いもんだ。
その話題の亭主は昨日本人の意思で日本橋へは同行しなかったのだが、日本橋に来ると嫁ぎ先である原家の歴史が我が脳裏に蘇るような気がする。
まさに元々日本橋の地に根差していた原家の直系末裔である我が娘相手に、そんなエピソードを嫁の立場の私から語りつつ二人で一時日本橋を楽しんだ。
私が日本橋を訪れるのは何年ぶりだろう。
あっ、そうそう。 娘の振袖を購入した4年前頃、呉服屋の招待で日本橋にて開催された「着物展示会」に幾度か訪れた。 確かに、お江戸日本橋という土地は和服が似合う場所かもしれない。
ただ、その時には日本橋三越本店は訪れていない。
実は、我が亭主が日本橋の生まれだ。
亭主の実家が代々日本橋の地で事業を執り行っていた関係で、この地にて生誕したとの事だ。
亭主4歳時に、現在義母の家がある地に一家で住み替えたそうだ。 その後も日本橋にての事業は義母及び義父(義父が養子の立場)がそのまま続行していたらしい。
亭主が35歳にしてやっと定職に就いた(参考だが我が亭主は大学院博士課程修了後、ポスドクの身分で複数の大学研究室にて研究に励んだ関係で人より就業が大幅に遅れたらしい。)事をきっかけに、義母が赤の他人に日本橋での事業を営業譲渡する決断をしたとの事だ。(もちろん有償にて。)
実質的経営者であった義母の言い分を、私は亭主との婚姻直後に義母から直接聞いた事がある。
本来ならば長男である亭主が事業を継承するべきだろうが、その適性が無いと早期より判断していた。 亭主には姉もいるが、その義姉(3年前に膵臓癌にて他界)に関しては義母の意向で最初から“お嬢さん”として育て、そもそも事業を継承させるつもりはまったく無かったとの話でもある。
その話を義母から聞いて、私はもったいない事をしたものだ、と大いに残念に思った。
どうして亭主婚姻後まで事業をそのまま継続してくれなかったのだろう? その事業を、この私こそが継承したのに! などと、言える筋合いも無いしね……
ただただ義母の言う通り、我が亭主には事業家の資質・適性など100%皆無であろうとの義母の判断に納得するばかりだ。
そんな義母が、亭主と結婚し立ての頃、よく私に話してくれたのが日本橋三越本店の話題だ。
事業所兼実家が日本橋三越本店の近くにあり、毎日の買い物に当該店舗を日常的に利用したとの事だ。
義母が幼き頃の我が亭主を連れて行こうとすると、「四越(よつこし)へ行く!」と亭主が喜んだとの微笑ましい話題でもある。
これ、私には十分にガッテンだ。 我が亭主には、冗談で言っているのか元々天然質故に本気で言っているのか今尚不明な不思議な雰囲気が確かにある。
そんな亭主に「あなた過去に日本橋に住んでいた頃、四越(よつこし)へ行く! といつもお義母さんに言ってたそうだねえ。」と私がからかうと、決まって「そんな事言ってないよ!」 と向きになるところなど、実に可愛いもんだ。
その話題の亭主は昨日本人の意思で日本橋へは同行しなかったのだが、日本橋に来ると嫁ぎ先である原家の歴史が我が脳裏に蘇るような気がする。
まさに元々日本橋の地に根差していた原家の直系末裔である我が娘相手に、そんなエピソードを嫁の立場の私から語りつつ二人で一時日本橋を楽しんだ。