原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

親には親の、子には子の人生がある …

2024年10月24日 | 医学・医療・介護
 本日のエッセイは、2024.10.22付朝日新聞「取材考記」より くらし報道部 鈴木彩子氏による「互いに自分らしく 親の老後 繰り返し対話を」より題材を得よう。


 早速、当該記事を以下に要約引用しよう。
 
 団塊の世代が75歳以上になる2025年がすぐそこだ。 帰省すると、親からその世代の「老い」を見聞きする機会が増えた。
 親の老いに、働き盛りの世代はどう向き合ったらよいのか。 (中略)
 介護サービスをフル活用することで、働きながら在宅介護も可能という人もいる。 
 施設入居を選んだ人もいた。 大切なのは、親がその人らしく過ごせること。そして、子ども自身も自分らしく生きられるように、という視点だった。 親には親の、子のは子の人生があるから。 
 時間とお金を使いながら、親の介護をしているという声も沢山寄せられた。 施設入居を選んで本当に良かったのか、罪悪感がぬぐえない、と言う声もあった。 (中略)
 老いていく親も子供も、幸せに生きるにはどうしたらよいのか。
 親がどんな時に幸せを感じるのか、何を大切に生きているのかを、繰り返し話し合う事が大切という専門家もいる。 (中略)
 日本人の平均寿命は、男女ともに80歳を超えた。 死因で3番目に多いのは「老衰」。 今は「天寿を全うできる国」になりつつあるそうだ。 そんな時代だからこそ、「どう生きるか」「何が大切か」を家族で話していきたい。
 
 (以上、朝日新聞「取材考記」より一部を引用したもの。)



 今回の執筆担当者は、2003年入社であるらしいが。
 おそらく、私よりも20歳以上若い世代の方であろう。

 我が義母と実母も、それぞれ別々の高齢者介護施設へ入居しているが。
 現在義母が93歳、そして、実母が92歳を迎えようとしている。
 両人共々高齢者施設へ入居したのは本人たちが80歳を過ぎた頃であり、入居後義母は10年余り、実母は8,9年の年月となろうか。

 入居当初はまさに、上記朝日新聞にも書かれているがごとくに。 辛うじて「親がその人らしく過ごせる」年代だったものだ。
 話好きな義母は施設からよく電話を寄越して、日々の暮らし状況を伝えてくれたりもしていたし。 
 嫁の私に対する要望もよく言ってきた。
 例えば、「お世話になっている係員の娘さんにプレゼントをしたいので、〇子さん(私のこと)が適切なものを選んで施設まで送ってくれる?」 
 この“事件”ほど私にとって迷惑なことは無かったのでよく覚えているのだが。 (何が迷惑か、って。 何で見知らぬ子どものプレゼントを私が選んで送らねばならないのか!!! 実際怒り心頭だったが、結果としては施設内でのプレゼント禁止条項に触れるため、私が送ったプレゼントが該当子どもに手渡されることは無かったようだ。)😖 😵 

 片や 郷里の高齢者施設へ入居中の実母は、つい最近までは 私にとって特段の迷惑行動は無かったのだが。
 先だっての当エッセイ集バックナンバーにて述べた通り、現在認知症状が出始めていて 我がまま・暴言が目立つようになってきている…



 朝日新聞の鈴木記者は、「互いに自分らしく 親の老後繰り返し対話を」とおっしゃるが。

 それは 未だ親御さんが高齢域とは言えどもお若くて、認知症状が出ていない状況だからこそ。 そんな悠長なことを言っていられるのだと判断する。

 これが、後10年経過して。
 認知症(重症になる程大変です!!)を抱えるまで、自身の親が高齢者施設内で生き延びたならば。
 それはそれは、たとえ家族であれども実の子であれども、老いぼれた親が手に負えない存在になる時期が訪れるのが、世の無情(無常)というものだ…😭 😱 


 「互いに自分らしく 繰り返し対話を」と、いとも簡単に 朝日新聞の鈴木彩子氏は(きれいごとを)おっしゃるが。

 鈴木氏自身の親御さんが認知症等々で今後老いぼれた暁に、今一度 朝日新聞紙上で同テーマにて。
 「親の介護」に関して、改めて ご持論を述べられることを楽しみにさせて頂きたいものだ… 


 たとえ、自分の親であれ。

 認知症者の介護って。  朝日新聞社の鈴木氏がおっしゃる程、甘くはないですよ…
 

「キムワイプ」、懐かしいなあ…

2024年10月22日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、2024.10.18付朝日新聞記事より転載した「キムワイプ」等の写真。)


 この「キムワイプ」というものが何であるかが分かる人材は、おそらく職業経歴として医学等々の科学実験にかかわっている(った)経歴の持ち主であろう。

 (参考だが、この原左都子は隣の「プロワイプ」と称する商品には縁が無い。
 新聞紙面によると、「プロワイプ」は2007年のブランド展開であるらしいが。その時代には私は医学分野業務を一旦終了して、教育分野の仕事に関与していた頃だ。)


 それでは、2024.10.21付朝日新聞 「ぶらっとラボ」より、「測定機器フル動員 違い分析」と題する記事を以下に要約引用しよう。

 研究室で長年、愛用されている紙ワイパー「キムワイプ」(日本製紙クレシア、1969年発売)と、競合品の「プロワイプ」(王子製紙、2007年ブランド展開)の性能に違いはあるのか。 電気通信大学が所有するさまざまな測定機器を使って全力で調べた動画を公開している。
 キムワイプなどの紙ワイパーはティッシュと比べ頑丈で、ふいてもけばが残りにくい。 この特性を裏付けるものは何か。 組成や強度、構造などを調べた。
 用いたのは、X戦を当てて返ってくる波長から組成を分析できる蛍光X線分析装置や、最大10トンの力で引っ張ることができる万能材料試験機、2千倍まで拡大可能できる高性能顕微鏡など。
 学術技師は、「キムワイプには酸化亜鉛を推定させる材料が多く、プロワイプはカルシウム系が多く入っているようだ」と話す。
 引張り強度の測定では、両者約2キロまで耐えた。 試験回数は1回だが、強度はほぼ互角とみられる。
 繊維の密集度合いがわかる顕微鏡の倍率100倍では、キムワイプは大小のすき間が見られ、プロワイプは比較的均質だった。 繊維1本の形がわかる500倍では違いがみられず、教授は「キムワイプはザラザラで、プロワイプは少し滑らかなのは、繊維のむらによるのかと思う」と説明する。
 電通大は、中小規模の組織では導入が難しい機器を外部も利用でき、技術相談にも応じる枠組みの一角を担っており、周知する狙いがある。  動画を取りまとめた特任教授は、「電通大には21種類もの装置とスーパーヒーローが待っています」とアピールする。

 (以上、朝日新聞記事より 一部を引用したもの。)



 上記朝日新聞記事によると。
 「キムワイプ」は1969年発売のようだ。
 私が医学者として世にデビューしたのは、1970年代後半期だが。
 医学部学生時代には、未だこの「キムワイプ」にはお目にかかっていなかった。  医学実験中に実験用に用いた“ふき取り紙”が何であったのかの記憶が薄れているが、おそらく普通にティッシュペーパーをしようしていたのではあるまいか?? (いえいえ、ティッシュペーパーは何を拭きとるにも便利な紙であるため、その前後を通してずっと、大して実験上大事ではない場面では活躍してくれたふき取り紙ではある。)

 で、「キムワイプ」を私が実験上使用し始めたのは。
 医学部卒業後就職した医学企業に於いて、である。
 
 その時には既に、「キムワイプ」は科学実験室内での“一部の風景”と化していたことであろう。

 ところがその性能に関しては、未だ医学実験者間でも十分なる理解度が無い時代であり。 ある実験者は、「キムワイプはきめが粗いため、傷つけてはならない実験対象物には利用不能だ!」なる意見を述べ始めたものだ。
 それに対して私は、「そうだとすれば実験上の利用範囲が狭くなり、ふき取り紙としてさほど活躍が出来なくなる。 キムワイプは少なくともティッシュと比してかなり高額なふき取り紙のため、微細な対象物をそれでふき取るに当たり傷つけることは無いのではなかろうか??」 
 
 その辺を、おそらくメーカーに問い合わせをしたかもしれない。
 そして、その後はその回答(上記朝日新聞記事と同様だったが)に安心して、キムワイプを使用し始めたものだ。


 それに対して、「プロワイプ」は私はそれが販売された時期には 年代的に使用したことはない。
 こちらが「キムワイプ」よりかなり後で開発されているため、おそらくその辺の研究者の誤解を招かないよう 紙質を均質にしたのではなかろうか??


 とにもかくにも、この種の「科学実験」をわき役として支援する高品質の紙ワイパーの登場により。 
 現在の科学の発展が支えられている事実を、ひしひしと実感する我が身である。😃 😊 
 

再掲載 「教科書のページ数と子どもの学力は相関するか?」

2024年10月21日 | 仕事・就職
 多忙な1日を送り、夜の今になって我が「原左都子エッセイ集」を覗いてみると。

 2015.11.30付けにて公開した冒頭のバックナンバーが、現在の我がエッセイ集トップの位置に君臨していた。


 せっかくの現在1位の冒頭表題の我がエッセイ集バックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。


 私は過去に於いて高校教員経験があるが、私が受け持っていた教科は「社会」の一部と「商業」全般である。

 その時代の高校現場に於ける「教科書」の位置付けは、義務教育課程の小中学校とは異なり、学校現場に一任されていたのではあるまいか?
 と言うのも、私の場合、公立高校と私立女子高校での教員経験があるが、両者共に教科書使用に関しては教科担当教員に任せられていた。

 この自由度に大いに幸いした私だ。

 とにかく学問に関して確固たるポリシーを持っていた私には、そもそも“教科書に従って”つまらない授業を施そうなどとの発想が出るはずもない。
 加えて、一見“悪(ワル)”そうな子ども達の目の輝きに一旦感動を受けたものなら、教科書に従った通り一遍の授業を展開し、授業中に生徒達にお喋りしたり寝られる事こそが、こちらこそ許し難い。 (などと偉そうに言っても、授業中喋る子も寝る子も多かったのですがね…)
 一方、我が授業の賞賛生徒も少なからず存在したことを付け加えておこう。 (「先生って、毎日家で一生懸命授業の準備をして来てるのが伝わるよ。」などと黄色いくちばしで褒めてもらえる事もあった。)
 
 と言う訳で、私の場合は教科書に全面的に依存した授業などただの一度も実施せず、自分自身で毎時間レジメを作成して授業を執り行った。 その準備作業とは、おそらく皆さんの想像をはるかに超えて過酷だったと振り返る。

 ただ、例外はあった。

 例えば、社会の一科目「現代社会」などは、私自身が過去に生徒の立場で高校の授業にて未経験の、当時としては新しい科目だった。 一体如何なる科目なのかとの下調べ目的で、当時発行されていた「現代社会」の教科書を読み込んだ経験はある。 これがなかなかまとまった良き科目と実感した。 その教科書を参照しつつ、やはり自分で毎時間レジメを作成して授業を進めたものだ。

 あるいは、商業科の一科目である「商業法規」に於いて、副読本を利用した経験もある。
 それには私なりの確固たる理由があった。 たとえ相手が高校生と言えども、法律を学習させるにあたり「現行法規」を紐解き参照せねば授業が進められる訳もないのだ。 
 そこで私が真っ先に考えついたのは、市販されている「六法」の活用だった。 が、一番安価なものでも¥1,000ーを超過していたのに加え、生徒各自に書店に行って購入せよと指導しても、誰も買う訳がない事は十分承知していた。 
 そうしたところ、教科書の「副読本」の位置付けにある書物が存在する事が判明した。 これを利用すれば市販品よりもずっと安価だし、学校の教科書業者を通して生徒全員に私から配布する事も可能だ。
 私が当時利用したのは、㈱一橋出版社による「新商業六法」なる副読本だったのだが、この内容が実によくまとまっているのだ。 しかも市販品よりも安価である。
 それでも生徒達から、「せんせ~~、そんなもの買ってくれと家で言ったら、うちの母ちゃんがまた出費かと泣くぞーー。」とのご意見を複数賜ったものだ。  そんな生徒達の思いも十分に察して、「ホントに申し訳ないけど、この六法は貴方達が卒業した後にも必ず役に立つから、お願いだから買って。」と生徒に嘆願した事が今となっては懐かしい。
 教員である私のたっての希望により強制的に生徒に副読本を買わせた以上、もちろん授業中に当該「新商業六法」は十二分に活用した。
 ただその後時代の変遷や政権の移り変わりと共に法律改定が相次ぎ、今となっては役に立たない書物となっている事実を、遅ればせながら当時の生徒達にお詫びしておこう。

 ここで話題を変えよう。

 朝日新聞 2015.11.20 朝刊に、「教科書会社、教員との距離は 三省堂問題、他者に聞く」 との記事が掲載されていた。
 当該記事の片隅に、「少子化で減る部数」との記載があったのだが、その内容を以下に要約して紹介しよう。
 文科省によると、全国の小中学校や高校、特別支援学校で今年度使われている教科書は計1億2681万冊。 少子化の影響で1985年より4割減だった。 近年はゆとり教育からの転換で教科書の総ページ数は10年間で3割以上増え、製作費は大幅に上がっている。 教科書各社は関連教材などの売り上げ確保を図っているのが実情という。
 (以上、朝日新聞記事より左端にあったほんの一部を要約引用したもの。)

 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 ㈱三省堂による教科書販売に伴う学校現場の校長や教員との癒着事件は、既に皆さんご存知の事であろう。
 学校現場の校長達は、三省堂との癒着により旅行招待や金5万円謝礼金などという(私に言わせてもらうと実にみっともない)せせこましいばかりの癒着に何故長年興じていたのだろうか??

 学校現場教職員とは、そんなせせこましい業者との癒着に安穏としている場合ではなかろう。

 今教育関係者が一番に成すべき事とは、政権による「教科書検定」の実態に興味を持ち対策を練る事だ。
 安倍政権による安保法案改憲政策により、特に「社会」分野に於ける教科書検定が、その歪んた思想で大きく変貌しようとしている。
 この実態こそに、学校長はじめ末端の教員に至るまで興味を持って対応するべきではないのか!?

 それを実行出来て、その実態を子供達に自ら伝えられるごとくの授業を個々の教員が成してこそ、世は少しづつでも良き方向に変遷すると私は信じている。
 学校現場から国家や自治体の教科書政策に異議申し立てせずして、一体誰が貴方達教員の味方をしてくれると考えているのか。

 現政権政策に素直に従い、しかも大規模教科書企業の恩恵を被り少額賄賂を授受し、ましてやその賄賂企業が作成した教科書内容を鵜呑みにして、日々マンネリと授業をしている場合ではなかろう。
 その事を、現役学校教員達に是非とも私から今一度伝えたい思いだ。

 (以上、先程発見した現在の「原左都子エッセイ集」1位のバックナンバーを再掲載したもの。)





 いやはや、元教育者でもある私としては、このバックナンバーが今現在の我がエッセイ集No.1に輝いている事実が、実に実に嬉しい!!

 元々医学者である私が、突如として「高校教師」職に巡り会えたのは30代後半期のことである。
 当時、教師の成り手が少なかった時代背景だったのだろうか??
 どういう訳か 3月終わり頃のある日の夜遅い時間帯に、某県の教育委員会から我が家に電話が入り、「貴方は、4月から県立高校にての教諭職が決定しています。」と言う。

 当時私は元々の本職である「医学」業務にて結構な収入を稼いでいたので、その旨を伝えると。

 教育委員会側も負けていない!
 「いえ、貴方は4月からの県立高校教諭職が決定しています。 とにかく、明日必ず学校まで出向き校長面談を受ける義務があります!」
 
 (事の成り行きに関しては、我がエッセイ集バックナンバーにて綴っておりますので、そちらをご覧いただきたいのだが。)

 結果としては、私はその県立高校教諭を引き受けることとなり、その後3年半(プラス私立高校にて非常勤講師の依頼もありそれも1年間引き受けました。)の年月に渡りその業務に励んだものだ。
 結論を言うならば、その教諭経験は我が人生に於いていろいろな意味合いでかけがえのない期間であったと振り返る。


 何と申しますか。
 「教科書のページ数と子どもの学力が相関する」か否かに関しては、我が結論としては否定的に捉えている形となるが。

 突然自身の身に降って湧いた職種であれ。 
 それを自身が肯定的に受け入れて全身全霊で励めば、後々の立派な自己の業績になる事には間違いない!!
 
 との事だろう。



我が家は「総務省統計局・労働力調査」の対象家庭となっているようだ

2024年10月20日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、表題調査の第2回目の調査用紙を撮影したもの。)


 当該調査は、冒頭写真にも説明書きがある通り。

 政府の重要な調査として統計法に定められた「基幹統計調査」」であり。
 我が国における就業・不就業の実態を明らかにすることを目的としている、との事だ。


 今回の調査は2度目であり、1度目の調査結果は9月中に既に提出済みだ。

 我が家の場合は、現在この住居地には亭主と私の2名のみが住んでいるため、その2名に関して調査内容に回答して提出すればよいのだが。

 1度目の調査時には、当然ながらパソコンから入力して提出しようとした。
 ところが、どういう訳かパスワードを入力しようとすると、「そのパスワードは既に使用されている」との警告が出るのだ!
 この調査に回答するのは初めての事であり、そんな訳があり得ないのだが…
 まさか 他の調査回答者が、偶然私が入力したパスワードを使用しているとするとして。  その偶然性の確立が0に近いと私は判断するのだが…
 と言って、それと異なるパスワードを考えるのは面倒臭いし、私が普段から使用しているパスワードをこんなところで使用するのも避けたいし。 結果としては紙面の調査用紙に手書きで書き込んで、郵送することにした。

 
 どうやら、その1回目の調査用紙は無事に受理されたようで。

 今回 2度目の調査用紙が、配布担当女性により我が家訪問形式にて手渡された、という訳だ。

 その女性が、とてもフレンドリーな方で。
 調査用紙を手渡しつつ、私に一言二言話しかけて下さる。
 例えば、我が家の玄関先には、玄関ポーチ(我が家は集合住宅にして玄関に門扉があるのだが、その玄関先に観葉植物等々が置ける「台」があり、その上に植物を飾ってあるのを女性がご覧になって。
 「ここに台があるのはいいですね!」と言って下さる。 私が応えて、「そうなんです。 観葉植物を置けますし、またこの台の上でちょっとした作業が出来たりして役に立っています。」
 あるいは、「石神井川の桜並木が美しいでしょ!」とも言って下さるので。 「そうなんです! 毎年、桜並木に桜が満開になるのがとても楽しみですし、実に美しいです!!」などと、自慢げに応えたりもしたものだ。😃 😜 

 肝心の「労働力調査」に関しては。
 「インターネット入力提出でも、郵送提出でもどちらでも結構です。」と説明して下さって、帰って行かれた。


 私としては、断然インターネット入力提出が短時間で済んでラクなのだが。
 またもや、「そのパスワードは既に使用されています」との警告が出るのだろうか???
 その時に備えて、この調査専門のパスワードを今から考慮しておこうか?
 いや、別に郵送でも大した手間ではないから、今回も郵送にしようかな?
 ん、いや待てよ。 一体この調査、今後何度続くのだろう???
 それによるなあ。


 ただ、ちょっと待ってくれよ。

 我が家の場合、亭主も私に既に退職しているため、前回と同様の回答を提出することとなるのだが。
 
 おっと。 そう言えば前回の設問内に、「今後仕事をすることは可能か?」なる設問があった。
 この私は、もしも今後我が専門力を発揮できる仕事をする機会があるならば、是非とも前向きに検討したいと考えている身であり!! そのようなYes回答をした!😃 

 それを思い出しつつ、今回の調査票を見てみると。
 その種の設問が、一切無い!!
 (そうか、一度目の調査で「高齢退職者」であることがバレた故に、2度目の調査では それを聞いてもらえないのね… )

 などと、何だか一抹の寂しさに浸りつつも… 😔 

 とにかく 期限内にパソコンか自筆かどちらかで回答して、期限内に提出致します。


60代が「人生の最終章」?? 子供が独立しているならどんどん次行きゃいいじゃん!!

2024年10月19日 | その他オピニオン
 本日は、2024.10.19付朝日新聞「悩みのるつぼ」よりエッセイの題材を得よう。


 早速、60代女性による「浮気した夫。楽しい老後とは…」と題する相談内容を、以下に要約引用しよう。

 夫の定年と同時に夫の浮気が発覚した。14年もの間裏切られていたが、夫は老後は私に尽くすつもりで、定年と同時に女とは息子を立会人にして別れた。 
 一時は離婚も考えていたが、このまま今の生活を続けることを選んだ。 だが、夫に対してどのような態度を取っていいのかわからなくなった。 必要最小限の会話しかできなくなってしまった。 夫に「それではあなたがつまらないだろう」と言われる始末。 
 だが、私が楽しく過ごすことは彼も楽しい訳で、それではあまりに悔しい。 それなりのペナルティは受けてもらわないと。 私に気を遣って子ども達も父親とは口を利かなくなった。 
 彼には以前のような愛情は感じられない。 けれど気楽で一番話が合うのは彼だ。 彼に事の重大さを感じてもらいつつ老後を楽しく過ごすには、どうすればいいか。
 
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」の相談内容を要約引用したもの。)



 早速、原左都子の感想に入ろう。

 この相談者女性は、60代との事だが。 相談内容から推測するに、60代になったばかり程のご年齢では無かろうか?

 原左都子の私事に入るが、つい最近我が年齢を当該エッセイ集上で公開したばかりだが現在69歳である。 従って、来年には70歳代に突入する。
 同じ60代と言えども、60代初頭と70代に足を突っ込みかけている年代とでは雲泥の差があろう。 
 (それが証拠に、この原左都子は当該エッセイ集内で我が60代前半期のミニスカ写真等々を数多く公開している。  それらを今 自分自身が見ても、あの頃の若さに郷愁を抱く思いだ… )

 さて、相談者の話題に戻すが。
 この女性がご亭主に裏切られていた年月が14年間とのこと。 ということは ご亭主は50歳前後期から浮気相手に熱を上げていた、との計算だ。
 
 で、私が分かりにくいのは、ご亭主の浮気の終焉時に息子さんを立会人にしたとのことだ。
 私に言わせてもらうに、「よくぞまあ!」と驚くしかない。😱 
 考えようによれば、息子さんも巻き込んでおくと、その後ご亭主の浮気が再燃することを防げるとの妻側のメリットがあるのか???

 まあ、息子さんに立会人になって貰ったとの事実は。 今後のご亭主の浮気の再燃時に、息子さんも交えてご亭主に徹底的に責任を取らせることが可能となるとのメリットがあるのかもね??



 ところで、今回の相談に対する回答者の回答内に。
 「相談者が人生最終章を幸せな気分で過ごせることを祈っています」と記されていた。

 これに対して、原左都子は大いなる違和感を抱かされた。

 相談者は今未だ60歳代だ。
 相談内容から想像するに、60代前半期の女性かと察する。

 その相談者に対して、「人生最終章」との言葉は今時全くそぐわないと私は判断する。

 この私も既に公開しているので今一度公開するが、現在69歳である。
 まだまだ本気で、「人生これから」感満載だ!!😃 😜 
 
 そんな相談者に対して、「人生最終章」なる表現は失礼千万では無かろうか??
 今時は、巷で高齢者の「見合いパーティ」等々年齢を問わず男女の出会いに役立つパーティが盛んに実施されている時代背景だ。

 私が相談回答者であるならば。
 まさに、亭主に浮気をされた女性には、むしろ とっとと亭主と別れてそのような出会いパーティ等への参加を勧めい程だ。
 ご亭主が浮気をした事実は取り返しつかない事情であろう。
 それを、高齢域に達しようとしている人間相手に「幸せな気分で過ごせることを祈る」よりも。
 とっとと浮気亭主を捨て去って、ご自身が まだまだ輝ける人生選択をする権利がある! と私は叫びたい!!

 ただし、その条件として。
 浮気をされた女性側に「経済力がある」ことが 必須だ。

 それ(経済力を身に付ける事)を今までの人生に於いて実行して来なかったとすれば。 
 その女性にも大いなる落ち度があると責められて仕方がない時代に変遷しつつある、今の時代背景ではあるまいか??