◎おほめの言葉に調子づいて原稿用紙に初めて手を出した
昨日は、尾股惣司さんの『鳶職のうた』(丸ノ内出版、一九七四)から、「にぎりめし」という小エッセイを紹介した。本日は、その「あとがき」を紹介する。これは、「あとがき」と題したエッセイである。もちろん名文である。
あ と が き
今更あとがき面もねえんですが、何かなけりゃあかっこうがっかねえと言われたので図々しくも書かせて戴きます。
井戸の蛙がはるか上の空を吹く春の風にさそわれてついついつぶやいたねごとみたいな語を、御辛抱強くお読み下さった皆様に先ずもって厚く御礼を申し上げます。
だいたい仕事師がものを書いたなんて事じたいがおかしな話で、こんな奴にいい仕事が出来るはずがねえ、というのが世間の通り相場です。お察しの通りの半パ野郎が人様のお情けで、どうにか家業の鳶職を継ぎ、道楽の祭囃子まで御援助を戴きながら曲りなりにも喰わしてもらえてた、そんな時、町内の大野聖二氏御夫妻から何か書いてみろ、と来た。何も分らねえでチラシの裏へなんかずらずら書いちまった変てこな話を『ふだん記【ぎ】』の橋本義夫先生が取り上げて下さった。御面倒下さるグループの皆様からの励ましのお便りやら、おほめの言葉に調子づいて原稿用紙に初めて手を出した。仕様がねえもんで半パな紙にばかり書いていたもんですから原稿用紙ではどうにも書けない、こいつには大弱り。とうとう子供の半パ帳面に下書きをして原稿用紙に移すなんて七めんどうな事を今の今までやってる訳です。もともとが蛙のガキなんですから誤字も当字もおかまいなし、文語も口語もあればこそで、手前よがりの話が書ける度に忙しい中を見てくれた松岡喬一氏、野末孝雄氏、まったく人様に迷惑の掛けっ放し。皆様の御芳情に対し改めて厚く御礼を申し上げます。
家業の鳶職人としても、また祭囃子のなかにいても、また、へたくそな文を書いている時も忘れなかったのは、人間は一人では生きてはゆかれない、何かしらのおかげ様で今がある、有り難てえと思わなければいけねえ、と己の心にいい聞かせる事でした。人間、泣いても一生笑っても一生と申します。同じ一生なら苦しみも楽しみにして笑った方がいいと考えた呑気な私の様な貧乏職人の話を取り上げて下さった御寛大なお心にもそえず、手前勝手な話ばかりで申訳けなく思っております。その上御苦労の何分の一にも応えられない私に終始お付合い下さった堀川博氏の御努力と中央公論事業出版の皆様の御好意に心より御礼申し上げます。鳶職【わたくし】一代の良い思い出になりそうです。末筆ながら御迷惑をお掛けした丸ノ内出版に衷心より厚く御礼を申し上げます。有り難う御座いました。
昭和四十九年仲秋 尾股惣司
文中、「大野聖二氏」とあるが、元・八王子学会理事長で、八王子ではよく知られた文化人である(故人)。「『ふだん記』の橋本義夫先生」という名前も出ている。もともと、この『鳶職のうた』という本は、『ある鳶職の記録』というタイトルで、一九七二年に「ふだん記全国グループ」から出版されたものである(ふだん記本25)。橋本義夫が始めた「ふだん記」活動がなければ、尾股惣司さんの名エッセイが世に出ることはなかったであろう。