礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

森鷗外と芥川龍之介は小説家として失敗した(萩原朔太郎)

2019-07-14 10:03:45 | コラムと名言

◎森鷗外と芥川龍之介は小説家として失敗した(萩原朔太郎)

 萩原朔太郎『日本への回帰』(白水社、一九三八)から、「日本語の不自由さ」というエッセイを紹介している。本日は、その四回目(最後)。

 日本の小説は、近世に於ても皆この源氏物語の系統から出発した。すくなくとも文体に於て、源語〈ゲンゴ〉は日本小説文学の規範であつた。例へば徳川時代に於ける西鶴の如き、特にその文体に於て、構想に於て、源語を直系したものであつた。明治になつてから、一時新しい西洋直訳の小説が試みられたが、最近は既に廃つて、室生犀星や谷崎潤一郎流の談議体小説が文壇を風靡してゐる。この種の小説の特色は、文章に句点がなく、主語が判然せず、どこまで行つてもずるずるとして断定がないのであるから、西洋風のエツセイ文章に慣れた読者にとつては、まことに歯痒くじれつたいことの極みであり,その上にまた恐ろしく難解に感じられる。しかし日本語の真の妙趣を理解し、源語や西鶴を読み得る側の読者にとつては、これほど面白く渋味のある文章はないのである。そしてその妙味は、主語がダツシユの裏に隠れ、判断が最後までずるずる引つ張られて行くところの、長談議のプロセスの中に存するのである。故に日本の文学が、小説でも随筆でも、古来から皆本質上に於て「談議的」のもの――長火鉢を前にして語る人情話的のもの――となるのは自然である。
 要するに日本語は、外国語の逆手を行く所に長所を持つてゐる。したがって日本語は、「談議」に適し「解説」に不適であり、「物語」に適して「論文」に不適である。かかる日本語を以てする以上、今日ある如き文壇小説、今日ある如き文壇随筆は、永久に「日本的な文学」の本体を決定する。そして要するに千年前にあつた如く、枕草紙や源氏物語の系航以外、如何なる新しい変化の発展も望めないのだ。たまたま新奇を欲して文学の革命を試みた者も、僅か一朝にして忽ち元の黙阿弥に還元し、初から何も起らなかつた如くである。森鷗外と芥川龍之介は、日本の文学を談議小説から革新しようとして、西洋風なエツセイ文体によつて創作した。そしてしかも、その故にまた二人共小説家として失敗した。日本語で小説する場合、エツセイ流の断定主義や判然明白主義は避けねばならぬ。鷗外と龍之介は、この禁断を犯した故に、国語のヂレンマにかかつて自滅したのだ。
 日本に生れて、日本語の不自由を言ふのは、単にそれを考へるだけでも非国民的な思想かもしれない。しかしニイチエは独逸に生れて、絶えず独逸語の不自由を言ひ続けた。彼の文学情操の中に、多分に非独逸的、外国的のものがあつたからだ。況んや今日現代の日本人は、幼老に関らず多分に欧化した社会に住んでる。そして我々は、科学や哲学やの如き、非日本的なる舶来の学問をする要に迫られてるのだ。して見れば今日の日本文壇にも、伝統の小説や随筆以外に、西洋風のエツセイが要求されてない筈もない。だがその時代の要求を、如何にして僕等の文学に生かすべきかと言ふことが、芥川龍之介以来の問題なのだ。そしてこの問題を発展させれば、何故に日本に於ては、西洋的知性が発育しないかといふ、根本的なインテリゼンスへの懐疑になるが、此所では一先づ筆をおかう。

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