礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

安倍元首相は、「非業の死」を予期していたのか

2022-10-05 00:02:12 | コラムと名言

◎安倍元首相は、「非業の死」を予期していたのか

 昨日のブログで紹介したように、国語学者の山田孝雄(よしお)は、関東大震災の直前、「枯れすすき」の歌が流行ったときに、「どうもこれはいけないな」と思ったという。「果して東京市に枯すゝきの時代が来たのであります」と語っている。「流行歌といふものはどうも人心の兆〈キザシ〉を現はすのであります」ということも指摘している。
 この山田の文章を読んで、国葬の際の菅義偉前首相の弔辞を連想した。
 議員会館の安倍晋三元首相の部屋の机には、亡くなった元首相が、最後に読んでいた本が置かれていた。その本は、岡義武の『山県有朋』であった。「読みかけ」だったらしく、ここまで読んだという最後のページとところは、端が折ってあった。そして、そのページのある箇所に、マーカーペンで線が引かれていた。山県有朋が、盟友・伊藤博文が非業の死に斃れたとき、故人を偲んで詠んだ「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」という歌だった。――
 この話が本当だとすると、安倍元首相が、読みかけた本の、そのページにあった歌に線を引いたのは、みずからの「非業の死」を予期していたことになるのか。また、盟友である菅前首相によって、その本とその歌が「発見」されることも、元首相は秘かに期待していたのではないか。そんなことを考えた。
 なお、今月一日の「本と雑誌のニュースサイト/リテラ」の記事〝菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった!〟を読んで、いくつかの新事実を知ることができた。

・安倍氏は(当時首相)、二〇一四年一二月二七日に、葛西敬之JR東海名誉会長と会食し、その席で、岡義武の『山県有朋』を読むことを勧められたという。
・安倍氏は、岡義武の『山県有朋』を、二〇一五年一月、河口湖の別荘に滞在中に読み終えたという。
・このことから、安倍氏が読んだ『山県有朋』は、岩波新書版『山県有朋』だったことがわかる(岩波文庫版『山県有朋』の発売は、二〇一九年九月)。なお、二〇一五年一月一二日の安倍氏のFacebookには、岩波新書版『山県有朋』の写真があるという。
・本年五月二五日に、葛西敬之JR東海名誉会長が亡くなり、六月一五日に葬儀があった。このときに安倍氏は弔辞を読んだが、その中で「かたりあひて尽しし人は先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」の歌を引用しているという。
・議員会館にあった本の端が折ってあり、山県有朋の歌に線が引かれていたのは、その弔辞の準備のためだったと考えるのが妥当である。

 そうして見ると、菅前首相の弔辞の内容は、かなり「盛られている」(フィクションが加わっている)ことがわかる。この盛られた部分は、かなり熟達したスピーチライターの手によるものであろう、と私は推測した。
 ちなみに、衆議院第一議員会館→千二百十二号室→机の上→読みかけの本→端を折ったページ→線が引かれている箇所というふうに、だんだんと視野を絞ってゆくのは、文学、映画、短歌などに、よく見られる手法である(短歌では、石川啄木の「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」を想起されたい)。菅氏は(あるいは、そのスピーチライターは)、盟友・伊藤の非業の死を山県が悼んだ歌を引くことによって、安倍元首相の死が「非業の死」であったことを訴え、その歌が「読みかけ」の本の最後のページにあったことを述べて、安倍氏が「非業の死」を予期していたことを暗示した。さらに、その本とその歌を「発見」したのが、ほかならぬ菅氏であったことを示して、安倍氏と自分との盟友関係を、さりげなくアピールしたのであった。

*このブログの人気記事 2022・10・5(9位になぜか「村八分」)

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