礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「日下」を「クサカ」と読むのは古事記より前から

2022-10-10 00:00:53 | コラムと名言

◎「日下」を「クサカ」と読むのは古事記より前から

 山田孝雄の『古事記講話』(有本書店、一九四四年一月)を紹介している。本日は、その二〇回目(最後)。本日、紹介するのは二か所だが、いずれも「第七 古事記序文第三段」の一部である。

 すべて上表文はその当時の天皇様の御聖徳を讃へ奉つてから申上げるのであります。これが上表文の方式であります。我々の平常の生活から考へてみても分ります。大体人に会うたならば御機嫌如何ですか、結構でございますなと言つて、それから扨て〈サテ〉といふのが当り前であります。ところがこの間こんなことがありました。名古屋辺り〈アタリ〉の新聞記者ですが、礼儀も何も心得ぬものであつた。人に向つて挨拶もしないで、いきなり人の行動を尋ねるのは裁判官や警察官の仕事だ。警察官でも官服〈カンプク〉ならすぐ分るが、私服の警察官ならば名刺を出すのである、私服を着てゐると巡査だか百姓だか分らぬ、巡査なら問ふことがあるからこちらも答えるのが当り前でありますが、人に挨拶もしないでいきなり明日は何をするのだといふ。私は大政翼賛会中央協力会議に出席することになつてゐたのでありますが、これはまるで山犬みたいなものであります。礼儀も作法も知らないといふのにも程度のあるものです。とにかく我々のやうな個人同志の間でも人に会へば御機嫌如何ですかとかそれはめでたい事ですとか、一往の挨拶をするのが当り前であります。それと同じやうに、いやそれと比較すべきではありませんが、陛下に申上げるときも先づ〈マズ〉第一に御機嫌伺〈ゴキゲンウカガイ〉としてこれだけのことを申上げるのは当然であります。これは諂ふ〈ヘツラウ〉とか何とかいふのではない。天皇として我々が仰ぎ奉る陛下に御機嫌を伺ひ奉る言葉といふものはかういふものだとお考ヘ願はなければならない。〈二七一~二七二ページ〉

 そのほか「於姓日下謂玖沙訶、於名帯字多羅斯。如此之類、随本不改。」「日下」といふ字を使つて人の苗字に「日下【クサカ】」と読むのがある。また人の名前に「帯」といふ字を使つて「帯【タラシ】」と読ませてゐるが、かういふものは書き直しにくい、書き直すわけに行かないから昔のまゝにして改めませんといふのであります。現に古事記をお_みになりますと、「日下」を「クサカ」と読ましてあり、神功皇后様の御名前には息長帯比賣命〈オキナガタラシヒメノミコト〉とこの「帯【タラシ】」を書いてあります。これは昔のまゝにして改めないといふのでありますが、こゝに我々は今日の漢字を使つてゐる地名や人名の上において大いに考へてみるべき点があるのであります。今日「日下【クサカ】」をやはりそのまゝ使つてゐる、これは古事記を書くときに太安萬侶が、これは昔から使つてゐるので改め様がないといつて改めなかつたのであります。何故改めなかつなのでありませうか、これは西洋文法の理窟をもつていへば固有名詞であります。固有名詞の字を改めますと何が何だか分らなくなつてしまふのですが、現代でもその通りであります。私共の知つてゐる人に「イトウ」といふ人が何人かある、いまの国民精神文化研究所長は伊東〔延吉〕さんである、また伊藤さんといふのは沢山ある、たゞ「イトウ」といふだけでは誰だか分らない。全部仮名で書け、ローマ字で書けといへば誰が誰だが分らなくなつてしまふのであります。かういふやうな事柄が今より千二百年前に決つてゐるのであります。〈二八二~二八三ページ〉

「日下」と書いて、なぜ「くさか」と読むのか。これについては、「草」の「下」だから、すなわち、「草」という字の下半分(日+十)だから、という説を、以前、聞いたことがある。この問題について関心をお持ちの方がいらしたら、インターネット上の記事〝「日下」=「くさか」論〟の参照をおすすめしたい。
 山田孝雄の『古事記講話』を、長々と紹介してきたが、本日を以て最後とする。同書の最終章たる「第七 古事記序文第三段」は、全一八ページと短い(二七〇~二八七ページ)。
 それにしても、『古事記講話』というのは、何とも不思議な「古事記論」である。「第四 古事記序文総論」を振り出しに、「第五 古事記序文第一段」、「第六 古事記序文第二段」、「第七 古事記序文第三段」とあって、そのあとはない。本文、全二八七ページのうち、実に二一〇ページが「古事記序文」関係で占められている(七七~二八七ページ)。『古事記』の「序文」をめぐって、これだけ詳しく考証した本は、ほかには例がないと思う。

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