◎北畠親房は偉い人だが古事記を知らなかった
山田孝雄の『古事記講話』(有本書店、一九四四年一月)を紹介している。本日は、その一九回目。本日、紹介するのは、「第六 古事記序文第二段」の、ほとんど最後にあたるところである。
とにかく誦み〈ヨミ〉習はしめられたところを以て考へてみると、天武天皇がそこは声を上げるのだ、こゝは下げるのだといふ風に御指図なされたに相違ない、それが古事記のなかに「上」なり「去」なりの発音符合となつて今日までも残つてをるものであらうと思ひます。たゞしかしこの「上」なり「去」なりの発音符合〔ママ〕は我々が想像してゐたよりも少いのであります。この少いのはどういふわけであるか分らぬのであります。あるひは昔はも少し沢山あつたのでありませうが、だんだん書物を写し伝へる間に、何が何だか分らぬからこんなものはなるだけ少なくしやうといつて減らしたかも知れない。これは想像であるから断言は出来ないのであります。あるひは当時の発音として誰が聞いても分るものは書かなかつたかも知れない。たゞ当時としてこゝだけ発音のやり方が違ふから気をつけろといつて、特別に注意すべき場所だけに符合をつけたのかも知れない。さうすると困るのは我々であります。千二、三百年前の太安萬侶時代の発音法を知らないものだから、こゝのところはそれでいゝといはれても分らない。たゞこゝは上げる、下げるといふことだけではつきりしないけれども、とにかく声の上げ下げを喧しくしくいつたといふことは分るのであります。それについて面白いところが一ケ所あります。古事記のなかに「愛比賣」〈エヒメ〉とある、あの伊予の国のことでありますが、その「愛」の字のところに「上」の字が書いてある、そこで声を上げたのでありますが、それが今の本に残つてをるのであります。ところがあの旧事記〈クジキ〉――元来聖徳太子のものだといふのですが、それは亡びて、今の本は後人が太子の書に偽託した本です。それを書いたときに「上」の字が分らないので小さく書いてあるのを大きく書いた、分らなければ除けばよいのだがさういふわけにも行かぬ、その上の字の小さいのを大きく書いた旧事記があります。この「上」の字はをかしいといふので神皇正統記〈ジンノウショウトウキ〉では「止」と書いて「エシヒメ」読むやうにしてある。北畠親房〈キタバタケ・チカフサ〉は偉い人でありますが、まだ古事記を知らなかつた。さうして旧事記を大切に考へてゐた、そしてこれを神皇正統記に引いてゐるのであります。とにかくこの「愛比賣」の「愛」の字のところに「上」といふ発音符合が昔からついてゐたといふことがかういふ間違つたことを基礎にしてでも考へられるのであります。〈二六六~二六八ページ〉
四国の愛媛県の「愛媛」が、古事記に出てくる「愛比賣」(愛比売)に由来することは、よく知られている。
山田孝雄によれば、古事記では、「愛比賣」の「愛」のところに「上」という字が書いてあったという。これは、「愛」(え)のところを「声を上げ」て発音するという符号だったという。そう言われてみると、今日でも、「えひめ」という場合は、「え」にアクセントを置いて発音している。
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