礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

家々に代々伝へて来るのが「モタル」であります

2022-10-06 00:04:12 | コラムと名言

◎家々に代々伝へて来るのが「モタル」であります

 山田孝雄の『古事記講話』(有本書店、一九四四年一月)の紹介に戻る。本日は、その一六回目。本日、紹介するのも、「第六 古事記序文第二段」の一部である。

 以下は勅語になります。
 朕聞、
 諸家之所賷帝記及本辞、
 既違正実
 多加虚偽
この「賷【モタル】」といふのは妙な字が書いてありますが、齎すといふのが本当の字です。六朝〈リクチョウ〉時代には俗字がさかんに使はれました。これも一方を正しいと見るから他の方が俗字になるが、どちらが正しいか議論すれば分らぬやうになります。一つ目小僧ばかりのゐる所へ二つ目のものが行くと片輪者だとはれますが、それと同じやうなものでどちらが正しいか分らぬ。説文〈セツモン〉に「持遺ルナリ」とありまして、家々に持つてゐるものを代々伝へて来るのが「賷」であります。こちらの家から隣りの家へ持つ行くのてはない。この「諸家」といふのも普通の家ではないのでありまして、由緒ある相当の家柄を指して仰せられるのであります。前にも述べた通り、我が国では昔は血統団体をもつて統治をせられてをりましたので、それぞれの家毎に〈イエゴトニ〉皆自分の家に伝はつてゐるところの言ひ伝へがある。それを諸冢の賷る所と申したのであります。「帝紀」といふのは書物の名前であるか或ひは名前でないかといふことで色々の議論が出てをるのであります。そこでこれは古事記としては非常に重大な事柄になつてをりますが、これに似たやうなものを探して見ますと、序文八十五頁に「撰録帝記、討覈旧辞」とあり、「帝紀」は同じでありますが、次の「本辞」といふのは「旧辞」と書いてある。そこでこの「本辞」と「旧辞」は違ふものであるかどうかといふ問題が起るのであります。序文八十五頁の十一行には「帝室日継及先代旧辞」とあり、これが前に述べた帝紀、旧辞と同じものかといふ問題が起り、「帝紀」、「本辞」とはどうかといふことになる。次に序文八十六頁の十三四行には「旧辞之誤忤、先紀之誤謬」とあり、「旧辞」、「先紀」となつてゐる。この「旧辞」は序文八十五頁の「旧辞」とは同じであるが、同頁終りの「先代旧辞」とは同じかどうか、或ひは「本辞」とは同じであるか、これが問題である。またこゝでは「先紀」とあるが前は「帝紀」とある、これが又同じかどうか問題である。ところが同じ序文八十七頁に「撰録稗田阿礼所誦之勅語旧辞」とあり、それを書いたものが古事記だといふことになる。それで古事記といふものは帝紀といふものは入つてゐないで旧辞だけだといふ論がある。しかし私に言はすればそれは西洋かぶれした人間の論であります。さふ論法でいへばこの古事記の序文は何を言つてあるか分るものではない。最初に「帝紀及本辞」と言ひ、次に「帝紀及旧辞」と書く、さらに「帝室日継及先代旧辞」とあり、「帝紀」はどこかへ行つてしまつた。これは古事記論者の始終論じてをるところでありまして、西洋流のものゝ考へ方をして本当の意味を誤まるものがあります。東洋流のものゝ考へ方といふものが自ら〈オノズカラ〉あります。大体人の書いたものを理解するときはその人がどう考へてをるかをまづ理解してかゝらねばならぬ。我々が日常の応対の場合に於ても、向うが尊敬して言つてゐるのに、こちらが逆にとれば腹が立つて仕様がない。伊予の松山へ行けば先生に「お前」と言つてをるさうだが怪しからぬといつて腹を立てたら間違ひで、先方は尊敬しで言つてをるのであります。向ふがどういふ積りでものを言つてをるかを理解しないで、自己の考へだけで勝手に解釈して、それをよいのと悪いの言つてゐるのは怪しからぬ話であります。我々の先祖がこれを書いた時の心持といふものを考へて見る必要である。〈二〇五~二〇八ページ〉

 今回、紹介した部分で山田は、序文の字句について真剣な態度で解説している。重要なところなので(重要なところだと思ったので)、紹介しておいた。基本的に「脱線」はしていないが、最後のところで、少しだけ「脱線」が見られる。

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