礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

神武会員による齋藤首相暗殺陰謀(1932年6月)

2023-03-16 01:56:05 | コラムと名言

◎神武会員による齋藤首相暗殺陰謀(1932年6月)

『司法研究 第十九輯』(司法省調査課、一九三五年三月)から、第二章「猶存社系団体」の「四、神武会」を紹介している。
 本日は、その五回目。以下も、「昭和七年中に於ける情勢」の続きである。

神武会員の齋藤首相暗殺陰謀事件
 京橋区築地二丁目五番地医学博士今牧嘉雄(明治三十年生)は、昭和六年〔一九三一〕十一月頃より大川周明と相識り〈アイシリ〉、昭和七年〔一九三二〕二月大川が神武会を創立するや之に入会し爾来同会の顧問格として待遇されつゝありし所、同人は予て〈カネテ〉より齋藤〔實〕内閣は現在の非常時日本を匡救〈キョウキュウ〉する大任を完ふ〈マットウ〉し得る者に非ざるを以て協力内閣出現の為には齋藤首相を暗殺し現内閣を打倒せざるべからずと思惟〈シイ〉し居りしが偶々六月十五日五・一五事件関係者として大川周明の検挙せらるゝや極度に興奮し、同月十九日麹町区内山下町一ノ一東洋ビル地下室ツクバ食堂に於て同志たる同会城西支部幹部大林末市(株式店員にして今牧の紹介により神武会に入会、城西支部を起したる者)と時局問題を論議したる末齋藤首相暗殺を謀議し、大林の知人島根善之助をして実行に当らしむる事とし、同月二十一日大林方に於て凶器購入の費用として金五百円を支給したるが、島根は其の金を所持して京都市伏見区西柳町五百五十番地貸座敷業末高楼本店に於て馴染〈ナジミ〉娼妓に別れを告ぐべく登楼中、一斉検索の為臨検したる伏見警察署警官に挙動不審者として検挙された。この事実を聞きたる今牧は同人の大事を托するに足らざる人物なるを知り、七月四日大林をして暗殺計画の中止を命ぜしめた。然るに島根は之を快しせず同輩牧野成二と共謀し右陰謀の公表を口実として数回に亘り今牧、大林を恐喝し金四百円を得たるが、なほ執拗なる金銭の強要を継続したる為大林は八月十三日所轄署に告知したる結果事件発覚するに至つたのである。而して今牧、大林両名は殺人予備罪に依り、島根、牧野の両名は恐喝罪として同年八月十九日及九月二日夫々〈ソレゾレ〉東京地方裁判所に起訴せられ、今牧は懲役一年六月、大林は同一年、両名共二年間執行猶予、牧野は懲役一年六月、島根は同一年に各〈オノオノ〉処せられた。
 神武会本部に於ては会頭大川の検挙後幾何〈イクバク〉もなくして本件の如き事件の勃発を見、世間の誤解を虞れて〈オソレテ〉「神武会は飽く迄合法的国民運動団体にて神武会の名に於て行はるゝものは決して非合法運動にては無之〈コレナク〉、従て此度〈コノタビ〉の事件にも神武会は絶対無関係にして偶々〈タマタマ〉会員中より事件関係者を出したるものに候間〈ソウロウアイダ〉此点誤解なき様願上候」なる釈明書を地方各支部其他関係方面に発送した。【以下、次回】

 島根善之助は、高楼本店に登楼中、伏見警察署の臨検で検挙された。このとき臨検がなければ、一九三二年(昭和七)六月に「首相暗殺事件」が起きていた可能性がある。なお、齋藤實(さいとう・まこと、一八五八~一九三六)は、この四年後、二・二六の叛乱軍によって暗殺された(当時、内大臣)。
 文中、「島根は之を快しせず」は原文のまま。「島根は之を快しとせず」の誤植か。「快し」の読みは、「こころよし」。

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