◎五・一五記念日には幹部37名が明治神宮参拝
『司法研究 第十九輯』(司法省調査課、一九三五年三月)から、第二章「猶存社系団体」の「四、神武会」を紹介している。本日は、その八回目(最後)。
昭和九年中に於ける情勢
昭和九年〔一九三四〕四月三日麹町区内山下町東洋ビル内本部に於て開催したる第二回全国代表者会議の席上常任中央執行委員松延繁次は昭和九年度一般運動方針を説明して曰く、
「前略、我々は満洲事変を契機として日本内部の改造をも断行する計画であつたが国内の改造どころか今日に於ては満洲国さへ完全に財閥に独占せられんとしつゝある。一般的に齋藤〔實〕内閣は無能と叫ぶも従来の内閣中同内閣程財閥に尽力してゐる内閣はない、此の意味よりして財閥には無能どころか誠に有力内閣である。更に今一つは旧官僚的勢力で財閥政党の間に介在して漁夫の利を得んとしてゐる。今日我々は此の財閥政党旧官僚の各勢力を打倒せざる限り昭和維新を断行する事は出来ない。司法官も之等特権階級の擁護者たる外何物でもない限り会頭の釈放も之等現存勢力を倒すより外はない。組織は闘争の基礎であり闘争には青年が適する。之亦会頭の精神である。我々は支離滅裂せる愛国陣営を今一度纏め打つて一丸となし現存勢力を打倒し昭和維新断行に向ふこそ即ち本年度に於ける一般運動方針である。」
と、以て彼等の肚裡〈トリ〉を窺ふに足るであらう。
二月三日五・一五事件民間側被告に対し判決言渡あるや、神武会本部に於ては右裁判を以て一元司法国家を二元司法国家たらしめ、国家の大勢を知らず国法の精神を曲解し之が尊厳を維持せんとして却て〈カエッテ〉建国三千年の大道を冒瀆汚辱し以て国民をして混迷に陥れたるものなりと為し、同月八日附を以て左記の如き印刷物並に「昭和維新断行、外敵より先づ内敵を、財閥政党の徹底撃破、五・一五民間判決絶対反対」等と題するポスターを作成各支部、支部、支部準備会宛発送した。
【約五ページ分、中略】
之より先本会酒田支部員齋藤正義外七名は本部員及愛国政治同盟の小池四郎代議士等と共に四月五日首相、農相を訪問米価最低石三十円問題を始め農村負担軽減問題に関し縷々陳情し、同地方農民九千名の署名せる嘆願書を提出した。次いで五月十五日所謂五・一五記念日には常任中央執行委員長狩野敏〈カノ・ビン〉以下本部役員及府下支部幹部三十七名は明治神宮に参拝し、夫〈ソレ〉より控訴院吉田裁利長、岩淵検事に面会陳情する処があつた。又五月二十八日齋藤〔實〕内閣綱紀問題に関し「皇国を荼毒〈トドク〉する齋藤内閣の存続を断絶し此度こそ既成政党及財閥と何等悪因縁なき真正なる挙国一致内閣の実現を期する」旨の声明書を発表し、八月一日には「五・一五事件の大川周明を釈放せよ!! 非常時は深刻化しつゝある、今や人材を活用せしむる秋〈トキ〉、有為の国士を徒らに〈イタズラニ〉拘禁するは国家の一大損失である、全愛国犠牲者を救へ!」なるポスターを作成全国各支部其他関係方面に発送した。
神武会本部に於ては最初大川会頭は遅くとも第一審公判後に於ては当然保釈出所を許さるゝものと信じ会内急進分子を押へ其間各種の運動上にも極力隠忍自重を続け来りたるが、遂に所期の目的を達する事〈コト〉能はざりしを以て四月上旬前述の如く俄然大川会頭公判闘争委員会を組織し全国的動員計画を為すと共に、全国に檄を飛ばし九月七日より開廷せらるべき控訴公判を目標に各地に於て相当果敢なる闘争を展開し来り、八月下旬には此の勢力を本部に結集し最後の運動に入るべく着々準備中なりしが、一方大川会頭保釈運動に関しては特に同会頭に好意を有する先輩知己を通じ頻りに〈シキリニ〉裁判所検事局其他に関し了解運動を為し来れる結果、検事局方面の意向が「騒げば出さぬ」と言ふに在りと称し中央幹部寄々〈ヨリヨリ〉協議の結果反対者相当ありたるも狩野敏を中心とする行地社系の意見「此の際尚一応欺された〈ダマサレタ〉と思つて自重し度い〈タイ〉」との方針に一決し、控訴審理中公判闘争を一切中止する事となり狩野は地方党員説得の為八月二十四日東京を出発した。然るに地方支部に於ては中止に対し猛烈なる反対に会ひ殊に山形県に於ては弁解の余地を与へられなかつたので窮余「打つなり殺すなり諸君の自由に任すから兎も角も本部の苦衷を察して貰ひ度い」と謝まつて辛ふじて〈カロウジテ〉納得せしめたと称してゐる。自重論者の一の根拠は自重後万一再び脊負投〈セオイナゲ〉を喰つたとすれば其後の運動は中央は勿論地方に於ても憤懣と怨恨〈エンコン〉が伴ひ、倍加される効果があるから欺むかれたと思ひ今一応自重すべきであると言ふに在つた。
本会の現勢は昭和九年現在に於て北海道、青森、岩手、秋田、山形、福島、新潟、富山、石川、福井、長野、山梨、埼玉、千葉、東京、横浜、静岡、愛知、岐阜、京都、和歌山、大阪、兵庫、岡山、山口、高知、福岡、佐賀、熊本、鹿児島、長崎、大分、沖縄の三十三道府県下に五十七の支部及支部準備会を有し、其の会員数は昭和八年〔一九三三〕末 現在の調査に依れば六五四七名なりと言ふ。
神 武 会 幹 部 身 許 調 査【略】
最後に付されていた「神武会幹部身許調査」は割愛した。「身許調査」の対象となっている神武会幹部は、狩野敏、松延繁次、金内良輔、片岡気介、日野目末弘、宇都宮良久、榊原文次郎、大石茂、中川裕、平田九郎の十名である。
以上で、「四、神武会」の紹介を終えるが、こうした報告を読むと、当時の司法当局が、国家主義諸団体の動きを警戒し、情報収集に心を砕いていたことが感じとれる。