礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

喫茶店「川の音」で自転車を乗り捨てる

2023-03-24 01:16:16 | コラムと名言

◎喫茶店「川の音」で自転車を乗り捨てる

 毎日新聞のスクープ記事を読んだあと、清田浩司・岡部統行共著『警察庁長官狙撃事件』(平凡社新書、二〇一九年二月)を読みなおした。また、ABEMAドキュメンタリーの『警察庁長官狙撃事件の真相』(二〇二〇年一二月放送)も、何度か視聴した。

 これによって、いくつか貴重な情報を得ることができたが、今回は、逃亡中の狙撃犯人が自転車を乗り捨てた「喫茶店」に注目してみたい。
 平凡社新書『警察庁長官狙撃事件』によると、狙撃犯の中村泰(ひろし)受刑者は、事件後の逃走経路について、著者に宛てた手紙で、次のように書いているという(七〇ページ)。

〈狙撃後はアクロシティの敷地内を逃走し、マンションDポート沿いのスロープから敷地外に出たところで、左側(南側)にホームレス風の中年男が立っているのに出くわし、顔を合わせました。向こうは突然、自転車が飛び出してきたので、驚いたようでした。午前8時30分前後です。
 その後は、共犯者が軽自動車で待機するNTT荒川支店の駐車場に向かいました。その場所と千住間道をはさんで筋向かいにある喫茶店らしい店舖の東側側面に自転車を無施錠 に立てかけて、置き捨て、共犯者の運転する軽自動車に乗り込みました〉
〈再び、千住間道・明治通り・道灌山通りを経由して西日暮里駅西口に着いたのが午前9時前後。銃器弾薬類を収めたスポーツバッグを持って下車しました。駅では、山手線均一回数券を用いて入構し、山手線内回り電車に乗車。そして、新宿駅で降りると、……〉

 ここには、「喫茶店らしい店舖」とあるだけで、店の名前はない。しかし、ドキュメンタリー『警察庁長官狙撃事件の真相』では、中村受刑者の手紙が映し出されていて、そこにはハッキリと「川の音」という店名があった。荒川区荒川一丁目にあった「中華&喫茶 川の音(おと)」のことである(現在は閉店)。
 平凡社新書『警察庁長官狙撃事件』では、著者が「川の音」を訪れ、元経営者から証言を引き出している。ドキュメンタリー『警察庁長官狙撃事件の真相』では、『警察庁長官狙撃事件』の著者のひとりである清田浩司さんが、「川の音」を訪れ、元経営者Kさん(ドキュメンタリーでは実名)から、当時の状況について、説明を受けている場面がある。
 以下は、平凡社新書からの引用(八四ページ)。

 証言をしてくれるのは、アクロシティから六〇〇メートルほど離れた場所でかつて「川の音」という喫茶店を営んでいた男性だ。そう、中村が逃走に使った自転車を乗り捨てたと語っていた、あの喫茶店の主人である。店はすでに閉店していたものの、建物も看板も当時のままだった。
 主人は当時のことをはっきりと覚えていた。
「自転車はね、たまたまちょうどこの横のところにあったんだよね」
 そう言うと、近くに置いてあった自転車を、店の壁に立てかけて再現してくれた。いかにも乗り捨てたという感じで、スタンドがあがったままになっていたという。
「店の前に都電荒川線の停留所〔荒川区役所前〕があるから、いつも三台くらいの自転車が停まっていたんだけれど、一台だけ乗り捨て方がおかしいから変だなって。普通はスタンドを立てて、鍵をかけて置いていくじゃない? ところがその自転車だけは、そんな形で鍵もかけずにずっと置いてあった。だからおかしいなと思ってね」

 中村受刑者は、当日の逃走経路を、手紙で詳しく説明していた。そこには、自転車を乗り捨てた喫茶店の名前もあった。中村受刑者の記憶力には、「凄まじいもの」があったというが(平凡社新書六七ページ)、これは、記憶力だけの問題ではない。中村受刑者とその「支援役」は、犯行前、現場とその周辺を入念に下見し、逃走経路についても十分な検討をおこなっていたはずである。自転車を乗り捨てる場所も、その時に決めておいたのであろう。だからこそ、「川の音」という店名を覚えていたのである。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2023・3・24(8位になぜか岡本綺堂)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする