◎減刑嘆願書56,435通を海軍省に提出
『司法研究 第十九輯』(司法省調査課、一九三五年三月)から、第二章「猶存社系団体」の「四、神武会」を紹介している。本日は、その六回目。
昭和八年中に於ける情勢
本部に於ては昭和八年〔一九三三〕二月十一日の建国祭を前に、二月十日明治神宮前に於て会旗入魂式を挙行し、次いで三月十日には左記の如く役員を決定した。更に四月二日には全国代表者会議を開催して組織の整備に努めたる外屡々執行委員会、常任執行委員会等を開催して会頭の保釈、五・一五事件被告の減刑運動等に関し協議する所があつた。
本 部 役 員
常任中央執行委員長 狩野敏、常任中央執行委員 松延繁次、金内良輔、宇都宮良久、夏目國吉、日野目末弘、片岡気介、雪竹榮、高橋喜蔵、中央執行委員 平田九郎、榊原文次郎、鈴木款、中川裕、大石茂、小野田長右衛門、永谷榮吉、西郷隆秀、外十一名
本会本部に於ては昭和七年〔一九三二〕六月大川会頭の検挙以来只管〈ヒタスラ〉謹慎を守りたるが、其の保釈出所を熱望するの余り同年十月六日本部特報を以て関係各庁宛に個人的或は集団的に請願を為すべく指令する所あり、当時此の趣旨に従ひ本運動を試みたる会員も少からざりしが、昭和八年四月二十八日大川の秘書たりし中島信一保釈出所するや右運動は一層勢を加へ同日及五月四の二回に亘り中央執行委員会を開催協議の結果、東京地方裁判所に大川の保釈願を提出し且同月十五日の五・一五記念日に於ても日本精神研究座談会、神社参拝等に止め、苟も〈イヤシクモ〉世間の疑惑を招くが如き行動に出でざる様指令を発し極力保釈の実現に努めた。(保釈願は五月十五日却下)
次いで八月下旬血盟団及五・一五同志の減刑嘆願運動に就き本会の態度は減刑よりも寧ろ被告の精神、動機、目的を闡明〈センメイ〉する事に依り国民の嚮ふ〈ムカウ〉所を知らしむる方針を採り来れるが、今後の運動に於ても其の趣旨を基調として実行せられ度し〈タシ〉とて、運動方法を詳細に指示したる印刷物を頒布し且嘆願書十万枚を作成して全国各支部に発送した。尚本会に於ては五十万通を目標とし嘆願書用紙は申込次第随時発送する事として居た。而して九月十八日本部常任委員松延繁次外三名は各支部より送付し来れる減刑嘆願書一万五千余通を携へて陸軍省を訪問提出し、更に十一月六日本部代表金内良輔外四名が五六、四三五通を携へ海軍省を訪問提出した。【以下、次回】