礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

大川周明会頭を常磐線の車中で検挙

2023-03-14 02:20:50 | コラムと名言

◎大川周明会頭を常磐線の車中で検挙

『司法研究 第十九輯』(司法省調査課、一九三五年三月)から、第二章「猶存社系団体」の「四、神武会」を紹介している。本日は、その三回目。

昭和七年中に於ける情勢
 斯て〈カクテ〉本部の陣容を整へたる神武会は六月十四日東京上野公園自治会館に於て大日本生産党、勤王維新同盟、日本国家社会党と共同、国民大会を開催して気勢を挙げ(国難打開連合協議会の項参照)実践運動を開始すると共に前述の如く有望地方に本部員を特派し、演説会、座談会等を開催して主義の宣伝、会員の獲得に努め、早くも六月末には六支部、十八支部準備会の組織を見る等、所謂奔流に棹す〈サオサス〉の勢を以て発展するに至つた。
 然るに五・一五事件〔一九三二年〕取調の進展に件ひ会頭大川周明の之に関与し居たる事判明し、六月十五日夜半青森県下に於ける八戸支部発会式出席の為同地に赴く途中茨城県土浦駅附近車中に於て検挙せられた。此の報一度〈ヒトタビ〉流布せらるゝや地方会員間に於ては本会と関連を持つ事に多大の危惧を抱き、一部同志の離反乃至積極的活動を停止するの情勢を馴致〈ジュンチ〉し、加ふるに八月上旬本会の顧問格たる医学博士今牧嘉雄の斎藤〔實〕首相暗殺陰謀事件の発覚するあり、本会不信の原由〈ゲンユ〉続発し神武会発展途上に一大暗影を生ずるに至つた。【以下、次回】

「六月十五日夜半……茨城県土浦駅附近車中に於て検挙せられた」とあるが、正確には、「六月十五日夜半……千葉県松戸駅附近通過中の車中に於て検挙せられた」とあるべきであろう。
 この検挙の話は、当ブログ「5・15事件の黒幕・大川周明を上野駅で逮捕できず」(2014・2・4)、および「大川周明を土浦から自動車で護送(1932・6・16)」(2014・2・5)で紹介したことがある。
 大川周明は、この日、午後一一時、上野駅から青森行きの急行列車(常磐線経由)に乗りこんだ。次の停車駅は土浦で、翌一六日午前零時一〇分着。警視庁刑事部捜査第二係長・清水万次とその部下五名も、この列車に乗り込んだ。清水係長の回想文によれば、発車後、間もなく逮捕状を執行したという。検挙の時刻は「六月十五日夜半」で間違いなく、検挙の場所は「千葉県松戸駅附近通過中の車中」だったと思われる。
 清水万次の文章を、少しだけ引用しておく。

 列車が進行を始めますと、Oは、すぐ寝台車にやつて参り、腰を下して寝る準備を始めました。私は其の時を見はからつて、用意した令状を彼に示しました。相当な人物の様に、聞いて居りましたが、其の瞬間の彼は、顔面蒼白になつて、やゝふるえきみでありました。「何故〈ナゼ〉、汽車に乗る前に、言わないか」、と言つただけで、我々は次ぎの言葉を待つて居りましたが、彼は何も言いませんでした。そんなとことで、彼と論争しても仕方がありませんので、適当に御機嫌をとりまして、とに角令状があるので、土浦で下車する事、を承諾させたのであります。ところが、御承知の通り、土浦は海軍の飛行基地でありまして、当時は、血盟団の海軍方面の本部となつて居りました。若し此の土浦で、ぐづぐづして居たら、どんなことが起きるかわかりません。そこで我我は、列車が土浦に到着する前に、乗組の車掌に連絡しまして、自動車二台の用意を頼み、下車すると同時に、その自動車に乗つて、東京に引き返す手配を致したのであります。列車は予定通り、十二時過に土浦に着きました。早速用意してあつた自動車に乗込みまして、駅前の交番の巡査に頼んで、東京の検事正宛に、「今土浦を発つ〈タツ〉」と言うこと丈を、電話で連絡して貰うことに致し、その自動車で、直ぐ東京へと引き返したのでありました。〈清水万次「ボスの行動」法務庁研修所発行『捜査十談義』より〉

 なお、ここに「東京の検事正」とあるのは、東京地方裁判所の宮城長五郎検事正のことである。典拠は、宮城長五郎『法律善と法律悪』(読書新報社出版部、一九四一)の三五九ページ。

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