礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

直接国民に訴へて維新日本の建設を為さん

2023-03-12 01:36:25 | コラムと名言

◎直接国民に訴へて維新日本の建設を為さん

 本日も、『司法研究 第十九輯』(司法省調査課、一九三五年三月)からの紹介。
 本日は、第二章「猶存社系団体」の「四、神武会」を紹介してみたい。ただし、ここは全部で二十三ページもあるので(五三~七五ページ)、適宜、割愛しながら紹介することになろう。

    、神 武 会

 大川周明は夙に〈ツトニ〉軍部を中心とする急進的国家改造を意図し陸軍部内に所謂行地運動を為し、参謀本部其他の青年将校中の有志を交へ研究会を開催して政治、経済、社会改造理論の研究を為し自ら其の指導的地位に立つてゐた。而して日本改造を断行し得るものは軍部を措いて他に無く無産政党其他の労、農組合が如何に発展拡大すると雖も斯る〈カカル〉組織は無力にして到底我国の改造を為し得るものに非ず〈アラズ〉と極めて之を軽視してゐた。されば昭和六年〔一九三一〕三月全日本愛国者共同闘争協議会を結成するに当り行地社を代表して狩野敏〈カノ・ビン〉が参加したる際にも、今更国家主義団体を組織し之を統一して其の拡大強化に依り日本改造を断行せんとするが如きは、我国現下の客観的情勢が之を許さずと称し、殆ど之を問題としなかつた。
 然るに昭和六年十月所謂十月事件以後に於て大川は満洲、上海両事変等に依り愛国熱が高まり国民的新興勢力の無視すべからざるを察知し漸次国民大衆への関心を深め従来の軍部第一主義を必ずしも固執せざるに至つた。而して右の如き我国の情勢を見、此の際直接国民に訴へて国民運動に依り合法的に維新日本の建設を為さんことを思惟〈シイ〉するに至りたるが、之には従来の行地社の如く有識階級に訴へるのみならず民衆そのものに訴へざるべからずと為し、新に一個の団体を結成して一大国民運動を展開すべき事を計画した。而して石原産業海運合名会社々長石原廣一郎〈ヒロイチロウ〉より出資を得、先づ試みに満洲、上海両事変に依り愛国熱最高調に達し且衆議院議員総選挙に直面し政治的関心の極度に高まりたる時を以て最適の機会なりとし、既成政党糾弾、昭和維新促進を標榜し腐敗政治の根源既成政党の徹底的批判、国利民福を顧みざる財閥の糺弾〈キュウダン〉、満蒙権益の国民化をスローガンとして全国枢要地に講演会を開催し一石を投じたる後、其の反響如何を見て第二段の対策を樹立する事とし、昭和七年〔一九三二〕二月十一日を期し神武会なる名称の下に暫定的に趣意書を発表並に新団体を結成するに至つた。其の結成に当りては行地社同人の外、
 陸軍中将菊地武夫、元駐独大使本田熊太郎、侯爵徳川義親〈ヨシチカ〉、海軍中将子爵小笠原長生〈ナガナリ〉、貴族院議員子爵中川小十郎〈コジュウロウ〉、海軍中将手塚智太郎、海軍少将南郷二郎、井上勝好、清水行之助〈コウノスケ〉、元関東軍参謀長陸軍大佐河本大作〈コウモト・ダイサク〉
等が関与し、大川周明、河本大作、石原廣一郎〈ヒロイチロウ〉、菊地武夫等が其の中心人物であつた。【以下、次回】

 行地社は、一九二五年(大正一四)に、結成された国家主義団体。大川周明を中心に、満川亀太郎(みつかわ・かめたろう)、笠木良明(かさぎ・よしあき)、安岡正篤(まさひろ)、西田税(みつぎ)らが参加。

*このブログの人気記事 2023・3・12(8位の篤胤、9位の莞爾、10位の鑑三は、いずれも久しぶり)

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