◎神聖なるべき司法権までが汚辱壟断せられたり
『司法研究 第十九輯』(司法省調査課、一九三五年三月)から、第二章「猶存社系団体」の「四、神武会」を紹介している。
本日は、その七回目。以下は、「昭和八年中に於ける情勢」の後半に当たる。
昭和八年〔一九三三〕七月所謂神兵隊事件発生するや神武会の態度注目せられ不穏計画存するやの風評ありたる為、神武会本部に在りては其の疑惑を解く為九月十二日附を以て次の如き印刷物を作成関係各方面に配布した。
「拝啓最近政治季節を前にして、本会に関する流言頻りに飛び些さか〈イササカ〉迷惑する所有之〈コレアリ〉候、右は『九月某日を期し第二の五・一五事件惹起すべし、その主力は神武会青年分子なり』等にて本より〈モトヨリ〉本部は勿論本部直属の青年隊にとりて全然思ひがけなき虚構のデマボーグなる故、左様御諒承被下度〈クダサレタシ〉、御神痛心の向きも有之由〈コレアルヨシ〉なれば為念〈ネンノタメ〉申上候
尚改造意識の頓に〈トミニ〉高まりつゝある昨今或は客気〈カッキ〉の青年会員にして本会の意図を離れ狂激の行動に出づる者なきにしも非ずと存候へ共〈ゾンジソウラエドモ〉、天意未だ到らざる此際右は最も戒しむべき事と存じ候間此点何卒御注意御取締り被下度〈クダサレタク〉御願申上候」
又九月十九日より二十二日迄東京市内本所公会堂外三箇所に於て「皇道維新断行、昭和十年の国際危機に備へよ、屈辱ロンドン条約を廃棄せよ、陸海軍国防予算の絶対支持、護国純情五・一五被告を減刑せよ、中小商工業者の窮境に備へよ、金融を奉還し国民の窮乏を打開せよ、満洲国権益の国民化、復興亜細亜の確立」等のスローガンを掲げて国難突破演説会を開催し、引続き狩野委員長以下松延、金内等の幹部数名は十月中旬より関西及九州各地を巡歴して演説会を開き、神武精神の浸透化に努むる所があつた。
其後十一月三十日東京地方裁判所に於て木内〔曽益〕検事が会頭大川周明に対し懲役十五年の求刑を為すや之を以て不当苛酷なる求刑なりとし、神聖なるべき司法権迄が今や財閥と政党とに依つて汚辱壟断〈オジョクロウダン〉せられたりと称し早くも十二月一日「急告」と題し「五・一五事件民間側被告に対する求刑を見よ、我が会頭に対する十五年の不当苛酷なる求刑は何に起因するか、陸海軍側の結果を無視して独自厳罰主義に出でたのは何を意味するか、論告求刑は一木内検事などに係はりはない、今ぞ我等は明白に彼等の心底〈シンテイ〉を知り得た、彼等の態度は明かに挑戦だ、寧ろなめ切つた態度だ、一年有半隠忍に隠忍、自重に自重を重ね来つた我等は最後のドタン場で刀を大上段に振りかぶられたのだ、諸公負けるな、応戦するんだ、確固不抜なりし神武精神も愈々其の真骨頂を発揮する秋〈トキ〉が到来したのだ。」なる指令を発表し、次いで同月十日には日本国家社会党、勤王維新同盟と共に国内の現状に慊らず〈アキタラズ〉強力内閣出現に依る国内改造の断行を図らざるべからずとて、上野自治会館に於て「内政改革要求国民大会」を開催した。(愛国一致運動協議会の項参照)
尚山形県酒田支部は会頭大川〔周明〕の出身地たるの故を以て夙に〈ツトニ〉其の活動尖鋭化せるものありたるが、会員中には周明の弟大川学而あり、又出羽興民新聞社々長齋藤正義も会員として同紙を支部機関紙と為し、昭和七年〔一九三二〕行はれたる会頭の保釈運動には他支部に率先して該運動を為したのであつた。而して昭和八年〔一九三三〕九月下旬以来機関紙及印刷物等を以て「米価最低石三十円の米穀法を制定せよ、農民の負担を軽減せよ、」なる二スローガンの下に請願運動を開始すべく提唱し爾来同県下町村長会に於て其の決議を懇請し、或は各町村当局を歴訪して賛成を求むる等運動の基礎を固めたる上、十一月上旬より東北各県及新潟県下等の各支部と相協力して本格的署名運動を開始するに至つた。一方十二月十一日東京に於て開催されたる愛国一致運動協議会の席上に於ても庄内行地社(酒田支部と同一体)名を以て「最低米価石三十円の米穀法を制定せよ」との緊急動議を提出し、其の説明に当りては「本運動は一見消極的なるが如く見ゆるも裡耳〔ママ〕に入りやすき目標の下に無自覚なる農民大衆を結束し以て現在の経済機構の一角を破壊し其の圧力に依りて究極の目標たる根本的改造に邁進せざるべからず」等の急進的意見を述ぶる所ありたるが、決議其物は異論ありて留保となつた。【以下、次回】
最後のほうにある「裡耳」は原文のまま。俚耳(りじ)の誤記または誤植であろう。