◎石原廣一郎は神武会の極右的傾向を嫌厭
『司法研究 第十九輯』(司法省調査課、一九三五年三月)から、第二章「猶存社系団体」の「四、神武会」を紹介している。本日は、その二回目。
而して全日本愛国者共同闘争協議会、行地社、生産党有志等を糾合して十班に分ち、全国五十六箇所に大遊説を試み、
一、本末主客を転倒せる形式的教育の弊を改め日本精神の教養と国民的理想の陶冶〈トウヤ〉を旨とする皇国的教育組織の実現を期する事
二、党利を主として国策を従とする政党政治の弊を打破し、皇国的政治組織の実現を期する事
三、私利を主として民福を従とする資本主義の搾取を斥け皇国的経済組織の実現を期する事
なる趣旨の下に公園を為したるところ、予想以上の成功を収め多数の共鳴者を得たるを以て之が組織化を計画し、〔一九三二年〕三月初旬丸ビル中央亭に於て有志懇談会を開催し神武会の組織問題を協議した。而して大川は三月中旬より行地社同人を伴ひ曩〈サキ〉の遊説地中有望なる各地に出張し座談会又は後援会を催して支部結成の準備を進むると共に、左記の如き趣旨、主義、綱領等を定め、行地社機関紙「月刊日本」を月二回発行として本会の機関紙に当て、五月一日其の創刊号を発行した。尚本会の事務所は麹町区内山下町〈ウチヤマシタチョウ〉一丁目一番地東洋ビル三階に置いてゐる。
趣 旨【略】
主 義【略】
綱 領【略】
同年〔一九三二〕五月十五日発行の「月刊日本」附録に神武会大綱として右の趣旨、主義、綱領と同時に、会頭大川周明の「吾等の志」なる論説が発表せられた。同論説は神武会の精神を詳細に示すものであるから、左に其の全文を掲載する。
吾 等 の 志【略】
以上の如くにして神武会は其の資力、人物、立場に於て国家主義団体として最好条件の下に其の活動を開始したが、出資者石原廣一郎〈ヒロイチロウ〉は本会が大川を繞る〈メグル〉急進分子の牛耳る〈ギュウジル〉所となりたるを以て、其の極右的傾向に嫌厭〈ケンエン〉たるものあり同年四月上旬会と絶縁し田中国重大将と共に明倫会組織を計画するに至つた。茲に於て大川は自ら会頭となり行地社系を以て本会の指導権を把握し、昭和維新の実現に向つて邁進する事となつた。【以下、次回】
石原廣一郎(一八九〇~一九七〇)は、実業家。石原産業の創業者。一九三三年(昭和八)五月、国家主義団体「明倫会」を結成(結成準備は、前年四月から)。