礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

あなたは三菱コンツェルンの実力をご存じない(岩崎小弥太)

2020-08-28 00:32:07 | コラムと名言

◎あなたは三菱コンツェルンの実力をご存じない(岩崎小弥太)

 安藤良雄編著『昭和政治経済史への証言 中』(毎日新聞社、一九七二)から、遠藤三郎元陸軍中将の証言を紹介している。本日は、その五回目。

  民間企業を軍需工廠に
 ―― 軍需省の設置と並行して、軍需会社法(政府の指定した重要軍需企業を政府が強力に管理する立法で、これによって政府は民間企業の人事や経営にも立入ることができることになった)ができましたが、民間の軍需会社、とくに航空機会社をごらんになってのご感想は……。
 遠藤 やはり株式会社の性格が尾を引きまして、利益をあげにゃなりませんね。だからあの苛烈な戦争をやっておりながら、利潤追求の考えは抜けておらないのです。それで私、 素人なりに単純に考えました、兵器生産を民間にまかすことは誤りであると。そしてもうけようと思うから非常にコストの高いものになってくる。しかも作戦上の必要に応じて危険を冒してでもつくってもらわにゃならん。これはどうしても国営にしなくちゃならんという考えで株式会社を「軍需工廠」(このときはじめて設けられた民有官営工場の制度)に改め始めたのです。
 ところが、「遠藤はアカい」というわけです。赤かろうが黒かろうが、どうしてもやらんならんわけです。小磯さん(国昭。陸軍大将、昭和十九年七月~二十年四月首相)が総理大臣になったときにも、極力これを実行してほしいと願うと、小磯さんももっともだというので、先ず中島さん(知久平。中島飛行檢会社の創立者、政界では政友会の実力者で、中島派政友会の総裁となる。鉄道相、軍需相にも就任、故人)に交渉したのです。交渉は、いちおう成功しました(中島飛行機は昭和二十年四月「第一軍需工廠」として国営に移された)。だけれども、初代軍需工廠長官には弟の中島喜代一〈キヨイチ〉をあててほしいという条件をつけられました。「もう二十年近くも航空機事業でご奉公したものを、一ぺんに首切ってしまうということは人情のないしわざで、これでは航空産業界の士気を沮喪させるから、ぜひこれはやってくれ」という。もっともだと思って私は同意してきました。
 馬鹿に簡単に取引をすまして帰ってきたら、「遠藤長官はダラ幹だ」といわれました。軍需工廠に同意したのは、陸海軍の有力な将官を長官にして軍隊式にやるところにあったの だ。それを負けてくるようじゃだめだというわけです。それで監督官の将校がボイコットをやってしまったのです。つまり「いままでアゴで使っておった中島社長に敬礼ができるか、そんなものの命令をいまさら聞けるか」というわけです。これにはまいっちゃったですよ。
 そこで、しかたがない、それなら「おれがその下の次長になろう。そうして毎朝朝礼の式には現役中将の服装で敬礼してみせるから、監督官は少将以下ですからおれの真似できないことはないじゃないか」といったところが、大臣から叱られましてね、次長にはやられませんでした。それでいろいろ考えたあげく、中野に退役中将の方を見付けました。この方は中島が非常に経営に困っているとき、細々ながら陸軍から注文を出して助けてきたいわば中島の恩人、陸軍航空の元老です。その人にお願いして次長になって貰ったのです。
 ところが三菱のときは私は負けました。岩崎さん(小弥太。当時三菱本社社長、岩崎弥太郎の甥。大正五年〔一九一六〕三菱合資社長に就任、明治末から敗戦まで四十年間にわたり実権を振って三菱財閥を指導し、とくにその重工業化を推進した。男爵、昭和二十年財閥解体のさなか病没)というのはえらいですね。「あなたはまだ実業界のことをご存じない。三菱コンツェルンの実力をご存じないのだ。私は航空第一主義には同意です。全力をあげて協力しているのですよ。ですから、三菱コンツェルンのもっている優秀な人間、もっておるあらゆる資材をあげて航空にやっているのです。それを三菱コンツェルンから航空部門だけ切り離したらまったく無力になります」と。
 これももっともですね。私はすぐ人のいうことを素直に聞く癖があるので「いやそれはごもっともです。中島は国営にしたから、民間事業がいいか国営がいいかひとつ競争してみてください」といったのです。官営は従来能率があがらぬものということも私は知っていますけれども、しかしこの難局に対してそんなこともなかろうと思って、中島はじめ川崎、川西、それから立川と片端から国営の「軍需工廠」にしたのですよ。しかし成績があがりつつあるなと思っているうちにいくさは負けちゃって、正確な結論は出ませんでしたが、しかし長びけば社員が官吏になってダレたでしょうな。やはり民間の欲がなくちゃいかんのかもしれませんが、しかしいまでも私は思いますよ、軍需産業は民間にやらすべきでないと。民間会社なら当然利潤を追求せねばならない。儲けるためには兵器をたくさん売らねばならぬ、つまり「死の商人」になってしまうのですね。死の商人は軍縮されちゃ困るわけですね。軍人や悪い政治家と結託することになりますよ。

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