礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

レスリー・M・カークの墓がミズーリ州にある

2018-04-15 04:05:30 | コラムと名言

◎レスリー・M・カークの墓がミズーリ州にある

 本日も、功刀俊雄氏の論文(二〇〇七、二〇〇八)の紹介である。功刀論文によれば、「一マイル競走」(初出、一九四六年六月)は、吉田甲子太郎のオリジナルではなく、その「原作」があるという。まず、功刀論文〔2007〕を引用する。

 ところで、『少年クラブ』に掲載された「一マイル競走」の末尾には、「(レスリー・エム・カーク作「一マイル鼓走」による。)」と付記されている。また、後にこの作品を収めた〔吉田〕甲子太郎訳著の『空に浮かぶ騎士――海外少年小説選――』の「一マイル競走」にも最後に「(アメリカ、レスリー・M・カーク作「一マイル競走」による)」と付記されている。こうした原作と甲子太郎の作品の関係及び「訳著」の意味について解説した西本〔鶏介〕によれば、甲子太郎の作品は「原作の忠実な訳ではなくて」、「翻案、再話」あるいは「原作に素材を借りた創作」を意味し、甲子太郎自身はこれを「わたしは原作をそのまま翻訳せず、かなり自由な気持ちで日本文に書きあらためた」と説明しているという。カーク及び彼の「一マイル競走」については今のところ何一つ情報が得られていない。カークの「一マイル競走」と甲子太郎のそれとを比較し得ない現状にあつては確かなことは言えないのであるが、甲子太郎の「一マイル競走」はアメリカの児童文学作品(少年小説)を訳出し、そこから「素材を借りて創作」したことはほぼ間違いなく、そこで描かれているチームのための自己犠牲的な作戦、監督の命令、これを忠実に実行しようとするエルトンの犠牲の精神もアメリカの作品から借用したものと思われる。

 ここで、『空に浮かぶ騎士――海外少年小説選――』とあるのは、一九五六年(昭和三一)に新潮社から刊行された吉田甲子太郎訳著『空に浮かぶ騎士――海外少年小説選――』のことである。このほかにも、一九七九年(昭和五四)に学習研究社から刊行された吉田甲子太郎訳著『空に浮かぶ騎士』がある。後者には、児童文学者の西本鶏介氏による「解説」が付されているという。
 功刀論文によると、〝カーク及び彼の「一マイル競走」については今のところ何一つ情報が得られていない〟とのことであった。気になったので、インターネットで調べてみたところ、Leslie M. Kirkという人物の生没年、および、その墓石の写真がヒットした。Leslie M. Kirkは、一九一七年七月二一日に生まれ、一九八五年三月一九日に、六七歳で亡くなっている。墓は、アメリカ合衆国ミズーリ州ジョンソン郡ノブ・ノスターというところの、「ノブ・ノスター墓地」(Knob Noster Cemetery)にある。墓には、Vesta Jeanという名前と、その生没年月日も刻まれているが、おそらくこれは、Leslieの妻のものであろう。ただし、わかるのはここまでであって、Leslie M. Kirkが、「一マイル競走」の作者であるかどうかは不明である。
 吉田甲子太郎の作品の話、ないし、功刀俊雄氏の論文の紹介については、まだ続きがある。しかし、明日は、とりあえず話題を変える。

*このブログの人気記事 2018・4・15

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吉田甲子太郎「一マイル競走」(1946)について

2018-04-14 04:12:09 | コラムと名言

◎吉田甲子太郎「一マイル競走」(1946)について

 昨日の続きである。功刀俊雄氏の論文二編(二〇〇七、二〇〇八)によれば、「星野君の二塁打」の作者・吉田甲子太郎は、この作品に先立って、「一マイル競走」という作品を発表しているという。初出は、雑誌『少年クラブ』の第三三巻第六号(一九四六年六月)である。
 功刀論文によれば、この作品の内容は次の通りである。以下は、功刀論文〔2007〕からの引用。

 主人公のエルトンは、ある選手権大会(対校競技会とも読める)の優勝を決する一マイル競走に自分の学校を代表して出場する予定であった。そのために長い間練習を続けてきたエルトンは一着になる自信があった。しかし、競技の数日前に彼は監督からチーム・メイトのデンティを一着にさせるために犠牲になって敵の選手をひきずる役を命じられる。勝つことを目的に練習してきたエルトンは勝とうとしてはいけないとの監督の命令に悶々とする。しかし、学校の勝利のために「おまへが、みごとに負けるのを見にいきます」との父の手紙を受け取ったエルトンは、監督の命令どおりに犠牲となることを決心して競技に臨む。競技当日、エルトンは作戦どおりに敵の選手二人を引っ張って疲れさせることに成功する。しかし、最後の一周というときに、後を振り向いたエルトンには敵の選手二人は目に入ったが、ついてきているはずのデンティの姿が見えない。エルトンはもはや疲れ切っている。「敵は、ぐんぐん、せまってくる。」エルトンは、疲れて意識が朦朧とする中、最後の力を振り絞って走りぬき決勝のテープを切る。その直後に二着でゴールした人を見てエルトンは自分の目を疑った。落伍したかと思われたデンティだったのである。こうしてエルトンのチームは完全な勝利を収め、彼はこの日の英雄となったのである。
 以上が作品のあらすじである。リアリティーがあるかどうかは別にして、なかなか面白い作品である。鳥越はこの作品を次のように解説している。「この物語には、どんでん返しが二度も用意されている。まず、主人公のエルトンは、監督の命令で敵の選手を疲労させるおとりの役を命ぜられる。彼は不満ではあるが、チームのため、学校のためにその作戦を忠実に実行する。ところが、本命の選手のデンティが、いつのまにか落伍していることに気づく。ここが第一段のどんでん返しである。/さてそこで、エルトンは疲れた体にむちうって、何とかゴールまでがんばり通す。意識もたえだえに決勝のテープを切ったとき、意外にも二着に入ったのはデンティであった。これが第二段のどんでん返しである。/このように二段がまえの意外性が用意されていて、短編でありながら重量感のあるみごとな作品に構成されているが、その過程に、チームのため学校のために縁の下の力持ち的なぎせいに甘んじる気持ち、監督の作戦に自己の不満を押さえて規律を守る気持ち、本命の選手が倒れたとわかって最後まで力をふりしぼるがんばりと勇気、といったような主題が一本強いしんを通している。」

 ここで、「鳥越」とあるのは、『文学の本だな 愛と勇気・真実と平和の物語 中学編 第1』(国土社、一九六三)の編者のひとり鳥越信〈トリゴエ・シン〉のことである(同書は、鳥越信と沢田啓輔の共編)。
 この「一マイル競走」という作品の存在は、功刀論文を読んで、初めて知ったが、なかなか良い話だと思う。その内容は、どことなく「星野君の二塁打」(初出、一九四七年八月)に似ている。ただし、印象は、「星野君」よりも、はるかに、爽やかである。おそらくそれは、「一マイル」のエルトンには、「抜け駆けの功名」という気持ちがないからであろう。
 学校教育の教材としては、「星野君」より、「一マイル」のほうずっと優れているように思うが、いかがであろうか。
 ところで、功刀論文によれば、「一マイル競走」は、吉田甲子太郎のオリジナルではなく、その「原作」があるらしい。これについては、次回。

*このブログの人気記事 2018・4・14(なぜか天神真楊流柔術が1位)

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吉田甲子太郎『星野君の二塁打』(1947)について

2018-04-13 01:10:54 | コラムと名言

◎吉田甲子太郎『星野君の二塁打』(1947)について

 青木昌吉著『独逸文学と其国民思想』(春陽堂、一九二四)を紹介している途中だが、クライストの戯曲『公子フリードリッヒ・フォン・ホンブルグ』の内容を追っていくうちに、最近、やや話題になっている「星野君の二塁打」という道徳教材のことが思い浮かんだ。
 野球選手の星野君が、大会への出場がかかった大切な試合で、バッターボックスに立った。監督から「送りバンド」のサインが出る。しかし星野君は、サインを無視して強打、これが二塁打となって、勝利に結びついた。この結果、チームは大会への出場権を得たが、監督は、星野君がサインを無視したことのほうを重く見た。そして監督は、星野君に対し、大会に出場させないという処分を申し渡した。――おおむね、こんな話である。
 昨日、紹介したクライストの『公子フリードリッヒ・フォン・ホンブルグ』も、この道徳教材も、抜け駆けの功名が咎められる話であり、その点で共通するところがある。
 この道徳教材について調べているうちに、功刀俊雄(くぬぎ・としお)氏の論文二編(二〇〇七*、二〇〇八**)に出合った。それによれば、この「星野君の二塁打」という話の作者は吉田甲子太郎〈キネタロウ〉という英文学者、児童文学者で、この話の初出は、雑誌『少年』の第二巻第八、九号(一九四七年八月)だという。最近になって、「道徳教材」として急造されたものだろうと思いこんでいたが、そのルーツが古いことは意外だった。
 前記、功刀論文によれば、「星野君の二塁打」という話を、最初に採用した教科書は、日本書籍の「小国:682」一九五一年(一九五二年度)であり、これに「小国:686」一九五二年(一九五三年度)が続く。「小国」というのは、小学校国語教科書の略と思われる。
 同論文から、少し引用させていただこう。

 既述のように小国:686には教師用の解説書がある。『山本有三編集 国語 6年の1用 学習指導書』(以下、『指導書』)である。これには、「星野君の二塁打」に関して7頁にわたって、「教材の趣意」、「教材の解説」、「指導の例」が記載されている。中でも3頁分の紙数が当てられている「教材の解説」は、教科書(小国:686)の頁や行を示しながら作品の最初から最後まで詳細に解説を加えており、解説者の作品解釈を如実に示したものと言える。しかもこの解説者は甲子太郎自身であったと推測されるから、この解説は甲子太郎の「星野君の二塁打」執筆の意図を示しているとも言えるのである。
 その意図を如実に示していると思われる箇所を引用してみよう。いずれも試合翌日に別府監督が選手たちを座らせて話をする場面のものである。なお、引用中の下線は功刀による。
 第一は、作品の本文で、別府監督が「(ぼくが、監督に就任する)そのとき、君たちは、喜んで、ぼくをむかえてくれると言った。そこで、ぼくは、君たちと相談して、チームの規則をきめたのだ。いったん、きめた以上は、それを守るのが当然だと思う。また、試合のときなどに、チームの作戦としてきめたことには、絶対に服従してもらわなければならない、という話もした。君たちは、これにも快く賛成してくれた」(小国:686:113頁)と語った部分についての解説である。
《別府さんは、就任当時の自分のはっきりした態度や、それを認めてクラブを民主的に運営してきたことについて、選手たちの確認を求めながら話しこんでいく。ここのところは、別府さんの信念にみちた、民主主義的な態度を読みとらせるのに大切なところである(『指導書』98頁)。
 第二は、本文で、別府監督の「回りくどい言い方はよそう。ぼくは、きのうの星野君の二塁打が気に入らないのだ。バントで岩田君を二塁へ送る。これがあのとき、チームできめた作戦だった。星野君は不服らしかったが、とにかく、それを承知したのだ。いったん、承知しておきながら、かってに打撃に出た。小さくいえば、ぼくとの約束を破り、大きくいえば、チームの統制をみだしたことになる」との発言に対して、岩田が「だけど、二塁打を打って、Rクラブを救ったんですから」と助け舟を出し、これに対して別府監督が、「いや、いくら結果がよかったからと言って、統制を破ったことに変わりはないのだ。…いいか、みんな、野球は、ただ、勝てばいいのじゃないんだよ。健康なからだをつくると同時に、団体競技として、共同の補神を養うためのものなのだ。ぎせいの精神のわからない人間は、社会へ出たって、社会を益することはできない」(小国:686:114-116頁)と述べた部分についてのものである。
《岩田のことばに対して反ばくを加えた別府さんのことばは、集団の統制、スポーツの精神を明確に表わしたものとしてじゅうぶんに吟味させなければならないものである。別府さんの確固たる信念、この子どもたちに真のスポーツマンシップを注ぎ入れねばという熱情に燃えて、かれのほほは赤く、口調は熱してくる(『指導書』99頁)。》
 第三は、既述の別府監督が星野君に大会出場禁止処分を言いわたした後の部分、作品の最後の部分(小国:686:117頁)についての解説である。【以下、略】

 この功刀論文は、貴重な労作である。ここから学ばされることは数多いが、特に重要だと考えたことがある。それは、吉田甲子太郎の「星野君の二塁打」という作品が、実は、野球というスポーツを通して、「民主主義的な態度」や「スポーツの精神」を説こうしたものだった、ということである。
 当初、この作品は、「国語」の教材として採用されていた。基本的には、「観賞」の対象である。ところが、今日では、「道徳」というが教科で使用されようとしている。「道徳」で、この作品を教材とする場合には、単に、「観賞」の対象というわけにはいかない。子どもたちに対して、一定の「規範」を押しつけるために、それも、作者の意図を超える形で、これが用いられる可能性があるからである。例えば、「指導者の指示には絶対に従わなくてはならない」などと。
 ついでに言えば、この「星野君の二塁打」という話には、「救い」というものがない。星野君は、結局、監督による処分を受け入れた模様だが、だからといって、ハッピーエンドのお話とは言えない。道徳という「規範」について考える授業で、こういう話を使った場合、教室の空気は、重く暗いものになるだろう。この話に比べたとき、『公子フリードリッヒ・フォン・ホンブルグ』は、結末に意外性があり、救いもある。ただし、平和国家日本の教科書に載せる教材としては難がある。「軍国主義」時代のプロシャのお話だからである。【この話、続く】

*功刀俊雄 小学校体育科における「知識」領域の指導:教材「星野君の二塁打」の検(一) 教育システム研究(奈良女子大学教育システム開発センター)第3号 2007年4月 
**功刀俊雄 小学校体育科における「知識」領域の指導:教材「星野君の二塁打」の検(二) 教育システム研究(奈良女子大学教育システム開発センター)第4号 2008年4月

*このブログの人気記事 2018・4・13

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クライストの戯曲に見る「独逸人の徹底」

2018-04-12 02:51:28 | コラムと名言

◎クライストの戯曲に見る「独逸人の徹底」

 青木昌吉著『独逸文学と其国民思想』(春陽堂、一九二四)を紹介している。本日はその二回目。本日は、同書の第二章「独逸人の徹底」の第五節「文学に現はれたる徹底」の全文を紹介してみよう。

  五、文学に現はれたる徹底
 十九世紀の独逸の戯曲小説家の中で、徹底主義を最も極端まで発揮した作家はクライスト〔Heinrich von Kleist〕である。クライストの作つた戯曲小説は、内容に於ても、趣向に於ても、果た〈ハタ〉文体に於ても、徹底主義を以て終始一貫して居る。クライストは歴史上の事実を捉へて、之を戯曲小説に作り替えるに方つて〈アタッテ〉、其歴史的事実に現はれる主義、思想を敷衍〈フエン〉して極端まで徹底させねば措かない、彼の芸術上最も完全なる戯曲『プリンツ、フリードリヒ、フオン、ホンブルグ(Prinz Friedrich von Homburg)は其最も顕著なる一例である。フリードリヒ大王の著作の内に、下の如き歴史的事実が載つて居る。『大選帝侯は或時侍臣に向つて、法律に従つて峻厳に処分すれば、プリンツ、フオン、ホンブルグは当然軍法会議に廻はして処罰すべきものである。然しあの様に勇敢に戦つて、味方の勝利を得るのに与つて〈アズカッテ〉大に力のあつた男に対しては、法律を斯の如く峻厳に適用する考は毛頭ないと言はれた云々』大選帝侯〔フリードリヒ大王〕の此言葉の内には、普魯西〔プロシャ〕の如き軍国主義を励行する国家に於ては、上官の命令には絶対に服従することが一番肝要である。幾等〈イクラ〉戦場で奇功を立てゝも、上官の命令に服従しないで樹てた抜駈〈ヌケガケ〉の功名手柄には,唯に恩賞を与へないのみか、時と場合に依れば軍法会議に廻はして厳罰に処することもあると云ふ思想が含まれて居るのであるが、クライストが此歴史的事実を土台にして戯曲を作るに方りては、此歴史的事実を徹底的に敷衍して、大選帝侯が軍法会議に命じて、上官の命令に違背〈イハイ〉したと云ふ罪名の下に武勲赫々〈カッカク〉たるプリンツに死刑の宣告を下すと云ふことに作替へて、軍国主義の思想を極端まで徹底させた。プリンツは此度の挙には抜群の功名手柄を立てたこと故、定めて君主の御覚えも目出度〈メデタク〉、特別の恩賞にも預かることならんと予想して、意気揚々として凱旋する刹那に、寝耳に水の死刑の宣告に接したので、其沮喪落胆は一層甚だしく、三軍を叱咜して勇戦奮闘した英雄の面影は俄かに消え失せ、卑怯未練の臆病者の如くに死を怖れて、只管〈ヒタスラ〉生命の助からんことを求め、仮令〈タトイ〉今回の戦功の恩賞に預からぬまでも、是迄の功労に免じて死刑の免除あらんことを哀訴嘆顧したが、軍国主義の権化〈ゴンゲ〉なる選帝侯は頑として其願を容れない。プリンツはまだ諦め切れず、日頃眷顧〈ケンコ〉を受けてる大選帝侯夫人に縋つて〈スガッテ〉、執成〈トリナシ〉をして貰はんと依頼して見ると、兼てよりプリンツを贔屓にして居られる夫人は、プリンツの依頼を待つまでも無く、極力大選帝侯に向つて執成を試みられたが、更に其甲斐ななかつたと聞いて、プリンツは愈々失望落胆するのてあつた。最後にプリンツとは許婚〈イイナズケ〉の間柄であるナタリー姫が、恋人の目も当てられぬ悲惨な境遇を見るに見兼ねて、妙齢の少女でありながら、雄々しい勇気を振起〈シンキ〉して、選帝侯の怒〈イカリ〉を冒して、正々堂々プリンツの命乞〈イノチゴイ〉をすると大選帝侯は書面をプリンツに送つて、軍法会議の判決を甘受するや否やを、全然プリンツの自由意志に一任し、普魯西の如き軍国の国柄に於て、上官の命令に違背しても差支ないと思ふなら、プリンツには何等の罪が無い事になるから、プリンツは軍法会議の判決に服従するに及ばない由〈ヨシ〉を申渡した。プリンツは此書面を見て沈思黙考の末始て、大選帝侯が一時の情実を排して国家の将来を慮り給ふ深意を悟り、普魯西の如き軍国(ein Kriegerstaat)に於ては上官の命令に違背した罪は、戦場に於て立てた如何なる功績に依りても償うことの出来ないものである。戦争の好果さへ収めさへすれば上官の命令に背いても構はないと思つて、猪武者〈イノシシムシャ〉の勇気に駆られて抜駈の功名を立てたのは、自分が重々悪かつたと大悟徹底し、潔よく軍法会議の判決に服従して死刑の処分を受けようと決心して、其旨を大選帝侯へ申上げる。大選帝侯は、プリンツが軍国主義の精神を了解して、自ら進んで死に就くと云ふ料簡を起せば最早満足で、夫〈ソレ〉以上プリンツに望む所はないので、プリンツに特赦の恩典を与へ、死刑を免除した上、互に思ひ思はれてるナタリー姫と目出度華燭の典を挙げさせる。普魯西の軍国主義の精神を発揮した戯曲小説は他に幾等もあるが、芸術的完全の点から云へば、此戯曲が止〈トドメ〉を刺して居ると考へる。

 ここに紹介されているクライストの戯曲は、「公子フリードリッヒ・フオン・ホンブルグ」というタイトルで、中島清による翻訳が一九二九年(昭和四)に出ている(世界戯曲全集第一三巻)。また、一九四二年(昭和一七)には、健文社から、『公子ホンブルグ』 というタイトルの児童書も出ているらしい(北村寿夫著、 山本一郎絵)。ただし、どちらも未確認。

*このブログの人気記事 2018・4・12

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ドイツの軍人が賭博を好む理由

2018-04-11 01:53:10 | コラムと名言

◎ドイツの軍人が賭博を好む理由

 先日、たまたま、青木昌吉著『独逸文学と其国民思想』(春陽堂、一九二四)という本を手にした。タイトルからして古くさいし、文章も読みやすいものとは言えないが、その内容は意外に興味深い。
 青木昌吉〈ショウキチ〉のことは知らなかったが、明治・大正・昭和期のドイツ語学者のようだ(一八七二~一九三九)。ドイツ文学に精通していたことは、本書の「序」によってわかる。
 ドイツ語学者であり、ドイツ文学に精通していた青木昌吉は、ドイツ人の国民性についても一家言を持っていた。本書には、その一家言が示されている。ナカナカ辛口である。本日は、その第一章「独逸人の尚武」の第一節「古代の独逸人」を紹介してみよう(ただし、途中まで)。

独逸文学と其国民思想
  第一章 独 逸 人 の 尚 武
 独逸人は剛健勇壮と云ふより寧ろ殺伐好戦の国民である。勇邁なる独逸の軍隊が、小勢を以て敵の大軍を打破つて、武名を輝かした例は歴史上屡屡〈シバシバ〉あるが、勤儉尚武〈キンケンショウブ〉を極端に奨励した結果、殺伐好戦の気象が余り盛んに成り、無用の師〔いくさ〕を起し無辜〈ムコ〉の民を殺して、武を汚すした例もまた少くない。斯くの如く独逸の国民が古今を通じて殺伐好戦の気象〔気性〕に富むのは、一部は其棲息する国土が欧洲の中枢に位して欧洲の天下に戦乱の起る毎〈ゴト〉に、常に其渦中に捲込まれて、屡々慘澹たる修羅の巷〈チマタ〉に成つたと云ふ歴史的影響に基づいて居らう〈オロウ〉が、其大部分は勇壮勇邁なる祖先の血統を受けて居るためであらう。
  一、古代の独逸人
 羅馬〈ローマ〉の歴史家タチツス〔Tacitus〕の古代の日耳曼〔ゲルマン〕民族に関する報道に依れば、『古来の独逸人は敵に向つて戦〈タタカイ〉を挑んで、血を流したり、疵〈キズ〉を受けたりすることは平気でするが、土地を耕作して気長に収穫を待つと云ふ様な悠長なことは却々〈ナカナカ〉しない。而して血を流しさへすれば、容易に手に入るものを、汗を流して獲得するのは、卑怯であると云ふ観念から、農業牧畜及家庭の一切の業務は婦人と奴隷に一任した。従つて独立自主の男子は、戦争と狩猟とを主要なる職業とし其余暇には飲酒に耽つた』としてあるが、最新の独逸の歴史家の間に、タチツスの此説は一班を見て全豹を推定したもので、悉くは信ずるに足るものでない。苟も〈イヤシクモ〉農業と牧畜とを本業とし、之を営まざれば生活が出来ない国柄に於て、農業と牧畜とを軽蔑して、独立自主の男子が自ら手を下すに足らざる賤業とする道理はないと唱へられて居る。夫れ〈ソレ〉は兎もあれ〈トモアレ〉、自由を好み、自然を愛する勇健剛壮の古代の独逸人が、尚武の気象を発揮する機会と、恣に〈ホシイママニ〉自然に接する機会とを兼備する戦争と狩猟とに無上の快楽を感じ男子の天職の如くに考へたのは当然のことであらう。而して戦争と狩猟との余暇には、熊の皮の敷物の上に寝そべつて、飲酒と賭博とに耽つたと云ふことは、如何にも自堕落な振舞で、尚武の気象に富むと云ふ事実と矛盾する様に思はれるが、独逸人の考へ方に拠ると、有らん限りの財産を一擲〈イッテキ〉の骰子〈トウシ〉に賭する賭博なるものは、相手と雌雄を決し勝負を極める点に於て戦争に類似して居る勇壮な娯楽であると云ふので、無智蒙昧〈ムチモウマイ〉なる下等社会は勿論、知識あり道徳ある上流社会、就中〈ナカンズク〉、軍人社会には大に持囃される〈モテハヤサレル〉傾向があ。自由戦争時代の独逸の軍人生活の裏面を覗いて見ると、戦争と賭博とが日々の日課の様に成つて居て、戦争が終ると賭博に耽り、賭博の片がつくと、また戦争に夢中に成ると云ふ風に、絶えず勝負を決する仕事に有頂天に成つて居た軍人も夥多〈カタ〉あつたのことである。或小説に、ブリュへル〔Blücher〕将軍が金銭財宝に頓着しない淡泊洒脱〈タンパクシャダツ〉な武人であることを描いて『私は甞て〈カツテ〉ブリュへル〔Blücher〕老将の収支の決算を見たことがあるが、夫れは「収入千馬克〈マルク〉、支出千馬克、相違無之」と云つた風な文面で簡単明瞭を極めたものであつた』と書いてある。私は此の記事を読んで、ブリュヘル将軍は金銭財産の事に淡泊な洒々落々〈シャシャラクラク〉たる古武士の風骨を備へた剛毅樸訥の武人であると思つて、崇拝敬慕して居た。
 其後将軍の伝記を繙いて〈ヒモトイテ〉『将軍には是れと云ふ道楽はなかつたが、金銭と時間さへあれば賭博に夢中に成つた』と云ふ記事を読んで、其心事の陋劣〈ロウレツ〉を卑しみ、是迄崇拝敬慕して居たことを口惜しく〈クチオシク〉思つたが、将軍の伝記を段々読んで行く内に、将軍が一時軍職を退いて、農業家として活動した十五年間は、賭博を全廃し、勤儉貯蓄を旨として、極めて神妙に振舞つて居ながら、再び軍職に就くや否、睹博に耽る宿痾〈シュクア〉忽ち〈タチマチ〉再発し、十五年間に折角〈セッカク〉蓄積した財宝を瞬く〈マタタク〉間に蕩尽して了つたと云ふ記事を見て、独逸の軍人生活と賭博との因縁の深いことを悟り、また将軍の賭博を好むのは、金銭上の損徳には毫も〈ゴウモ〉関係なく、単に財産全部を賭する大博奕〈オオバクチ〉に、相手と雌雄を決すると云ふことに興味を催したのであることを知つて将軍の心事を疑ふ念は稍〈ヤヤ〉薄らいだ。是等の事実から推して考へても、古来の独逸人が戦争と狩猟との余暇には、飲酒と賭博とに耽つたと云ふタチツスの報道は決して虚伝でないことが解かる。【以下、略】

*このブログの人気記事 2018・4・11(6位に珍しいものが入っています)

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