礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「正史に出てゐる以外の事は何も書いてありません」露伴

2022-05-21 01:54:36 | コラムと名言

◎「正史に出てゐる以外の事は何も書いてありません」露伴

 雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その六回目。

 驚くべきは、この劇的伝奇的長篇が厳密に正史に憑つて〈ヨッテ〉書かれたといふことである。私は始め、これを燕王簒位の事件に材を借りた、露伴先生創作の歴史小説だと思ひ、右にも仮りに之を叙事詩と称したのであるが、御殿場で訪問した機会に先生に問ふと、記事はすべて憑りどころがあり、「正史に出てゐる以外の事は何も書いてありません」といふ事であつた。作中には明史・明朝記事本末等の書が挙げられてゐるから、主なる材料は此等に取り、旁ら〈カタワラ〉道衍〈ドウエン〉・方孝儒〈ホウコウジュ〉其他作中人物の述作、詩文等を参考にしたものであらう。それにしても、窮屈なる史実の拘束の下に、一〈イツ〉の仮構にもよることなしに、あれほどに人を喜悲せしめ、感奮〈カンプン〉せしめ、叙述をするといふことは、歴史としても文芸作品としても、殆ど類例のないところで、他人の想ひ及ばず、露伴たゞ一人よく到り得た境地ともいふべきものであらう。【以下、次回】

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『運命』は明の永楽簒奪の事を記した作品である

2022-05-20 06:33:17 | コラムと名言

◎『運命』は明の永楽簒奪の事を記した作品である

 雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その五回目。

 改めていふ迄もなく、「運命」は、明の永楽簒奪の事を記したものである。明朝の第二世建文皇帝のとき、其叔父である燕王棣【らい】が叛いて兵を北平に挙げ、戦乱四年の後、遂に皇帝を遂ふて自ら永楽帝として位に即いた。其後二十二年、帝は親から〈ミズカラ〉塞外〈サイガイ〉に阿魯台(アルタイ)を征して急に途〈ト〉に崩じ、一方、位を逐はれた建文帝は、ひそかに僧となつて江湖に漂浪すること四十年の後永楽の曽孫正統帝のとき、全く偶然の機会から迎へられて再ぴ宮中に還つた。「運命」はこの前後殆ど五十年に亘る事件の始末を叙べた叙事詩で、造物の脚色は「綺語の奇よりも奇にして狂言の妙より妙」なることを示さんとしたものである。仁恵にして心弱き建文帝、智勇天縦、雄風凛々たる永楽帝、燕王をすゝめて叛かしめた、観相者をして「目は三角あり、形は病虎の如し。性必ず殺を嗜まん。劉乗忠の流れなり」といはしめた異僧道衍【えん】、大儒かつ文楽で、遂に永楽帝に屈することを肯てせず、九族どころか十族を夷せられても従へぬ、と罵つて殺された方孝儒、其他文武臣僚数十人の一一の風貌を、一々描き出して紙上に躍動せしめる筆力は、近時の偉観と称すべきものである。【以下、次回】

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露伴の作品には、おうおう説教臭味がある(小泉信三)

2022-05-19 01:12:23 | コラムと名言

◎露伴の作品には、おうおう説教臭味がある(小泉信三)

 雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その四回目。

 露伴作品に就いていへば、私自身の趣味は太だ〈ハナハダ〉眼られて居り、その凡べて〈スベテ〉を愛読したとはいはれない。最も好んで読むのは、先年、改造社から出た「幽秘記」に収められた、支那の歴史と文学に取材する諸篇、就中〈ナカンズク〉巻頭の長篇「運命」であつて、私一個としては、これが露伴第一の作ではなからうかとひそかに思ふものである。後世露伴の代表作として伝へられるものは何か。五重塔や風流仏は多分それとして挙げられることだらうが、私はあまり好きではない。甚だ過言で失礼かも知れないが、露伴先生の作品には、住々或る説教臭味があり、また、余りにも豊富な文字が文字そのものゝために使はれて、往々マンネリズムの如きものが感じられた。先生は無論承知の上でやつて居られたことだらうが、自分に就いていへば、これが屡々鑑賞の邪魔になったのは事実である。私と同感の人もあつたことゝ思ふ。序でにいふと、漱石は「三四郎」を書き、鴎外は「青年」を書いたが、露伴には其に類する作品はない。露伴は現代の青年に興味のない作家であつたやうだ。青年に興味を持たない作家に青年の方でも、興味を持たなかつたのは、自然であつたかも知れない。それは余談であるが、「運命」では、露伴は最も自分に適した国、時代、事件、人物を題材とし、それを書くのに先生の知識、詩想、文章其他あらゆる素養が一〈ヒトツ〉の調和した力となつて、渾然たる一篇の大作を成すことに成功したといひ得るやうに思ふ。【以下、次回】

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テラとメラの兄弟の話(幸田露伴)

2022-05-18 06:13:56 | コラムと名言

◎テラとメラの兄弟の話(幸田露伴)

 雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その三回目。

 此の通り、私は露伴の談話から貴重のものを掴むことは出来なかつた。それでゐて、どうでも好いやうなことは正確に覚えてゐる。その一つであるが、カステラとカルメラの語源について小話がありますが、御存じですか、ときかれたことがある。遠国からテラとメラといふ二人の兄弟が日本へ渡つて来て、と先生は話し出した。日本へ来て、二人とも菓子屋を始めた。テラは小麦粉を焼いてふくらせ、メラは砂糖を焼いてふくらせる。夫々〈ソレゾレ〉それを売り出したが、テラの方はよく売れ、メラの方は少しも売れない。「だんだん工面が悪くなつて」メラは始終兄貴〈アニキ〉の許へ金を借りに行くやうになつた。兄には貸す。そこで「貸すテラ」「借るメラ」といふ名前が出来たといふのです、といつて先生は破顔した。
 その後、時々殊に最近露伴歿後、私は此の話を思ひ出して自ら苦笑した。露伴作品の中、作者が調子を加減して書いたものが丁度吾々に手頃だつたのではないか。勿論カステラ語源談程度のものを喜んだとは考へないが、露伴先生が最も苦心し、最も得意であつた考証や議論は、反響を喚ばずに終るか、或は反響のないことを予め〈アラカジメ〉感じて、先生の方で言ひ出さずに終つたといふことはなかつたらうか。若し一〈ヒトツ〉の時代の公衆が、知職と感覚の低度のため、時の第一の文豪からその蘊蓄を引き出すことが出来ないまゝで逝かしめたとしたら、これほど遺憾な、不面目なことはない。この点で小林君や土橋利彦君が晩年の先生の左右に待して、無理にも幾つかの知識思想の断片を聴き出して伝へられたのは(今後も恐らく伝へられるのは)感謝すべきことである。【以下、次回】

 文中、「小林君」とあるのは、編集者の小林勇のこと(当時、岩波書店支配人)。「土橋利彦」は、幸田露伴研究家・塩谷賛(しおたに・さん)の本名である。

このブログの人気記事 2022・5・18(9位の「森永ミルクキヤラメル」は久しぶり)

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幸田露伴「曹操は目からが鼻へぬけるやうな人ですから」

2022-05-17 03:55:33 | コラムと名言

◎幸田露伴「曹操は目からが鼻へぬけるやうな人ですから」

 雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その二回目。

 支那の古代に於ける器具器械、殊に生産用具に就いて御尋ねしたことがある。この質問は先生の意に適つた〈カナッタ〉らしい。先生は会心の笑〈エミ〉を浮べつゝ、話を進めて周礼を説き始めた。周礼に就いて私は何も知らなかつた。併し、先生が私も当然熟知してゐるものときめて話をされることを、人名や書名に就いて、さう一々話の腰を折つて質問できるものではない。暫らくは遠慮なくそれもしたが、やがて追付かなくなつて、離れてしまつた。先生も途中で気がつかれたか、例えば「晋の時――ススムシンですな、その晋の時に……」などと、ところどころ仮名をふるやうな話し方をされたが、そんな事では結局間に合はなかつた。
 話が三国志に移る。「曹操は、なに分御承知の通り、目からが鼻へぬけるやうな人ですから」と先生は言ふ。曹操はどうかすると奸雄のやうに思はれてゐる。それを露伴は親しげに「目からが鼻へぬける」やうな人物と評としてゐる。それを「御承知の通り」と言はれるけれども、こちらは一向承知ではない。また、たしか玻璃〈ハリ〉の西方からの伝来に関することであつた。弟は武将で、兄は学者という兄弟の人物が、話の中に現れる(失名)。「この弟の方には私は近づきがない。兄の方は学者だから知つてゐます」といふ。すべて此調子で、支那歴史上の人物に就き、町内の知人の事のやうに語り、質問すれば、袋から物を取り出すやうに出して示される。その袋の中には貴重なものが充ちてゐることを知りつゝ、それを先生に取り出させることが出来ず、また出して示されたものに対し、充分その価値を認める力の自分にないことが、対話の間に時々もどかしさを私に感じさせた。【以下、次回】

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