鎌倉の分室です。
激しい雨が断続的に降っています。
鎌倉は海に近いからか、毎回のように激しい雨の警報が出ます。
少し歩けば湘南の海に出ますので、たまに買い物ついでに海を見ます。
夜でも白い波が立っている様子が見え、最初は怖い感じもしたものですが、今hあもう慣れました。
秋の海は日中の人もまばらで、それでもサーファーの姿がちらほら。
私は秋のチラシの原案作りの仕事中です。
鎌倉の分室です。
激しい雨が断続的に降っています。
鎌倉は海に近いからか、毎回のように激しい雨の警報が出ます。
少し歩けば湘南の海に出ますので、たまに買い物ついでに海を見ます。
夜でも白い波が立っている様子が見え、最初は怖い感じもしたものですが、今hあもう慣れました。
秋の海は日中の人もまばらで、それでもサーファーの姿がちらほら。
私は秋のチラシの原案作りの仕事中です。
仕事の一環で、今日は雨の中、安全運転を心がけて藤沢・湘南台界隈を行ったり来たり。
秋の雨の日はどうしたって憂鬱になります。
昔、よく晴れた日に北海道・釧路の米町公園というところに行ったときのことを思い出しました。
高台にあった公園からはすぐ近くの釧路港から遠く黒く悲しげな色をたたえた太平洋が見渡せて、吹く風の音だけが寂しさを漂わせていました。
状況は全く違いますが、今日の寂しさはこれと通じるものがありました。
明日、世間は休みですが、教室での授業はあります。
先日「まだなんとかなる」と書きました。
個人的な人生観をここで云々するわけではありませんが、受験まで5か月程度の時間的余裕があるのであれば、「その気」にさえなるのなら、どうにかできないことなんてないと思います。
なぜことさらにそんな言葉を書いたかといえば、口幅ったいですが、自分で自分の気持ちを律しようともせず、それでいて不平不満ばかり並べたてる人が少なくないからで、そういう人が仮に「仕方なく」何かをやっても決してうまくはいかないと思うからです。
もちろん大多数の人はそんなことはありません。
現に教室にくる子たちの殆どが時には叱られ時にはつらさを口にはしても、その心の中に灯されている闘志(または単に「志」)がそれしきのことでくじけたりはせず、こちらが感心するくらいバネのような復元力でよみがえってまた前に向かいます。
勉強なんて、その意味では一面でしかないのではないでしょうか。
大事なのは、一日や二日で萎んでしまわない凛としたものを自分の中で持ち続けること、持ち続けようとするその姿勢にあるのであって、それがある限り、たいていのことは「何とかなる」のです。
有名な詩人の言葉があります。
「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。気分はたいてい悪いもので、あらゆる幸福は意志と自制とでできている」