下る為に登る

2022-05-02 21:07:12 | 学習塾・勉強の仕方
先週教室で、 一人の中学生が とても悲しそうな顔をして「もう勉強なんかしたくない。 親がうるさいからやるけど、本当はやめたい」と言いました。

私は彼の気持ちがよくわかります。 痛いほどにわかります。彼は今とても苦しんでいます。でも、今私の立場からは 「だったらやめなさい。止めていいよ」とは言えませんし、言いません。

さて、どうしたものでしょうかと、 ここ数日ずっとそのことが頭から離れません。

先ほど、ふと富士登山したときのことを思い出しました。 富士山は何度か登ったことがありますが、いずれも須走口から、というのが私の定番のコースです。 何回目かの時に、確か6合目付近でのことだったと思いますが、いかにも登山中に体調を崩したと思われる女性が苦しそうに足を運んでいるところに 出会いました。

彼女は言いました。「 この先で下ります。下るために登っています」

須走口から上っていくと 7合目 の辺りで 下山コース に合流します。 そこからは砂走という、軽快に下って行くことのできるコースがありますが、これは下り専用なのです。 彼女は、 ここから降りるために今そこのポイントに向かって登っていると言ったわけで、 これが 「下るために登る」ということです。

機会があれば、あの中学生に 「下るために登る」ということを なにかの形で体験させてあげられないものかと今考えています。
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100年200年前の景色

2022-05-02 10:18:06 | 学習塾・勉強の仕方
昨日の日没前、辻堂から鎌倉に向かって海岸線を走っていたとき、右手を見ると 見慣れない島がありました。何これ?と思って よく考えると、江ノ島です。 でも見慣れた江ノ島とはどこか違う。 考えてみると、頂上にあるはずの搭~これは灯台です~が見えません。 折からの雨と霧の中で その全部が隠れてしまっていて、頂上部が平坦に見えるのです。運転中につき写真を撮ることができなかったのが極めて残念です。きっと 江戸時代の人たちは江の島を見て、こういう姿が目に映っていたのだと思うと感慨もひとしおです。

私は街を歩いていたり 京都や奈良に行った時、 その通り、その辺りの景色の100年前200年前はどんな姿形だったろうと思うことがよくあります。そういう想像をするのがとても楽しいのてす。これをするために、先日は紅葉坂にある県立博物館までわざわ古い写真集を見に行き、そこで暫しのプチタイムスリップを楽しんできました。

昨日は図らずも、それを実地に体験できました。
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日本人的休日の過ごし方

2022-05-02 08:56:52 | 学習塾・勉強の仕方
テレビをつけると、どのチャンネルも行楽地の様子を写していました。

それが、呆れるぐらいに どのチャンネルも同じような内容で、行楽地の駐車場の入口付近の渋滞、人で満ちた潮干狩りの様子、どこかのキャンプ場で長屋のように軒を連ねるテントの様子、そして同じような道具で同じようなバーベキューをして遊んでいる家族家族家族。

楽しみは 楽しみと それで 良いのでしょうが、 これでは単なる日常の引っ越し。普段と変わらぬ人混みの中で皆が同じことをして同じ笑いを顔に浮かべる。少し気味が悪くなりました。

我が家はもう子供が成人しましたから今はそういうことをしませんが、そういう我が家も昔一度こういうことをしたことがあります。
でも私と同じく子供も少し達観したようなところがあって、こういう所に行ってこういうことをしても「ふうん」といった感じで あまり楽しそうには見えなかったことを 覚えています。子供達はその後あまりこういうことには興味を示さないようになりました。

もっと独自に、もっと違った休日の過ごし方というものについて、改めて思いました。
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