先日は講師に生徒のテスト対策の授業を任せていましたが、昨日は私自身がこれ行いました。
途中、ある生徒に 学校の授業の中におけるその科目の先生のテストに関するコメントを尋ねたときのことです。
私が 「この単元は特に出題されることが多いけれど、今回先生は特にこれについて何か言った?」と聞いたら、彼はこう言いました 。
「先生が聞いたら こんなことを 言います」
「?」
私は彼が何を言ってるのか理解できませんでした。 「先生が聞いたら」って、その「先生が」の先生とはどの先生のことかと聞いたら、彼は私をさして 「先生です」。
私が、「先生が聞いたら、って、私は 君には聞いたけれど君の学校の先生を知らないから聞いたこともないし。 それに「こんなことを言います」って何? 何で急にそこで現在形になるの?
ことほど左様に、彼の話し方は主語や 述語の使い方がめちゃくちゃで、英文法で言うところの五つの文型が まるでなっていません。 彼に限らず、概ね 生徒10人に1人ぐらいは、 こういう訳のよくわからない話し方をする 生徒がいます。
取りも直さずこれは国語の問題ですので、 過去に立ち返ることも含め、彼らの場合、国語(の勉強)というものをもう少し 考え直すべきだと思います。
しかし、ここが今日最も強く言いたいことですが、このこと(国語の勉強)に対する保護者の の誤解は非常に甚だしいものがあって 、中には「国語なんて日本人なんだから出来て当たり前でしょ。別に授業なんかしなくたって」などと放言する人さえいます 。
これには大いに反論します。そもそも、もしそうなら(国語なんて日本人なろ誰でも出来るというなら)、 あなたの子供さんがなぜ ここまで国語ができないのか それを説明してみてくださいと言いたくなるわけで、そういう誤解や間違った思い込みが進行中の学習の、いままさに大きな妨げになっていることも 少なくありません。