人が何かを表現し、それを 他者に理解してもらおうと いう時に、ほとんどの場合、100%正しくそれが伝わるものではないということを 前回書きました。 このことは私自身小学生の時に 伝言ゲームと言う 方法で 担任の先生から 実際に教えてもらいました。 良い先生の良い授業だったと思います。
大人になってから このことは数限りなく経験してきました。 自分の伝えたいことが正しく相手に伝わらない、あるいは相手が伝えたいと思っていることが 正しくは何であるのかということを私自身がなかなか分からないということが 何度もありました。
大人ですからそういう時も類推という方法を用いて とにもかくにも物事を前に進めるという術は ありますが、 ここに子供が 入って来た場合、話は ややこしくなります。 子供を介して返してた保護者との間のやりとをした時に、この 「正しく意志が伝わらない」という ことが、 時に 本来ないはずの問題を発生させたりする事も全くないとは言えません。
この「正しく伝わらない」という事態が発生したときの対処の仕方を、私は 極端な形で損保時代に経験しました。 それは保険金の支払い時における わからず屋さんとの交渉です。
私は 主に財務営業の部門でしたので 、それほど多くはありませんが、それでも四、五回、そ の分からない相手~その全部が ヤクザと呼ばれる種類の人達でした~との交渉の矢面に立ったことがあります。 いずれも、保険契約者が 起こした保険事故に対する保険会社からの保険金の支払いの仕方が気に入らないと言って 、怖いオニイサン方が強行な、そして理不尽なクレームを 言ってくるというパターンです。そしてまたそのほとんどが、そもそもその事故自体が 意図的に仕組まれたものであるという疑いがあるという、 その時点で既にそれ自体十分に犯罪の匂いのする 案件ばかりでした。
こういう時に、保険会社としては 正しく どこに問題点があるのかを明確に示して、問題点を解消するためには 何を契約者にしてもらわなければならないかをこれまた明確に相手に伝えて、それらがうまくいかなければ保険金の支払いには 応じられないことがある旨を落ち着いて正確に宣言しなければなりません。
私がその仕事を受け持ちました。その時に、ほとんどの相手がいきり立ち、こちらに対して罵声を浴びせ、暴力行為をにおわせながら 直接威嚇してきました。
今でしたら守るものがそれなりにありますので こういう場に出て行くことに二の足を踏むこともあるかもしれませんが、当時の私は これといって失うものもなく、あるのはただ若さだけでしたので、割と平気な顔をして こういう修羅場に臨んでいました。私はいつも正しく自分の仕事をしました。正しく明確に、伝えるべき事柄を相手に伝えきり、契約に則って支払うべき保険金以外の余計な譲歩は決してしませんでした。
で、こうした場を 踏むことで培った 「正しくこちらの言うべきことを相手に伝える術」これが上で述べたことにあたります。しょうもない経験ですが。