言うだけ番長

2022-05-28 21:34:58 | 学習塾・勉強の仕方
前前回アップした文章の続きです 。
教室で行う面談は、その時点での子供の学習の状況報告とともに、 今何が足りないか、以後どのようにしてそれを修復して行けば良いかということの前向きな相談や提案、アドバイス が多く含まれています。

そういう時に、しかし こんなしょうもない言葉を機械的に返してくる方がいます。

「 言ってるんですけどね~」

言ってる?何を?  
「勉強しろと言っている」ということを言いたいのであれば、そしてそう言うだけで子供が自動的に勉強するのだと本気で思っているなら、あまりにも楽観的に過ぎますし、無責任ではないでしょうか。

口やかましいくらいの頻度かつ高圧的な言い方で「勉強しろと」言うからには、しっかりとその環境を整え、モチベーションを植え付け、 進行を見守り、時には修正もし、結果をフォローする。そこまでトータルでの行動が伴わなければ、あまりにも 「言うだけ番長」ではないでしょうか。
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週末です。

2022-05-28 17:36:13 | 学習塾・勉強の仕方
3時まで教室で事務仕事をして、急いで車に乗って辻堂に来ました。一年半ぶりに映画を観ます。 トップガン。おわったら、そのまま今夜は千葉県はずれの佐原まで行く予定。
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戦力の逐次投入

2022-05-28 14:23:33 | 学習塾・勉強の仕方

戦力の逐次投入、という言葉があります。

良くない意味の言葉で、その言わんとすることの大意は、ちょこちょこと小出しに戦力を使うことで小さな失敗を積み重ねてしまい、そういうやり方が結局最後に大敗する理由になる、というようなことです。

子供の勉強の場面にもこの例えは有効です。

もとより勉強と戦い(戦力という言葉は戦いのときに使います)とは違いますが、だからといって全くこれが異なるかというとそんなこともありません。

少し前に、私立中受験生だけを対象とした集団塾の先生と話をする機会があって、その中で彼女(その先生)がこんなことを言っていました。

「ウチの塾に問合せしてくる方の中には、時々『まず週1回算数から』なんていう例があるんです。その時はヘンに期待を持たせるのは互いの為にならないので、ウチははっきり言うんです。『よそを当たってください』」

彼女の言いたいことは多分こうです。

小学校5年生から始める4科目受験で偏差値65前後の私立中の場合、その4科目を一斉に始めて積み上げていくこと以外に方法はなく、例えば「まずは算数」なんて言っているようでは、その間に全ての科目の勉強を進めている子との差が開くだけで、その差を最後、つまり受験本番でひっくり返すことは、全く無理とは言いませんが、「ほぼ無理」とは言って差し支えないんです。

まずは算数だけ、という戦力の逐次投入は、このように極めて危険で成算のないやり方と言えます。

因みに、このことは私立中受験生に限らず、人が何かをするとき~勿論小学生中学生達が学力を上げる努力をする局面においても言えることです。

 


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本当に小さいけれど、彼の変化

2022-05-28 10:39:41 | 学習塾・勉強の仕方
昨日、嬉しい発見をしました。

中学生の男子。勉強がどうにもこうにも苦手で、やってもやってもなかなかそれが点数や成績といった結果に表れません。 保護者は痺れを切らして 毎日毎日彼を叱りつける。いや、彼曰く、「叱る」ではなく 「ただ怒っている」 そういう受け止め方を しているようです。親は自分の気が済むようにただ怒っている。 私が、「どう違うの?」と聞くと「言うだけで具体的なことは何にも教えてくれないから」

そういうことの繰り返しで今まできました。

成績がなかなか伸びないことをもっとも 辛い思いで受け止めているのは その子自身です。ですから、叱られても何一つ言い返すことが出来ず、そのうえ気も弱いものですから今では小言をいわれるたびに卑屈になり、 時には 嘘や言い訳を交えて 叱られるその場その場をただただやり過ごそうとします(と私には見えます)。

おととい、とても悲しそうな顔をして「なんで覚えられないんだろう」と呻くように私に言いました。 続けて「また今日も 家で怒られる」
私は彼に言いました。「 君はいつも 勉強しろ、とっととやれ、しか言われないんでしょ。 だったらその親に、 言うだけじゃなくてこれとこれがわからないから 教えてよ と言ってごらん。 塾の中だけじゃなくて、家の中でも勉強したら当然分からないことはその都度出てくるだろう。24時間君のそばに学校や塾の先生が君の横に座ってくれているわけじゃないんだし、その中でやるんだから、 それを教えてもらえば その時にその場で一歩確実に前進できるだろう」

私は彼を挑発的な子供にしようというのではありません。ただ口で勉強しろ勉強しろと言うだけの 、今や卑屈さの中に子供を追い込んでしまっている保護者の方には その言葉に対する責任が あり、毎回常にとは言わないまでも、時にはそれ(その言葉の責任)を果たしてこそ初めてその言葉の意味が発動されるのだということを、言葉を変えて彼に 言いたかったのです(本当は保護者に言うべきことなんですけどね)。

誤解してほしくないのですが、 親だからといってすべての科目、全ての単元をいつでも子供に教えられるというわけではありません。そんなこと言ってるわけではありませんから。

昨日彼は 私に言いました。「 昨日もガミガ言うだけで 僕が何を言っても何も聞いてくれませんでした。 テストの前ですからやらなければいけないことはわかっているので、僕は問題集を開きました。数学の問題と英語の問題でそれぞれいくつか分からないところが出てきたので 次の日の塾の前に、今この場でちょっとでも教えてもらいたいと親に頼んだんですけど、「 自分の時代とは違うから 教えられるわけないだろ」 って。その問題をチラッとでも見もしないで、ゲームしながらですよ。先生、そんなことありますか? 時代が違うって 100年も前の 話じゃないんですけど、 勉強の内容って 20年ぐらい前と今とでそんなにも違うものですか ?

もう一度言います。私は彼を挑発的な態度にさせようと思っていたわけでありません。 勉強しろ勉強しろと言うだけじゃなく、小さくてもよい、そこにひとつの行動を 伴って欲しいと 思ったのです。

彼はそれをこちらが予期していなかった形で 納得したようです。
彼はこう思いました。 勉強しろ勉強しろと神も言われるだけで 家では 時間がありそうな時を見計らって親に聞いても 何一つ教えてくれないということは わかりました。僕ができることは、 塾や学校や教科書や参考書 の中だけから どこまでも自分の努力だけでやらなきやいけないんだということが 今初めてわかりました。

当たり前と いえばあまりに当たり前すぎることですが、こんな とても小さなことが、彼が今置かれている 自宅での勉強の場の現状、現物を明確にしていることが、それが今初めて彼には理解できたようです。そのことが彼の目にはっきりと表れている気がして、それを見た私はとても 満足しました。昨日の彼はこれまであまり見たことのない、ある種一つの達観すら感じさせる厳しい顔つきで問題集に取り組んで、あれもこれもと沢山質問もしてくれました。
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