アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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やっと休みが取れた

2009年01月04日 10時11分21秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 2009年の新しい年が明けました。ガザ空爆や、「年越し派遣村」に野宿者殺到と、年明け早々から世情騒然としたニュースが目白押しなので、今年は、少なくとも自分のブログでは、「おめでとう」と言うのは止めています。但し、リアル世界で出した年賀状には、日頃のお付き合いもあるので、「明けましておめでとう」ときっちり書きましたが。

        

 やっと休みが取れました。前にも書いた様に、私のバイト先の某大手スーパー物流センターでは、従業員は年末年始も出勤です。食品流通関係はどこでもそうですが、この時期は年末商戦のかき入れ時であり、どこもフル稼働で動いています。上記左の写真にある勤務シフト(出勤簿)に沿って、同右の写真にある様な朝早くから、毎日勤務していました。左写真のシフト表にある「定」の表示が、契約社員や派遣社員の定休日(交代制のシフト休日)で、その中のピンクのマーカーで色を付けた分が私の休みです。これで見ても分かる様に、私は年末12月29日から昨日の1月3日まで連続出勤で、今日が初めての正月休みです。

 そういう事で、今日からまたブログ更新に手をつけていきますので、みなさん宜しくお願いします。今日もどこまで書けるか分かりませんが。
 書きたい事は一杯あれど、まずは手始めに、バイト先でのこの年末年始の顛末を書き止めておく事から始めたいと思います。私にとっては、今年が今の現場に配属されてから最初に経験する年末年始です。来年の年末は、少しでもシンドイ思いをしなくても済む様に、簡単にでも今年の事を記録に止めておこうと思いますので。つまり、今回エントリーの以下の部分は、謂わば私個人の為の備忘録なので、興味の無い方は読み飛ばして貰って結構です。

 年末より前のクリスマス商戦の時期から、商品量は次第に増えてきました。それでもまだクリスマスの時期は、そう大した事は無かったように思います。クリスマスケーキの出荷も、送迎バス通勤組の私は、帰りのバスの便との兼ね合いもあって、残業せずに済みましたから。但しこれも今だから言える事で、その時はフーフー言っていましたが。
 ただ、その前後の時期から、荷動きがそろそろ変則的になって来ました。これも流通関係ではどこでもそうだと思いますが、盆暮れなどの繁忙期は、商品の受注量が増えるだけではなく、注文の出方も通常とはまるっきり違ってきます。正月食材などの普段出ない商品が、この時期は大量に出ますから。
 当然、当該大手スーパーの現場業務を請け負っている業務請負(平たく言えばスーパーの下請け)会社の担当者社員も、スーパーからの物量予測資料を基に、日々の出勤シフトや作業スケジュールを組み、人が足らない分は派遣会社から人を手配して貰うなりして、仕事を回していくのですが、それはあくまで「建前」にしか過ぎません。実際は、スーパーがはじき出した予測数値は全然当てにならず、当日蓋を開けて初めて「こんな筈じゃ無かったのに」という事が、往々にしてあります。
 
 実際この時もそうでした。私の職場は、普段は火・金・土曜日が忙しくて、日・月曜日は比較的ヒマなのですが(出勤シフトも当然それに合わせて組んでいる)、12月第3週は普段とは逆に、15日の月曜日に通常の2倍以上も入荷が殺到して、メチャメチャ忙しく、翌16日の火曜日が逆にヒマでした。そして、こんな事は先の予測資料には何も書いていなかったので、月曜日は出だしから業務が遅れまくりで、散々な一日でした。
 しかも、そんな状況にも関わらず、その担当者社員は可哀想にも、自分ひとり業務遅延の責任を負わされ、報告書まで書かされる破目になってしまいました。「どんな事があっても仕事に穴を開けないのが、ウチの仕事やろう!」と上から言われて。そんな、根性論の極致とも言うべき詰められ方をされていました。私はそれを人伝に聞いて、「『竹槍でB29を突き落とすんや!』と言っていた戦時中の発想と、全然変わらないじゃないか」と、その上司を内心思いっきりバカにしていましたが。
 しかし、やがて正義は勝つ。そういう事が一度ならず二度、三度と起こるにつれて、流石にその担当者も次第にケツまくりだし、とうとうその上司も含めて、年末は全員総動員で現場作業張り付きにならざるを得なくなってしまいました。(この項、多少脚色を施していますが、大筋については真実です)

 そして、とうとうやって来た年末年始の本番。12月29日(月)までは何だかんだ言ってもまだ通常通りの勤務シフトだったものが、30日夜のおせち料理食材詰め合わせの出荷を機に、ガラッと変わりだします。この手の商品は元々消費期限が短く、新鮮さを売りにしているので、売り出し当日直前のタイミングでドドッと入荷してきます。おまけに壊れやすい上に高価な商品なので、まるで腫れ物に触るように荷受・仕分け・荷出ししなければなりません。傍には当該おせち食材メーカーのバイヤー(営業担当者)も張り付いて、「君、もっと丁寧に商品を扱いたまえ」とか注意されながらの作業となります。当日はホカ弁も夜食に出て、早朝7時から深夜21時までの、拘束14時間・実働13時間労働となりました。しかも、送迎バス通勤組はそれでもまだマシな方で、自転車通勤などの居残り組はもっと遅くまで残っていた筈です。

 明けて31日はスーパー営業年内最終日で、出荷も午前11時過ぎで終了し、みんな早めに帰りました。翌日元旦からの年始商品大量入荷に備えて。当日は実働5時間半ぐらいで、午後1時過ぎには退勤。当てにしていた残業代も、大幅に目算が狂いました。まあ昨日あんなに働いたのだから、それで好とするか。

 その翌日の元旦は、スーパーの店舗は営業が休みですが、物流センターには翌2日からの正月商戦用の食材がドバッと入ってきます。一年中のうちで、この日だけは遅番(それでも朝9時からの)出勤で、送迎バスも、いつもと便が変わります。当日は仕出しの弁当業者も休みなので、コンビニで自分のランチを買って(こういう時はメシと足の確保にはくれぐれも注意!)、いつもと違う時間・場所で早めに待機して迎えのバスを待っていたら、何と目の前の道路をバスが通り過ぎて行きました。どうやら、前日に渡された待機場所の地図に誤りがあった様です。バスの運転手が、慌てふためく私の姿に気付いてくれて、何とか乗る事が出来ましたが。
 この日は、前述した様に店舗は休みなので、配送車への荷出し・積み込みは無しです。入荷検収、仕分け・ピッキング、引き込み・庫内整理に終日追われます。但し夜勤出勤者も元旦休みなので、普段は夜間に入荷している商品や、正月限定の普段見慣れない商品を検品・出荷するので、いつもと勝手が違い、どうしても勘が狂います。それに加え、作業予測は前述した様に「在って無きが如き状態」なので、ドンドカドンドカ引っ切り無しに商品が入ってくる中で、右も左も分からない素人の日払い派遣の人たちに作業指示をしながら、やっさもっさやっている中で、あっというまに一日が終わりました。当日は、通常の日当とは別に、5千円の元日出勤手当が現金支給されました。
 
 そして2日から3日にかけて、物流センターについては、商品の量も動きも次第に通常の姿に戻り、やっとこの4日に、私も一週間ぶりに休み入る事が出来たという次第です。
 私にとっては、この4日が強いて言えば正月休みに当たります。だから、私にとっては、クリスマスも正月も普段と殆ど変わりません。当初は、年賀状も一切書かずにおくかメールで済まそうと思っていたぐらいです。実際に、出入り業者の人の中には、年賀状をメールで済ました人もいました。
 しかし、それでは幾らなんでも味気ないし、そんな不義理ばかりしていたのでは、仕舞には誰も自分に年賀状を書いてくれなくなるので、どうにか今年も、賀状を出すには出しましたが。それも、今までは適当に手書きで済ましていたのを、今年は一念発起して、きちんとパソコンで自作の年賀状を書いて。
 そういう事もあっての、今年は「新年明けましておめでとう」抜きの挨拶となりましたが、悪しからず。

 それと最後にこれだけは。このブログを読んでくれている人の中にも、実際に派遣社員で働いていたり、そういう人たちを雇い入れている側の人たちが、大勢居ると思われます。そういう人たちも、途中で記事を読み飛ばた人も含め、最低限これだけは心がけて下さい。

派遣のバイトを仕事中に呼ぶ時は、決して「オマエ」「キミ」「其処のハケン」とかではなく、必ずその人の名前で呼んであげて下さい。

 
 ※上記は、12月4日夜、東京・日比谷野音での
 派遣法改正要求集会(出典:共同通信)

 但し、これは言うほど簡単な事ではありません。日替わりで、入れ替わり立ち替わりに、毎日別の人が、派遣会社から回されてきます。似たような顔つきの人も、中には何人も居ます。その一方で、受け入れる側の方も、早出・遅出や早上がり・居残りシフトの人間が居て、昼勤者も居れば夜勤者も居る。それらの人たちが、引継ぎ前後の時間帯にはみんな入り乱れて、それぞれ作業に就いているのが、今の職場です。
 そういう人たちの勤怠管理をする社員も勿論いますが、それは一人か二人であって、その他の作業者は私も含め、手元に派遣の出勤者リストなど在ろう筈も無く、自分も現場で作業しながら、いきなりぶっつけ本番に、右も左も分からない相手に向かって、それでも事故やミスをされては適わないので、最低限の事だけは教えなければと、必死になって作業をこなしているのが実情です。

 一体全体、そんなぞんざいな働かせ方を強いられれば、人の扱い方が勢い「モノ扱い」に堕してしまうのも、ある意味において必然です。業務請負会社の契約社員である自分自身も含めて、大手スーパーやその上の政府・財界・国際資本から全人民が「モノ扱い」される中で、自分だけが「良い子」になろうとしても、そうは問屋が卸してくれません。
 本当は、派遣会社か受け入れ先企業の方で、当該会社名とワーカーの氏名を記したネームプレートを着けてくれたら、それで解決する問題なのですが。しかし、双方とも員数合わせしか頭に無い中で、当日の始業間際まで「蓋を開けてみなければ誰が来るか分からない」様な状況下では、「ネームプレートを事前に準備し現場に揃えて置く」なんて本来ごく当たり前の事すら、夢のまた夢なのでしょうか。

 しかし、そんな屁理屈も、所詮は受け入れ側の勝手な都合でしか在りません。当の派遣社員の立場からすれば、「モノ扱い」される事ほど、頭に来る事は無いのです。私も、以前は日払い派遣で働いていた時期があるので、その気持ちは良く分かります。派遣先の社員がロクスッポ作業指示一つ出来ない中で、仕方なく作業場の壁にもたれて待機していたら、フォークリフトに乗った社員に、いきなり名前ではなく「顎で合図されて」呼ばれて、「ボーッと突っ立ってるなと言ったやろ!」と言われた時は、私でも「コイツ、マジでいつか殺したろか!」と一瞬思いましたからね。
 だから、なるべく私は、休憩時間にさりげなく相手の名前を聞いておいて、その次からは出来るだけ、その人の名前で呼ぶようにしています。たとえ実際は、派遣の名前を覚えるとかいう前に、当の自分自身も、勤務シフトが入り乱れる中で、普段見かけない顔の人に必死で作業手順を教えた後で、その人が実は日払い派遣ワーカーではなく、私よりも遥かにキャリアの長い夜勤のベテラン・バイトだったという事に、後で気付いて大恥かいたりもしながら。(その人も人が悪いのか、形だけは「そうかそうか」と頷きながら、しきりに私の方を向いてニヤリと笑っていたので、どうも変だと思ったのですが、もう後の祭りでw)
コメント
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